急げ

6月13日(火)

受験講座を終えて職員室に戻り一息ついていると、Pさんが文法の再試を受けに来ました。午前中の授業の終わりに、期末テストが近づいてきたから追試や再試は早めに済ませるようにとクラス全体に注意したところ、それに反応して、午後テスト範囲を復習し、再試に臨んだようです。首根っこをつかんで受けさせないと逃げてしまう学生も多い中、自ら進んで受けようとするPさんは立派なものだと思います。

しかし、再試は再試です。最初のテストで合格点が取れなかったのは、いただけません。でも、Pさんは勉強しなかったから不合格になったのではありません。テスト範囲の勉強はしました。でも、国で耳からの日本語だけで勉強してきましたから、それ以前のところがすっぽり抜けており、その勉強の成果をテストの点数に結び付けられなかったのです。

Pさんは明るく前向きな性格で、クラスのみんなから愛されています。出席率も100%で、クラスに欠くべからざる人材です。でも、今のレベルの前で習っているはずの基礎部分の脆弱さは覆いようもなく、そこに高楼を建てようとしても、思うように積み重なっていきません。おそらく、地盤の中に隠れている穴を埋めきった時、そうか、そういうことだったのかと、Pさんはそれこそ線がつながったような気持ちになり、自分の日本語に自信を持ち、大きく羽ばたいていくことでしょう。

一刻も早く羽ばたかせてあげたいと思い、私たちもあれこれ手を打ってきましたが、残念ながらまだ羽ばたくには至っていません。Pさんは努力を厭う学生ではなく、語学のセンスもかなりありそうですから、期末テストで合格点を取り進級することは十二分にありえます。しかし、早く穴を埋めないと、進級してからも超低空飛行を続け、不時着することだって考えられなくもありません。そうならないように、どうにか今学期中に引っ張りあげなければなりません。レベルが上がれば上がるほど、進学してしまったらほぼ完全に、基礎を学びなおすチャンスは失われます。時間はあまりありません…。

267億円

6月12日(月)

上野動物園のパンダのシンシンに子供が生まれました。前回は5年前で、このときは1週間足らずで死んでしまいました。それゆえ、上野動物園では今度こそはと思っていることでしょう。

パンダは年に2日ほどしか発情せず、このときに受精しなければ子供は生まれません。また、子供は非常に小さく弱々しい形で生まれてくるため、人間でいう乳幼児死亡率が5割にも上るとされています。こんなふうに、繁殖・生育が非常に難しいため、野生のパンダは絶滅寸前であり、動物園においても生まれたパンダが大きく育つことはなかなかないのです。

今回のパンダが順調に育っていくと、267億円の経済効果が生じるそうです。北陸新幹線に比べたら半分か3分の1ぐらいですが、費用対効果を考えれば、とんでもなくすばらしいのではないでしょうか。新幹線の開業効果は常に何か新しいものを考えていかなければリピーターをつなぎとめられませんが、パンダはその成長そのものが新しいイベントですから、赤ちゃんを1度見た人は自然に2度3度と足を向けることでしょう。それゆえ、大事に丈夫に育っていくかどうかが、一般庶民の最大の関心事となるに違いありません。

でも、2年経ったら赤ちゃんパンダは中国へ行かなければなりません。そういう約束で、上野動物園の2頭のパンダは中国から借りてきているのですから。ということは、赤ちゃんパンダが見られるのも、その成長を喜べるのも、ごく短期間に限られるわけです。里帰り(?)のときに全国民が涙ながらに見送る図が目に浮かびます。

赤ちゃんパンダがいつから公開になるかわかりませんが、ちょうどこの時期に東京にいた記念に見に行く学生たちもいるんじゃないかな。それも267億円のごく一部ですね。

血を飲む虫

6月9日(金)

朝、仕事をしていると、電話が鳴りました。「はい、KCP地球市民日本語学校でございます」「おはようございます。金原先生ですか。私、Yですが、えーと、名前、わからないんですが、髪が短くて、細くて、声が大きくて、メガネをかけている女の先生、いますか」

Yさんが言わんとしている先生が誰かよくわかりませんでしたが、これ以上聞いても実のある情報は得られないだろうと思いました。「うーん、いらっしゃっていないみたいですねえ。Yさん、どうしたんですか」「実は、私、今朝、学校でテストをする約束だったんですが、昨日、…日本語でなんていうかわかりませんが、小さくて血を飲む虫が私の目の上の血を飲みました。それで、今、目が大きくなりました。ですから、今すぐ学校へ行けません」

小さくて血を飲む虫――ゴクゴクやるんでしょうか。私の目の上の血を飲みました――私だったら気絶しちゃいます。目が大きくなりました――おめめぱっちりじゃなくて、その逆なのでしょう。

まぶたを蚊に刺されて腫れてしまった――Yさんのレベルなら、ここまでいかなくても、これに近いことを言ってほしかったですね。Yさんも国の言葉ならこれくらい楽勝のはずですが、日本語の語彙が足りなくて、三角形の二辺どころか四角形の三辺を回るような表現になってしまったのです。

漢字の授業で「離」を扱いました。教科書にない用例として「親離れ」を出したら、「親がいなくても大丈夫になりました」など、それなりに意味が推測できたようでした。しかし、次に「人間離れ」を出したら、ひきこもりとかオタクとか「誰とも付き合いません」「山の中に動物と住んでいます」とかという答えが返ってきました。文法の時間に受身の復習で、歯型がついた半分のリンゴの絵を見た学生たちは「リンゴを半分食べられました」と答えました。彼らのレベルならそれでもいいのですが、「かじられました」という表現も紹介しました。

このクラスの学生たちもYさんも、18日はEJUです…。

ばっちりキメて

6月8日(木)

毎年この時期恒例となったKCP進学フェアが行われました。午前中、受付開始時刻が近づくと、午後クラスの学生が会場に集まり始め、M大学やT大学のブースには人だかりができました。お昼過ぎに中上級クラスの授業が終わると、ちょっと低めに設定しておいたエアコンがちょうどいい具合になるほどの若い熱源が会場に押し寄せました。A大学やJ大学のブースはかなりの混雑で、午前中から込んでいたM大学、T大学はいすにも腰掛けられず、立って待っている学生も。

私もずっと会場内を歩き回っていましたが、今年は話を聞きたい大学を決めてきている学生が多かったようで、去年あたりとは違って、学生から相談を受けることはありませんでした。引き揚げていく学生に聞いてみると、厳しい話も含めて、手に入れたい情報が聞けたようでした。初級の学生も、美術系の大学を中心に、積極的に話を聞き、何かをつかんで午後の授業の教室へと向かったようでした。

終了時刻が近づき、参加してくださった大学の担当の方にお話を伺うと、KCPの学生はしっかりコミュニケーションが取れているというお褒めの言葉をいただきました。だからこそ、ほしい情報がもらえたのでしょう。

私のクラスの学生も大挙してきていましたが、女子学生はなぜかいつもよりおめかししていました。Lさんをつかまえて、進学フェアがあるからいつもよりきれいな格好をしてきたのかと聞いてみると、ウフッと首をすくめて消えていきました。面接は見た目も大事だと言いますからね。

進学フェアをすると、学生たちの認識が改まり、意識が高まります。午後の受験講座では、早速進路相談を受けました。学際的なやや特殊な専門について勉強したいが、進学フェアで話を聞いたY大学のほかにどこがあるかという、核心に迫る内容でした。EJUまで、ちょうどあと10日です。

雨の季節の校庭

6月7日(水)

昨日の九州地方に続いて、中国四国近畿東海関東甲信地方が梅雨入りしました。ほぼ平年並みで、梅雨明けも平年並みとすると、これから1か月半ほど雨のシーズンとなります。

そんな中、校舎の隣の敷地が校庭として使えるようになりました。校庭と言っても運動ができるわけではなく、当面は2階のラウンジが拡張されたとして、ラウンジ同様に談笑したり食事したりする場として、学生に使ってもらおうと思っています。

午前のクラスからアナウンスを始めましたが、最高気温が22.6度、しかも梅雨らしい曇り空という、あまりよいお日柄とは言えない1日でしたから、新しもの好きの学生であふれ返るという状況にはなりませんでした。それでも何人かの学生が、テーブルにノートを広げたり、いすにゆったり腰掛けてスマホをいじったり、友達同士でお弁当をつつきあったりしていました。

校庭はラウンジの延長とは言うものの、1つだけ心配があります。それは、自動販売機がないことです。ラウンジの自動販売機でお菓子やパンや飲み物などを買ってその場で友達と一緒に食べるのが楽しいと言っている学生を何人か知っています。そういう学生にとっては、自動販売機のない校庭は魅力半減でしょう。

校庭に自動販売機を置くかどうかはまだわかりませんが、置いたとすると、また1つ問題が発生します。自動販売機の前に並んで自分の順番が来るのを待ちながら友だちとおしゃべりするのが楽しいという学生もいるからです。ラウンジと校庭とで混雑が分散されてしまったら、こういう学生から待つ楽しみを奪ってしまうことにもなりかねません。

そんなことをあれこれ考えても始まりません。何はともあれ、学生に使ってもらいましょう。降られてしまったら校庭開放はできませんが、これからしばらく学生の志向を見て、よりよい利用法を考えていきましょう。

対策と才能

6月6日(火)

今学期の新入生Sさんは、去年の12月にJLPTのN1を取っています。でも、レベルテストの結果、初級と判定され、初級のクラスに入っています。Sさんに今のクラスはどうかと聞いてみたら、とても満足しているという声が返ってきました。授業も易し過ぎることはないと言っています。

Sさんは国で日本のテレビを見て日本語を覚えたそうです。バラエティー、ドラマ、映画、そういったものを見て言い回しなどを身に付けていきましたから、文法を系統的に勉強していません。N1は四択問題の試験対策を徹底的に行って、合格を勝ち得ました。Sさんが言うには、N2なら合格する自信があるけど、N3やN4は受かる気がしないとのことです。それぐらい基礎文法に自信を持っていませんから、初級の授業がSさんにとって勉強になり、日々新しいことがわかってきますから、満足につながっているわけです。

確かに、KCPの一番下のレベルから始めた学生がみんな知っていることが、Sさんだけわからないということが何回かありました。それから、Sさんの作文は、言いたいことはわかりますが、文法・語法の誤りが多く、高得点にはなりません。進学を目指す際、選択問題のEJUは、四択対策だけでN1を取ってしまったSさんにしてみれば、くみしやすいでしょう。現に、ある程度の点を取る自信があると言っています。また、面接も、テレビで覚えた口語日本語を駆使すれば、どうにかできるかもしれません。しかし、Sさんの志望校で課せられることになっている小論文は、そういうわけにはいきません。EJUが終わったら、この点を強化しなければなりません。

Sさんは語学のセンスがあると思います。「対策」だけでN1に受かってしまったこともそうですが、その合格は虚構に過ぎないと見切っていて、基礎をやり直そうとしているところに、非凡なものを感じます。Sさんのような学生は、多くがうぬぼれて難しいことばかりしようとして、砂上の楼閣を崩壊させるのです。

Sさんの才能を上手に伸ばしてあげられれば、Sさんが志望校として挙げた難関校にも手が届くかもしれません。また、宿題を抱えてしまったようです。

チェック

6月5日(月)

朝、他の先生方がいらっしゃらない職員室で仕事をしていると、「先生、先週の土曜日のEJUをチェックしてもいいですか」と学生に声をかけられました。一瞬戸惑いましたが、すぐに、この学生は「先々週の土曜日に受けたEJUの模擬試験の結果を知りたいんですが、教えていただけませんか」と言いたいのだろうと見当がつき、「授業のとき、クラスの先生が結果を配りますから、それを見てください」と答えました。学生は納得した顔で去っていきましたから、当たりだったに違いありません。

まあ、こんな聞き方をしてくるようでは、そんなに好成績ではなさそうです。多少読解ができたとしても、230点止まりでしょう。もしかすると、初級の学生だったのかもしれません。

それはさておき、“チェック”です。今朝の学生は、どんな意味で“チェック”という単語を使ったのでしょう。「自分の目で見て(模試の結果を)確認する」という意味だとしたら、“チェック”本来の意味の土俵際で残っているかもしれません。しかし、「試験結果をくれ」という意味なら、遠慮がちに言おうとしたとしても、寄り切られているでしょう。上述の正解例は、EJUの模試を受けるぐらいの学生なら、既習の文法です。これドンピシャリじゃなくても、それに近い言い方はしてもらいたかったです。“チェック”という焦点の定まらない言葉に逃げてほしくないところです。

とはいえ、学生ばかりを責めるわけにはいきません。教室には“チェック”があふれています。「先生、志望理由書をチェックしてください」「宿題をチェックします」「忘れ物がないかどうか机の中をチェックしてください」…まだまだ例はいくらでも出てきます。これだけ日々“チェック”を聞かされていれば、土俵際用法が現れたとしても不思議はありません。

学生は教師の姿を映す鏡です。週明けからいきなり反省させられました。

あなたはすばらしい学生です

6月3日(土)

今週はずっと運動会に時間を取られていたので、火曜日の作文の採点があまり進んでいませんでした。来週の火曜日に返さなければなりませんから、授業のない土曜日に集中してどうにかしようと考えました。

「自分をほめたいこと」というテーマで書いてもらいました。中には、前に勉強した救急法を使ってけが人の応急処置をしたことをほめたいとか、「人間は誰かにほめられるために生きている」などと哲学めいたことを書いてきた学生などもいましたが、頑張っている自分をほめたいという内容が多かったです。

各人各様のほめたい自分を挙げてきましたが、そういうことをしているカッコいい自分、理想的な姿の自分を、教師じゃなくてもいいですから、誰かに認めてもらいたいんだろうなと強く思いました。「ほめて伸ばす」とはよく言われますが、おざなりのほめ言葉ではなく、心の底から感心して声をかけることが肝心なのです。それには、装わずにほめられる箇所を各学生から見つけなければなりません。私はそれに耐えうるほどの鋭い観察眼があるかなあと、思わず自分を振り返ってしまいました。

私がこのテーマで作文を書けといわれたら、何を書くでしょう。一つのことを続けていける点かもしれません。でも、それはバカの一つ覚えでもあります。諦めが悪いと言い換えてもいいでしょう。

「初級から超級までどこのレベルでも教えられる」といっても、プロですからそれぐらいしなきゃ。「日本語教師なのに理科も教えられる」のは確かにそうですが、受けてきた教育訓練がそういうものですから、これすらできなかったらまさに無駄な学歴・経歴になってしまいます。

こうして考えると、自分をほめるのは案外難しいものです。学生の作文がいつもより短めだったのも、致し方ないところかもしれません。この作文を参考にして、各学生を見つめる角度を変え、ちゃんと見ているよというメッセージを送り、学生に自信を持たせて進級させてあげたいです。

ガリガリ君

6月2日(金)

昨日の雨が嘘のような、スポーツにはもってこいの抜けるような青空…と言っても、運動会は体育館の中で行われます。1年で一番日が高い時季なので日中ずっと外にいたら紫外線対策が大変ですから、屋内での運動会は、やっぱり正解かな。

会場に定刻よりもだいぶ早く着いたので、付近をしばらく散策し、それでも時間が余ったので、木陰で読書しました。梅雨間近とは思えないさわやかなそよ風が心地よかったです。学生たちがポツリポツリと集まってきましたが、Dさんなどは6時に起きてご飯も食べずに来たとか。学校よりもだいぶ遠く、しかもの場所へ行くから、早め早めに行動しなければと思ったと言いながら、近くのコンビニで買ったパンを食べていました。

毎年のことですが、盛り上がるのは綱引きとリレーですね。選手の高揚が観客席に伝わり、それに反応した観客席の興奮がフィールドに響いてきます。ルールが万国共通、単純明快というのがいいのでしょう。

私は審判ですから、綱引きの選手を間近に見ることができます。1人1人の腕力の合計はチームによって大きな差があるとは思えませんが、勝ったチームにはそれを1つにまとめるさらに偉大な力があるように感じました。これが“神ってる”っていうやつなのかなあなんて思いました。Gさんあたりがその力の源だったかもしれません。

リレーはやっぱり足の速い学生が華です。私が知ってるYさんは勉強熱心ですが、走るのが得意そうには見えませんでした。ところが、リレーでは先頭を切って走っているではありませんか、しかも2位に結構な差をつけて。文武両道なんだと感心させられました。

今年の運動会の締めはダンスでした。今週に入ってからの特訓が実って、学生みんな、それなりのステップは踏んでいました。練習はイヤイヤ参加していた(させられていた)学生が、両隣の学生と手をつないで、大いにはしゃいでいるではありませんか。

閉会式後、勝利チームには賞品としてガリガリ君が配られました。観客席で半ば放心したようにガリガリ君をしゃぶっている学生たちが、印象的でした。

職員室炎上

6月1日(木)

職員室は、朝から明日の運動会の色に染まっていました。各種目で用いる資材の最終チェックやら、競技スタッフの動きの確認やら微調整やら、各教師が明日の動きをシミュレートしながら手を動かしたり頭の整理をしたりしていました。私も競技役員をしてくれる学生に役割を説明したり、先生方に明日の仕事をお願いしたり、明日朝の現地での準備項目を話し合ったりと、“イブ”の慌しさを味わいました。ですが、私はスターターとか審判とかで出ずっぱりですから、そして、私の動きの良し悪しが運動会の成否を左右しかねませんから、当日に気力も体力も温存しておかなければなりません。今ここでヘロヘロになるまで頑張るわけにはいかないのです。

そんな職員室も、お昼前後は面接の学生が大挙して訪れました。運動会の準備もしばらく休戦です。ついさっきまで競技の小道具が広がっていた机で、中間テストの直しや進路の相談や遅刻しないようにするにはどうしたらいいかの話し合いなどが行われました。学校行事だからといって、学生指導の手を緩めるわけにはいきません。

私は、午後は受験講座。6月に突入しましたから、本番までに残された時間はわずかです。知識をぎゅうっと押し込んで、来週からの直前の追い込みにつなげていこうと思っています。本来だったら数回に分ける内容を1度に濃縮してしまったのです。学生たちが目を白黒させたのももっともなことです。

受験講座から戻ってくると、職員室は大変なことになっていました。あっちこっちで準備をしながら盛り上がっており、何だか本番みたいな雰囲気でした。今からこんなにテンションが高くて、明日は燃えかす状態になっちゃうんじゃないかと心配にすらなってきました。同時に、この学校の先生たちは本当にお祭好きなんだなあと思いました。