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暗雲

8月23日(水)

初級のクラスに入ると、こちらの指示がうまく伝わらないことがよくあります。口頭による指示にとどまらず、文字で書いて示しても、こちらの意図したこととは全く違う行動に走ってしまう学生を毎日のように目にします。「あなたは、先生になったとしたら、学生にどんなことをさせたいですか」という質問なのに、「私は学生を早く帰らせます」「私は学生に宿題をさせました」などという答えが続出しました。というか、そういう答えのほうが「私は学生に本をたくさん読ませたいです」などというまともな答えより多かったです。

学生たちは、習慣的に習った文法を使わねばならないと思い、反射的に習ったばかりの使役動詞を使ってしまったのでしょう。そういうときの学生は、指示は目にも耳にも入らないに違いありません。初級では何事にも余裕がなく、頭がある方向に向いてしまったら、指示を読んだり聞いたりなどできないのです。

ところが、超級クラスでもこれと同じ現象を見てしまったのです。例文を作らせて類義語の意味の違いを説明させようと思ったのですが、例文しか作らない学生やいきなり意味の違いの解説を始める学生が1人2人ではありませんでした。EJUの日本語で満点に近い成績をとっても、こんな指示すら理解できないのなら、日本語でのコミュニケーションが全くとれないということです。その好成績は実力を伴ったものではなく、砂上の楼閣に過ぎません。

もちろん、私も周りの人からの指示を取り違えることがあります。でも、指示を読み取る、言われた通りに行動するというのは、受験生にとって基本中の基本ではないでしょうか。一抹の不安を覚えずにはいられません。

じゅうきょ

8月16日(水)

昨日の中間テストの採点をしました。

まず、漢字。濁音か否か、長音か否かの区別が相変わらずあいまいです。「授業」に「じゅうきょ」と読み仮名を書いてしまうパターンです。漢字で書く言葉は意味がわかればいいと思っているのかもしれませんが、「授業」に「じゅうきょ」という読み仮名を書いた学生は、話すときに間違いなく「じゅうきょ」と発音しています。「じゅうきょは毎日9時に始まります」なんていう、学生の話しっぷりが聞こえてきそうな答案が続きました。漢字の読みを軽視する傾向をどうにかするのが、今学期の後半の課題になりそうです。

次は読解。こちらは出席の良し悪しが如実に現れました。1日も休まずに授業に集中していたZさんは満点でしたし、同じく出席率100%のCさんは、授業中の課題はよく間違えていたものの同じ誤りを繰り返すことなく、クラス平均を大きく上回る成績でした。一方、何だかんだと理由をつけては休んでいたYさんは合格点に遠く及びませんでした。Sさんに至っては、偶然(?)出席した日の授業で扱った範囲の問題はできましたが、それ以外は白紙で、クラスの最低点に沈みました。

KCPの定期テストは悪くても、入試に受かりさえすればそれでいいと思っている学生がいますが、KCPでは進学した後で困ることのない日本語力を付けて学生を送り出すことを目指しています。「授業」をちゃんと「じゅぎょう」と発音できる学生、授業を聞くことによって力を付けていける学生を育てていこうと思っています。

まだです

7月26日(水)

先週末に6月のEJUの成績通知書が学校に届いて学生たちに手渡しましたが、EJUの実施機関であるJASSOから実施結果の発表がまだありません。今までなら、成績通知発送と同時ぐらいに発表されていたのに、いったいどうしたことでしょう。成績通知書には平均点は記されていますが、全体の得点分布を見ないことには、自分の成績の位置づけが正確にはできません。

例えば、去年の日本語の場合だと、6月の270点と11月の300点が、上から20%強でだいたい同じでした。これが今回は果たしてどうなっているのでしょう。これは、JASSOが発表するデータを見ないことにはわかりません。センター試験はここまでは発表していませんが、受験産業各社が寄ってたかって分析しますから、その必要もないのかもしれません。

しかし、受験整数がセンター試験の10分の1にも満たないEJUは、受験産業がどうにかしてくれることはあありません。JASSOの発表だけが頼りで、私もそこから得られる情報を最大限に解析して、学生たちの進路指導やEJUの受験指導に供しています。

何かにつけて感じることですが、外国人留学生は軽く見られているような気がしてなりません。外国人留学生を増やすことは国是のようなものだと思っていますが、その入口の試験がこのようでは、国の看板が泣いてしまいます。大学や専門学校に入ってからはそのようなことはないと信じたいところですが、KCP卒業生の話によると、ケアが十分とは言い切れないところもあるようです。留学生が日本人の友達も満足に作れないような学校は、留学生を受け入れる資格がありません。

データがあろうがなかろうが、学生たちは進路相談に来ます。明日も、2人の学生が受験講座後相談に来ます。

1+1=3

7月1日(金)

日本語教育能力検定試験に備えての勉強会が開かれています。O先生やF先生が中心となり、出題される各分野について理解を深めていこうという主旨です。夏から秋にかけて鍛えていけば、10月の本番で大きな力が発揮でき、合格につながることでしょう。

私がこの資格を取ったのは20年も前の話で、養成講座に通っているときです。O先生やF先生はようやく物心がついたころでしょうか。私も、やはり、その養成講座が主催する対策講座のようなものを受けました。自分でテキストを読み込んで勉強してもよかったのですが、それだと要点を絞り込めないものです。また、自分の力がどのレベルなのかもつかめず、のんびり構えてしまったり必要以上に焦ってしまったりして、不首尾に終わる心配もありました。

今とは試験の内容が幾分異なりますが、文法や語彙や音声などの日本語そのものに関する分野と、広い意味での言語学、それから世界と日本の地理・歴史に関わるところは自信がありましたから、そこでがっちり点数を稼ぎ、教えた経験がないと答えにくい部分での失点をカバーしようという作戦を立てました。幸いにもそれが奏功し、合格できたという次第です。

こういう作戦を立てられたのも、周りと自分を比較できたからです。自分の強みと弱みがわかったので、強みをさらに強化することで弱みを補えばどうにかなりそうだというのが見えてきました。日本語教育能力検定試験は、ある基準点を取れば合格というのではなさそうで、それと同時に上から20%ぐらいに入っていなければならないようでしたから、“孤独な戦い”は独りよがりにつながりかねない要素がありました。

勉強会に参加している皆さんはどうでしょう。1+1が3になればいいですね。

山越え

6月29日(木)

今学期はクラス担任をしていないので、自分が担当の期末テストの採点が終わったら、成績処理などクラスに関わる仕事はありません。それでも授業を担当したクラスの学生の成績は気になりますから、コンピューターでちょっとのぞいてみました。どうやら、全員期末テストでしかるべき点数を取り、そろって進級できるようです。

それは、私にとっては教えた甲斐があったというものであり、学生の努力が実ったということでもありますが、よくこんなすばらしい結果にたどり着いたと思います。期末テストの直前までは、Cさん、Gさん、Eさん、Pさんあたりは結果が出せないのではないかと危惧していました。その4名が、すばらしいとは言いかねますが、決してぎりぎりではない成績をたたき出したのです。見事な土俵際の踏ん張りでした。

しかし、これで喜んで油断でもしようものなら、次の学期は間違いなく落第です。自分の実力を過大評価し、進級したレベルの勉強を甘く見たら、たちまち置いて行かれるでしょう。そうなったら、進学にも悪影響が出てくることは疑いありません。

それぞれのレベルには、山があります。例えば、一番下のレベルなら「て形」です。その山を乗り越えられないとそのレベルは合格できません。“暗記の日本語”で帳尻だけ合わせても、上のレベルの授業にはついていけず、下のレベルをもう一学期勉強し直したほうが実力がついたのに、ということになってしまいます。

Cさんたちがその山に果敢に挑んでいる姿は見ていました。でも、山の頂に立てたかどうかは確かめられませんでした。成績表を見る限り、頂上を極めたのでしょう。ただ、息も切れ切れの状態であることは容易に想像できるので、次の学期が心配でならないのです。

新学期に私がCさんたちを受け持つ可能性はとても低いですが、一度つながった縁ですから、かげながら見守っていきます。

会話テスト

6月16日(金)

今週ずっと、「金曜日に休んだら今学期の会話の成績はFですよ」と言い続けてきた甲斐があって、私のクラスの会話テストは全員出席でした。学生をペアにして、各ペアに課題を配り、その課題に沿って会話を作ってもらうというテストです。もちろん、今学期習った文法や語彙を使います。

ペアAは、2人とも少し緊張気味。ストーリーに飛躍があり、また焦って早口になり、それでも制限時間オーバーであえなく沈没。努力が空回りのようでした。

ペアBは実に滑らかな日本語でした。聞いていた学生たちから、ウォーッと、会話のはずみように感心した地鳴りのような驚きの声があがりました。しかし、教師の耳は文法のミスを次々とキャッチし、評価的には1番にはなりませんでした。この2人は、気合と勢いで話しますから、予想通りといえばまさにそうです。

ペアCは意外性を狙いました。何かの間違いだと思って聞いていたのが間違いではないとわかってから、学生たちは安心して笑っていました。こちらの予想を上回る会話を作ってくれました。

どのペアも今学期勉強した項目を織り込んで会話を作ってきました。そういう意味では合格点ですが、でもそれは会話テストというしゃっちょこばった条件の下でよく考えてその場に臨んだからこそできたのです。肩肘張らない雰囲気だと、まだまだ易しい言葉や文法の方に流れて、初級っぽい口の利き方になってしまうだろうと思います。今学期勉強した日本語が自然に口をついて出てくるのは、数か月先のことでしょう。

会話テストを終えた学生たちは、あさってのEJUと来週木曜日の期末テストに向けて進んでいきます。

記述

6月15日(木)

木曜日は作文の授業があります。EJU前の最後の授業でしたから、EJU記述対策の仕上げをしたクラスも多かったようです。

Mさんも18日に本番を迎えますが、今日の授業での出来がよくなくて、先生にどこがいけないのか説明してもらっていました。どうやら、「〇〇の長所と短所を述べよ」という設問に対して、自分の意見をとうとうと述べてしまったみたいです。その点を先生から指摘されたのですが、Mさんは承服できない様子でした。自分の意見を書いてどこが悪いという気持ちが、表情にありありと浮かんでいました。

私がEJUの記述対策の授業を担当していたときは、EJUの記述はゲームだと思って割り切って書けと指示したこともあります。2万人からの受験生の文章を一定の基準で採点するのですから、課題について熱く語るよりも、淡々と論理的に述べたほうが高く評価されます。ですから、極端に言えば、自分の考えとは違っても、規定字数以内で論理的な文章になりやすい意見を書いたほうが安全なのです。

大勢の文章を公平に評価するには、ある枠をはめてその中でどれだけ内容のある文章が書けるかとするのがやりやすいと思います。でも、そういう方法に慣れていない学生、枠からはみ出してしまう学生は、すばらしいものを持っていても評価してもらえないこともありえます。Mさんはどうやら自分を枠の中に収めることを是としない、ないしは枠の存在が意識できないようです。だから、一生懸命書いたのに認めてもらえない不満を感じたのだと思います。

センター試験の改良案には小論文も含まれていますが、EJUよりもさらに1桁多い受験生数ですから、どうなることでしょうか…。

血を飲む虫

6月9日(金)

朝、仕事をしていると、電話が鳴りました。「はい、KCP地球市民日本語学校でございます」「おはようございます。金原先生ですか。私、Yですが、えーと、名前、わからないんですが、髪が短くて、細くて、声が大きくて、メガネをかけている女の先生、いますか」

Yさんが言わんとしている先生が誰かよくわかりませんでしたが、これ以上聞いても実のある情報は得られないだろうと思いました。「うーん、いらっしゃっていないみたいですねえ。Yさん、どうしたんですか」「実は、私、今朝、学校でテストをする約束だったんですが、昨日、…日本語でなんていうかわかりませんが、小さくて血を飲む虫が私の目の上の血を飲みました。それで、今、目が大きくなりました。ですから、今すぐ学校へ行けません」

小さくて血を飲む虫――ゴクゴクやるんでしょうか。私の目の上の血を飲みました――私だったら気絶しちゃいます。目が大きくなりました――おめめぱっちりじゃなくて、その逆なのでしょう。

まぶたを蚊に刺されて腫れてしまった――Yさんのレベルなら、ここまでいかなくても、これに近いことを言ってほしかったですね。Yさんも国の言葉ならこれくらい楽勝のはずですが、日本語の語彙が足りなくて、三角形の二辺どころか四角形の三辺を回るような表現になってしまったのです。

漢字の授業で「離」を扱いました。教科書にない用例として「親離れ」を出したら、「親がいなくても大丈夫になりました」など、それなりに意味が推測できたようでした。しかし、次に「人間離れ」を出したら、ひきこもりとかオタクとか「誰とも付き合いません」「山の中に動物と住んでいます」とかという答えが返ってきました。文法の時間に受身の復習で、歯型がついた半分のリンゴの絵を見た学生たちは「リンゴを半分食べられました」と答えました。彼らのレベルならそれでもいいのですが、「かじられました」という表現も紹介しました。

このクラスの学生たちもYさんも、18日はEJUです…。

塗って泳ぎきる

4月15日(土)

今学期の受験講座が始まりました。EJU読解の過去問をやらせました。解答用紙を回収して採点したところ、課題が2つ浮かび上がってきました。

まず、規定の40分で25問解けない学生が少なくありませんでした。最後の5問ぐらいが白紙だったり3番ばかり塗られていたり、後半の正答率がガクッと落ちたりという解答用紙が目立ちました。学生たちの内心の焦りと無念と屈辱と困惑と…が伝わってきました。

それから、時間が足りなかったこととも関係があるでしょうが、マークのしかたが雑な学生も多かったです。マークシート方式のテストは国でも受けたことがあると思いますが、解答番号を塗りつぶすのではなくチェックを入れただけという学生すらいました。そこまでいかなくても、おざなりのマークで番号が透けて見えるような、どう考えてもコンピューターに採点してもらえないような塗り方がある解答用紙が半分ぐらいでした。

特に今学期の新入生がひどかったですね。ほぼ全員が“問題あり”の答案でした。この学生たちは、40分で25問を解くというのが初めてだったかもしれません。時間配分がわからず、また、わからない単語が1つでもあると、それに引っかかって前に進めなくなっていたのではないかと思います。受験のテクニック以前の、心構えの段階がまだまだなのです。

そう考えると、KCPで何学期も勉強してきた学生は、実によく訓練されています。とにかく25問まで泳ぎきっています。マークシートも几帳面に塗っています。新入生の多くが6月のEJUを受けますが、あと2か月と3日で点が取れるマークシートに仕上げていかなければなりません。月曜日に私の辛辣コメント付きの解答用紙を受け取り、それをばねに伸びていってもらいたいです。

地下水流

3月29日(水)

最上級クラスの期末テストの採点をしてみると、大学院で日本語教育を専攻することにしているSさんは、さすがにそれだけのことがあるという成績を挙げています。正解者がSさんしかいなかった問題もありました。その一方で、今年大学受験の予定のYさん、Hさん、Cさんあたりは少々振るいませんでした。この学生たちはそれなり以上の難関校を狙うつもりでいるようですが、先行きに暗雲が垂れ込めているような成績でした。

何より、筆答問題に十分に答えられていないのがとても気になります。3人とも話す力は十分ありますが、書く力には不安を覚えざるを得ません。選択問題のおかげでテストの点数は合格点に届いていますが、この学生たちが考えている大学の入試には日本語の独自試験や小論文などがあります。EJUだけで勝負が決まるならともかく、筆答問題を苦手にしていては、未来が開けてきません。

実際の入試までにはまだ少し時間がありますが、今のうちから頭の中の考えを文字化する力を鍛えていかないと、不完全燃焼のまま入試シーズンが過ぎてしまいかねません。私が来学期この3人を受け持つかどうかはまだわかりませんが、新学期の担任の先生には是非引き継いでおきたいです。

もちろん、3人にはこのことをはっきり伝えます。好きなように勉強させておいたら絶対に筆答問題の練習はしないでしょうから、意識してそういう訓練を積むようにアドバイスします。テストの成績とともに、いやでも苦しくてもあらゆることを文章で表現することこそが明るい未来につながると訴えていきます。

3人にとっても、ここでどこまで踏ん張れるかが日本留学の正否を決めます。そして、自分の人生をかけて日本留学をしているのですから、これからの半年あまりが人生の分かれ目なのです。学期休みでのんびりしているかもしれませんが、実は結構大変なことになっているのですよ、Yさん、Hさん、Cさん。