Category Archives: 学生

ビッグデータの活用

3月29日(水)

読解の授業でビッグデータに関する文章を読んだので、期末テストの作文はビッグデータに関するテーマにしました。ビッグデータなどに関しては私なんかより学生たちのほうが詳しいだろうと思っていたら、作文を読む限り、そうでもなさそうでした。もちろん、大学院でその方面の研究をしようと考えている学生は、採点に困るような“論文”を書いてきました。しかし、読解の授業をさぼっていたのではないかと思いたくなるような作文もありました。

ビッグデータから個人データの収集を強く連想しすぎ、個人データの盗用・悪用に話題が傾いてしまって、ビッグデータを活用した世界、活用されすぎた社会というところに思いが至らない学生が目立ちました。

私はK書店のポイントカードを持っています。本を買うたびにポイントをためています。ある時、私にお勧めの本のメールが届きました。その中に、紹介文を読んでぜひ欲しくなった本がありました。しかし、私はその本をK書店では買いませんでした。これ以上私の好みをK書店に把握されたくなかったからです。K書店は、悪意がないどころか善意の塊で、ビッグデータに基づいて私にその本を紹介したのでしょう。その情報は、私にとって有意義でした。でも、私は自分の心の中をのぞき見されたような薄気味悪さというか、不快感を禁じえませんでした。結局、K書店はビッグデータでお客を1人失いました。私が自分でK書店に足を運び、その本を見つけたら、疑いなくK書店で買いました。ポイントもたまるし。

こんな話を書いた作文に出合ったら、私はどんな採点をしたでしょう。

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別れの日

3月23日(木)

3月は、卒業式が終わっても別れの季節です。期末テストの日をもって退学という学生が、毎年まとまっています。卒業式の後で進学が決まったとか、1月期いっぱいで帰国するとか、そんな学生たちです。

Gさんは帰国組の学生です。A大学には合格しましたが、そこは第1志望からほど遠い大学なので、帰国を決意しました。もう少し力になってあげられたかなと、私自身悔いの残る学生です。そのGさん、私が期末テストの担当クラスの教室で準備をしていたほんの数分の時間に、「明日帰国するので期末テストは受けられません」という電話をくれたそうです。最後に一言、ことばを交わしたかったな。昨日も会っていたのですが、「明日、また会えるから…」と、ごく当たり前に「さよなら」と言って教室から送り出してしまいました。

YさんとZさんは進学組です。この2人は来ないんじゃないかなと思っていたら、案の定でした。次の行き先が決まると、モチベーションを維持するのは難しいのでしょう。Gさんも含めて3人分の空席が、やけに目立ちました。この3人に再び会う日が来るのかな…などということを考えながら、試験監督をしました。

テストが終わり、教室の整備をして、ゴミを捨てに廊下に出ると、Wさんが立っていました。こちらを見てぴょこんとお辞儀をしました。私も軽く会釈を返して教室に戻り、答案用紙などの荷物を持ってまた廊下に出ると、まだ立っていました。明らかに私を待っていた顔つきでしたから、「Wさんにも、もう会えないんだね」と声を掛けました。Wさんは京都の大学に進学します。「これからが、Wさんが本当に勉強したいことが勉強できる時間なんだから、体に気を付けてね」「はい、ありがとうございます。先生に一言挨拶をしたくて…」

うれしいじゃありませんか。先々学期と、おととし、オンライン授業をやっていたころに教えただけの学生が、わざわざお礼を言いに来てくれたなんて。Wさんは、この稿に何回か登場しています(そのたびに仮名が違いますから、これをお読みのみなさんが、Wさんの登場した稿を見つけるのはほぼ不可能でしょうが)。担当じゃないときも、秘かに応援していました。こういう学生だからこそ、応援したくなるのです。この気持ちを忘れなかったら、京都の大学でも、そこを卒業してからも、きっと素晴らしい人間関係が築けることでしょう。

何だか、とても気持ちのいい日になりました。

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前途多難

3月22日(水)

上級クラスは、実力テストを行いました。今学期、主力メンバーが卒業で抜けてしまったので、来学期のクラス編成の参考資料にします。

問題は、来学期上級クラスに新たに加わる予定の学生も受験しますから、やさしめのものから上級の中でも上位の学生の実力が判定できそうな問題まで、難易度の幅を広く取りました。また、文章力を見るために、簡単な作文問題も入れておきました。

Sさんは早々に問題を解き終え、スマホをいじり始めたので、スマホを指さして注意。すると、かばんの中から授業には全く無関係の本を取り出して読もうとしたので、「あなたはテストの受け方を知らないんですか」と小声で注意。本はしまったものの、どこからか買い物のレシートを出して広げようとしたので、さらに注意。すると、「もう終わりました」と言うので、明らかに問題の指示とは違う答え方をしているところを「これはどうなんだ」と指すと、渋々答えを見直し始めました。

授業後、そのSさんの答案を採点すると、私が指したところは、結局問題の指示通りには答えられていませんでした。他の問題も、“できない学生ではない”という程度の出来でした。でも、Sさん自身は、おそらく、あんなのちょろいと思っているのでしょう。こんなあたりに、Sさんが今シーズンの受験が全滅だった原因があるように思えました。そこを改めない限り、Sさんが心の底から笑える日は来ないでしょう。

やはり結果が思わしくなかったKさんは、作文問題がまるっきりでした。Nさんは実力不足。受験を何となく先延ばしにしたJさんは、その気持ちがわかるような成績でした。

こうした学生たちをどう指導していけばいいのでしょうかね、これから1年…。

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新たな出発

3月20日(月)

卒業式後に私が受け持っている上級クラスの学生は、その多くが、今シーズンの受験が残念な結果に終わっています。私たちの指導が甘かった、学生が高望みしすぎた、受験を甘く見ていた、…いろいろな原因が考えられますが、何はともあれ、2024年度入試に向けて新たなスタートを切ったところです。

Kさんは、入学時から24年4月進学というつもりでいます。今までは気楽な留学生活だったかもしれませんが、もうそんなわけにはいきません。Kさんの志望校は、6月のEJUで高得点が必要です。できる学生ですが、もう少し目の色が変わってほしいところです。

Hさんは受験の結果に満足できず、もう1年勉強することにしました。卒業式前に比べていくらか前向きの姿勢になりましたが、こちらもさらなる奮起をしないと、来年の今頃は妥協に妥協を重ねた進学となっているかもしれません。教師として、要注意です。

Gさんはクラスを明るくしてくれるのはありがたいのですが、日本語がいい加減なのはいただけません。質問や課題に対する答えが雑です。マークシートはどうにかなっても、筆答問題や面接は乗り切れないでしょう。本人がどれだけ自覚しているか、これからどれくらい勉強に身を入れられるかにかかっています。

Lさんはほぼ毎日学校へ来るのですが、ほぼ毎日遅刻です。今朝は珍しく9時前に教室にいましたが、これを毎日続けられるように生活習慣を改めるところが、Lさんのスタートラインです。

Eさんは、初級の先生方からは「いい学生」と言われていますが、上級で見ている私の目には、そうは映りませんでした。今学期このクラスに入ったO先生に「Eさんはいい学生だったのに…」とさんざん言われ、4月の入学式には先輩として参加することになり、若干自覚が芽生えてきたようです。顔つきが変わり、発言が増えてきました。

Rさんは、このクラスでは一番下ではないでしょうか。授業に対しては積極性が出てきましたが、提出物を見るとまだまだです。6月のEJUに間に合うかなあという感じさえします。自覚を促すとともに、よほど強力に引っ張らないと、志望校には手が届かないでしょう。

なんとなく、4月以降の骨格が見えてきました。

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グローバリゼーションかな

3月17日(金)

私の周りにたまたまそういう学生が集まっているだけかもしれませんが、最近、心に問題を抱えている学生が増えたような気がします。

昨日、Pさんは、1時間以上ずっと語り続けました。私にとっては取り留めのない話に過ぎませんでしたが、Pさんにとっては来日以来の思いを語ったのかもしれません。自分の生い立ち、両親のこと、ネットで知り合った日本人の友だちからの言葉、…と話があちこちに飛んで、なかなか追いつけませんでした。入学直後は将来に対する不安から激情をぶちまけたこともありましたから、それに比べれば大きな進歩です。でも、1時間以上分の澱を心の中にため込んでいたのです。誰にも聞いてもらえなかったら、またどこかで爆発したかもしれません。

Zさんは受験がうまくいかず、タガが外れてしまったようです。今週はまともに登校したのがたった1日しかありませんでした。水曜日は、「真夜中過ぎまで勉強したので、朝起きられませんでした」という欠席理由を伝えるためだけに、授業後わざわざ学校へ来ました。欠席者にはこちらから電話を掛けますから、その時に答えてもらえばよかったのですが、先生に直接言うというのが、Zさんなりの誠意の示し方だったようです。何人もの先生から、授業中に内職をしてはいけないと注意され続けてきましたが、とうとう治りませんでした。内職の結果が大学入試全滅です。真夜中過ぎまで勉強したというのは事実でしょうが、集中力が全く伴っていなかったに違いありません。

こういう学生たちを見ていると、受験は今でも戦争なんだなあと感慨にふけってしまいます。私のころは大学の定員が少ないことに起因する“戦争”でしたが、今はグローバリゼーションの末端がKCPにまで到達し、学生たちがその波をかぶっている図が思い浮かびます。

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変じゃないよ

3月15日(水)

昨日、O先生からAさんの様子がおかしいというメールが入りました。Aさんは水曜日の受験講座数学を受講しています。担任の先生とは違う角度からAさんを観察してみようと思いました。

教室に入ると、Aさんはいつもの席に座っていました。定刻に授業を始めると、最初のうちは下を向いていました。やっぱり何かあるのかなと思っていましたが、練習問題を配るといつものように熱心に取り組み始めました。そしてその問題の解説を始めると、顔を上げてホワイトボードとモニター画面に集中するようになりました。うなずいたり自分の答えと見比べたり、いつものAさんに戻っていました。

その後も、後ろの席に座っていたYさんに聞かれた問題を教えたり、図を描きながら問題に取り組んだりと、前向きな姿勢で授業に参加していました。私が配る練習問題は後ろのページに答えがつけてありますが、それに頼らず自力で解こうと真剣に取り組んでいました。

授業が終わると、しばらく友だちと軽口をたたき合った後、「さようなら」と明るい声であいさつをして帰っていきました。これなら心配はないと思いました。

受験講座では、日本語のクラス授業とは違った一面を見せる学生がけっこういます。よく回らない口で果敢に質問してくる学生や、顔をゆがめながら課題に取り組む学生や、逆に日本語の授業とは打って変わっておとなしくなってしまう学生や、本当に色とりどりです。

クラブ活動は、おそらく受験講座以上に通常クラスとは違う学生の顔が見られることでしょう。学生を多角的、多面的に見ていくことが、学生を伸ばす一助となると思っています。

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新たなスタート

3月13日(月)

卒業生がいなくなると、上級クラスはスカスカになります。残った学生が2人か3人ならいくつかのクラスを合併して1つのクラスを作ります。私のクラスは半分ほど残りましたから、そのままのメンバーで授業を続けました。

学生半減ですから、朝、授業の前に、教室の後ろの方の机を全部寄せておいて、教卓の近くに人数分だけの机を並べておきました。そのままにしておいたら、学生たちは教卓から遠い席に着いて、前の方がガラガラになること疑いありません。

9時に教室に入ると、前の方に集めた机の後ろの方から席が埋まっていました。でも、残った学生たちからはやる気が感じられ、今から来年春に志望校に進学するための勉強をするぞという目つきをしていました。進学は、毎年、早くから騒ぎ始めた学生が勝ちます。後手に回った学生は、思い通りの結果が得られないものです。

この4月に進学するつもりだったTさんも、スタートが遅れてしまった1人です。一番痛かったのは、去年の6月のEJUを受けなかったことです。そのため第1志望校の試験が受けられませんでした。「自分の実力はまだまだだから」という、学生がよく申し立てる理由でチャンスを逃したのです。その後も不完全燃焼みたいな気持ちで受験を続け、結局“もう1年”となってしまいました。

今まで卒業した学生に圧迫されていたわけではないのでしょうが、Tさんも含めて学生たちはのびのびと発言していました。授業中に声を聞いたことがなかったSさんもこちらの質問にしっかり答えてくれました。1年後に向けて、力強い第一歩が踏み出せた気がします。

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みんなが去って

3月10日(金)

久しぶりに四谷区民センターで卒業式を行いました。学校から荷物を運んで舞台上の整備をしていると、あっという間に学生集合時刻の10時に。今年は在校生にも参加してもらうことにしましたから、緞帳が上がると客席は結構にぎわっていました。卒業する同級生を見送ろうというつもりなのか、もう1年勉強することにしている上級クラスの学生も、そこかしこにいました。KさんやSさんのような、受験にかこつけてよく休んでいる学生の姿もありました。いや、9時じゃ間に合わないけど、10時なら間に合うという考えなのかな。

セレモニーとしての卒業式が終わると、学生主導のお楽しみコーナーが始まりました。学生が作った川柳や五行歌などが紹介され、思わず微笑んだり感心させられたりしました。YさんやDさんのユーモアのセンスには脱帽するばかりでした。私がチョイ役で出演する演劇部もこのコーナーで公演しました。今までの練習の時とは違って、広いステージでのびのびと役に没入していました。衣装もメイクも気合が入っていましたね。客席の反応からすると、卒業生も在校生も、みんなを引き付けられたんじゃないでしょうか。

式の後で記念写真を撮ると、卒業生は三々五々去っていきました。もう、この見慣れた面々が学校へ来なくなるのかと思うと、やはり寂しさがこみ上げてきます。卒業式は、後片付けをしているときが、一番感傷的になります。今年の卒業式は学生コーナーが盛り上がっただけに、より一層大きな穴を感じました。

来週からは、中央からやや外れた客席にいた在校生たちと新たな信頼関係を築いていくことになります。1年後に、同じくらいの寂しさが感じられるまでの仲になりたいものです。

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春を感じる

3月8日(水)

毎年この時期は、茶道クラブの卒業生がお点前を披露してくれていました。しかし、ここ数年はお茶室の密回避のため、卒業記念のお茶会がありませんでした。今年は、新規患者数も大幅に減り、また、もうすぐ5類ということもあり、久しぶりに復活しました。私もクラスの学生から招待してもらいましたから、顔を出しました。

かつては1枚の畳に体を接するようにして何人も座りましたが、さすがにそれはできず、1畳に1人とスカスカでした。お点前はCさん。入学以来ずっとけいこを続けてきたとかで、所作も堂々としていました。お茶のお師匠さんと言われても、何ら違和感はありません。

私の方はというと、数年のブランクのせいで、うろ覚えだった正客としてのふるまいを完全に忘れており、学生を指導しているO先生に助けられてばかり。お菓子のおいしさもどこかに吹き飛んでしまいました。でも、久しぶりにいただいた抹茶の味には、疲れが消え去り、気力を奮い立たせるものがありました。

正座も久しぶりでした。最初は足がつりそうになりましたが、それをどうにか乗り越え、20分ほどのお茶の時間を何とか持ちこたえました。最近寝ていても何となく腰痛を感じていますが、正座している間はそういった鈍痛も出てきませんでした。私は昔から正座すると腰痛が和らぐたちなのです。

茶器などが片付けられたら、記念撮影。Cさんと同級生のQさんやSさんは足がしんどそうでしたが、笑顔でフレームに収まっていました。床の間で早春オーラを発散していた椿はきちんと写ったでしょうか。

いただいたお茶と正座のおかげかどうかはわかりませんが、午後の受験講座も調子よく進められました。

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逃げられた

3月7日(火)

今週金曜日が卒業式ですから、上級の選択授業は今週が最終回です。先々週から受講した学生に発表してもらっていますが、毎回何名かいなくなったり「来週にしてください」だったりします。最終回こそみんなそろって発表してもらいたいと思っていましたが、期待は裏切られました。

YさんとBさんは学校そのものを休みました。授業後に電話をかけましたが、通じませんでした。FさんとHさんは、前半のクラス授業には出席していましたが、後半の選択授業は欠席しました。明らかな敵前逃亡です。この2人に比べたら、YさんBさんは潔いです。もっとも、Yさんは先々週も先週も「来週」と言っていましたから、先延ばしの挙句の敵前逃亡と言えなくもありません。

いずれにしても、最後の発表という義務を果たしていませんから、この学生たちには不合格以外の成績は与えられません。Bさん以外は4月から進学予定なのですが、進学先でやっていけるか、きちんと単位を取って進級を重ね卒業できるか、気がかりでなりません。今は、私が学生の時とは比べ物にならにくらい口頭発表を重視しています。高々20人の前でせいぜい数分の発表すら逃れようとしている学生が、そういった勉強に耐えられるかどうか、はなはだ疑問です。

学生時代だけにとどまりません。昔は黙って働き続けて成果を出せば高く評価されましたが、今はその成果をアピールしない限り認めてはくれません。そんな社会を、どうやって生き抜こうと考えているのでしょう。他の選択授業にもこんな学生がいるのだとしたら、KCPの卒業生の将来は暗いと言わざるを得ません。卒業式を目の前にして、不安が募ってきました。

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