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ほっぺたと声

8月14日(水)

午前クラスの中間テストの試験監督を終え、解答用紙をクラスロッカーに納めて、「やれやれ」なんて思いながら一息ついていると、職員専用口からK先生が入ってきました。正確に言うと、“K元先生”です。結婚なさり、3月でおやめになっていますから。K先生、お腹がちょっと膨らんでいます。M先生に「安産!」と気合を入れられていました。赤ちゃんが生まれたら、ぜひ連れてきてほしいです。私は赤ちゃんのボニョボニョしたほっぺたを触るのが趣味なのです。最近では、O先生のお嬢さんのほっぺを触らせてもらいました。触られている方は迷惑でしょうが、触っていると心が洗われてくるような感じがするのです。K先生の赤ちゃんは、何か月か後のお楽しみとしておきましょう。

K先生がKCPにいらっしゃったのは3月までですから、先学期からK先生のいらっしゃらない体制になっています。でも、それなりにKCPという組織は働いています。こんな時にK先生がいらっしゃってくれたらなあと思うことはあっても、だから組織が機能しないということはありません。今は、多くの学生がK先生のことを覚えていますが、来年の3月になったらその大半が卒業してしまいます。去る者は日日に疎しと言いますが、K先生の影がだんだん薄くなってしまうのは、何となく寂しい気がします。

でも、これからも当分の間は、K先生は私たちの心に必ず復活し続けます。どうしてかというと、K先生は聴解の試験問題をたくさん残していらっしゃるからです。中間テストや期末テストのたびに、教室にK先生の声が響き渡るのです。その声を聞き、“K先生、お元気かなあ”とかって、K先生のことを思い浮かべるに違いありません。

残念ながら、私は聴解教材は残していませんから、今やめたら、あっという間に忘れ去られるでしょう。文法や語彙や読解などの教材は作りましたよ。でも、声ほど後の人々に強い印象を与えるものはありません。幸せそうなK先生を見ながら、そんなことを考えました。

偉大な時計

8月10日(土)

職員室の自分の席で仕事をしていて時刻を確認するときには、左上の柱に掛かっている時計を見上げます。右前方にも時計が掛かっていて、しかも視線を動かす角度はずっと小さいのに、首を回さないと見られない左上の時計を見てしまうのです。そもそも私は、風呂に入るとき以外は、寝る時ですら、腕時計をしていますから、ほんのちょっと視線を落とすだけで時計の文字盤が視野に入るのです。それでも、自分の席にいる時は、腕時計ではなく、左上の時計なのです。

先月、その時計が故障してしまいました。この校舎の新築時から5年と少々時を刻み続けてきましたが、止まってしまいました。当然、時計は外され、修理に出されました。そのため、左側を見上げても、空振りです。日に何度となく、空振りを繰り返します。腕時計や右前の時計を見ればいいのに、ないことがわかっているのに、反射的に首を左に動かし、「あ、そうだ」と満たされない気持ちになるのです。

今、左上の時計は復活しています。しかし、いつ復活したのか、さっぱりわかりません。あんなに空振りを繰り返していたのですから、復活したらうれしくなって小躍りしてもおかしくないはずでしたが、まったく気づきませんでした。そこに時計があるのがあまりに当たり前で、時計が戻っても新鮮な刺激にならなかったのかもしれません。

「空気のような存在」という表現がありますが、左上の時計はまさにこれだったのです。消えて初めてその存在の偉大さに気づいてもらえるなんて、自己主張せず、でもさりげなく存在感を示す渋い役者のようじゃありませんか。そう思いながら、改めて時計を見上げています。

いつもと違うぞ

7月22日(月)

四谷警察の方が来て、防犯の話をしてくださいました。話の内容そのものは、入学時のオリエンテーションで学生の母語で書かれた冊子で確認していることでも、日頃私たち教職員が伝えていることでもあります。でも、警察の方の口からじかに聞かされるとなると、学生たちの心に響くものがより強かったようです。

Gさんはこの学期休み中に引越ししました。しかし、在留カードはそのままにしていました。これは20万円以下の罰金に相当すると聞かされ、顔色を変えて区役所へ。この例も、私たちは何度となく注意してきました。しかし、教師の言葉だと軽く聞き流されてしまうのです。日々接しているものが口を酸っぱく注意したところで、効き目は高が知れています。ところが警察が言ったとなると、同じことでも重みが100倍ぐらい違います。おそらく、Gさん以外にも授業後に区役所に駆け込んだ学生が何名かいたのではないでしょうか。

校長などという職に就いていると、時々「叱ってやってください」と先生方に頼まれることがあります。クラスの先生が持て余している学生を連れてきて、私の口から説教してくれというのです。実情を聞いて、学生の言い分にも耳を傾け(と言っても多くの場合、聞くに値しない言い訳にすぐませんが…)、学生としてあるべき姿を説いていきます。すると、いったんは持ち直す場合がほとんどですが、いつの間にか元の木阿弥という例もよく見られます。

学生に、多くの目で見られているんだという意識を持たせることが肝心だと思います。クラスの教師だけでなく校長も見ている、学校の教職員だけでなく警察も見ている、そういう環境の中、日本で生活しているんだと実感してもらいたいのです。監視社会という面もありますが、本当の悪の道にまで転落しないような救いの手がいつでも差し伸べられるんだということも、ぜひともわかってもらいたいところです。

学生たちには有意義な留学生活を送ってもらいたいですから、これからもこういう機会を設けていきたいものです。

暗いムード

7月9日(火)

7月期の初日は最上級クラスでした。半分ぐらいがどこかで教えたことのある学生でした。大半が進学するので、オリエンテーションの後、東京や東京近郊の大学には容易に進学できないという話をしました。どうしても東京というのなら、思い切って志望校のレベルを落とし、滑り止めを確保すること、さもなければ首都圏以外の大学を志望校に加えることと、半分命令口調で訴えました。

初日からいきなり暗い話題で、学生たちは沈んでしまいましたが、今から言い続けないと、3月の卒業式のころに泣きを見るのは学生たち自身です。KCPの先生方が手分けしていろいろな大学の留学生担当者に話を聞いた結果、どこもかしこも難化しているので、学生たちに考え方を変えさせなければならないという結論に至りました。

さらに、進学後にビザをもらうとき、入管が日本語学校の出席率を重視するようになったという話もしました。心当たりのある学生は、いくらか顔が引きつってきました。こちらもまた、多くの大学の方が異口同音におっしゃっていたことです。上級ともなると在籍期間の長い学生もいて、それで入学以来の出席率が悪いとなると、挽回不可能かもしれません。たとえそうだったとしても、今までに何度となく注意されたのに行いが改まらなかった自分自身が悪いのです。目の前の快楽を追求したために将来の夢が消えたとしたら、帰国後同じ過ちを繰り返さないようにすることで、留学の成果につなげていくほかはありません。

2月や3月になってから、教師の言葉は真実だったと気が付いても、もはや手遅れです。今から毎日学校へ来れば、受かる大学を確実にものにしていけば、にっこり笑って卒業できるでしょう。私の話が、その第一歩につながってくれればと思っています。

更地

6月24日(月)

隣のビルの解体工事が完了して、更地になってしまいました。土地を見ると、KCPと同じだけの奥行きがあるのですが、道路側からしか見たことがなかったので、なんだか意外な気がしました。奥の方はどうなったいたんでしょう。今となっては知るすべもありませんが。

掲示された建築計画書によると、この土地に高さ約42mの14階建てのビルができるそうです。KCPは7階建てですから、単純計算で2倍の高さになります。KCPがいよいよビルの谷間になってしまいます。

旧校舎が取り壊されたのが6年半ほど前で、校長として起工式に参列したのがそのもう少し後でした。隣の更地を見ていると、その時のことが思い出されました。更地になると、ずいぶん狭いなと感じました。職員室も教室も何でも同じ平面にあったと思ってしまうからかもしれません。また、設計のときには意見も出しましたが、それがどんな形で反映されるかは、建築の素人の私にはぼんやりとも見えませんでした。

隣の地主さんもそうなんでしょうか。隣のビルには知る人ぞ知るお店が入っていたらしいですが、そのお店の人はどんな注文を出したのでしょうか。それとも、新しいビルにはもう入らないのでしょうか。隣の敷地もあんまり広くないように感じました。建ぺい率の関係で、建物の面積はさらに狭くなります。人が暮らしたり仕事したりできるスペースが生まれるのだろうかと、勝手に余計な心配までしてしまいました。

工事は8月1日から始まるようです。竣工は2021年になります。KCPの学生や教職員が直接かかわることはないでしょうが、やっぱり気になりますよね、お隣さんですから。

ある先輩

6月22日(土)

「もしもし、金原先生ですか。私、Pです。2010年に卒業してS大学に進学したんですが、覚えていらっしゃいますか」「ああ、Pさんか」「はい。そのあとT大学の大学院に入って、修士を取って就職して、今年4年目です」「はーあ、そんなになるんだねえ」「卒業してから初めてなんですけれども、学校にお邪魔したいんですが、今週のご予定はどうでしょうか」「今週かあ…。金曜日が期末テストだからそれまでは時間がないんだよね。土曜日なら空いてるんだけど」「土曜日だったら会社がありませんから。何時がよろしいですか」「土曜日なら、今のところ何時でもいいよ」「じゃあ、1時に伺います」「1時だね。じゃ、待っています」

…という電話のやり取りをしたのが、確か火曜日。お昼前から結構な雨になったので、果たして来られるだろうかと思っていたら、1時2分前ぐらいにスーツを着た若者が受付に姿を現しました。Pさんでした。さすがビジネスパーソン、どんなに雨が強くても、約束の時間には遅れません。

Pさんのころは旧校舎でしたから、まず、校舎が新しくなったことにびっくり。ざっと案内すると、2階のラウンジの自動販売機を見て、「私のころはこういうの、ありませんでしたね」とポツリ。Pさんに限らず、古い卒業生はみんな同じ感想です。

話を聞くと、KCP入学当初は専門学校で技術を身に付けて帰国するつもりだったそうです。KCPでいろいろな授業を受けたり周りの友達から刺激されたりしているうちに大学に行きたくなり、大学進学の勉強を始めました。首尾よくS大学に入学しましたが、学部の勉強だけでは飽き足らず、T大学の大学院に進むことにしました。大学院は留学生入試があることを知らず、日本人学生の試験を受けたそうです。修士課程を終えて、今は霞が関にある会社に勤めています。

こういうPさん、後輩の手助けをしたいと言ってくれました。自分が力になれることなら、ぜひ協力したいとのことです。うれしいじゃありませんか。10年ぶりでも何でも、学校を思い出して、足を運んで、こういうことを申し出てくれるんですから。来学期での実現に向けて、進めていきたいところです。

EGUの勉強

6月3日(月)

午前中、仕事をしていると、出席状況に問題のあるKさんからメールが入りました。「昨日早朝までEGUテストの勉強をしていました、今日起きられなかった。」とのことでした。今朝3時ごろまで勉強していたのでしょうが、E「G」Uって何ですかってきいてやりたいです。

E「J」Uの勉強をすることも大事ですが、Kさんの場合、EJUでどんなにすばらしい成績を挙げても、出席率の問題で落とされるおそれがあります。事態はそこまで切迫しているのですが、本人は何回注意してもこういう調子で、行いが改まる兆しが一向に見られません。

Jさんは去年の11月のEJUで350点以上取ったのに、どこにもうからずに帰国しなければなりませんでした。書く力も話す力も十二分だったのに、出席率がどうしようもなかったため落とされたとしか考えられません。200点の学生すら受かっている大学に落ちたのですからね。

そういう話をKさんにもしているのですが、どうやら本気にしていないようです。のんきに今度のEJUで330点取りたいとか言っています。それほどの実力があるとも思っていませんが、たとえ取れたとしても、今、Kさんが考えている大学には手が届かないでしょう。授業を途切れ途切れにしか聞いていませんから、Kさんの生み出す日本語は不正確です。しゃべればしゃべるほど、面接官に格好の落とす材料を与えることになります。しかも、出席が悪いと来ていますから、受かるはずなどありません。

午後のクラスのLさんも、EJUの勉強で学校を休んだと言っています。そんなの、入管にとってはさぼりの口実に過ぎません。こちらは厳しく注意したところ多少は響いたようですから、これからの動向に注目しましょう。また、Cさんは遅刻が積み重なって、出席率がどんどん下がっています。先月の出席率を見て、びっくりしていました。もちろん、入管が納得するような理由などあろうはずがありません。欠席理由書は入管に提出する正式書類だと言ったら、青くなっていました。…もう遅いんですがね。

さて、この3名、今月はどうなることでしょう。

6月1日(土)

さて、6月。「令和」になって1か月が過ぎました。しかし、私は「令和元年」という表記をまだしていないような気がします。昨日の運動会の優勝トロフィーのペナントに、M先生が“平成三十一年”と書きそうになり、「あっ、令和だった」と言っていました。その時に、そういえば、書類などに“令和元年”と書いていないよなあと思いました。

“平成元年”は、わりと保守的な会社にいたこともあり、元号が改まってから1か月間に何回も“平成元年”と書きました。それに対して、今は、外国人留学生を相手に仕事をしていますから、年号は平成や令和ではなく西暦を使います。上級で生教材のテキストに元号が出てくることでもない限り、元号は使いませんね。

不思議なもので、昭和の出来事は西暦よりも元号でその年代を記憶していますが、平成になってからは元号ではなく西暦で記憶しています。日本語教師養成講座に通っていたのは1997年であり、それを換算して平成9年のことだったとなりますが、そもそもわざわざ換算なんてしません。令和も、きっとそうなるでしょうね。意識の底には持ち続けるでしょうが、表面に出てくることはめったにないのではないでしょうか。

だから、元号を廃止せよとか無駄だとかと言うつもりはありません。元号制度は、千数百年連綿と続く、日本が世界に誇るべき文化の一つです。さすがに皇紀まで行っちゃうと怪しい感じがしますが、「“令和”は“大化”以来248番目の元号だ」とは、胸を張って言えます。「日常、鉄道には乗らないけど、鉄道廃止には反対だ」という議論に似ていなくもありませんね。なんだか気恥ずかしい感じもしますが、私と同じような感覚を持っている日本人は多いんじゃないかな。いかがでしょうか。

大盛況

5月30日(木)

2時になっても、各大学のブースには順番待ちの学生が大勢いました。いつもなら1時半を過ぎれば会場はかなりスカスカになるのに、今回は終了予定時刻の2時を回っても、講堂は人いきれでムンムンしていました。

話を聞く学生があまりにも多く、いらっしゃったすべての大学の方々に名刺を配っている時間がありませんでした。留学生入試担当の方と直接お話をするというのが私の役目なのですが、それに影響が出るほどのにぎわいようでした。ピークのころは学生の勉強したいことを聞いては、比較的すいているブースを指示するという交通整理をしていました。例年より、会場でぼんやりしている学生が少ないように感じました。

大学院志望の学生は、さすがに大人で、自分の聞くべきことをきちんと考えてきたようです。話を聞くことができた大学の方たちは、そういう感想を漏らしていました。大学志望の学生はそこまでいかなかったようです。担当者が自分のスマホで大学のページを示し、ここに書いてあると教えていた場面も散見しました。

自分の欲しかった情報が得られた学生は、幾分興奮気味に私に報告してくれました。「先生、A大学は入試制度がこんなふうに変わりました」「B大学は出願締め切りが早くなりました」「C大学の先生に、TOEFLの点が高いと褒められました」「D大学に入りたかったけど、EJUで高い点が必要なのでやめました」「私の専門はE大学なら勉強できそうです」などなど、自分の日本語で得た貴重な情報を私に教えてくれました。

明日の運動会が終われば、EJUまで半月です。各自の志望校に向けて全力で突っ走り、この進学フェアで手に入れた情報を生かしてもらいたいものです。

スター

5月29日(水)

学校中で、競技進行の最終チェックや応援フォーメーション練習や各種小道具づくりなど、明後日の運動会の準備がピークを迎えています。昼休み、私が担当する競技で学生たちが使う小道具を、使う本人たちに作らせました。ちょっとした絵(?)を描いてもらったのですが、美大志望のMさんはスイッチが入ってしまいました。

まず、驚かされたのは、何の道具も使わずにゆがみのない円が描けることです。それも、サインペンでスーッと描いちゃうんです。私も受験講座の理科で、説明のための図に円を描くことが多いのですが、いつも楕円にもならないような不細工な円になってしまいます。原子の電子殻などで同心円を描く必要があるのですが、外側のはおにぎりみたいな形になってしまうこともしばしばです。それはともかく、その真円を朝日にするのですが、まったく同じ大きさ・形になります。画才のない私は、ただただその手際に感心するばかりでした。

もちろん、その小道具はすばらしい出来栄えで、運動会当日、学生や教職員の目を引くことでしょう。才能が発揮できるチャンスがあると、抑えようにも抑えられないのかもしれません。こういうのを「才能がほとばしり出る」と言うんですね。まさに腕が鳴っているのだと思います。

クラスでも学生たちに応援グッズを作らせました。やはり、凝る学生はいるもので、誰でもできる単純作業にでも、いや、単純作業だからこそ、他の学生とはひと味違うところを見せつけたいのでしょう。やはり、雑に作ったものと比べると、目を奪う力が全然違います。

もちろん、リレーをはじめ、ガチンコ系の競技に命を懸ける学生も大勢いるでしょう。優勝チームにはヒーローが出るものです。それが普段は目立たない学生だと、驚くと同時になんだかうれしくなります。運動会は、運動神経だけでなく、才能の輝きを競い合う場でもあります。