遅刻とEJU願書

7月24日(金)

Hさんが教室に入ったのは、9:52ごろでした。出欠席のルールにより、10:30までの授業は欠席という計算になります。そうでなくても悪いHさんの出席率が、また下がってしまいました。

理由を聞くと、バスがなかなか来なかったからと言います。でも、時間をよく聞くと、最大の理由は寝坊です。次のビザが危ないくらいの出席率なのに、危機感が感じられません。Hさんを受け持ったどの教師からも注意され続けているはずなのに、一向に改善の兆しが見られません。

学校でまとめて購入したEJUの願書が昨日届いたので、各クラスで購入者に配りました。Sさんはその願書を受け取ると、授業中なのに早速記入を始めました。机の上には英語のテキスト。教室に存在しているだけで、授業に参加しよう意識がありません。

この時期にそんなことをしているとは、すでに精神的に余裕を失っているということであり、いい結果など望むべくもありません。教師の目を掠めながら勉強した英語など、身に付くはずがないじゃありませんか。

朝寝坊している余裕などないはずのHさんがのんびりしており、どっしり構えていいはずのSさんがこそこそしています。2人とも能力はありますが、このままではそれを発揮することなく終わってしまいかねません。かといって今説教したところで効き目があるとも思えません。Sさんあたりはかえって反発して、心を閉ざしてしまいかねません。こちらも肝を据えて長期戦を覚悟で行くほかないようです。

日本語文法脳

7月23日(木)

水曜木曜は初級クラスを教えますが、どちらのクラスも以前勉強したことを忘れてしまっている学生が多くて、頭が痛いところです。レベル2の学生は「ています」を使ってほしいところで使ってくれないし、レベル3の学生は「てしまいます」を使わずにちょっと間抜けな文を作ってしまいます。まあ、「てしまいます」は中級や上級の学生もなかなか使ってくれないんですけどね。

ほとんどの学生が、今、目の前の文法項目を使うことで精一杯なのです。習ったばかりの文法をどこでどう使うかばかりを考えていますから、以前に習った文法にまでは頭が回りません。でも、これじゃいけません。一段高いところに立ち、視野を広く持って、今までに勉強した文法や語彙を総合的に見渡して、最善の文の形を作っていってほしいです。

そうはいっても、「てしまいます」を使うべき場面かどうかが判断できなければ、いつまでたっても「てしまいます」が使えるようにはなりません。そこで、教師の地の言葉をじっくり観察してほしいのです。教師はそのクラスのレベルに合わせて既習の文法を使って話しますから、学生が耳を澄ませて教師の言葉を聞き取っていくと、「あっ、『てしまいます』こういうところで使うんだ」という発見が必ずあるはずです。そういう発見を1つでも多くした学生が、学生たちのよく言う「日本人のような日本語」に近づいていくのです。

そういうことをしていくうちに、頭の中に日本語文法のネットワークができ上がっていきます。このネットワークを手に入れれば、「てしまいます」も自然に出てくるようになります。私が教えている上級クラスには、そういう学生が何人かいます(残念ながら「何人か」でしかないのですが)。その何人かは実に自然な日本語を話します。例文もこなれています。よく英語耳って言いますが、さしずめ日本語文法脳を持ったと言えるでしょう。

せっかく日本に留学しているのですから、感度を最高にして、「あっ、こういうところで使うんだ」をどんどん見つけて、自分の頭を鍛えていってもらいたいです。

9本のジュース

7月22日(水)

ロビーの受付のところに缶ジュースが9本置かれていました。「どうしてこんなところにジュースがあるんですか」とK先生。「それですか。さっき自動販売機の前で学生が抱えて立ってたんですよ。ボタンを押したら続けざまに10本出てきたって言ってました」と事務のTさん。「もらっちゃえばよかったのに」「でも10本は多すぎるでしょう」「自動販売機の会社の落し物だとしたら、1割の1本はもらう権利があるんじゃない?」…などと、午前中の職員室でどうでもいい議論が行われました。

学生にしてみたら、1本買うつもりで10本も出てきたら相当戸惑うでしょうね。ごまかそうっていうレベルを超えていたのかもしれません。Tさんが事情を聞いたときに「友達の分も買いました」と答えることもできたはずですが、そう言わずに正直に話した点は評価できます。

それに対して、頭が痛いとかお腹を壊したとか言って休む学生は、実際のところはどうなんでしょうか。授業後電話を掛けて、明るい声で「もう直りました」と答えられると、疑念が頭をもたげてきます。毎日のようにJRの遅延照明を持ってくる学生にしたって同様です。何時何分にうちを出て、何時何分に電車に乗って、という足取りを厳しく追及したくなることもあります。

社会に出たら否が応でもうそにまみれた生活を送らざるを得なくなります。「うそも方便」という便利なことわざをフル活用して、保身したり他人の足を引っ張ったりというのが常態になります。そうしつつもそれが異常なんだという感覚だけは忘れたくありません。忘れると東芝の歴代社長のようなことになってしまうのです。

今日の学生は、正直に9本のジュースを届けたことをどう思っているでしょうか。ごく当たり前のことをしたまでだというのであれば、立派な心がけです。その気持ちを忘れないでいてもらいたいです。

誰の志望理由書?

7月21日(火)

W大学の出願締め切りが迫り、出願予定者は大忙しです。いや、出願予定者を受け持つ教師のほうが学生本人以上に忙しいかもしれません。学生は自分のだけ考えればいいですが、教師は自分が受け持っている学生全員の面倒を見なければなりませんから。国の高校から取り寄せる書類や機械的に埋めていけばいい書類は、学生自身でもどうにかなりますが(というか、学生自身以外でどうにかできる人はいません)、志望理由書だけはそう簡単にはいきません。

YさんもWさんも私を忙しくさせている学生たちです。それぞれ書き上げては教師のチェックを受けて、ということになりますが、それが集中するこちらは結構な仕事量になります。YさんもWさんも、いまひとつ文章に切れがありません。それぞれ自分独自の決めぜりふがないんですね。これは誰でも書けるよねっていうことか、これと志望学科がうまくつながればすごいんだけどっていう内容とか、どうも詰めが甘いのです。

多くの日本語学校の先生方が、私と同じようにW大学に出願する学生の指導をしておいででしょう。教師の力に大差がないとすれば、合否の分かれ目は、結局は志願者本人実力に負うところが大きいというわけです。私が想像力をたくましくすれば、あるいは不合格になるはずの学生を合格させることもできるかもしれません。火のないところに煙を立てるがごとく、単に憧れでW大学と言っている学生の志望理由をでっち上げることだってできます。しかし、そうまでしてW大学に入ることが学生自身の幸せにつながるとは思えません。

わたしたちは進学のお手伝いはしますが、主体的に動くのはあくまで志願者本人です。志望理由のタネを持ってくれば、それをまいて肥料をやって、芽を出し葉を出すぐらいまではどうにかしてあげられるかもしれませんが、花を咲かせるのは学生自身の手によってです。それ以上手助けしたら、誰が大学に入るかわからなくなってしまうではありませんか。

W大学が第一陣で、この後いろいろな大学の出願が続きます。戦いは始まったばかりです。

例文

7月17日(金)

最上級クラスで文法の例文を書かせました。もちろん、ミスがないわけではありませんが、いくら考えても意味不明の文はありませんでした。初級だと複雑なことは書いていないはずなのに、何のことやら見当もつかないという文によく出会います。それに比べると、最上級まで上り詰めただけあって、語学のセンスを感じさせられます。

このレベルにまでなると、勉強が好きか日本語に対する勘が鋭いか生まれつき頭脳が優秀かのどれかでしょう。要するに、曲がりなりにも努力が続けられるか頭が切れるかだと思います。そのどちらでもない人たちは、ふるい落とされてきたと考えていいでしょう。選りすぐりの学生たちですから、文法の例文ぐらいどうっていうことないのでしょう。

このクラスは、それにとどまらず、語彙も漢字もよく知っています。N先生やK先生の話によると、文章もきちんと読みこなせているようです。こう書くとすばらしい学生の集まりのように見えますが、そのすばらしさが全国レベルかというと、未知数のところがあります。KCPの中でどんなに光っていても、他流試合に勝てなかったら学生たち自身の夢を叶えることはできません。他流試合を物にするには、したたかさも必要です。そこがどうなのか、現時点では読みきれません。

授業で志望理由書の書き方もしました。W大学への出願で苦労した人たちを除いて、まだピンと来ていないような顔をしていました。これから継続的に鍛えていかねばなりません。鍛えていけば必ず輝く素材ですから、慎重に、でも、大胆に、力を伸ばしていきたいです。

ふて寝

7月16日(木)

私が文法の説明をしている最中、Fさんの左手はずっと机の下でした。視線もこちらに向けず、その左手に向いているようでした。説明を続けながらホワイトボードの前から離れて、静かにFさんの手元が見える位置に移動すると、やはりFさんの左手にはスマホが握られていました。

「Fさん、教室では携帯電話禁止でしょ」と、掲示板に張ってある携帯電話禁止の表示をたたきながらFさんを注意すると、Fさんは不満そうな表情でスマホいじりをやめました。「Fさん、あなたは昨日も同じことでO先生にしかられたでしょ。それでもまだケータイに触っていたいんですか」と追い討ちをかけると、Fさんはふてくされて机に突っ伏してしまいました。これ以上Fさんのために貴重な授業時間を使いたくなかったので、以後Fさんを無視して授業を続けました。

こういう場面での指導は難しいです。Fさんのためを思えばふて寝を認めず徹底的に注意すべきでしょう。でも、そのために授業時間が失われ、教室内の雰囲気が重苦しくなるのでは、Fさん以外の学生のためにはなりません。また、Fさんが指導をきちんと正面から受けて自分の行動を改める学生なら、授業時間を使う意義もあります。しかし、Fさんは昨日のO先生の指導が全く効いていません。単に注意したりしかったりするだけでは、これからも同じことを繰り返すだけでしょう。授業時間外に教室外でじっくり対処すべき問題です。

終業のチャイムが鳴るや否や、Fさんは脱兎のごとく教室を出て行きました。私は後を追いませんでした。発音チェックに来た学生やEJUの相談に来た学生のために時間を使いました。Fさんを見捨てたと言われれば、まさにその通りです。しかし、意欲のある学生を放置してまでFさんを優先しなければならない理由は見当たりませんでした。

明日、このクラスの担当はK先生です。Fさんはどんな態度を示すでしょうか。

ウザイ役どころ

7月15日(水)

授業が始まり、出席を取って、連絡事項を伝え、宿題を返して、そのフィードバックをしたところで、Kさんが「病気ですから帰ります」と言い残して、早退してしまいました。事務の担当者の話によると、Kさんは来日してからひと月もたっていないのに、気ままな振る舞いが目立つとのことです。

Dさんは宿題をしてきません。漢字の宿題も文法の宿題も、未提出だったり、未完成のまま提出したりと、のらりくらりと宿題から逃げ出そうとしています。月曜日の漢字のテストも、勉強した形跡が見られず、クラスの最低点で不合格。来週水曜の文法テストが思いやられます。

この2人はどうも物見遊山的にKCPに通っているようです。サブカルか何かで日本に興味を持ち、それが高じて日本に留学したのでしょう。大学進学などというしっかりした目標があるわけでもなく、ただ単に日本での生活を楽しんでいることが、行動の端々にうかがえます。

確かに、自分の勉強した言葉が通じる外国を自由に歩けたら、自分の興味を持った文化にどっぷり漬かって暮らせたら、どんなに楽しいだろうと思います。KさんやDさんはそういう生活を送っているのでしょう。でも、貧乏性の私には、学校の授業料を捨てるようなもったいない行為にも見えます。

10年後、20年後、あるいは30年後のKさんやDさんは、自分の人生における2015年日本留学をどう位置づけるでしょうか。教えている側としては、単なる青春の思い出としてほしくはありません。たとえ短い期間であれ、実質的な成果を手にし、自分の人格の太い骨を形作った時期だったと思えるような留学にしてほしいのです。

古いと言われても私はそう考えます。そう考えて授業していきますから、KさんやDさんのような学生にするとウザイ感じがするかもしれません。そんなウザイ人間とも付き合うのが人生だとわかってもらうのが、私の役どころなのでしょうか。

受験講座開始

7月14日(火)

私の今学期の受験講座は、今日が初日。物理をしました。先学期から、教科書の勉強中心のクラスと、問題を解くのが中心のクラスとに分けています。どちらも面倒を見るのですから、理科がある日は忙しいです。

問題を解く演習クラスは、先学期はEJUの過去問が中心でしたが、今学期は過去問に加えて大学独自試験を意識した問題も解かせることにしました。選択肢のあるEJUの選択問題ばかりやっていたら、自分で答案を作る筆記問題の力はつきません。また、口頭試問で物理の原理みたいなものを聞かれても何とかなるようにという気持ちもあります。

こういうことを通して学生たちに本当に学んでもらいたいのは、科学の根幹を成す発想です。順序だてて論理的に考えて結論を得る問題の解決法です。科学者として過ごしていく上でどうしても必要な考え方です。今思い返すと、私も受験勉強のときにそんな発想法の芽となるものを身に付け、それを大学から大学院にかけて育て上げていったような気がします。そしてそれを学生たちにも身に付けてもらいたいのです。

だから、EJUを基準に考えると、私の授業は理屈っぽいでしょう。でも、無駄なことをしゃべっているつもりはありません。ほんのかけらでもいいですから、私が持っている経験や感覚を伝えていきたいと思っています。

熱帯夜じゃない

7月13日(月)

ゆうべは窓を開けたまま寝たのですが、いつの間にかタオルケットがベッドの隅に丸まっていました。外に出ると朝からむっとするような熱気。今シーズン初の熱帯夜の手ごたえ十分だったのですが、気象庁のデータによると東京の最低気温は午前4:40に観測された24.1度。

これは、昨年12月に東京の気象観測地点が移動したからです。竹橋付近の気象庁本庁舎内、ビルとアスファルトに囲まれたところから、緑に囲まれた北の丸公園内に移ったのです。最高気温にはほとんど影響が出ないものの、最低気温は下がるだろうと予想されていたことが、如実に現れました。去年までだったら、ゆうべの最低気温は26度ぐらいだったんじゃないかな。

日中は全国的に気温が上がり、気象庁の観測点928か所中122か所で猛暑日となり、512地点で30度以上となったそうです。この時期は夏至から3週間ほどで、頭のてっぺんから日が差し込みます。ですから、晴れたら気温が勢いよく上がるのです。東京の最高気温は34.2度で、真夏の暑さです。

「梅雨が明けたんですか」とも聞かれましたが、天気図上は梅雨前線が消えて太平洋高気圧に覆われていますから、真夏と同じです。しかし、気象庁は梅雨前線が復活すると読んでいますから、梅雨明けとは言いません。週間予報によると、週の半ば以降はまた曇り空のようです。

外は真夏の暑さでも、校舎内は直射日光も入らず、冷房も効いていますから熱中症などになる心配はほとんどありません。でも、教室に若い体が20も入ると、どことなく暑苦しく感じます。欠席者が多く寒々しい教室は困りますが、熱気がありすぎるのもちょっとね。…なんて思いながら授業を始めるても、いつの間にか自分もその熱気を出す側に回っているんですよね。不思議なものです。

スピーチの原稿

7月11日(土)

昨日学生に書いてもらったスピーチコンテストの原稿を読みました。今回の私の担当は上級クラスなので、先学期の初級クラスのTさんみたいな、文字は日本語だけど文は日本語じゃないっていうような、とんでもない作文はありませんでした。

しかし、確かによく書けているんだけど、スピーチの原稿って考えるとどうだろうかっていうのが多いのです。自分の身の回りで小ぢんまりとまとまっている印象です。独自の意見を述べているんだけど、広がりが感じられません。聞き手が共感するだろうかと考えると、残念ながらNOなのではないかという文章が多かったです。

スピーチコンテストで入賞できなかったとしても、それは学校の中だけの話で、「残念だったね」で済みます。しかし、こんな雰囲気で入試の小論文を書いたとしたら、残念な結果のオンパレードになりかねません。小論文も個人の意見や経験をベースにしますが、そこから導き出されるものに普遍性や読み手の心を動かす何物かがなければ、合格は疑わしいものとなります。

まず、広い視野で多角的に物事をとらえる力をつけさせなければならないでしょう。そのためには良質な読み物を与え、その内容に関して活発に意見交換していくような授業が必要です。教材をいかに料理するか、教師の力量も問われます。その上で、そこで培われた目で見た問題の本質や自分自身の考えを、訴求力のある文章にしていく力も養っていかねばなりません。

教師の側からすると、高すぎる目標ができあがってしまいました。