Category Archives: 学生

実力が発揮できない

1月10日(火)

Yさんが志望校に落ちてしまいました。私も面接練習をしたのですが、面接試験にたどり着く前に、小論文ではねられてしまいました。

Yさんは、どうも自己表現が不得手なようです。授業でも、作文の成績は文法や読解などと比べると見劣りします。話をさせると、よく聞くと筋が通っているのですが、よく聞かないとそれがわかりません。面接練習ではパッと聞いてすぐわかる話し方を練習しましたが、その成果を発揮する以前に散ってしまいました。

最近は日本人の入試でも総合選抜が幅を利かせ、面接や小論文で合否が決まる例が増えているようです。でも、ペーパーテストの良し悪しで合否が決まる入試も残っています。これに対して、留学生入試は大半の大学学部学科で面接があり、文系学部を中心に小論文を課すところも多いです。つまり、日本人ならテストの点だけで入れる試験方式もあるのに、留学生にはそういうチャンスが与えられないケースも少なくないのです。

となると、Yさんのような不器用な学生は、不利な立場に置かれることになります。確かに、大学に進学したら、どんな学問をするにせよ、文章力は必要です。自分の意見や考え、あるいは疑問を語れなかったら、学術的な探求をしたことにはならないでしょう。私たちも、テストの点数だけがいい学生には、こうした自己表現の力も養うように指導しています。ただ、人間には得手不得手があります。不得手な部分を克服しようと努力を続けている学生が壁に跳ね返されるのを見ると、ひときわ心が痛みます。

1か月くらいかけてYさんを観察してくれたら、どんな大学だってYさんが欲しいと言いますよ。だから、より一層残念です。

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入学式挨拶

みなさん、ご入学おめでとうございます。このように多彩な新入生のみなさんがこのKCPに集ってきてくださったことを非常にうれしく思います。

今、私は「多彩な」と申し上げました。世界には200以上もの国があり、それぞれの国がいくつかの地域に分かれます。こうした地理的な意味での多彩さもあれば、民族的あるいは文化的な観点から多彩さを論じることも可能です。さらには、年齢や経歴、経験、今までの専門、将来の計画…、このように考えると、ここにいらっしゃるみなさんおひとりおひとりが個々に違っていると言えます。

みなさんは金子みすゞという詩人をご存じでしょうか。金子みすゞは、今から100年余り昔の大正時代から昭和初期にかけて本州の最西端・山口県を拠点に活動し、500編以上の詩を作り、わずか26歳で亡くなりました。

その金子みすゞの詩で、日本人に最もよく知られている、愛されているのが「私と小鳥と鈴と」です。その詩の最後に「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」という一節があります。これこそ、日本人を魅了してやまない金子みすゞの心です。

金子みすゞは、この詩を通してお互いの個性を尊重しあおうと訴えています。皆さんが持っている多彩さ、すなわち個性は尊重されるべきものです。しかし、その前提として、自分の身の回りの人の個性を尊重しなければなりません。自分の個性ないしは意見を主張するだけでは、単なるわがままに過ぎません。そんな人は、いずれ誰からも尊重されなくなる、相手にされなくなるでしょう。

自分と同類の人たちを理解するのはたやすいことです。しかし、異質な人たちを理解するには、自分からその人たちを知ろうとする努力が不可欠です。ある人を知るには、その人とのコミュニケーションが欠かせません。そのコミュニケーションの有力なツールが言語であり、みなさんは日本語という言語を学びにこの場にいるのです。

多種多様な人々を理解すると、みなさんの人間的な幅が広がります。人間性を高めるといってもいいでしょう。人間性が高まれば、尊重される人物から尊敬される人物へと進化します。みなさんが思い描いている自分自身の将来像には、多かれ少なかれ、尊敬される人物という面があると思います。この留学は、自分とは違う人たちと知り合うことを通して、そういう将来像に近づくチャンスだと考えてください。

留学は旅行とは違います。写真を撮ってお土産を買って通り過ぎていくだけではありません。その地に暮らし、風土に根差した文化を味わい、そして浸り、多くの人々と交わり、時には力を借り、時には力を貸し、連帯感を築き、あるいは苦い思いもしながら、お互いを理解し合い、見識を高めていく人生の一場面です。知識や情報を得るだけなら、インターネットで十分です。体験すること、生身の人間と触れ合うこと、そして異質なものを受け入れること、受け入れられなくてもその違いを尊重すること、そこに留学の意義を見出してもらいたいです。

今ここにいるみなさんも、“みんなちがって、みんないい”のです。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

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名前を書く欄

1月6日(金)

午後、Fさんが大学出願に必要な書類を申し込みに来ました。申込用紙に、必要書類の種類とその枚数、名前や学籍番号や提出先などを記入します。Fさんは、名前の欄に、姓と名を分けて、カタカナで名前を書きました。ところが、書類の申し込み用紙の名前を書く欄には、若干小さめの字ですが、(漢字)、(英字)という表示があります。それが目に入っていなかったのでしょうね。

テストの時や提出物にいつもそうしていますから、ほとんど反射的にそう書いたのでしょうが、ちょっと注意不足でしたね。学校内の書類ですから、受け取る側の指摘に従って書き直せばそれで済みますが、大学に提出する書類でこんなミスを犯したら、最悪の場合、出願が認められなくなります。Fさんはクラスの中ではしっかりしているほうですが、それでも間違えてしまうのですから、他の学生はどうなのでしょう。

でも、多くの大学がオンライン出願となっています。“英字”の欄にカタカナを入力したら、すぐにエラーが出て気が付くでしょう。同様に、不適切な入力があると、やり直しを指示されます。そういうシステムに慣れているため、細かい字まできちんと読まずにパッと書いてしまうのかもしれません。

人間が犯すケアレスミスをフォローしてくれるのはありがたいことですが、そのせいで人間の注意力が衰えていくのだとしたら、恐ろしいことです。コンピューターの助けなしでは、いずれ人類は、社会を保てなくなる、生きていけなくなるのでしょうか。

私も同じようなミスをちょくちょくやらかしますが、こちらは細かい字が読めないせいで…。

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初面接練習

1月5日(木)

早速面接練習がありました。相手は、今度の日曜日がS大学の入試本番というHさん。クラスで教えたことのある学生ですが、約束の時間の10分前に来て職員室で面接の想定問答の最終チェックをしている背中は、今までになく緊張の色がにじみ出ていました。

「Hさんですね。あなたはなぜ本学で勉強したいのですか」と質問すると、Hさんは一語たりとも言い漏らすまいと答えます。しかし、その気持ちが強すぎて早口になってしまい、しかもマスク越しですから、聞き取りにくくなってしまいました。これでは逆効果です。Hさんの話し言葉を聞き慣れている私ですらわからない部分がありましたから、S大学の面接官にはHさんの熱い思いが伝わらないでしょう。

その後、S大学で何を勉強したいか、卒業後どうするつもりかなど、面接の常道ともいえる質問をしました。それなりには答えていましたが、“それなり”止まりでした。Hさんの狙っている学部学科はS大学の中でも難関ですから、このままでは入れません。フィードバックを兼ねて、S大学のページを見ながら答えのポイントを説明しました。S大学卒業後は帰国して故郷の街の発展に貢献したいというHさんの将来計画を、より輝かしいものに聞こえる工夫を伝授しました。

Hさんは、自分をよく見せるということに関しては不器用な学生です。思いも人間性も能力もあるのに、それを伝える点において要領が悪いのです。ここを補って学生を志望校に入れるのが教師の役割です。この学期は、多くの“Hさん”の面倒を見ていくことになります。

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学期休み中の学生

12月23日(金)

朝、学校のパソコンのメールを見ると、Yさんからのメールが届いていました。大学出願に必要なKCPの書類を申し込むのを忘れてしまったとのことでしたから、午前中に学校へ来いと返信しました。Yさんは11時ごろ来ました。出願締め切りは1月7日だそうですから、十分に間に合います。今すぐほしいなんて言ったら殴り倒してやろうかと思っていましたが、暴力教師にならずに済みました。

書類を見直して自分で気づくあたり、さすが上級と言ってやりたいところです。でも、募集要項をもらったら、まず、KCPの書類が必要かどうか確かめろとも指導していますから、やっぱり減点かな。うかうかして年末年始休みに突入していたら、出願をあきらめなければならなかったかもしれません。

Yさんが書類の申し込みをしているころ、期末テストの追試を行っていました。TさんとSさんは受験のため、一昨日は期末テストを受けられませんでした。Tさんは前もって受験票を見せてくれましたが、Sさんは断りもなしに受験に行っていました。期末の前日も前々日も欠席でしたから電話を掛けたところ、受験行脚の最中だということがわかりました。追試の時に受験票を持って来いと言っておいたのに、追試の後に職員室に寄った時、Sさんは受験票など、受験したことを証明する書類は持って来ていませんでした。

うちへ帰ったら受験票の写真を送れと伝えましたが、まだ何も届いていません。受験の事実が確認できたら欠席した日も出席扱いにできますが、このままでは欠席のままです。出席率がよくないSさんにとって、期末直前の一連の欠席は大きな意味を持ちます。そういうことも説明したのに、何の反応もありません。下手をすると、大学に受かってもビザが出ないかも…。

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テスト採点

12月22日(木)

期末テストの採点をしました。読解は、テストの直前の授業で復習としてやった問題から出しました。さすがに手も足も出ない学生はいませんでしたが、90点以上もそんなに多くはありませんでした。授業でやったと言っても、「12行目の“それ”って何?」「お年寄りが買い物に行くこと」「買い物って、何を買うの?」「食料品や日用品」「それだけ?」「あ、衣類も」…などという授業中のやりとりを文章で表現しなければ点はもらえません。こうなると、成績下位グループは苦しいですねえ。解答欄は1行しかないのに、安全を見込んで本文を長々と抜き出し、やたらと小さい字でびっちり書いてくる学生もいます。老眼の私に読めない答えは、もちろん×。逆に、いつも大きい字を書くGさんは、1行に10字ぐらいしか書ないので、読みやすいけど説明不足で減点。

そんなわけですから、授業でやった問題を出しても、実力の差は答案用紙の上に歴然と現れます。教科書に線を引いてわかったつもりになっている学生は、じわじわと点を引かれ、いつの間にかやっと合格点レベルまで落ちてしまいます。教師の話や板書をノートに取っているNさんなどは、いい成績でしたね。

昨日の期末テストは、最下位のLさんでもどうにか合格点の60点を取りました。でも、合格点が取れたからそれでよしとしないで、クラス平均の80点よりはだいぶ悪いと思って、答えの書き表し方を勉強してほしいです。大学院や大学に進学したら、参考文献から読み取ったことをきちんと整理することが、研究や学問を進めていくうえで非常に重要なのです。

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敵は漢字だ

12月21日(水)

Pさんは理科系の大学進学を考えていました。受験講座も取りました。しかし、勉強したのは夏まででした。ネックになったのは、漢字でした。漢字の読み書きがどうしてもできませんでした。理科系の受験講座の資料なんて、図表や数式、反応式が多くを占め、大した量の漢字があるわけではありませんが、Pさんには大きな負担になっていたようです。

話す・聞くにかけては、Pさんはクラスでもトップを争っています。いや、2つぐらい上のクラスに入っても、決して負けることはないでしょう。本人も自信を持っているようで、それが態度に現れます。目を合わせて堂々とやり取りをします。教科書を読ませたときのおどおどした顔つきと、とても同一人物とは思えません。

そのPさんのクラスに、期末テストの試験監督として入りました。最初は作文。課題文はグラフが多いので、何とかなるでしょう。…などと思いながら教室内をうろちょろしていたら、Pさんが真っ先に提出しました。原稿用紙に名前が書いてあることを確認し、既定の文字数以上になっているか見ようとしたら、原稿用紙の大半がひらがなではありませんか。「日本」などという表記が、ちらっと目に入った程度でした。

次は読解、文法。やはり、一番に提出ですが、今度は空欄が目立ちます。読解の問題テキストは授業でがっちりやっているんですが、ふりがながないと皆目わからないようでした。文法も同様で、選択肢の問題はどうにかなったものの、短文作成などは沈没でした。

最後の漢字・語彙は言うに及ばず。明らかに勉強していません。捨てていると言ったほうがより正確です。

入学試験においてもきっとこんな感じでしょう。EJUは漢字が読めずに問題が理解できず、大学の独自試験に小論文などあろうものならお手上げに違いありません。面接の評価が素晴らしかったとしても、合格には至らないのではないかと思います。

漢字さえ勉強すればと思いますが、その漢字の勉強がPさんにとっては苦痛以外の何物でもないのです。こういう学生に勉強させてくれる大学、ないのでしょうか。

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大差

12月20日(火)

K先生がお休みだったので、最上級クラスの代講をしました。最上級クラスともなれば、長期間在籍している学生も多いですし、学校内のイベントでもけっこう活躍していますから、有名人が多いです。私の場合は、それに加えて受験講座で接点がある学生もいます。そんなわけで、コンスタントに授業に入っていたわけではありませんが、ほとんど何となく顔と名前が一致する学生たちでした。

さすがに最上級クラスで、誰を指名しても読解のテキストなどがスラスラ読めます。「声高」とか「喧騒」とか、特殊な読み方をする単語や見慣れない漢語は読み間違えたり立ち止まったりしましたが、それ以外はつっかえることはありませんでした。そうそう、意外に「種明かし」が読めず、意味もわかりませんでした。

私が担当している、上級でも下の方のクラス(の下の方の学生)は、うっかりするとカタカナ語でも間違えて読みますから、それとは大違いです。おそらく、文章を見ている範囲が違うのでしょう。私のクラスの学生は、極論すれば、テキストの文字を1つずつ拾い読みしています。だから、どこが単語の切れ目、意味の切れ目なのかわからずに読んでいます。それに対し、最上級クラスの学生は、少なくとも内容把握をしながら読んでいます。だから、次にどんな単語が現れるかある程度は予測がつき、その予測範囲内の単語が出てきたら、スムーズに読めるというわけです。

この両方のクラスの学生は何が違うのかと言えば、理解語彙の数です。読んでわかる、聞いてわかる単語の数の差が、読み方のスムーズさの差になって現れ、同時に読解力の差にもなっています。文章も、2~3行まとめて目を走らせていることでしょう。こうなると、私なんかの読み方とあまり変わりません。

どうやって鍛えれば、私のクラスの学生たちは、最上級クラスの学生たちに近づくのでしょうか。

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せつない(?)恋心

12月19日(月)

Jさんはアメリカから来たレベル1の学生です。

「クリスマスは国へ帰りますか」「いいえ、帰りません」

「じゃ、クリスマスは寂しいですね。1人でメリークリスマスですか」「いいえ、彼女と一緒です」

「あ、いいですねえ。楽しいクリスマスですね」「はい」

と、笑顔を見せました。

Jさんの彼女もレベル1で、英語が話せないそうです。「Jさんも彼女も日本語を話しますか」と聞くと「はい」という答えが返ってきました。2人の共通言語は日本語ですから、そうなっても不思議はありません。

でも、今は多種多様な、私など想像もつかないようなアプリが出回っていますから、そういうのをフル活用して意思疎通を図っているのかもしれません。Jさんがスマホに英語で気持ちを打ち込むと、それを彼女の国の言葉に翻訳して、メールか何かで送り、それを読んだ彼女がその逆をしてJさんに思いを伝える――というようなやり取りを繰り返すのでしょうか。残念ながら、Jさんの日本語力ではどんな“会話”を交わしているのかわかりませんでした。

上級クラスの語彙の授業で“せつない”を扱いました。辞書の説明をそのまま伝えても、例文を考えて状況や心情を想像させても、“せつない”の根幹をなす部分を伝えるのは難しいです。Jさんたちはどうなのでしょう。自分の言葉で愛を語っても通じないことにもどかしさやせつなさを感じているのでしょうか。見つめあうだけで心が満たされるのでしょうか。それともアプリか何かを介した語らいで幸せを感じているのでしょうか。

いずれにしても、2人で楽しく幸せなクリスマスが過ごせるよう祈るばかりです。

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クリスマスは家族と

12月17日(土)

学期末が近づくと、アメリカの大学のプログラムでKCPに留学している学生の会話テストがあります。私も毎学期試験官として数名の学生のお相手をします。昨日はMさんとJさんのテストを受け持ちました。

私の場合、ごく普通の会話をしながら学生の力を見ていきます。発音やイントネーションはもちろんのこと、こちらの言葉をきちんと聞き取って理解してしかるべき応答ができるか、今までに習った文法や単語をどれだけ正確に適切に使えるか、そして何より、会話が弾んでいるかが大事な点です。

昨日の2人に共通していたことは、21日の期末テストが終わったらすぐ帰国して、クリスマスは家族と一緒に迎えるという点です。クリスマスはどうするかと聞いたら、喜々としてクリスマスの計画を話してくれました。Jさんは、日本で買いそろえた家族へのクリスマスプレゼントまで詳しく教えてくれました。

もちろん、2人とも1月11日の始業日までに日本へ戻ってきます。去年は、そんなに簡単に国の出入りができませんでした。日本にいる学生たちは、オンラインクリスマスが精一杯でした。今年は緩和のおかげで、航空券はきっと高いのでしょうが、家族とおいしい料理を食べたり、プレゼントの交換をしたりすることができるようになりました。もちろん、感染状況に関しては油断できませんが、だいぶ以前の状態に戻ってきたのではないかと感じさせられました。

2人とも、クリスマスのおかげで会話が弾み、テストは高評価です。特にMさんはミスがほとんどありませんでした。Mさんの町もJさんの町もホワイトクリスマスのようですから、美しい景色とやさしい家族に癒されてきてください。

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