むなしい青春

12月6日(火)

Cさんは面接試験を控え、気になることがあります。志望理由や将来の計画は話せるのですが、自己アピールのネタがないのです。先輩から「高校時代にどんなことをしてきたかという質問があった」と聞かされ、急に心配になったようです。

高校時代の話を聞くと、Cさんは勉強以外のことは、全くと言っていいほど何もしていないとのことです。クラブ活動もしなければクラス委員を務めたこともなく、ましていわんやボランティア活動など夢のまた夢です。家の中でも手伝いをしたことなどなく、最近よく言われる“小皇帝”だったようです。

Cさんは、確かに勉強はできます。国籍を問わず周りの友だちと仲良くしていけます。しかし、面接で語れるほどの華々しい経歴や経験はありません。いろいろな国の友達ができたのはKCPに入ってからだから、国の高校時代の“空白”は埋められないのです。

思い切って、ひたすら勉強に励んだ高校時代だったと答えたらどうかと言ってみましたが、Cさんはそれでは満足できないようでした。でも、逆さに振っても華々しい過去は出てこないのですから、過去を変えることはできない以上、どうしてもそういうことを語りたかったら、ウソをつくほかありません。しかし、それはCさんにとって不本意なことですし、良心が大いにとがめます。

国にいたころのCさんをつぶさに探れば、きっと面接のネタになることが出てくると思います。心を真っ白にして今までの人生の棚卸しをすれば、何か語れることがあるはずです。勉強以外の思い出がない青春なんて、むなしいじゃありませんか。あるいは、Cさんの青春は、日本へ来てKCPに入学してから始まったのかもしれません。そういうことを語るのも、面接の質問に対する立派な答えになると思うのですが、Cさん、いかがでしょう。

書くのはちょっと‥‥

12月5日(月)

Hさんは、面接のように話して答える問題や、EJUのように記号で答える問題は強いのですが、文で答える問題となると、さっぱり振るいません。読解の筆答問題は言うに及ばず、語彙や文法の書き換え問題や短文作成ですら、四苦八苦したあげく、ほとんど何も書けずに終わってしまうのが常です。

Hさんの話は内容も伴っているし、論理的だし、日本語を使いこなしている感じがします。その話をそのまま文字化すればいいじゃないかと思ってしまうのですが、本人にとってはそれが至難の業なのです。Hさんの場合、話し言葉と書き言葉の間には、容易に越え難い高い壁がそびえ立っているようです。

誰しも、多かれ少なかれ、話し言葉と書き言葉とにはギャップがあるものです。弁が立つ人と筆が立つ人とがいます。口下手だけど達意の文章を書く人もいれば、Hさんのように鋭い舌鋒と鈍い筆鋒をあわせ持つ人もいます。私が見るに、Hさんは文を書くことに対する苦手意識が強すぎるか、自分の文章が評価されることに恐れを抱きすぎているところが感じられます。

志望校は独自試験に筆記試験がないところを選び、面接では好感触を得ているようです。でも、このままでは、たとえ受かって入学したとしても、大学ではレポートをさんざん書かせられるので、進級も覚束ないでしょう。ですから、卒業までわずかな期間ですが、KCPにいるうちに文章を書くことに対する苦手意識を少しでもなくしてもらいたいです。多少手荒なことをしてでも、Hさんに文章を書かせるようにして鍛えることが、Hさんへの真のはなむけになるのではと考えています。

実るほど

12月3日(土)

この夏に天皇陛下がご自身の退位について語られて以来、天皇の生前退位をめぐる議論が活発に行われています。生前退位を認めるか否かは、有識者会議でも両論が拮抗し、どちらとも決めかねる状況が続いています。

今朝の新聞に、憲法第2条が皇位継承は皇室典範が定める通りにせよと規定しており、その皇室典範は生前退位を認めていないのだから、特例法による退位は憲法違反だという意見が載っていました。天皇陛下のお気持ちに沿うには、皇室典範改正以外の方法はないというのが結論でした。とてもすっきりしたわかりやすい意見で、これを読んで私もそうすべきだと思いました。

正直に言うと、平成の世になっても、私の中では「天皇」といえば昭和天皇でした。今上天皇にはどことなく頼りなさげな印象を抱いていました。それが変わったのが、東日本大震災後に被災地を訪れ、津波に襲われて瓦礫の山となってしまった町の跡に頭を下げて犠牲者の冥福をお祈りになっている今上天皇の写真を見たときです。曲げた腰の角度、頭を垂れた視線、指先までピシッと伸びた体側の腕、そういった姿勢から、心の底から国民を思っておいでなのだなということがひしひしと伝わってきました。国民の悲しみや苦しみを少しでも引き受け、国民の幸せと国の平和を願い続けようとなさっているお姿に、私は心を打たれました。

その今上天皇の願いをかなえて差し上げるのが、われわれ国民の責務だと思っていました。その道筋を明確に示してくれたのが、今朝の記事でした。たとえ退位されても、陛下の国民に対するお気持ちは変わらないでしょう。そのお気持ちに応えるべく努力していくことが、この国の発展につながるのです。

日本にカジノを作ることが、被災地に頭を下げられた陛下のお心に報いることになるとは、到底思えないのですが…。

楽しいですか

12月2日(金)

金曜日に受け持っている上級クラスは、中間テストの各科目の点数が惜しいところで不合格というように、勉強面ではやや物足りないところがあります。合格点ぐらいは軽く取れるだろうと思っていた学生が、ふたを開けてみると、あと1問正解だったら合格点だったのになんていう成績になってしまったケースが多かったです。詰めが甘いのかもしれません。

だから(と言えるほどの因果関係があるかどうかわかりませんが)、授業で普通に文法や読解などをやっていると、学生たちはおとなしくなってしまいます。ところが、脱線するととたんに元気になります。先日も、読解のテキストに出てきた「お受験」と「受験」の違いに触れると、それまで静かだった教室が、とたんににぎやかになりました。文法の例文でも、本筋でないところで盛り上がることがしばしばです。

そういう学生たちがさらに元気になるのが会話練習の時間です。今学期はいろいろなテーマについて1分程度でスピーチをすることが中心課題です。流暢に話す学生もいれば、ぎこちない語り口の学生もいます。でも、このクラスの学生たちが偉いのは、クラスメートのスピーチを真剣に聴いているところです。教師が聞くと、文法やら語彙やら発音やら、何かといちゃもんを付けたくなる話し方なのですが、学生たちは、友だちの気持ちや考えやしたことや、少しでも深く友だちを知ろうとする姿勢が見て取れます。読解や文法の時のような、生きてるのか死んでるのかわからないような顔色とは全然違います。

こういう聴衆を前にすると、話し手も興が乗るのでしょう。みんな指名されると喜々としてスピーチを始めます。学生たちが「自分の話が通じた」という実感を持つに至れば、この授業は成功だと言えます。たとえ、期末も読解や文法や漢字などが不合格でも、学生たちは何かを得たんじゃないでしょうか。

ちょっと楽天的過ぎる見方かな…。

本当にあと1か月?

12月1日(木)

12月です。毎年思うことですが、1か月後にお正月を迎えているなんて、とても信じられません。クラス授業も選択授業も受験講座も山ほど残っているし、期末テストも作らなきゃならないし、採点もしなきゃならないし、面接練習も志望理由書も続々と襲い掛かってきます。仕事納めの日までに、そんなこんなを処理しきれるんだろうかと、不安を感じずにはいられません。そうそう、少ないながらも年賀状も書きます。それから、学校でもうちでも、大掃除を忘れてはいけません。

でも、毎年曲がりなりにも年末年始の休みに突入し、旅行に出て、旅先で年越しそばをいただき、見知らぬ町のお寺かお社へ初詣に行くのです。そこで手を合わせ、新年の誓いを立てます。

学生たちも、忙しい1か月を過ごします。受験日が迫っていたり、年内に出願を済まさなければならなかったり、間もなく合格発表だったり、既に合格が決まった学生の中には、入学手続の期限が年内だったりします。受験が年明けだとしたら、この12月をあわただしく過ごすだけではいけません。人生を分かつ1か月になるかもしれないのですから。

Yさん、Lさん、Cさん、Hさんもそんな学生たちです。まだ行き先が決まっていませんから、1校確保してもうちょい高いところを狙うっていう学生より感じるプレッシャーも大きいです。親しい友人の合格の知らせを喜びつつも、胸中に焦りの種を宿していることでしょう。クリスマスソングがボリュームを増すともに、風がどんどん冷たくなります。無所属新人の学生には、落ち着かない季節、体調を崩しやすい時期をどうにか乗り越えて、3月には笑えるようになってもらいたいです。

頼りすぎ

11月30日(水)

韓国の朴大統領が、どうやら任期途中でやめそうです。大統領が任期を全うせずにやめるのは、現行の大統領制が確立してから初めてだそうです。支持率が5%にも満たないというのですから、こうなるのも当然かもしれません。でも、どうしてやめなければならないようなことをし続けたのかなあと思わずにはいられません。大きな権力を握ると誰でも清廉潔白でいられなくなるものなのかと、そんな権力を手にしたことのない私は漠然と想像しています。

それとも、自分が握っている権力の大きさが怖くなって、近しい人を必要以上に頼ってしまったのでしょうか。一国の大統領ともなれば、常に大きな決断を迫られます。どんな道を選べばいいかわからなくても、どれか1つを選んで実行に移さなければなりません。迷いたくても迷わせてもらえません。そして、その決断に対する責任は負わなければなりません。だから、自分の権力の大きさに押し潰されそうになることだってあるでしょう。そのときに、相談に乗ってもらうとまでは行かなくても、誰かに背中を押してもらいたいと思うことがあったとしても、不思議はありません。

だから、朴大統領を許してあげたいというわけではありません。自分の大きさと釣り合わない器の人物を、ブレーンとして頼り続けてしまったように思えます。大統領のお父さんの時代は、そういうことが許されたのかもしれませんが、現在はそのころとは比べ物にならないほど、国の規模も大きくなり、国際的地位も高まり、国を取り巻く環境も激変しました。それがわかっていないはずがありませんが、大統領がしたことはそういう意味で前期代的なことです。

翻って自分自身を見ると、私も学生の人生を左右しかねない、学校の将来の明暗を分かちかねない決定を下すことがあります。そういう決断の際には曇りのない目で見極めているか、常に自問自答しいます。

ようこそ

11月29日(火)

夕方、あれやこれやと仕事をしていると、S大学に進学したYさんとZさんがやって来ました。Zさんとは、先々週、T奨学金のパーティーで会い、そのときに、近いうちにYさんを連れて顔を見せに行くと言われていました。それが早速実現したというわけです。

ここ数年、毎年コンスタントにT奨学金の受給者となる学生が出ているので、先日のパーティーでは大勢のKCP卒業生に囲まれました。みんな私のために料理を運んできてくれ、その料理をつまみながら卒業生たちの近況を聞きました。大学院に進学するOさん、アメリカへ向かうJさん、日本人なら誰もが知っている日本の会社に日本人学生との競争に勝って就職したSさん、カメラ係スタッフとしてパーティーの裏方をしていたWさん、KCPにいた時とは見違えるようないい学学生になったXさん、なんだか垢抜けた日本語を使うようになっていたCさん、みんなT奨学金をもらうだけあって、自分の人生の基礎を着実に築いていました。パーティー会場についた私を見つけて、一番はしゃいで喜んでくれたのが、Zさんでした。

そのZさんが、ルームメートとして一緒に暮らしているYさんを連れてきてくれたのです。Yさんは、Zさんと入れ替わりにKCPを卒業してS大学に進学しました。そして、先輩としてKCPへ来てS大学のよさを語り、その話を聞いてZさんたちがS大学に進学したのです。今度はZさんが今の学生の中から誰かを釣り上げてくれないかなあなんて思っています。

忙しい授業の合間を縫って顔を見せてくれたYさんもZさんにとても感謝しています。夏に来ようと思っていたけど、台風が来たから…などと言っていましたが、それでそのままにせず、義理堅く来てくれたことをうれしく思います。

式と文

11月28日(月)

理系の学生の大学独自試験対策として、理科の筆記問題のクラスを始めました。EJUの選択肢の問題とは違った力が必要になりますから、短期間ではありますが、国立大学などを目指す学生のために始めました。

物理は、答案の書き方の指導が中心です。単に式の羅列に終始するのではなく、どういう発想でその式を導き出したのか、どういう理論・法則に基づいて式を立てたのかを明示しなければなりません。学生たちはここができません。先学期の受験講座でも扱ったのですが、指導が不徹底だったので、今回は厳しく指導していくつもりです。学生たちからは、ここまで書かないとだめなのかという声が挙がりましたが、式を並べただけでは減点されても文句は言えないと答えると、おとなしく私の板書を写していました。

私が大学受験するころは、式を立てるときにはどういう文字をどういう意味で使うのかきちんと断らなければならないとか、公式の名前は必ず書けとか、うるさく指導されました。でも、そのおかげで自分の考えを答案の形に表現することができるようになりましたし、それは、今、学生たちに問題の解き方を説明する時に非常に役立っています。物理を語る言語は数学であるとはよく言われますが、コミュニケーションツールは答案だとも言えるのではないでしょうか。

生物は文章で答える問題を中心に扱いました。EJUの問題と一番大きく違うのが、こういう問題です。グラフや実験結果の解釈を言葉で表現させる問題は、どこで出されるかわかりません。留学生には完璧な日本語は要求されないでしょうが、キーワードが含まれていなかったら、筆記問題の答えとしては致命的です。

EJUの理科は、問題自体は優れたものが多いと思いますが、それが選択肢問題になっているために「?」月になってしまっているきらいがあります。大学独自試験における筆答方式の問題は、その欠点を補うものであるのと同時に、学生に大学に入ってから必要な発想を求めるものだとも思います。ですから、EJUが終わったら、学生にはこちらに力を入れてもらいたいと思っています。

伝わらない

11月26日(土)

今学期の選択授業・身近な科学は、私が80分ぐらいしゃべりまくって、最後にその内容に関するクイズをするという形で進めています。昨年はノートを取らせてそれを提出させたのですが、ひたすらパワポの文字を書き写すばかりで、こちらの伝えたいことが伝わっていなかったようなので、やり方を改めました。

回答を集めてチェックすると、熱心に聞いていた学生はきちんと答えられているとう、当然過ぎる結果が得られました。身近な科学は受験には利さない内容ですから、理科系志望の学生がクイズに有利だとは限りません。授業で聞いた内容を答えるのが主旨ですから、知識を振り回して小難しい答を書くと、かえって減点されてしまいます。

実際、いつもうなずきながらメモを取っている美術系志望のOさんは、毎回好成績です。前回は、理系のGさんは私がしゃべったことを聞き流し、受験の常識に基づいて答えたので、そこは点数になりませんでした。

別にひねくれた問題を出しているわけではありません。このテーマに関しては、これぐらいは知っておいてもらいたいという内容を学生に問うています。授業で強調した項目、印象に残るように話したことについてクイズを作っています。それでも的外れな答えがボロボロ出てくるのです。受験に関係のない授業ですから、学生たちが気楽に受けている面もあるでしょうが、授業で大事なことを伝えることの難しさを思い知らされています。

同じようなことが読解だ文法だというクラスの授業でも起きているとしたら、恐ろしいことです。受験講座でもこんな調子だったら、非常に効率の悪い仕事をしていることになります。気楽な独演会のつもりが、針の筵が敷かれた茨の道を歩むような次第になりそうです。

丸暗記

11月25日(金)

Sさんは、自分の話す力に難があることを自覚して、半月後にある入試の面接の準備を進めています。クラスの先生からもらった想定質問集の1つ1つに回答を書き込み、これでどうですかと私のところへ相談に来ました。

初めての受験ですからしかたがないかもしれませんが、まず、他の受験生でも答えられるような、ありきたりの答えが目立ちました。また、パンフレットかネットのページかどこかからそのまま引っ張ってきた文言もありました。その部分だけ妙に日本語がこなれていますから、すぐわかってしまいます。そして、その部分についてちょっと突っ込むと、何も答えられなくなってしまいます。

それから、文字にしてみると文法の誤りがあらわになります。Sさんのたどたどしい話し口がそのまま文字になっていました。話すのですから漢字の使い方には目をつぶるとしても、助詞の間違い、接続詞の抜け落ち、不自然な言葉の使い方など、初級のときの穴がふさがれずに上級にまで至ってしまったはっきりわかりました。

1年前の初級のSさんは、クラスの授業でやる日本語は簡単だとして、N1やN2など背伸びしまくった勉強をしていました。わかっているつもりだった初級文法が実はさっぱり身についていなかったのです。頭は悪くないですから、中間・期末テストでは点が取れてしまい、ここまで進級できちゃったのです。

そんなSさんの想定質問への回答をようやく直し終わったら、Sさんはその答えを暗記するといいます。そういう能力はふんだんにありますから、丸暗記しようと思えばできちゃうでしょう。でも、それにどれだけ意味があるでしょうか。本番で緊張して、最初の一言でつまずいたら、頭が真っ白になり、何も出てこなくなります。そうなったら面接は全滅で、結果は火を見るより明らかです。

でも、自分の弱点を冷静に見極めて、周りの友人よりも早く準備をしている姿勢は評価できます。来週、もう少し本格的な面接練習をする約束をして、Sさんは帰っていきました。