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医者の卵? 卵の殻?

9月3日(金)

初級のクラスに入ると、文法もきっちり教えなければならないのですが、語彙もいろいろと教えたくなります。みんなの日本語や漢字の教科書に出てくる語彙だけでは、受験にしても働くにしても到底足りないからです。文法は、みんなの日本語2冊の内容をきちんと使いこなせれば、たいていの場面は通用します。しかし、単語の数は全然不十分です。だから、教科書の内容に関係のある言葉を積極的に紹介します。

例えば、「卵」という漢字を勉強するとき、今使っている教科書には「卵黄」「卵白」「産卵」「(医者の)卵」などという用例は出ていますが、「卵の殻」はありません。これは子供でも知っている言葉ですから、学生たちが知らないとなると、進学先で相当恥ずかしいんじゃないかな。

そういう、いわば留学生だけが知らない日本語を少しずつ集めています。擬音語擬態語はそれなりの学習書が出るようになりましたが、この手の単語は「習うより慣れろ」的に放置されているのが現状です。集めていますとは言いましたが、日本語の教科書には載ってなくても日本人にとっては常識以前の単語っていうのは、頭で考えて思い浮かぶもんじゃありませんから、思いついたときに記録しておかないと、すぐどこかへ行ってしまいます。それゆえ、なかなかうまく集まりません。

明日は上級の授業です。上級は上級なりの、やっぱり知らないと相当恥ずかしい単語がありますから、それを入れていきます。こういう単語や表現が勉強できることが、ネイティブの教師に習う真の意味であり、現地で勉強する最大の利点です。同時に、ネイティブ教師にとってはそういうのを教えるところに真骨頂があるのだと思っています。

360点

9月2日(水)

初級のSさんはK大学への進学を考えています。それに向けて、塾にも通っています。塾ではEJUの読解や聴解の問題を特訓しているようです。それは非常に結構なのですが、問題を解くテクニックの習得に傾きすぎているきらいがあります。だから、KCPの勉強には身が入りません。そのあげく、中間テストの文法は不合格でした。

今日の文法テストも、細かいミスが積み重なり、結局合格点を少し超える程度の成績止まりでした。文法が全然わかっていないわけではありませんが、正確には使えませんし、そもそも今まで勉強してきたはずの内容に抜け落ちがあります。こんな調子では、テクニックを駆使してK大学に入ったとしても、そこでいい勉強はできないでしょう。

来年6月のEJUの日本語で360点取るのが目標だと言います。360点といえば、間違えられるのはせいぜい2問です。単にテクニックだけではなく、相当な集中力も必要です。しかし、授業中のSさんの態度を見る限り、集中力がありそうな感じはしません。

私たちは、どういう測り方をされても高く評価されるような日本語力を学生につけさせようと思っています。そういう日本語力があれば、どんな方向に進んだとしても、学生自身の人生に真に寄与する学問や仕事ができます。それこそが学生の人生を豊かにするものと信じています。“いい大学”に入るには迂遠な方法かもしれませんが、インスタントの日本語力で挫折するよりは、最終的にはより高いところに立てると信じています。

Sさんは私との面接もそこそこに、塾へ急いで行きました。毎日明け方の4時ごろまで勉強するそうです。その努力は多としますが、ぜひとも無駄な努力にならないように、自分自身を大局的に見てほしいものです。

末期症状

8月12日(水)

私のクラスは5名の欠席でした。授業後その5名に電話を掛けるとOさんにつながりました。

「今日は学校を休みましたが、どうしたんですか」

「明日は中間テストですから、うちでずっと漢字の勉強をしました」

「今日は文法と聴解で大切なことをしましたよ」

「でも私は漢字のほうが下手(=苦手)ですから」

「じゃあ、文法は勉強しなくても大丈夫なんですね」

「いいえ…」

「うちで勉強するから休んでもいいという考え方は間違っていると思います」

…と、まあ、コミュニケーションが成り立っているのかいないのか、若干わかりにくいやりとりをしました。

毎学期、こういう学生がいます。私はそういう学生を見ると、末期症状だなと思います。KCPの定期試験ごときで、しかも初級レベルで学校を休まなきゃならないほど追い込まれていたら、日本で日本語を使って何かをしようなんて、到底無理ですよ。

こういう学生は、本当に目先のことしか見えていないのです。Oさんの場合、漢字がわからないとなったら、今勉強している文法の重要度など吹っ飛んでしまったのでしょう。初級の半ばぐらいまで来てサバイバル文法から脱皮して、小技を利かせて細かいところまで表現できる言い方を勉強しているのに、それが目に入らなくなっています。今日授業でやった「~ています」なんて、日本人が口癖のように使っている表現ですよ。それを勉強・練習するチャンスを捨ててしまったのです。

KCPは学校でクラス授業を受けることを前提にカリキュラムを組み、それを実施しています。中間テストの前日に休んで漢字の勉強をする学生のことなど、1ミリも考えていません。ですから、今日欠席して「~てしまいます」がすっぽり抜けてしまったOさんのような学生は非常な不利を被ります。

Oさん、明日のテストで学校を休んでまでも勉強した甲斐が感じられる成績が取れるでしょうか。

誤答に気づかず

8月11日(火)

昨日提出したSさん、Wさん、Yさんの宿題の答えが同じでした。正答が同じなのは当然なのですが、数個あった誤答が全く同じなのです。しかも、他の学生とは違う間違え方です。どう考えても、3人のうちの誰かのを他の2人が写したとしか考えられません。成績的に考えて、WさんのをSさんとYさんが写したのでしょう。

今日担当のB先生にこの3人に話を聞くように頼んでおきました。予想通り、Wさんの宿題が大本で、Sさんは写したことを認めたそうです。しかし、Yさんは頑として認めませんでした。また、Yさんは授業後に受けた漢字の再試験の最中に、スマホをいじっていたそうです。B先生が注意すると、答えを見ていなかったから構わないだろうという言いっぷり。教室内は携帯電話禁止だということは知っているはずだと迫ったら、文法の再試もあったのに、ふてくされて帰ってしまったそうです。

Yさんは、去年私のクラスにいて、結局やめてしまったOさんに似ているところがあります。授業中すぐ電話をいじる、教師に話を直接理解しようとせず友達に母語で聞く、勉強する気が感じられない、などという点です。まだ中間テスト前ですが、Yさんは授業についていけません。これもOさんと同じです。Oさんは自分が勉強に向いていないことがよくわかっていて、すっぱりと留学をあきらめて転進しましたが、Yさんは今のところそんなそぶりはありません。

宿題や再試でのやり取りからわかるように、Yさんには素直さがありません。自分の非を認めず、教師からの指導を受け入れようとしません。これでは日本語の上達はおろか、大人への脱皮もできないでしょう。この調子では、日本での進学なんて、望むべくもありません。

素直に非を認めたSさんにしたって、Wさんの誤答を見抜けないようじゃ先は明るくありません。中間テストの結果が出たあたりでこの2人に引導を渡すのが、私の今学期の大仕事になるのでしょうか。

対訳

8月7日(金)

受験講座の化学は、今日から有機化学に入りました。有機化学といえば、カタカナの物質名が山ほど出てきます。EJUの問題では、カタカナ名のほかに英語名は記載されますが、中国語や韓国語で名前が書かれることはありません。ですから、カタカナ名とその物質の構造式や性質などを結び付けておく必要があります。

手ごろな資料が見つからないので、私が物質名を中国語訳、韓国語訳した対訳表を配っています。国の言葉の役を見ても何がなにやらわからない、という声もよく耳にします。確かにそうでしょう。その辺を歩いているおじさんやおばさんに、いきなり「ベンゼンって何ですか?」と聞いても答えは返ってこないでしょう。だから、有機化学になじみの薄い学生たちがカタカナ語の対訳を見てもやっぱりわからないままだというのは、当然なのです。

しかし、それで開き直っている暇はありません。国の言葉での名前は覚えずとも、日本語名はきちんと覚えていかなければ、志望校合格の目はありません。そのためのよすがになればと、対訳を配っているのです。対訳表としてではなく、物質名と構造式をつなげる表として使ってもらってもかまいません。いずれにしても、この表が有機化学の入り口ですから、足場をしっかり固めて、高いところに手が届くように体勢を作り上げていってもらいたいです。

7月27日(月)

初級クラスのGさんは、授業中「そんなことはわかってるよ」といわんばかりの態度を取り、先生方の評判がよくありません。今日は、先週の文法テストを返却してフィードバックをしましたから、この機会を利用して思い切り鼻をへし折ってやりました。

70点が合格点のテストで84点ですからね、悪くはないよっていう程度の成績です。わかっているつもりできちんと勉強していないから、思ったほど点が取れないのです。早いうちにたたいて、自分はできないんだ、わからないことがまだまだたくさんあるんだ、という自覚を持たせなければなりません。今ここでそういう自覚を持てば、これから伸びていく可能性も大いにあります。でも、大天狗様のままだったら、いずれ大けがをすることになるでしょう。

中途半端にできて、いい気になって、勉強をおろそかにしていると、正しい日本語、きちんとした言葉遣いが身に付きません。そして、それが本当に必要な受験本番で失敗するのです。そうならないうちに、自分のできなさ加減に気付かせるのも、教師の大事な仕事です。もちろん、学生を励まし勇気付けることも教師の根本をなす仕事ですが、自分の力を正確に伝え、現実の厳しさを教えることは、それ以上に大切だとも思います。

鼻がへし折れたのかどうかわかりませんが、今日のGさんはいつもより神妙に授業を受けていたように思います。少し謙虚になって、自分を見つめ直し、必要な勉強を確実にしていく気持ちになったでしょうか。

日本語文法脳

7月23日(木)

水曜木曜は初級クラスを教えますが、どちらのクラスも以前勉強したことを忘れてしまっている学生が多くて、頭が痛いところです。レベル2の学生は「ています」を使ってほしいところで使ってくれないし、レベル3の学生は「てしまいます」を使わずにちょっと間抜けな文を作ってしまいます。まあ、「てしまいます」は中級や上級の学生もなかなか使ってくれないんですけどね。

ほとんどの学生が、今、目の前の文法項目を使うことで精一杯なのです。習ったばかりの文法をどこでどう使うかばかりを考えていますから、以前に習った文法にまでは頭が回りません。でも、これじゃいけません。一段高いところに立ち、視野を広く持って、今までに勉強した文法や語彙を総合的に見渡して、最善の文の形を作っていってほしいです。

そうはいっても、「てしまいます」を使うべき場面かどうかが判断できなければ、いつまでたっても「てしまいます」が使えるようにはなりません。そこで、教師の地の言葉をじっくり観察してほしいのです。教師はそのクラスのレベルに合わせて既習の文法を使って話しますから、学生が耳を澄ませて教師の言葉を聞き取っていくと、「あっ、『てしまいます』こういうところで使うんだ」という発見が必ずあるはずです。そういう発見を1つでも多くした学生が、学生たちのよく言う「日本人のような日本語」に近づいていくのです。

そういうことをしていくうちに、頭の中に日本語文法のネットワークができ上がっていきます。このネットワークを手に入れれば、「てしまいます」も自然に出てくるようになります。私が教えている上級クラスには、そういう学生が何人かいます(残念ながら「何人か」でしかないのですが)。その何人かは実に自然な日本語を話します。例文もこなれています。よく英語耳って言いますが、さしずめ日本語文法脳を持ったと言えるでしょう。

せっかく日本に留学しているのですから、感度を最高にして、「あっ、こういうところで使うんだ」をどんどん見つけて、自分の頭を鍛えていってもらいたいです。

ウザイ役どころ

7月15日(水)

授業が始まり、出席を取って、連絡事項を伝え、宿題を返して、そのフィードバックをしたところで、Kさんが「病気ですから帰ります」と言い残して、早退してしまいました。事務の担当者の話によると、Kさんは来日してからひと月もたっていないのに、気ままな振る舞いが目立つとのことです。

Dさんは宿題をしてきません。漢字の宿題も文法の宿題も、未提出だったり、未完成のまま提出したりと、のらりくらりと宿題から逃げ出そうとしています。月曜日の漢字のテストも、勉強した形跡が見られず、クラスの最低点で不合格。来週水曜の文法テストが思いやられます。

この2人はどうも物見遊山的にKCPに通っているようです。サブカルか何かで日本に興味を持ち、それが高じて日本に留学したのでしょう。大学進学などというしっかりした目標があるわけでもなく、ただ単に日本での生活を楽しんでいることが、行動の端々にうかがえます。

確かに、自分の勉強した言葉が通じる外国を自由に歩けたら、自分の興味を持った文化にどっぷり漬かって暮らせたら、どんなに楽しいだろうと思います。KさんやDさんはそういう生活を送っているのでしょう。でも、貧乏性の私には、学校の授業料を捨てるようなもったいない行為にも見えます。

10年後、20年後、あるいは30年後のKさんやDさんは、自分の人生における2015年日本留学をどう位置づけるでしょうか。教えている側としては、単なる青春の思い出としてほしくはありません。たとえ短い期間であれ、実質的な成果を手にし、自分の人格の太い骨を形作った時期だったと思えるような留学にしてほしいのです。

古いと言われても私はそう考えます。そう考えて授業していきますから、KさんやDさんのような学生にするとウザイ感じがするかもしれません。そんなウザイ人間とも付き合うのが人生だとわかってもらうのが、私の役どころなのでしょうか。

壁を突き抜けて

7月9日(木)

各教室に久しぶりに顔を合わせた学生たちの歓声が響き、どの学生も希望で満ち溢れている始業日は、一種独特な雰囲気が感じられます。宿題を忘れたとか授業がわからないとかテストが不合格だったとか友達とけんかしたとか、そういうネガティブな要素がありませんから、今日のような曇り空ないしは小雨という天気でも、校舎内には明るさが感じられます。

私のクラスもそういう空気が詰まっていましたが、受験生の多いクラスで今から浮かれてもいられないので、現実に引き戻す話をたっぷりしました。「みんなの日本語」の文法を完全に使いこなせれば、どんな面接でも恐れるに足りないけれども、「みんなの日本語」に出てくる単語の2倍以上知っていても、JLPTのN3をとるのに必要な単語数にも遠く及ばないなんて話をしました。

すると、学生たちはとたんに意気消沈してしまいました。目の前に突然厚い壁が現れた感じだったかもしれません。でも、この壁を突き抜けた学生だけが、次の学期に中級へと進級できるのです。中級を担当した教師としても、ここをごまかしたままの学生は受け取りたくないです。先学期同じレベルのクラスを受け持ったとき、本当にそれを強く感じました。学期の最初で意気消沈したとしても、それをばねに伸び上がっていく勢いがないと、その人の日本語力はそこで打ち止めです。

ここまで考えると、先学期の私のクラスの学生たちはよくやったと思います。期末テスト直前でも3分の1ぐらいが壁に跳ね返されるんじゃないかと思っていたのですが、期末の日に休んで受けなかった学生以外、かろうじてではあっても合格点を取ったんですから。

はて、今学期の学生たちはどこまでやってくれるでしょうか。

看板

7月8日(水)

Bさんは私なんかと同年代と言っていいくらいの学生で、KCPの学生の中ではかなり年齢が高いです。だから、未成年と同じように扱われるのがどうも嫌なようです。ことにKCPは語学以外の躾も厳しく、学生の行動にあれこれ口を出します。また、Bさんぐらいの年齢となるとクラスの先生のほうが年下のことが多く、そういう先生から細かなことまで注意されることにストレスを感じているように見受けられました。

話し合ってみると、学生には学生の責務があり、学校の中では年下であろうとなんであろうと教師の指示に従うべきだと言います。こちらが訴え続けたことが多少は理解してもらえたようです。ただ、学校の中ではという点を強調していたようにも聞こえましたから、少なくとも学校の近辺ではKCPの看板を背負って歩いているのだということを忘れないでほしいとお願いしました。

昨日の夜、帰宅しようと学校を出て御苑の駅へ向かっていると、「先生、こんばんは」とDさんとLさんに挨拶されました。2人は旧校舎時代の卒業生で、進学先も卒業する頃ではないかと思います。学校の近くではそんな学生からも声をかけられます。また、学校近辺の店で買い物すると、店員から「先生、こんにちは」とにっこり笑いかけられることもよくあります。私の知らない顔の学生がいたるところでアルバイトをしています。

日本人からも、「このごろ学生さん、いませんね。学校、休み?」なんて声をかけられることも。わたしも、KCPの旗ざおを背中に差して歩いているのです。だから、Bさんも学校の中だけ「いい学生」では困るのです。地域の中で育ててもらっていると思ってもらわなければ困ります。Bさんはそのあたりをどこまでわかっているのだろうかと思いました。

さらにBさんは年長者ということで、若い学生に与える影響が強いです。自分は周りから見られているということを意識して行動してもらいたいです。明日から新学期。Bさんはどんな留学生活を送るのでしょうか。