Category Archives: 学生

辛抜く

2月22日(月)

先週末の中間テスト・卒業認定試験を採点しました。予想通り、遅刻や欠席の多い学生は点が取れず、授業に出ていても本気かどうかわからないような学生もまた、成績は伸びませんでした。

今学期は読解教材に小説も使いました。この小説の読み取りに、意外と大きな差がつきました。小説のパートが非の打ち所のない答えだったのはCさん。さすが、入学した時からいつも日本の小説を手にしていただけのことはあると、感心させられました。登場人物の心の動きを完璧にとらえています。ふだん小説などに親しまず、授業で使うテキストだからと読んだ程度の付け焼刃では、深い読み込みはできないものなのです。

ロジカルな文章は、Bさんが最高点でした。Bさんは物事をきちんと積み重ねて考えていくことができる学生ですから、これもまた当然の結果といえましょう。物事を、何となく勢いで、感覚的に考えてしまいがちな学生たちが失点を重ねていくのを尻目に、隙のない答えで得点を重ねました。

漢字の書き取りは珍答続出でしたが、最高傑作は、「初志を“つらぬく” 」で、「辛抜く」と答えたXさんでしょう。確かに、初志を貫くには辛い目を乗り越えぬかねばなりませんが…。個人的には「座布団3枚」で5点ぐらいあげたいところですが、そういうわけにはいきません。

文法は、授業でフィードバックしなきゃいけなさそうな間違いがいくつかありました。卒業認定試験が終わったからと言って、日本語の勉強が終わりだなんて思われたらたまりません。

卒業式まで授業日数は8日です。有意義に使って、教師としても有終の美を飾りたいです。

一生勉強

2月20日(土)

昨日の中間テスト・卒業認定試験を採点しました。卒業予定者はこのテストに合格しないと「卒業」証書がもらえず、「修了」証書になります。超級レベルの学生たちは、日本語力の絶対値においては、数百万人と言われる日本語学習者の上位1%に入るくらいのものを持っているはずですが、この学校できちんと勉強したという証を立てるため、卒業認定試験で合格点を取ってもらわねばなりません。

日本語学校は学歴の埒外の教育機関ですから、「卒業」でも「修了」でも学生たちの将来に大きな差が生じることはないでしょう。でも、だからこそ、けじめをつけることが大切です。卒業証書は、若い多感な時期の1年か2年を有意義に過ごした証明書なのです。単に力があるというだけでは渡したくありません。

さて、その結果ですが、ふだんの授業態度から手を抜かず勉強しているなと思っていた学生が着実にしかるべき成績を収める一方、消化試合みたいな態度だった学生はそれなりの点数しか取れていません。N1の試験問題をさせたら後者の学生のほうが高得点かもしれませんが、卒業認定試験は授業を受けていることを前提としていますから、評価が逆転しても当然です。

そして、学生の真価がわかるのは、実は来週からです。卒業認定試験が終わり、「卒業」が確定したらあとは野となれ山となれみたいな学生が毎年出てきます。同時に、卒業式の前日まで謙虚に学び続けようという学生もいます。超級クラスの学生たちの日本語力は認めますが、勉強することなど1つもないというわけではありません。もちろん、私は手を緩めず授業します。

就職するには

2月19日(金)

D専門学校の方が、「お預かりした学生のご報告」ということで、KCPからD専門学校に進んだ卒業生の近況報告をしに来てくれました。その方の話によると、2年前に卒業したJさんが、ゲーム業界最大手ともいえる会社に就職したとのことです。ゲームにはあまり関心のない私でも知っている超有名会社に、日本人との競争に勝って就職を決めたのですから、「すごい」の一言です。

なぜそんなすごいことができたのかというと、まず、ゲームを作ることが好きだということ、そのゲーム上に自分の個性やアイデアを表現できること、そして、そのゲームについてプレゼンする能力が高いこと、そんなことが勝利のわけとして挙げられると、専門学校の方は言っていました。就職戦線を勝ち抜くには、「好き」に加えて、いろいろな形の表現力が物を言うようです。

日本で進学して、最終的には日本で就職しようと思っている学生は山ほどいます。でも、進学先で学力や専門性を高めることには目が向いても、表現力を鍛えることを今から考えている学生は皆無に近いんじゃないでしょうか。就活が近づいてからバシバシいじめられ、自分の弱点に気付くというパターンが目に見えます。

今日は中間テスト・卒業認定試験がありましたが、週末に面接試験を控えている3人の学生の面接練習もしました。3人とも日本で就職したいようですが、勉強プラスJさんほどの表現力が求められることには、考えが及んではいないでしょうね。現時点では大学に入ることに精一杯ですから、やむを得ませんけど。

私が先日面接練習で鍛えたMさんがN大学に合格しました。そのMさんにしたって、自分の研究業績を表現する術を身に付けなければ、一生を貧乏研究員で過ごす羽目にも陥りかねません。そう考えると、毎学期超級クラスでやってきた学生のプレゼンの時間は、結構生きてるんじゃないかなと、自画自賛しています。

生物は図録だ

2月18日(木)

今学期の生物の受験講座は、教科書は使わないつもりで始めました。留学生向けの適当な教科書がなく、日本人の高校生の教科書や参考書では字が多すぎて、留学生は使いこなせません。ですから、パワーポイントやインターネットなどを中心に、補助的にプリントを配って学生たちの理解を進めていこうと思いました。

学生たちは私が持っている図録に目をつけました。すぐに消されてしまうパワポの画面よりも、ずっと手元に残る図録のほうが受験勉強には役に立つというわけです。こちらとしても、学生たちが図録を持っていれば資料の準備がかなり楽になります。また、高校生向け図録は1000円でお釣がくる値段ですから、学生の負担もさほどではありません。

というわけで、急遽学生に図録を買ってもらいました。図録を教科書代わりに解説して、その後EJUの過去問を練習問題としてやらせました。多くの問題が、図録を見ると解けるのです。問題文の該当箇所の図表や写真を見ると、正誤問題でもどうにかなってしまうものです。

生物名にしたって、学生は日本語名ではどんな生物か想像もできませんが、写真を見ればああこれかとわかります。また、生物学的に有名な実験は、世界どこでも似たような図表で説明がなされているようで、その図表を指し示しながら、これについて国で勉強してきたかと聞けば、話が十分に通じます。

「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、図録のおかげで小難しい説明がだいぶ省略できました。学生の日本語力のなさを補ってあまりある図録の威力でした。

芽生え前

2月16日(火)

今学期の受験講座は、上級の学生がほとんど抜け、来年の4月に進学を目指す初級から中級の学生が主力になっています。私が担当している理科は、意欲に日本語力が追いついていない学生が目立ちます。

理科の場合、国で勉強してきたことを日本語で復習するという側面があります。日本語で理解を整理するといってもいいでしょう。教師である私が、学生たちの母語が使えないので、学生たちのほうから歩み寄ってもらわなければなりません。ですから、中級あたりまでの学生にとっては厳しいところがあると思います。

でも、自分がこの学校で身に付けた日本語を武器として何かをするという経験ができます。日本語の授業の中という模擬的な環境ではなく、非常に大きくかつ重要な必要に迫られて何かをするのです。ここで何かを成し得た自信は、他の場面では手にすることのできないものです。

そういう高尚なことをしようとしてはいるのですが、今学期の学生たちは前のめりになっている感じがします。学生たちは、私の説明が一発でわからなかったり、自分の疑問点を私に上手に伝えられなかったり、練習問題の題意がすぐにつかめなかったりと、連日苦労を重ねています。

何だかんだと言いながらも、先学期から始めた学生たちは、明らかに進歩しています。今学期からの学生も、この1か月の間に力をつけました。元々持っていた理科の力を、日本語を通して表せるようになってきたと言ってもいいでしょう。本人たちはまだ手ごたえを感じてはいないでしょうが、彼らの面倒を見ている私は感じています。

春の芽生えみたいなものかもしれません。風は冷たいけれども「光の春」と呼ばれる2月の陽光を浴びて、木や草がかすかに青やいできたというところでしょうか。6月のEJUには花を咲かせなければなりません。芽吹きの季節が待ち遠しいです。

七変化

2月15日(月)

Cさんは国立大学を狙って、先月末あたりから全国をまたにかけて入試を受けています。受験する各大学の面接試験に備えて、ここのところ毎日のように面接練習をしています。その意気込みは高く評価しますし、EJUの成績から見ても受験したどこかの大学には受かることと思います。

しかし、受験する大学によって勉強しようとすることが違うのです。だから、当然、日本へ来たきっかけも将来設計も違います。Cさんの面接練習に何回も付き合いましたが、どこにCさんの本当の気持ちがあるのか、いまだにつかめません。その点を指摘すると、まず、大学に入ることが肝心なので、一番入りやすい学部・学科に出願したと言います。大学で何を勉強するかは二の次、三の次だといわんばかりです。

日本人の高校生にも、入りやすいところに入ると考える人はいます。でも、そういう無目的な学生は、早々に退学したり、4年間在学したとしても就職戦線で苦労したりするのです。まして、Cさんは外国人ですから、“退学=帰国”という公式が精神的な圧迫になることもありえます。

面接練習の場で「そもそも人生とは…」と人生訓を垂れても、そんなことに耳を貸す余裕などないでしょう。事ここに至ってしまっては、Cさんの望みどおり、どこかの国立大学に入ってもらうしかありません。そのために尽力することがCさんの幸せにつながると信じたいのですが、心の奥底から、そんな死の商人みたいなことをしていていいのかっていう別人格の私がささやきます。

今週金曜日は中間テストですが、その前日もCさんは遠方で入試です。来週のバス旅行直前も遠征です。もうしばらくは良心との戦いが続きそうです。

推薦書を断る

2月13日(土)

昨日の夕方、Gさんが、専門学校を受験したいから推薦書を書いてくれと頼みに来ました。そこでGさんの出席率を調べてみると、ビザの期間延長後の出席率がKCPの推薦基準に達していないことがわかりました。ですから、Gさんに推薦書は書けないと伝えると、推薦書が書けない理由を書面にしてくれと言います。これは断る理由はありませんから、書くことにしました。

Gさんに限らず、推薦書は先生に頼みさえすれば書いてもらえると思っている学生が少なからずいるように見受けられます。推薦書とは、「この学生はいい学生ですから、ぜひ貴校で勉強させてやりたいです」という書面ですから、誰にでも出せるわけではありません。Gさんのように出席率が足りないとなると、学校で勉強するという学生の本分を忘れているということですから、間違っても推薦の対象にはできません。

Gさんの場合、専門学校側は推薦基準を設けていませんから、KCPが推薦書を書けば、それはそのまま受け取ってもらえるに違いありません。しかし、1週間に1日以上のペースで休む学生を推薦できるほど、私の度量は大きくありません。私文書偽造の罪に問われることはないでしょうが、良心の呵責は感じますし、そこまで学生を甘やかしていいものだとは思いません。Gさんの欠席には、本当に休まなければならなかった場合もあったでしょう。でも、おそらく大部分は寝坊程度の理由だったことは、想像に難くありません。推薦書の権威と信頼性を保つためにも、Gさんに推薦書を書くわけにはいきません。

私が推薦書を書かなかったことで、Gさんは専門学校に落ちるかもしれません。そして、日本での進学をあきらめ帰国を余儀なくされるかもしれません。でもそれは、少なくとも半分は、自業自得です。私たちがもっと強力に指導していればという反省もないわけではありませんが、指導に耳を貸さなかったのは、ほかならぬGさんです。

来週、Gさんは書類を受け取って、専門学校に出願します。いったい、どんな結果が出るのでしょう…。

ガムをかむ

2月12日(金)

午後の代講クラスの教室に入ると、ガムをかんでいる学生がいました。しかも、口元をかくすわけでもなく、堂々と口の中のガムを膨らませようとすらしていました。その学生の机に近寄り、教科書で思い切り机をたたいて激しく怒っていることを示し、外でそのガムを吐き出させました。

KCPは全館学厳禁です。これは学校のルールとして入学時のオリエンテーションでも伝えているし、その後も折があるたびに注意しています。文法の例文などでも、ガム禁止はよくネタにします。それにもかかわらず、しかも教師に目の前でガムをかむとは、どういう神経なのでしょう。

私はこのクラスに入るのも、そして、おそらく、その学生に会うのも初めてです。何のしがらみもありませんから、思い切り叱ることができます。傷つきやすかったりプライドが高かったりして、クラスメートの面前で叱ることが好ましくない場合もあるでしょうが、明らかにガムをかんでいることがわかる学生を放置することは、私にはできませんでした。たとえ傷ついたとしても、ルール違反は悪いことだと、当人及び周りの学生たちに知らしめることに何の躊躇が要りましょう。

幸いにも、その学生はそれほど壊れやすいタチではなく、その後は指名しても普通に答えていました。クラスの雰囲気も、一時的には暗くなりましたが、最終的には持ち直しました。私がこのクラスに入ることは、おそらくもうないでしょう。ガムをかんだ学生を受け持つ可能性も、あまり高いとはいえません。ですが、このクラスと学生を、しばらくは注視していきます。

伝わる日本語

2月9日(火)

MさんはK大学の筆記試験に合格し、今週末に面接試験を受けます。ふだんから口数が少なく、黙々と勉強するタイプで、筆記試験は得意でも面接で自分の考えや気持ちを表現するのは苦手そうな学生です。

授業後、そのMさんの面接練習をしました。やはり、頭の回転に口が伴っていない様子で、付き合いの長い私だからこそわかるのであり、初対面のK大学の先生方には理解不能だろうなという話しっぷりでした。

それでもMさんは強気でした。去年は筆記に合格した受験生全員が受かったから大丈夫だろうという理由からです。しかも、去年の合格者は面接では「日本語はできますか」程度のことしか聞かれなかったから、その程度なら簡単に答えられると言います。

確かに、筆記試験で学力を確認していますから、面接は合格を前提としたものでしょう。しかし、面接練習でのMさんの答え方は、コミュニケーション上に問題ありとされてもしかたのないものでした。発音がよくない上に、ポイントとなる言葉を知らないために、迂遠な言い回しをします。

Mさんの頭脳は本当にすばらしいです。理解力も応用力もあります。K大学に入ったらきっといい勉強をするだろうと思います。でも話させると単なる発音の悪い留学生に成り下がり、その頭脳明晰さの100分の1も発揮できません。本人の多少はそれに気付いているからこそ、私の面接練習を申し込んできたのですが、「多少」止まりです。根っこのところでは去年は全員合格だから、自分も安泰だと思っているのです。私もそうあってほしいですが、立場上、最悪を想定して厳しいことを言い続けるのです。

Mさんは中級に入学しましたから、KCPの初級の訓練を受けていません。国で問題集で鍛えて日本語の力をつけたのでしょう。でも、やっぱり言葉はコミュニケーションです。あと数日ではありますが、自分の気持ちを、相手に伝わる日本語に変換する訓練をして、K大学の面接に臨んでもらいたいです。

久しぶり

2月8日(月)

授業後、Gさんの面接練習をしました。Gさんは、おととし入学した学期に、レベル1で受け持ちました。授業中はいつも大きな目をこちらに向けて、目から耳から何でも吸収しようとしていました。また、動作がきびきびしていて、Gさんが動いている姿は見ていて気持ちがよかったです。それは字にも現れていて、他の学生に見せたいくらいしっかりしたノートを取っていました。

そんなGさんは、成績が悪かろうはずがなく、今学期は上級クラスです。先週の金曜日、受付で私を呼び止め、志望校のM大学大学院の面接試験が迫っているから面接練習したいと頼んできました。私の手を離れてからは、校内でたまに出会ったときに会釈をする程度で、じっくり話したことはありませんでした。でも、会釈だけは必ずしっかり例のきびきびした身のこなしでしてくれました。そんな薄い縁でしたが、Gさんは頼りにしようと思い、私もGさんのためならぜひ力になりたいと思い、面接練習を引き受けたわけです。

もちろん、全然受け持ったことのない学生から頼まれても引き受けますが、初顔合わせみたいな学生とずっと気にかけてきた学生とでは、こちらの気合が違います。学校長としてはどの学生にも分け隔てなく接しなければならないのでしょうが、機械じゃなくて人間ですから、やっぱり付き合いの濃淡によって接し方が変わってしまいます。その付き合いも、Gさんのように好印象を重ねてきた学生と、「まったくもう」というかかわりばかりの学生とでは、こちらの向かう気持ちも違ってきて当然ではないでしょうか。

何も教師に向かって尻尾を振ってもらいたいわけではありませんが、周囲にいやな雰囲気をまき散らしていてもいいことなんか1つもありません。マイペースでもいいですが、人間は社会的動物だってことは忘れないでおいてほしいものです。

パワーポイントを駆使して自分の卒業研究の概要をプレゼンするGさんを見て、頼もしく思いました。成長振りがうれしかったです。内容的にはかなりダメ出しをしましたから、これから本番までのわずかな時間で軌道修正しなければならず、下手すると徹夜続きかな…。