Category Archives: 授業

静けさ

2月7日(金)

金曜日のクラスはおとなしいクラスで、学生たちはめったなことでは発言しません。でも、指名したらまともな答えが返ってくるのが不思議なところです。能ある鷹は爪を隠すと言えば聞こえはいいですが、発言しないと無能と判断されるのが世の中の常識ですから、このままではKCPを出た後で大損しかねません。

Kさん、Sさん、Cさんなどは、読解の教科書を読ませると実に滑らかに読みます。本人たちも自分は日本語がスラスラ読めるという自信があるんじゃないかと気づいているはずです。だけど、それ以上のことはしないんですねえ。「“逝かせてくれ”とはどういう意味ですか」と聞いても、誰も答えてくれません。Kさんたちなら当然答えられるはずなのに、指名されるまでは口を開きません。その一方で、私が何か説明すると、しっかりノートを取りますから、勉強する気は十分あるのです。

私の授業の時だけそうならば、私の授業の進め方が悪いせいだと言えますが、他の先生方の日も水を打ったような静けさが続くのだそうです。これは、もう、指名するまで口を開かないというのは、このクラスの文化なんですね。先学期もだいたい同じメンバーで、同じような雰囲気だったそうですから、クラスの伝統文化と言ってもいいでしょう。

これだけ堅固な文化を築いてしまったとなると、卒業式までに打ち崩すのは非常に難しいでしょう。でも、卒業後、学生たちの頭に残るKCPのイメージって、どんなものなんでしょう。位い目地しか残らなかったとしたら、教師として辛いなあ…。

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聞いてますか

2月6日(木)

木曜日の後半はディベートの時間です。先週まではディベートのルールや進め方を覚えることを主眼に、どうでもいいテーマで議論をしていました。どうやらディベートの形は覚えたようなので、今週は社会的なテーマで論戦を交わしてもらいました。

社会的なテーマですから、感覚的な発言だけではディベートとして成立しません。ですから、テーマを発表してから15分ほど、そのテーマについてスマホで調べてもらいました。根拠のある発言でディベートを進めてもらおうと思いました。

スマホを使ってもいいと言うと、学生たちは喜々としてスマホを取り出し、思い思いに調べ始めました。しかし、せっかくディベートのチームごとにまとまって座らせたのに、声は全く聞こえてきませんでした。文字通り「黙々」と指を滑らせていました。チーム内で役割分担して議論の材料を探し出し、ストリーを組み立ててもらいたかったのですが、学生たちはスマホの魅力には勝てなかったのでしょうか。

ディベートを始めると、自分たちの主張は曲がりなりにもできました。しかし、相手の主張を受け止めて、それに反論したり疑問点を質問したりすることができた学生は、各チームに1人か2人程度だったでしょうか。反論の時間にも自分たちの主張を繰り返してしまう学生が目立ちました。だから、議論がかみ合っているようで微妙にずれていた発言が、あちこちから出てきました。

ということは、教師がいくら説教しても聞いちゃいないんでしょうかね。それっぽい学生の顔が次々と浮かんできました。

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欲張らずに

2月4日(火)

今学期の選択授業・小論文は、課題について調べる時間を与えています。だから、先週この稿に書いたRさんのようなことも発生しうるのです。しかし、根拠のある意見を書いてほしいので、時間を決めてスマホで調べてもらっています。

本気で取り組んでいる学生は、決められた時間内で調べ物は済ませ、あとは書くことに集中します。そこまでの本気度がない学生は、漢字を調べるとかなんとか言い訳しつつ、スマホを手にします。こちらも、そういう怪しげな学生は名前を控えておきます。

先週登場のRさんはその怪しげ組のメンバーでした。授業終了15分前には、もう書き上げているふうでした。私が原稿用紙を取り上げて読むと、心配そうな顔でこちらを見上げていました。AIに頼った形跡はありませんでしたが、間違いが多かったですね。「友達に読んでもらいなさい」と言って原稿用紙を返すと、それは恥ずかしいのか、自分で読み返していました。

チャイムが鳴ってもSさんは原稿が仕上がらず、5分ほど書き続けてから提出しました。「先生、私は書くのが遅いです。どうしたら時間内に書けますか」と聞いてきました。「Sさんは調べたことを全部書こうとしているんじゃないの?」と答えると、「はい」とうなずきました。「それじゃあ、書けないよ。調べたことの中からどれか1つにポイントを絞らなきゃ」とアドバイスすると、「1つにするの、難しいです」と辛そうな表情で訴えてきました。

でも、ここで欲張ってはいけないのです。論点を1つに絞ることは、論旨を明確にすることにつながります。筆鋒鋭く読み手の心に突き刺さる文章は、何でもかんでもという考え方からは生まれません。

Sさんの小論文はまだ読んでいませんが、なんだか楽しみです。

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ノート

1月24日(金)

今学期の選択授業・身近な科学は、授業の最初に白い紙を渡し、それにノートを取ってもらうことにしています。そして、授業の最後に、授業をよく聞いていれば、きちんとノートを取っていれば必ず解けるクイズを出します。

このクラスには、上級1期目の学生から、4月期から上級に在籍している学生までいます。同じ上級とはいえ、日本語力にはだいぶ差があります。しかし、こうしてノートを取らせてみると、より上のレベルの学生がより上手にノートが取れるとは限らないことが見えてきます。そして、ノートが取れている学生は、概してクイズの成績がいいです。私のクイズは、ネットで調べても答えが見つからない問題ばかりですから、授業をきちんと聞いて、それを記録に残すことができる学生がいい点数だというのは、妥当な結果です。

最上級クラスのAさんやBさんは、あまり点が伸びませんでした。授業中はうなずいていましたから、よく理解できているのだろうと思っていたら、そうでもありませんでした。上級1期目のCさんは、細かくノートを取っていました。私が見てもよくわかる形でまとめられていました。こういう人は頭脳明晰なんだろうなと思いました。

身近な科学の学生たちは、ほとんどが4月から進学します。日本人の学生に伍して大学や大学院の授業を受けるとなると、ノートがきちんととれるかどうかが運命の分かれ目になるでしょう。卒業生へのはなむけの授業のつもりでやっています。春にはありがたみを感じてくれるかな…。

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拒否!

1月23日(木)

出席を取り、連絡事項を伝え、明日の選択授業の案内を該当者に配り、読解の授業を始め、語句の説明のため板書して学生の方に向き直ると、ついさっきまでいなかったGさんが何事もなかったかのように席に着いていました。このクラスの教室は教卓から離れたところにドアがあるため、教師が遅刻の学生に気づかないこともあるのです。

そのGさん、「先生、すみません。遅刻しました」でもなく、フードをかぶったまま下を向いています。おそらく、スマホをいじっているのでしょう。授業に参加する意思はなさそうでした。私がGさんの机に近づいても、全く動ずるところはありませんでした。

このクラスに入るのは今学期初めてでしたが、今までに入った先生方からGさんのうわさは耳にしていました。どの先生も手を焼いているご様子でした。これじゃあ、手の差し伸べようもありません。“構うな!”オーラを四方八方に発散し、周りの学生にも声をかけるなと体を張って訴えているように見えました。

Gさんは今までに何校か受験に失敗しています。日本語力的にGさんよりも劣る学生が同じ大学に受かったのにGさんが落ちてしまったのは、このコミュニケーション拒否とも言える態度が災いしていることは疑いありません。でも、先学期担当した先生によると、本人はこれを認めようとしていないとのことです。

このGさんをどう指導していくか難しいところですが、もう1人、Jさんも同様の学生です。そのJさんは欠席でした。電話をかけても出ませんでした。難問山積です。

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社会を探して

1月21日(火)

毎日上級クラスに入るのはいいのですが、「社会」にかかわる教材を毎週3つ用意しなければならないのがしんどいところです。上級クラスは大半の学生が3月で卒業しますから、卒業後に進学先や就職先で困らないだけの日本語力や社会常識を付けるということが、この学期の授業における大きな柱の1つです。

「社会」といっても、政治や宗教の対立を教室に持ち込むわけにはいきません。クラスのメンバーを見て慎重に教材を選び、授業を組み立てていくということを繰り返していきます。トランプさんの大統領就任も大きなニュースなのですが、授業での取り上げ方は慎重でなければなりません。

かといって、毒にも薬にもならないようなことばかりやっていたら、学生は相手をしてくれなくなります。インコース胸元に大谷張りの速球を投げ込むようなものでしょうか。コントロールが狂ってぶつけてしまっては、何の意味も持たないどころか、破綻にもつながりかねません。

授業で取り上げて、話し合わせたり何かを書かせたりするとなると、クラスの学生の多くが興味を抱くものでなければなりません。そういう教材をいくつも用意するところに、今学期の苦労があります。まだ火曜日ですが、来週を見越してどのクラスで何を使うか、考えている最中です。

少なくとも3月の卒業式までは、こういう生活が続きます。昔の教材を引っ張り出してもいいのですが、そればかりだと卒業する学生へのはなむけにはなりません。卒業した後で、KCPであの授業を受けておいてよかったと思ってもらえるような授業を展開したいのですが、難しいものです。

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心配な文化

1月18日(土)

今学期は毎日上級クラスを担当することになっています。火曜日と金曜日は選択授業も受け持ちます。昨日は上から3番目のクラスと、選択授業「身近な科学」でした。

このクラスは先学期からメンバーがほとんど変わっていません。こういうクラスは、往々にして、クラスの文化みたいなものが確立しているものです。このクラスの意場合、その文化は、授業中は静かにするということのようでした。クラス全体に問いかけても、誰も答えません。先学期の中級クラスなら、あちこちから答えが湧き上がってきたものです。間違っていようと的外れであろうと関係なく、何かしゃべらずにはいられない学生がおおぜいいました。これもまた、そのクラスの文化だったのです。

じゃあ、昨日の上級クラスはできない学生の集まりだったのかと言うと、決してそんなことはありません。指名すればまともな答えが返ってくるのです。教科書を音読させれば、先学期のクラスよりずっとスラスラ読めます。引っ込み思案、恥ずかしがり屋の集合なのでしょうか。

というわけで、授業を進めるにはいちいち指名しなければなりません。顔と名前が一致する学生が3人ぐらいしかいないクラスでしたから、名簿を見ながら指名しました。しかし、時には欠席者の名を読んでしまったり、Aさんだと思って読んだら人違いだったりなど、調子が出る前に授業が終わってしまい、選択授業へとなだれ込みました。

昨日は1月17日、阪神淡路大震災からちょうど30年の日でしたから、テーマは地震。去年の能登半島地震、もう少し前の熊本地震、もちろん東日本大震災も取り上げました。野島断層や根尾谷断層など、大きな地震を引き起こした活断層の写真を見せたり、新宿付近にも活断層があるかもしれないと脅したり、こちらは得意分野ですから、好き勝手なことを授業時間いっぱいしゃべって学生の反応を楽しみました。

いちおう授業ですから、評価もしなければなりません。授業内で見せて解説した写真を最後にもう一度見せて、何の写真か説明してもらいました。まじめに聞いていれば絶対答えられると思ったのですが、頭を抱えてしまいました。「阪神淡路大震災で倒れたビル」とでも答えてくれればマルをあげるつもりだったのですが、「強い地震でビルが倒れた」じゃねえ…。上級でこんな答え方なのかと、大いに心配になりました。

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授業が終わったら

12月24日(火)

お昼に外に出ると、“恋人がサンタクロース”など、クリスマスソングが流れていました。しかし、私は養成講座の2024年最後の授業でした。

授業の内容は、テスト結果の分析でした。とかくクラスの平均点を出してお茶を濁しがちですが、それでは本当にお葉を濁したにすぎません。平均点はクラスの得点分布が正規分布(きれいな山型の分布)をしている時に意味をなし、その形が崩れれば崩れるほど意味をなさなくなります。中級クラスで言えば、毎日行っている漢字の復習テストなどは満点を取って当然のテストですから、日々の平均点の変動を見てもあまり意味がありません。

中間テストや期末テストは、学生の実力を見る意味合いもありますから、正規分布に近い分布をしてもらいたいところです。しかし、そうは問屋が卸しません。大きな山のほかに、極端にできない学生の山ができてしまうことがよくあります。平均点でクラスを評価しようとすると、できないグループの数名が足を引っ張ってしまい、クラスの実態を正確に表さないことがあります。そういう場合には中央値や最頻値を用いるとか、分布の全体像を見比べるとか、いろいろな手があります。

そんな話を、EJUやJLPTの実際のデータも交えてしていきました。この授業資料を作る際に私自身も新たな発見をし、勉強になりました。

今年の養成講座の授業はこれで終わりですから、受講生のAさんはそのままご実家に帰省なさるとか。新年早々ハードな授業が始まりますから、心身ともに十分に休んできてもらいたいです。今頃(18:03)は、もう、ご家族とクリスマスパーティーをしているころでしょうかね。

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息つく間もなく

12月16日(月)

午前の授業の後は、まず、アメリカの大学プログラムの学生Mさんのオーラルテストをしました。先週金曜の日本の高校訪問がとてもよかったと言っていました。そこでは自分の地元の紹介など、大活躍をしたようです。来年、JETプログラムを利用して、東北地方の学校で働いてみたいと夢を語ってくれました。

その次は日本語プラス生物の授業をしました。今学期最終回は、ホルモンと神経の話です。バソプレシンとか糖質コルチコイドとかランビエ絞輪とか、学生たちが大嫌いなカタカナ専門用語がたくさん出てきました。しかし、確認テストはよくできていましたから、必要最低限の概念は学生たちに届いたというところでしょうか。

それが終わったら、Rさんの面接練習でした。Rさんは私のクラスの学生ではありませんが、いろいろな成り行きで面接練習を引き受けました。T大学の面接試験が今週金曜日に迫っています。

T大学に入りたいという気持ちが強すぎるのか、前のめりの姿勢で受け答えをしていました。今まで、自信なさげに前かがみで面接練習に臨む学生は大勢いましたが、Rさんのように、見ようによっては今にも飛びかからんばかりに受け答えをする学生は初めてでした。気持ちはよくわかりますが、ちょっと表に出し過ぎかな。でも、答えの内容は素晴らしく、どれ一つ取っても他の受験生の口からは出てきそうもない、オリジナリティーあふれる言葉の連続でした。本番もこの勢いなら、合格の可能性は十分にあります。

面接練習が終わって1階に戻ってくると、Gさんが待っていました。漢字テストの再試です。Gさんはどうしても進級したいと思っていますが、不合格の漢字テストがあります。それを受けておかないと、漢字が不合格で進級できないということもあり得ます。それでは困ると、受けに来たという次第です。再試ではどうにか合格点が取れましたが、これは期末テストの範囲でもあります。不安が全面解消したわけではありません。

諸々が終わったら、外は真っ暗。明日も同じような1日になりそうです。年末、最後の力を振り絞って、仕事をどんどん片付けていきます。

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新教科書

12月11日(水)

初級クラスで使役を教えました。昨日のN先生が「明日は使役ですよ。難しいですよ」と前振りをしておいてくださったので、「はい、じゃあ、使役を勉強します」と、いきなり使役動詞の作り方から入りました。今、KCPで使っている教科書は会話を中心にして構成されていますから、こういう入り方は邪道です。教科書の作者も、真っ先に使役動詞の作り方を教えるなどという授業進行は想定していないでしょう。

新しい教科書になってから発話力、コミュニケーション力は伸びたものの、文法の正確性が落ちたのではないかという反省が出ています。それで、今回は、まず、文法から入って、使役動詞の作り方をきちんと覚えてもらおうと思ったのです。N先生の前振りのおかげで、使役とは何かについては予習してきてくれましたから、そこはわかっているという前提で進んでいけました。

前の教科書の時でも、1回の授業で使役が完璧に使えるようにはなりませんでしたから、新しい教科書でもそこまでは求めませんでした。誤変換がだんだん減っていけばいいだろうというくらいの気持ちで取り組みました。作り方を説明し、全体で練習し、次は、「勉強します」⇒「勉強させます」、「本を読みます」⇒「本を読ませます」というように、個々の学生にキューを与えて使役動詞を答えてもらいました(答えさせました?)。これは、ほぼできました。とりあえず、作り方は理解したようです。

そして、短いやり取りの中で使役動詞を使ってみようとなったのですが、これがイマイチでした。微妙なところで間違いが発生するんですねえ。詰めの甘さを感じました。どうやら、勢いでコミュニケーションを進めることが身についてしまい、正確性を追い求める気持ちが薄くなっているようなのです。これが他の文法項目でも同様だったとしたら、JLPTやEJUのような試験で点が取れなくなってしまいます。

私たちの側が新しい教科書を使いこなせていないからなのでしょうが、軌道修正が必要みたいです。年末年始休みは、これが宿題かもしれません。

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