Category Archives: 自分自身

緑の落ち葉

3月27日(水)

このところ、春雨前線と言ってもいいような前線が太平洋岸に停滞し、パッとしない天気が続いていましたが、久しぶりに抜けるような青空が広がりました。昼間に外に出たら、日の光の強さ、まぶしさに驚かされました。桜の開花は遅れていますが、お天道様はもう春の装いなのです。

だから、私が出勤する時間帯も結構な明るさで、もはや夜明けではなく、完全な朝でした。

毎朝出勤すると、学校の前に落ちているゴミを拾います。吸殻はほぼ毎日、食べ物の包装材や紙くず、缶、ペットボトルなどを拾い集めます。時々、マスクも捨てられています。先週は、強風で道路の白線がはがれて学校の前に散らばっていましたから、1か所に集めておきました。

昨年の秋の終わりごろからでしょうか、きれいな緑の葉っぱが落ちているようになりました。触って確かめるまでもなく人工物です。どこから飛んでくるのだろうとあたりを見回しても、それらしき発生源は見当たりませんでした。どこかの打ちの庭先かベランダにあれば疑似観葉植物でしょうけど、KCPの前まで飛ばされてきてしまっては、もはやゴミです。美観を整えていたものが、ほんのちょっとの旅の末に、美観を損ねると私に拾われ、ゴミ箱に直行です。気の毒な気もしますが、しかたありません。

毎朝拾う緑の葉っぱのルーツが気になっていたある日、6階の外階段からぼんやり外を見ていたら、校庭をはさんだ隣のマンションの屋上近くに、あの葉っぱの茂みがあるではありませんか。そこからだとすると、飛ばされたというより舞い落ちたと言うべき軌跡を描いて学校の前までやってきたことになります。

毎朝2、3枚ずつ、風の強い日はもう少し拾っています。塵も積もればというやつで、すでに相当な枚数がKCPのゴミ箱をにぎわせています。1か月ごとぐらいに散った分を補っているんですかねえ。今朝は、雨で拾えなかった昨日おとといの分もあわせて7枚拾ったんですけど…。

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待ちかねる

3月25日(月)

桜の開花が遅れています。現時点で、高知、宮崎、広島の3か所だけです。東京は20日に咲くという予想が出ていましたが、いまだに咲く気配すら見られません。最近は3月中に散ってしまうこともよくありましたが、今年の花吹雪は4月になってから吹き荒れるのでしょう。

小雨と霧雨の間ぐらいの雨が降る中、昼食をとりに外に出ました。コートを着ないで出たら、速足で歩かないと寒くなりそうな感じでした。最高気温で見ると、関東地方はひと月くらい季節が逆戻りしたようです。温かいものを食べましたが、学校に帰り着くまでに温かさが消え去ってしまいました。

午後は今学期最後の日本語プラスの授業をしました。午前中使っていなかった教室を使うので授業の始まる15分ほど前にエアコンを入れておきました。しかし、寒がりのDさんから、「先生、エアコンの温度を上げていただけませんか」と訴えられました。

午後の初級クラスの授業後に、来学期の日本語プラスのオリエンテーションをしました。会場にしていた教室ですが、私が来た時には誰かがエアコンをつけていました。やっぱり、ひんやりしたんでしょうかね。

今年の春は、急に足取りが遅くなってしまったようです。でも、少し前まではこれが普通だったようにも思えます。これぐらいがちょうどいいような気もします。お花見は、4月になってからしたいものです。3月のお花見は気が早すぎるというのは、年寄りの感覚でしょうか。

もう一歩のところで待たされていますから、今年の春はなんとなく期待に胸が膨らみます。いい学生がたくさん入ってきてくれるとうれしいんですがね。

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骨を折る

3月23日(土)

日曜日に母が亡くなりました。母がいた老人ホームの方によると苦しんだ様子はなく、医者の診断によると死因は老衰でした。91歳ですから、寿命と言うべきでしょう。

今年のお正月は、歩行器につかまりながらですが、歩くことができました。耳が遠くなり、会話をするのが大変でしたが、意思の疎通はどうにかできました。

その直後、大腿骨を骨折し、手術のために入院しました。手術はうまくいったのですが、ずっとベッドに寝ていたため、生きる意欲みたいなものが衰えていきました。担当医によると、老衰の一環で、のどで肺へ行く通路と胃へ行く通路とをコントロールする弁の働きが鈍くなったため、誤嚥が激しくなりました。口から栄養を取るのが難しくなり、本人の意欲の低下と相まって、体の衰えに拍車がかかりました。

今月上旬、看取りをするという意味で、住み慣れた老人ホームへと戻りました。手術前に病院で見舞ったときは私が手を握ると握り返してくれましたが、退院直後はそういう反応も非常に薄くなりました。そして、まさにろうそくの火が消えるように亡くなりました。

死亡診断書によると、直接の死因は老衰ですが、老衰を促進したのはベッドに寝たきりになったことであり、その原因は骨折です。今まで「高齢者が骨折をすると急に衰える」という話はよく耳にしましたが、母はまさしくその道を歩みました。体が動くということが生きる意欲に直結するんだということを、強く感じさせられました。

この稿をお読みのみなさん、ご高齢の方の骨折は文字通り命とりです。骨を折らないよう、お骨折りください。

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祝? 開業

3月16日(土)

北陸新幹線が敦賀まで延伸開業しました。敦賀は、10年以上昔になるかと思いますが、1度だけ行ったことがあります。気比神宮という立派なお宮さんがあり、かつて大陸への連絡船が出港した港町です。山が海に迫り、鉄道も高速道路も狭い平野部を目指して集まり、いかにも交通の要衝といった感じがしました。歴史ファンとしては、金ヶ崎城跡は外すことができず、しっかり見てきました。城を築きたくなる山の上にありました。その近くの金ヶ崎宮で、小豆袋守を授けていただきました。織田信長が浅井長政に裏切られた時、妹の市姫から届いた小豆袋で危機を察知し、際どく京まで逃げ切ることができた故事から、難関突破、開運招福のご利益があります。学校の机の一番上の引き出しにしまってあります。

新幹線ができた代わりに、北陸本線が第3セクター化され、北陸と大阪・名古屋の間を鉄道で行き来しようとすると、敦賀駅での乗り換えが必要となりました。JRは8分で乗り換えられると言っていますが、JRの職員が予行演習したところ、13分かかったとか。開業初日はどうだったのでしょう。ネットで見る限り、大きな混乱は起こっていないようです。

そもそも、計画から完成まで半世紀もかかっているということが大きな問題です。“北陸まで新幹線が通じれば便利になる”ことは間違いありませんが、どこをどう通って北陸に至るか、そこでもめ続けた半世紀と言っていいでしょう。乗り換えを嫌う客がJRから高速バスに流れたら、何のための半世紀という時間だったのか、わからなくなってしまいます。

東海道新幹線を造った十河信二は、「新幹線が経済的に成り立つのは東京・大阪間だけ、甘く見て岡山までだ」と言ったそうです。その十河信二が敦賀開業を見たら、どう思うでしょうか。

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少し復活

2月17日(土)

昨日、4週間ぶりにギプスが取れました。包帯で縛り付けるような感じから、サポーターで軽く足首付近を固める感じになりました。まだ足を全面的に自由に動かせる段階には至っていませんから、歩き方には若干不自然なところが残ります。でも、専用サンダルから普通の靴が履けるように戻ったのですから、大きな改善です。

ギプスの頃は、赤信号にならないうちにと一生懸命歩いて横断歩道を渡っても、小学校に入ったばかりくらいの小さな子供にあっさり抜かされました。しかし、昨日ギプスを外してもらった後、靖国通りの横断歩道を渡ったときは、普通の大人に置いていかれることなく渡り切れました。

とはいえ、骨折以前と同じようには歩けません。ゆうべだって、駅からうちまで歩いた時の疲れ具合が違いました。レントゲン写真を見た医者は、足の筋肉が衰えたため、骨がもう少ししっかりくっついたらリハビリが必要となるかもしれないと言っています。う~ん、結構な大けがだったんですね。昨日の時点で治ったと考えても全治4週間です。全治4週間と言えば、大けがの部類ですよね。

でも、リハビリが必要なら早くはじめて早く元に戻しておかなければなりません。5月の連休は関西遠征をし、飛鳥地方を1日20キロぐらい歩く計画を立てています。航続距離もさることながら、ある程度のスピードも要求されます。山越えのコースの日もありますから、足が動かないのでは話になりません。来週からは、エレベーターを使わずに、階段で教室まで行き来することにしましょう。

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変更直前

1月25日(木)

養成講座・中上級文法の最終日。私は、文法は1つの体系であり、それを「初級文法」「中上級文法」と分けることには反対です。しかし、養成講座の他の授業との兼ね合い上、そういう形で授業をしています。とはいうものの、私の「初級文法」が厳密に初級クラスで扱う文法かというと必ずしもそうではありません。説明の都合上、上級で勉強する内容の一部も含まれています。

さて、最終日。「中上級文法」では教師としての例文の作り方も教えています。例文を作ることを通して、文法項目の理解が深まると信じています。また、例外規定とか場面の制約とか、そういった事柄も見えてきます。例文は学習者に提示するのみならず、教師自身がその文法を研究する際にも有効です。私は例文を作るのが好きですから特にそう感じているのかもしれませんが、受講生のみなさんにもぜひこの感覚を味わってもらいたいと思っています。

例文の作り方のコツを伝授したうえで、中上級の文法、主力はJLPT・N1とN2になりますが、の探検に踏み出しました。どの期もそうですが、「そんなこと、考えたことがなかった」という感想につながります。そりゃあそうですよ。ネイティブだからこそ気が付かないというのの連続です、文法は。

しかし、N1,N2の文法というくくり方は、今回が最後になるかもしれません。文科省や文化庁が日本語学校のあり方について盛んに口出ししていますから、それに合わせるとなると、授業内容の大幅な組み換えが必要となるでしょう。その方が、私の考え方に近づくような気もしますから、多少は期待しておきましょう。

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魔法の杖

1月22日(月)

土曜日にK先生からお借りした杖を持って銀座線に乗ると、席を譲ってもらえました。新宿御苑前から赤坂見附までの丸ノ内線は、高々数分ですから、どっしり腰を落ち着けてしまうと立ち上がる時にかえってしんどそうなので、ドアの際に立っていました。

赤坂見附から上野までは20分ぐらいありますから、実質片足で立ち続けるのは避けたいと思っていました。しかし、入ってきた銀座線はいつもより混んでいるくらいでした。ですからドア際の手すりを確保して姿勢を整えたところ、すぐそばに座っていた若い女性が「どうぞ」と声をかけてくださいました。

私もこういう場面で席を譲ろうとして断られてなんとなく気まずい空気を感じたことがありましたから、ありがたく席に着きました。席を譲ってくださった女性は、新橋か銀座で降りたようです。彼女が降りる時にもう一度お礼を言おうと思っていましたが、見逃してしまいました。

金曜日は杖を持っていませんでしたから、優先席のそばに立ったものの、席を譲ってもらえませんでした。杖の威力は偉大です。逆に考えると、杖を持っていないけれども席を必要としている人が、今まで私の周りにも結構いたということになります。席を譲ることはやぶさかではありませんが、私は席に着くと本を読むことに熱中しますから、譲って差し上げるべき人がそばにいても見逃していたことは多々あるに違いありません。

当分はステッキパワーで席を譲ってもらうとして、足が元に戻ったらちょくちょくあたりを見回して恩返しをしていきたいものです。

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やさしい気持ち

1月20日(土)

けがをした足を引きずって交通機関を利用すると、東京はまだまだバリアだらけだと気付かされます。新宿御苑前駅は、私が生まれる前にできた駅ですから、バリアフリーの発想はありません。地下の浅いところにホームがありますが、そこに至るまではすべて階段。朝、荻窪行きから降りると、私がいつも使う改札口に出るには、階段通路で線路の下を潜り抜けなければなりません。これを避けるためには、新宿三丁目まで乗り越して、ホームの反対側の池袋行きで1駅戻るという手を使うほかありません。また、後付けでエレベーターなどが設置されましたが、KCPとの間の往復の場合、それを使おうとすると、かなり遠回りになります。

乗り換えの赤坂見附はホームの反対側へ移動するだけですが、上野駅はまたしても手すりにしがみつかなければなりません。とどめは自宅最寄りの南千住で、後付けのエレベーターは途中で乗り換えが必要です。

どの駅もそうですが、下りのエスカレーターがありません。しかし、足が悪い者にとっては、上りよりも下りの階段に負担を感じます。こういう話は以前から聞いていましたが、今回身をもって痛感させられました。また、エスカレーターがあっても、エスカレーターから降りる時にバランスを崩しそうになります。もうほんの50センチばかり、エスカレーターの平坦部を伸ばしてもらえると、降りるのが楽になるはずです。

これからは、足の悪い方に少しは優しくなれるような気がしてきました。

今朝、K先生が杖を貸してくださいました。杖を使うと歩幅がだいぶ広がります。昨日は御苑の駅まで15分ぐらいかかりましたが、杖を使って校内を歩いた感じからすると、半分ほどの時間で行けそうな気がします。気持ちが少し明るくなりました。

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骨折

1月19日(金)

昨日の夜、家の近くのスロープを下りていたら、左足をくじいてしまいました。「痛い!」と思いましたが、どうにか歩けましたから、足を引きずりながら家まで帰りました。

風呂に入り、寝て、今朝になると、痛みがひどくなっていました。左足に体重をかけると、痛みが走ります。昨日はまだすたすたと歩けましたが、もう無理でした。でも、午前中、代講が利かない授業を2つ抱えていますから、匍匐前進してでも学校までたどり着かなければなりません。いつもの半分ほどの歩幅で駅に向かいました。駅では、いつもは使わないエスカレーターに乗り、ホームに出ました。

電車は、なんたって早朝ですから、楽勝座れました。しかし、乗換駅では、いつもはダッシュしてきわどいタイミングの電車に乗り込むのですが、もちろんそんなことはできません。そろりそろりと歩いて、いつもより1本遅い電車に乗りました。御苑の駅から学校までも、牛歩戦術でした。いつもは、家から学校まで、スマホの歩数計で1700歩あまりですが、今朝は3300歩を超えました。やはり、歩幅が半分なのです。

教室まで行くのも、いつもは絶対に乗らないエレベーターのお世話になりました。どうにか授業をこなし、午後、学校の近くの整形外科へ行きました。靖国通りを渡る時は、次の青信号まで待ちました。通りの真ん中に取り残されたら寿命が縮まってしまいます。

レントゲンを見た医者は、「足の小指の骨が折れてますね」と一言。痛いわけです。靴を脱がされ、足を固定してもらい、帰ってきました。全治4週間。意外と重かったです。「ほっときゃ治るよ」なんて思わないでよかったです。

さて、これから足を引きずりながら帰ります。固定された足には、整形外科で貸してもらったサンダルが。乗換駅の階段が辛そうだな…。

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ためはだめ?

1月4日(木)

年末年始の休みに、とあるローカル線に乗ったときのことです。ローカル線ですから単線で、上下列車のすれ違いは、走りながらではなく駅に止まってします。そのすれ違い駅に着いた時、車掌さんが「反対列車との待ち合わせのため、しばらく停車いたします」とアナウンスしました。ほどなく反対列車が来ました。すると、「反対列車到着のため、間もなく発車いたします」というアナウンスが聞こえてきました。

最初のアナウンスは全く違和感がありませんでしたが、発車時のアナウンスを聞いた時には、思わず「へっ?」と言っちゃいそうになりました。「反対列車が到着いたしましたので、間もなく発車いたします」だったら何ら問題はありませんでしたが、「ため」はだめですねえ。

「ため」も「ので」も、接続の形は違いますが、理由を表すことには変わりありません。最初のアナウンスも、「反対列車との待ち合わせをいたしますので~」と言っても、意味も変わりませんし、乗客に対して失礼にも当たりません。でも、なぜ、反対列車が到着した後のアナウンスは、「ため」だと違和感たっぷりなのでしょう。

「文法が不合格のため、進級できません」「全科目合格のため、進級できます」

「雨天のため、予定を変更します」「晴天のため、予定は変更しません」

「電車が遅れたため、遅刻しました」「電車が遅れなかったため、授業に間に合いました」

…どうも、「ため」は、予想外の事態が発生したり、いつもとは違う結末を迎えることになったりした場合に有効みたいです。また、どちらかというと、自分にとって不都合な結果になったときのほうが、相性がいいような感じがします。上記3組の文のうち2番目の文は、もしこれらが言えるとしたら、全科目合格するとは思っていなかったとか、雨という予報だったので予定変更を関係者に連絡しておいたとか、遅刻を覚悟していたのにかろうじて間に合ったとか、それぞれ順当な結果ではなかったニュアンスが感じられます。いずれもレアケースでしょう。

反対列車が到着したことで自分の列車が発車できるということは、予定されていたことであり、不都合なことでもありません。私の違和感の根っこは、こんなところにあったのだと思います。

では、車掌さんはなぜ「ため」を使ってしまったのでしょうか。おそらく、「ため」の持っている改まった感じにひかれたからではないかと思います。「反対列車が到着いたしましたので~」よりも「「反対列車到着のため~」の方が硬い言い方で、車内アナウンスにふさわしいと思ったのでしょう。

さて、仕事始め。いきなり、養成講座の文法の授業でした。今年も、文法を考えながら過ごす1年になりそうです。

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