心を動かす

8月5日(土)

今年のスピーチコンテストは土曜日開催とあって、審査員として日本で就職した卒業生が何人も来てくれました。会社名を並べると、結構なところばかりで、みんなKCP卒業後努力を重ねてきたのだなあと思わずにはいられませんでした。顔や声は変わっていなくても、内面は大きく成長しているのです。

初級から上級まで、多種多様なスピーチが聞けましたが、会場全体が盛り上がったのは、わかりやすく共感できるスピーチ、アイデアが豊かでユーモアが感じられる応援でした。また、今年はパフォーマンスを中心にしたスピーチをひとかたまりにして競い合わせましたから、見るスピーチが華やぎを添えました。

もちろん、正統派のスピーチも健在です。社会問題に真剣に向き合うスピーチもまた、多くの学生の心を動かしました。全学生が参加する学生審査にもそれが明確に現れていて、私たちが感心させられたスピーチは、学生をも捕らえていたようです。

ただ一つ気になるのは、審査員のK先生もおっしゃっていましたが、パワーポイントの画像などに頼るあまり、ことばの力だけで聴衆を動かそうというスピーチが少なくなったことです。正統派スピーチで最高点だったJさんは、パワーポイントは使いませんでした。そのスピーチには確かな力強さも感じました。しかし、画像があるスピーチは、わかりやすくなる代わりに、言葉による説得力が弱かったように思いました。この点が、Jさんと他のスピーカーとの差になって現れたのではないかと思いました。

スピーチコンテストを作り上げるまでに、どこのクラスでも幾多の紆余曲折がありました。その紆余曲折を乗り越えたことによって、賞はもらえなくてもさわやかな満足感が得られたのではないかと、コンテスト終了後の学生たちの顔を見て思いました。

有名じゃないけど

8月4日(金)

スピーチコンテスト前日とあって、どこのクラスも応援やスピーチの練習に余念がありません。私のクラスも授業の最後の15分は応援練習にあて、「恥ずかしいと思わないで手足を思い切り動かせ。そうじゃないとかえって恥ずかしいぞ」などといっちょまえくさったアドバイスなんかしちゃいました。

スピーカーの練習が終わったころ、F大学の留学生担当の方がいらっしゃいました。F大学は今年Sさんが入った大学で、Sさんは勉強にもクラブ活動にも力を入れているとか。KCPにいるときにはおとなしい印象しかなかったんですが、F大学ではかなり積極的に動いているようです。

だから、今年もSさんのようなすばらしい学生を送ってくださいというのが、F大学の方の訪問主旨です。F大学は、首都圏では高い評価を得ている大学ですが、KCPの学生の母国では知名度がゼロに近いです。Sさんにとっても、私たちが紹介して始めて知った大学です。私たちがなぜF大学を紹介したかというと、F大学は進学した学生が非常に満足していて、奨学金制度も充実しているからです。F大学の担当の方は、それに加えて、留学生と日本人学生とのつながりが強いこと、就職のケアも手厚いことなども強調なさっていました。

日本人の18歳人口の激減を控え、どこの大学も生き残りに必死です。生き残り策の1つとして、にわかに留学生を増やそうというのには与したくありません。F大学のように誠実に留学生を育ててくれる大学とのつながりを築き、そういう大学に1人でも多くの学生を送り込みたいと思っています。

初黒星

8月3日(木)

横綱だって負けることがあります。詰めを誤ったとか油断したとかで、負けるはずのない相手に苦杯を喫することを取りこぼしといいます。でも、横綱が絶対してはいけないことは、連敗です。

連勝を続けてきたPさんがお父さんと長時間話をして、その後宿題や受験勉強などをして、寝たのが2時だったというのは、おとといの深夜というか、昨日の未明でした。アラームをセットし忘れたため10時半まで熟睡し、ついに黒星を喫してしまったのが昨日の授業でした。出席率100%の記録が途切れてしまったので、その後ずっと機嫌が悪かったそうです。こんなつまらぬことで記録を途絶えさせてしまったという気持ちが強かったのでしょう。

そして、午後の受験講座の教室に、通常授業も選択授業も受験講座もすべての科目のノートにしているルースリーフを忘れてきてしまいました。それを見つけたのが、次の時間にその教室を使った私でした。Pさん独特の几帳面な字を見つけ、すぐに担任の先生に届け、上述の話を耳にしたのです。

100%でなくなったとたんに生活ががたがた崩れて奈落の底に落ちていった学生の顔は、いくらでも思い浮かびます。今朝は、Pさんもそうならないようにと祈りつつ出勤しました。午前の後半の選択授業を終えて後片付けをしていると、私の教室にPさんが入ってきました。お昼の時間帯の受験講座が私の教室で行われるからです。

「Pさん、あんた、昨日教室にノート忘れたでしょう」「え、先生、どうして知っているんですか」「見つけたの、私ですから」「ありがとうございました」

Pさんは連敗はせず、昨日の不機嫌さはかけらも見せず、いつものにこやかな表情が戻っていました。ここを乗り切れば、また連勝を重ねていけるでしょう。皆勤賞は逃しましたが、精勤賞を目指して頑張ってください、Pさん。

8月2日(水)

今学期から受験講座を受けているLさんは、まだ初級の学生です。Lさんが勉強しているEJU生物の過去問をさせてみると、問題文を読むのに恐ろしく時間がかかります。カタカナの言葉はからっきしだし、未習の和語に出くわすと意味が取れなくなってしまいます。

次のEJUまで3か月ちょっとありますが、この調子だと相当苦しい戦いになりそうです。確かに、問題文の意味や選択肢の内容を把握したら、ほぼ全問正解にたどり着きます。国でしっかり勉強してきたことがうかがえます。しかし、いかんせん時間がかかりすぎます。これでは、問1から問5までは全問正解だけど、問6以降は白紙などということにもなりかねません。化学も同様であることは想像に難くありません。

Lさんと同じレベルの学生でも、実戦に堪えるスピードで問題が解ける学生がいます。だから、この問題の根本は、Lさんの日本語読解力が足りないことだといえないこともありません。生物の問題の前に読解力と速読する力を付ける訓練をすべきだ――というのは正論です。しかし、Lさんに読解の練習問題ばかりさせたら、きっと勉強がいやになってしまうでしょう。Lさんが一番好きで一番得意な生物を通して、Lさんの日本語力を伸ばす手はないかと、模索している最中です。

同時に、日本語は日本留学の壁になっているのだなあとも思います。このままでは、EJUの問題が読めないがゆえに、Lさんは日本留学をあきらめざるをえなくなるおそれがあります。専門に関しては優秀な頭脳を持っているにもかかわらず、それを評価してもらうに至らず、日本を後にするかもしれないのです。もちろん、そんなことにならないように全力を尽くしますが…。

新たな発見

8月1日(火)

日本語教師養成講座の講師をしていると、やはり自分の教え方を振り返ることが多くなります。ことに今回は、日本語文法全体を概観するというよりは、初級の文法を集中的に講義していますから、なお一層そういう傾向が強くなっています。教科書をもう一度も二度も読み返してみると、講義内容に関連して、教科書の編者の苦労が見えてきたり、逆に教科書の粗が浮かび上がってきたりしています。

そうすると、自分の教室での教え方の過不足も感じられ、思わず反省したりします。ここは私の思い入れが強すぎたとか、こんな突っ込み方じゃ編者が泣きそうだとか、あれこれ思うところがあります。今学期も初級クラスに入っていますが、そこは初級の終わりのレベルで、初級の入口に近いほうは、このところ代講でたまに入るだけです。ですから、せっかく反省してもそれを生かすチャンスがあまりないことが残念なところです。

でも、上級や超級の学生ですら、こっそり初級文法を間違えていますから、それを正したり未然に防止したりする際に、今回の知見が日の目を見るのではないかと思っています。養成講座の講義でも、この文法は初級で勉強しますが実際に使えるようになるのは中級になってからだよとか、これが使いこなせたら上級だねとか、そんな話もします。こういう話ができることこそが、私が養成講座をする意義であり、同時にこの学校の養成講座の特色だとも思います。

私に講義のネタを提供してくれる学生の皆さんに対して、感謝してやみません。

夏はこれから

7月31日(月)

最近、日が短くなったなと思います。と言っても、皆さんと違って、私が感じるのは日の出が遅くなったことです。今朝は久しぶりに晴れましたが、電車から見える朝日の位置がとても低くなったなと感じました。もう間もなく、家から駅までの道の街灯が消えないうちに通り過ぎることになり、朝よりも夜の雰囲気が濃くなっていきます。

とはいえ、日中は夏全開で、校庭でスピーチコンテストの応援練習をしようとしたM先生のクラスは、コンクリートからの照り返しでひどい目にあったそうです。校庭の活用を図ろうとしましたが、もう少し陽気がよくなってからのほうがよさそうです。

蝉もかなり勢いよく鳴いています。小中学校は夏休みですが、夏休みはなんてったって蝉ですよね。でも、午後の授業に外階段を上っていく途中に、大きな蝉の死骸がひっくり返っていました。夏の宴を終えて、命が果てたのでしょう。

夕方、卒業生のNさんが学校に来ていました。「もう夏休み?」「はい、来週の試験が終わったら9月の終わりまで休みです」「えっ、そんなに長い間休んじゃったら、授業料、もったいなくない?」「大丈夫です。ウチの大学、ゴールデンウィークは普通に授業するんです」…なんていう、意味がわかったようなわからないような話をしました。でも、2か月近くも休んでいたら、頭がなまっちゃうんじゃないでしょうか。Nさんは休み中アルバイトに励んじゃいそうな気がしますから、なおさら心配です。

いずれにせよ、KCPの夏はスピーチコンテストであり、夏休みはまだひと月近くあります。まだまだ夏が終わってしまっては困ります。

花火が見られるかな

7月29日(土)

今晩は隅田川の花火大会が予定されています。雨が降っているので、予定通りに行われるかわかりませんが、浅草方面に向かう電車は混雑のため遅延も出ているようです。

私のうちの最寄り駅も花火の日は大混雑します。花火がはじまって少し経ってからでないと、電車も何も身動きが取れません。また、終了時刻が過ぎると帰宅ラッシュにかち合い、駅からうちまで歩くのが一苦労どころではなくなります。ですから、絶妙のタイミングを見計らって帰らねばなりません。

早く帰ってうちから花火を見ちゃえばいいのにと思われるかもしれませんが、マンションの私の部屋は花火が打ち上げられるのとは逆向きですから、音だけの花火大会という、何とも間の抜けた状況となってしまいます。ですから、毎年この日は、8時過ぎぐらいに駅に着くように時間調整して帰宅しています。

私はこういう花火大会やお祭など、人が大勢集まるところがあまり好きではありません。ラッシュが嫌いだから朝早く出勤するし、連休や夏休み、年末年始休みなど長期休暇も、混雑しないところを選んで出かけるし、昼食もピークの時間帯を避け、店をのぞいて混んでいたら入りません。

今から30年以上も昔、勤めていた会社のある町の花火大会を誰もいないところから見ようと、打ち上げ場所の近くの山に車で登ろうとしました。しかし、同じような考えの人が多かったみたいで、山道は大渋滞を起こし、中腹の林のすき間から打ち上げ花火を見下ろすという、しまりのない結果に終わりました。隅田川花火大会もスカイツリーから見下ろすというのがはやっているそうですが、私の経験からすると、それって楽しいんだろうかって気がします。

先週の浴衣販売で浴衣を買い、今週の着付け教室でき方を覚え、そして、今晩花火を見に行くのを他のlしみにしている学生が大勢いますから、どうにか開催されるといいですね。

車を買ってもらう

7月28日(金)

「大学卒業のお祝いに」に言葉を続けて文を完成させるという宿題がありました。

「両親が腕時計を買ってくれました」ぐらいなら、私の時代にもよくあったことですから、十分理解できます。「新しいパソコンを買ってもらいました」も、理解の範囲内です。しかし、「新車を贈ってくれました」となると、これが実話なら世の中が変わったと思わざるをえません。しかも、「新車」と書いてきた学生が2人いました。教室での様子を見る限り、この2人が答えを見せあったとは思えませんから、大学卒業に新車というのは、この学生たちの国では珍しいことではないのかもしれません。

このように、この仕事をしていると、思わぬところでいまどきの世界の若者の生活の一端や思考回路のかけらを垣間見ることができます。私は外国で暮らしたことはありませんが、こういう小さな「へぇ~」を感じるたびに、心も頭も世界に広がっていくような、大きな刺激を受けます。残念ながら心地よい刺激ばかりではありませんが、それだからこそ、現実の世界を正確に反映しているのだと思っています。

先日、家の中の片づけをしていたらパスポートが出ていました。もしかするとと思ってページを開くと、期限が切れていました。海外に遊びにいくかもしれないと思って取ったのですが、かもしれないで終わってしまいました。でも、KCPにいると毎日海外旅行並みに小さな見聞が少しずつ広がります。グルメでない私にとっては、この程度でも結構満足できちゃいます。

さて、来週の土曜日はスピーチコンテスト。ぐぐっと目が見開かせてもらえることを期待しています。

禁断症状

7月27日(木)

上級クラスのTさんは、例文を作らせれば気の利いたものを書くし、文法や漢字のテストでも平均点以上の成績を挙げる力があります。ところが、ディクテーションのテストとなると、合格点がやっとという体たらくです。私にはその原因が見えています。

Tさんは授業中本当によくスマホを見ているのです。本人は教師に気づかれていないつもりなのでしょうが、教壇から見ると、不自然に机の中に隠された右手といい、その右手に重なる視線といい、いじっていることが丸見えです。なまじ頭がいいゆえに、授業はちょっと聞けばわかってしまい、そうすると暇つぶしといわんばかりにスマホいじりに精を出すのです。

おそらく、これは今学期に限ったことではないと思います。読んだり書いたりする力はついきいたにしても、生の日本語の最大供給源である教師の日本語を聞こうとしないのですから、聞く力が伸びるわけがありません。先学期までの教師たちも注意はしてきたでしょうが、Tさんはテストでいい点を取りさえすれば進級も進学もどうにでもあると思っていますから、馬耳東風状態です。それゆえ、聴解力は上級とは思えません。だって、授業中の私の指示にぽかんとしていることさえあったんですよ。

話すほうも、たどたどしさが残っています。進学希望ですが、入試の面接はどうするつもりなのでしょうか。そういうことも、頭のいいTさんならわかっているのかもしれません。でも、右手がいうことを聞かないのでしょう。まさに中毒です。Tさん自身は、スマホを握ると心の落ち着きが得られるのかなあ…。

でも、これじゃあ社会に出られませんよ。KCPにいるうちにたたきなおしてやらねばなりません。

まだです

7月26日(水)

先週末に6月のEJUの成績通知書が学校に届いて学生たちに手渡しましたが、EJUの実施機関であるJASSOから実施結果の発表がまだありません。今までなら、成績通知発送と同時ぐらいに発表されていたのに、いったいどうしたことでしょう。成績通知書には平均点は記されていますが、全体の得点分布を見ないことには、自分の成績の位置づけが正確にはできません。

例えば、去年の日本語の場合だと、6月の270点と11月の300点が、上から20%強でだいたい同じでした。これが今回は果たしてどうなっているのでしょう。これは、JASSOが発表するデータを見ないことにはわかりません。センター試験はここまでは発表していませんが、受験産業各社が寄ってたかって分析しますから、その必要もないのかもしれません。

しかし、受験整数がセンター試験の10分の1にも満たないEJUは、受験産業がどうにかしてくれることはあありません。JASSOの発表だけが頼りで、私もそこから得られる情報を最大限に解析して、学生たちの進路指導やEJUの受験指導に供しています。

何かにつけて感じることですが、外国人留学生は軽く見られているような気がしてなりません。外国人留学生を増やすことは国是のようなものだと思っていますが、その入口の試験がこのようでは、国の看板が泣いてしまいます。大学や専門学校に入ってからはそのようなことはないと信じたいところですが、KCP卒業生の話によると、ケアが十分とは言い切れないところもあるようです。留学生が日本人の友達も満足に作れないような学校は、留学生を受け入れる資格がありません。

データがあろうがなかろうが、学生たちは進路相談に来ます。明日も、2人の学生が受験講座後相談に来ます。