Category Archives: 学生

もどかしい

5月10日(木)

「じゃあ、5番の問題」。受験講座の物理で、EJUの過去問を練習問題として使い、学生たちにやらせました。3分ぐらい経ってから「できた?」と聞いてみましたが、反応が鈍いです。首を傾げたり下を向いて問題に取り組んでいる様子だったりで、自信をもって答えてくれる学生がいませんでした。

「みんな、問題よりも日本語を読むのが大変?」と聞いてみると、学生たちは元気なくうなずきました。このクラスは初級の学生たちが主力ですから、10行近くに及ぶ問題文を理解するのに苦労していたのです。今学期から受験講座を受け始め、でも6月に本番を迎えます。気持ちははやるものの、読み取るスピードはいっこうに速まりません。この落差にもどかしさを感じていることが手に取るようにわかります。

昨日の上級の学生たちはそんなことはなく、キーワードにアンダーラインを引いたり丸で囲んだりしてどんどん読み進んでいました。半年かそれ以上受験講座に出ていますから、知識の堆積もありますし、勘も働くようになってきました。多少失敗したとしても、大崩はしないでしょう。問題文の読解に悪戦苦闘していた初級の学生たちは、こういう学生たちと戦わなければならないのです。

日本語を読まなくても答えられる魔法のような方法があれば教えてあげたい気もします。でも、ドラえもんのおかげでいい思いをしたのび太君が結局はつけを払わされるように、日本語力をおろそかにしていたら、大学に入ってからかたきをとられることでしょう。やっぱり、学問に王道なしです。

熱中

5月9日(水)

あさってに迫った運動会の準備がたけなわです。クラスでは運動会のしおりが配られ、会場までの行き方を教えたり、会場内での諸注意の読み合わせをしたりしました。授業後には、各種目の競技役員を務める学生たちに動きを説明したり、各チームの応援のフォーメーションをあれこれ考えたりという先生方の姿が、職員室のあちこちで見られました。

その運動会で写真や動画を撮ってくれる学生を募集したところ、我も我もと手が挙がり、担当の先生が目を回してしまいました。チームの応援に使う横断幕を学生に描いてもらおうと思ったら、みんな熱中してしまい、下校時刻を過ぎても帰ろうとしません。確かにKCPから美術芸術系の大学などに進学する学生は多いですが、芸術家の卵たちは、自分の腕を試す場を見逃そうとはしないようです。

私は写真を撮ることにも絵を描くことにも、全く興味も才能もありません。絵や写真を見る目も持っていません。ですから、絵や写真に熱くなる学生の気持ちが、本当のところはわかりません。そういうところに自分の居場所を見出しているのでしょうが、その居場所がその学生にとってどれほどかけがえのないものなのかまでは、想像力が及びません。

私もそういう場所を持ちたかったなあと思います。時間を忘れて打ち込める何かを持っている学生たちが、とてもうらやましいです。それが芸術系だったら、人の心を動かすことができます。私のように「趣味読書」では自己完結ですから、上述の横断幕のようにみんなの感動を呼ぶなんてことはあり得ません。

KCPの運動会は、スポーツの祭典だけではないのです。

また降ってきた

5月8日(火)

朝からかろうじてもってきた空模様ですが、午後の学生たちが帰る時間帯になってついに崩れてしまいました。昨日学生が借りて行った傘が、朝から続々と戻ってきていたのですが、再び1本また1本と減りつつあります。ついさっきも、職員室の入口のドアからぬーっと手が伸びてきたかと思うと、傘立ての傘をつかんで引っ込んでいきました。その瞬間、きょろきょろっと職員室を眺め回した顔には、一抹の罪悪感とうまいこと傘が確保できたという安堵感とがない交ぜになっていました。

たぶん、一番下のレベルに入学したばかりの学生なのでしょう。傘を借りる時の表現もまだ知らないに違いありません。そう考えると、「傘を貸してください」「傘を借りたいです」などという、レベル1がもう少し後に扱う文法的に正しい表現よりも、「この傘、いいですか」みたいなサバイバル的な表現を入れておいたほうがよかったかもしれません。そうしていれば、ぬーっの学生も、一抹の罪悪感におどおどすることなく、堂々と傘を借りられたかもしれません。

でも、これは難しいんですよね。初級で妙に易しい表現を教えちゃうと、中級になっても上級になってもそこから抜け出せなくなっちゃって、聞いていて気恥ずかしくなるような話し方をするようになっちゃいます。「大丈夫」とか「だめ」とかを連発するのなんかは、その典型と言えるでしょう。

人は見た目と言いますが、同じような考え方で、言葉も第一印象で決まることがあります。どんなにすばらしいアイデアや意見も、語られる言葉の質によっては輝きを失います。「大丈夫です」よりも「差し支えありません」とか「順調です」とかという受け答えほうが、信頼感や尊敬の念を勝ち得そうな気がします。

少なくとも上級の学生には、そういう言葉遣いを身に付けてもらいたいです。

映画に夢中

5月2日(水)

欠席した中級クラスのYさんに電話をかけると、ケータイをどこかに忘れたからアラームを鳴らせず、朝起きられなかったという言い訳が返ってきました。さらに問い詰めると、夜中の1時過ぎまで映画に夢中になっていたとか。今はスマホで何でもできちゃいますから、こんな始末になるのです。

そんなやり取りをK先生が聞いていました。「Yさんって、あのYさんですか」「はい、あのYさんです」「やっぱり…。初級でダメだったらずっとダメなんですよね」「まあ、今から劇的に改善するって、ちょっと考えにくいですね」

そもそも、Yさんは今学期の最初の4日ばかりを休んでいます。先学期の先生に厳しく言われていたのに、一時帰国から戻ってきたのが、学期が始まってからだったのです。入学から今学期まで、私も含めて多くの先生方から指導を受けてきたのですが、時間に対するルーズさというか、生活のいい加減差というか、そういうことを改めようという気配が全く感じられません。

TさんもYさんと同じ中級レベルの学生ですが、こちらは非常な努力家です。入学以来出席率は100%で、成績もきわめて優秀です。先学期、ひどい風邪をひいてとても辛そうなときもあったのですが、学校は休まず、平常テストの成績も落ちることはありませんでした。Yさんなら咳がちょっと出ただけでもこれ幸いと速攻で休んだことでしょう。Tさんは自分を厳しく律することができるのに対し、Yさんは易きにつくきらいが見られます。

Yさんもご他聞に漏れず有名大学への進学を希望していますが、今の生活を続けていたら到底無理です。私たちは手を変え品を変え本人の自覚を促すことはできますが、文字通り「促す」までです。本当に危機感を覚え、その危機から脱するための行動を取るかどうかは、最終的には本人次第なのです。

Tさんは午後の受験講座も必死に取り組み、わからない点はどしどし質問し、自分を伸ばそうとしていました。そのとき、Yさんは何をしていたのでしょう…。

朝のおしゃべり

4月26日(木)

職員室のお掃除に来てくださるHさんはとてもお話好きな方で、毎朝雑談に花が咲きます。今朝は…

「来週は月曜日がお休みなんですね。火曜水曜は学校があるんですか」「はい、カレンダーどおりです」「4月29日はえーと…」「天皇誕生日じゃなくて、みどりの日…じゃなくて、あ、そうそう、昭和の日」「そう、昭和の日ですね。でも、来年になったら、私も昭和、平成、それから新しいのはなんていうかわからないけど、三代生きちゃうんですからね、すごいことになっちゃいますね」「そうですよね。子供のころ、明治、大正、昭和を生きてきたなんていったら、とんでもないおじいさんおばあさんって感じでしたけど、来年になったら自分もそうなっちゃうんですもんね」

考えてみれば、今の私の年齢は、私が子どものころの明治末生まれに相当します。尊敬の対象であると同時に、敬遠すべき存在でもありました。自らを振り返るに、尊敬や敬遠とは程遠く、ずいぶん軽いなと思います。サザエさんの家族でいえば、カツオ君のつもりでいたのが、いつのまにか波平さんよりも年上になってしまいました。でも、波平さんほどの威厳もなく…。

平成元年生まれは来年30歳。もう中年に片足を突っ込んでいる年代です。「近頃の若いもんは…」などと愚痴をこぼしかねないお年頃です。高校野球の選手が平成生まれだといって驚いていたのがついこの前でしたが、今年は平成生まれの監督が甲子園で勝利を挙げました。平成生まれが社会のリーダーに取って代わりつつあるのでしょう。

不易流行といいます。私が若かった頃に明治生まれの方々から引き継いだ「不易」の部分を、平成生まれの学生たちにいい形で伝えて生きたいです。そこに「流行」を重ねていってくれれば、明るい未来が開けそうな気がします。

あるアルバイト

4月25日(水)

Rさんは、今学期、遅刻欠席が目立ちます。出てきても、こちらが油断すると居眠りを始めることがよくあり、精彩を欠く毎日です。聞くところによると、介護施設で深夜のアルバイトをしているということです。

Rさんは福祉関係の勉強をしようとしているわけではありません。純粋に生活費・学費を稼ぐためのアルバイトです。だから、飲食店やコンビニなど、留学生がたくさんいるアルバイト先でもいいのですが、おそらく給料の関係でこのアルバイトを選んだのでしょう。

仮眠時間は設けられていますが、介護施設ですから、入居者に呼ばれれば仮眠時間を割いても対応しなければなりません。それがほぼ常態化しているようで、だから学校で眠くなってしまうのです。飲食店やコンビニなど、留学生が大勢いるところに比べて、かなり厳しい条件のようです。

日本全国の介護施設がこうなのでしょうね。人手が足りず、でも介護施設としての責任を果たすために働き手にしわ寄せが来る――日本の福祉の脆弱な部分を見せ付けられているような気がしました。今後しばらくお年寄りは増え続けるでしょうが、そのお世話をする若者は減り続けます。Rさんのような外国人アルバイトに頼らざるを得ない場面が多くなっていくでしょう。

ふと、資格はどうなのかなと思いました。Rさんが介護に関する資格を持っているとは思えません。そういう資格を持っている人の監督の下で、限定的な業務なら無資格でも携われるのかもしれません。でも、それがなし崩し的に拡大解釈されていったら、いったいどうなるでしょう。

私はまだまだ介護施設のお世話になるつもりはありませんが、私がお世話になることはこの状況がさらに深刻化しているおそれもあります。今から足腰を鍛え、野菜や果物をたくさん食べ、死ぬ直前までピンシャンしていたいものです。仕事明けで電車の中でうっかり寝過ごしたという昨日のRさんの遅刻理由を聞きながら、そんなことを思っていました。

これから花を咲かせます

4月24日(火)

選択授業で、EJUの記述対策のクラスを受け持ちました。クラスの学生に聞いてみると、1名を除いて今回が初めてのEJU受験とのことでした。中級の学生たちですから、去年の11月はまだ初級で、受けても高得点は取れなかったでしょう。今回のEJUで高得点が挙げられれば、彼らが思い描いている夢が具体的な形を帯びてきます。

まず、EJUの記述とはという話をしましたが、試験時間とか字数とかはみんな知っていました。採点は論理性に重きを置くというあたりからは、新しい情報だったようです。中級あたりだと文法を不安がる学生が多いのですが、読み手に誤解を与えるような、あるいは読み手の理解範囲外となるような間違いでなければ、論理性でカバーできます。議論に飛躍があったり、独り善がりすぎて読み手がついていけなかったりしたら、文法的にはミスがなくても、高い評価とはなりません。

それから、中級の学生は、書き言葉と話し言葉が曖昧になっていることが多いです。特にKCPは話せるようになることに力点を置いていますから、何かを日本語で考えるとき、話し言葉がまず思い浮かんでしまうこともよくあるようです。その辺も矯正していかねばなりません。

さらに、EJUが初めての学生には少々ハードルが高いかもしれませんが、ことばのレベルを上げろとも訴えました。かつて毎学期のように中級の作文を担当していたときは、“もっと、大丈夫、もらう、いい”など、NGワードを設けて、それを使ったら文句なしでマイナス5点とかということもしたことがあります。EJUだけだったらそこまで求められないでしょうが、その先にある小論文まで考えると、上述のような便利な言葉を安易に使わない癖をつけることも大切だと思います。

さて、書かせてみましたが、そんなことより何より、スピードが全然でした。30分で規定の字数に届かなかった学生がうようよ。鍛え甲斐があるというか、何というか…。

5分前の注意

4月23日(月)

はい、あと5分です。自動詞他動詞、助詞、小さい「っ」のあるなし、てんてん(゛)のあるなし、自分の答えをもう一度よく見てください。残念な間違え方をしている人がたくさんいます。

中級クラスの文法のテストがありました。本当はもっと具体的に注意したかったのですが、他のクラスとの公平さを考えると、これが精一杯でしょう。

試験監督中は、学生の答えをのぞき込むぐらいしか仕事がありませんから、教室内をうろつきながら学生がどんな間違いを犯しているか観察します。自分が教えたところを間違われると、教え方が悪かったのだろうかと思ってしまうこともあります。学生の顔を見て、こいつは私の話を聞いていなかったよなあと、学生の罪をなすりつけることもあります。学生のほうは、テストに出されて初めてその文法の重要性に気づくこともあるでしょう。

結局、終了5分前に注意を与えても、間違いに気が付くのは優秀な学生です。お前のために注意してるんだよっていう学生に限って、あきらめてしまっているのか、机に伏したままです。殊勝な顔をして見直しても、間違いに気づかぬままということが多いです。今朝も、私がみんなに見直してほしかった問題は、過半数が間違った答えのままでした。

採点してみると、その問題ができた学生は、だいたい成績上位者でした。不合格者はその問題を落としていました。すなわち、その問題は出来不出来の弁別機能がとても高い問題だったということです。決して難しい問題ではないのですが、中級の学生の急所を突く問題だったとも言えます。

テストを返すときに、どのようにフィードバックしましょうか…。

物も言えず

4月21日(土)

先学期は養成講座の授業が土曜日にあったので、受験講座のEJUの担当はお休みしました。ですから、去年の11月のEJU直前から5か月ぶりぐらいの受験講座EJUでした。

初回は、問題を解かせることもそうですが、去年のEJUの結果をかいつまんで解説しました。KCPの学生の平均は、全受験生の平均と比べると日本語学習暦で3か月分ぐらい、KCPのレベルで1つ分ぐらい上回っています。それは喜ばしいことなのですが、6月と11月の両方を受けた学生について言うと、11月に成績を落とす例が見られます。6月は日本語がよくて総合科目などが悪く、11月は総合科目は伸びたものの日本語が落ちてしまい、出願の蔡にどちらの成績を使ったらいいだろうかという相談が後を絶ちませんでした。

上級の学生だと日本語能力が飽和状態ですから、勉強の期間が長くなったからといって必ずしもEJUの成績もそれに比例して上がるとは限りません。6月に挙げた高得点を維持するだけでもかなりの努力を要します。今まではこの意識付けが足りなかったので、今年はうんと強調しました。教室がシーンとなってしまったところを見ると、学生たちはやはり甘く考えていたようです。

EJUの成績には相対評価的な面もありますから、自分の実力の伸びが周りよりも小さいと、スコアとしては下がってしまうことがあります。去年の11月に最高点を取ったYさんは6月を受けていません。そういう受験生がひゅうっと現れて、6月から点の上積みを図ろうとしていた受験生の足元をすくってしまうのです。足元をすくわれないようにするには、同じく11月最高点のKさんのように緻密に勉強していかなければなりません。そんなところも、追い追い学生たちに伝えていきます。

ひらがなが書けなくても

4月20日(金)

Iさんは私が毎週金曜日に担当している初級クラスの学生です。先週は教卓のすぐそばに座っていましたが、今週は教卓から一番遠い窓際の席でした。先週はとにかく声が小さいという印象しかなかったので、教室の一番奥に座っているIさんを見て、声が聞こえるだろうかと心配になりました。

チャイムが鳴り出席を取ると、Iさんは大きな声で返事をする代わりに、思い切り右腕を真上に伸ばして存在をアピールしました。指名すると、教卓からでもかろうじて聞き取れる声でしたから、先週よりは大きな声を出しているようでした。ペアワークも楽しそうにこなしていました。少しずつ学校とクラスになじんできたのでしょう。

しかし、Iさんの課題は声が小さいことだけではありません。ひらがなカタカナも怪しいのです。みんながほぼ満点を取った語彙テストでも、合格点に遠く及ばない成績でした。その再試を授業後にしました。勉強はしてきたのでしょうが、できませんでした。答えを見ると、長音が特に弱いようです。「きょしつ」「デパト」ですからね。

再試でも間違えた問題は、その正答を5回書かせました。Iさんはそれを嫌がらず、おざなりではなく丁寧な字で書いていました。自分でも自分の状況を認識し、そこから何とか脱却しようとしていることがうかがわれました。長音が弱いということをIさんがわかる範囲の日本語で伝えると、真剣に耳を傾け盛んにうなずいていました。

レベル1の最初の10日ぐらいで再試を重ねるとなるとふてくされてしまう学生もいます。しかし、Iさんはどうにかはい上がって、国で思い描いた道に進もうとしています。Iさんと同じような学生でも殻を打ち破って大きく伸びた例も少なくありません。再試後の課題を出して帰る時のIさんの目からは、強い意志を感じました。Iさんがこの目を持っているうちは、私もIさんの力になってあげようと思いました。