おとなしさの陰に

7月9日(木)

新学期が始まりました。今学期の担当クラスは、大学受験の学生を集めたクラスです。6月のEJUが中止になり、11月に懸けている学生たちの切磋琢磨の場です。優れた素質を持った学生たちだということなので、KCPの看板にもなってもらいたいところです。

とはいえ、まだ粗削りなところがありますから、今学期中にどこまで鍛えられるかで学生の運命が決まります。教師が一人で張り切っても意味はなく、個々の学生の伸びようとする意志が必須です。初日の様子を見る限り、よく言えば内に秘めた闘志を感じ、悪く言えば覇気が表に出ていません。戦う集団に育ってくれるのだろうかという不安もよぎりました。

このクラスは通常の日本語の授業もしますが、進路指導もしていきます。EJUが先延ばしになったからと言って、のんびり構えられては困りますから、最初にガツンとという意味も含めて、2021年度外国人留学生入試の出願戦略について話しました。本当は、私が語るのではなく、学生たちと議論をしたかったのですが、闘志は内に秘められていますから、そこまでには至りませんでした。6月が中止になっただけに、自分たちが受験生だという自覚が湧いてきていないのかもしれません。

授業の後処理をして、お昼を食べて戻ってくると、東京の新規感染者が224人というではありませんか。緊急事態宣言の頃よりもひどい数字です。こんな状況が続くと、そもそもまともな入試が行われるかも危なくなってしまいます。大学だって、1年中オンライン授業かもしれません。アメリカはオンライン授業ばかりなら留学ビザを出さないそうですが、学生も留学した気にならないでしょうね。

将来に対するこんな不透明さが、学生をおとなしくさせていたのかもしれません。

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敬語

7月8日(水)

おとといに引き続き行った養成講座の授業のテーマは待遇表現。敬語が中心でした。敬語はみんなの日本語の49課と50課、初級の最後に勉強します。毎学期、学生たちが苦労させられるところです。でも、みんなの日本語レベルの敬語が使えれば、日本社会でそれなりにやっていけます。いや、49・50課を身に付けたら、“ガイジン”などと侮られることは絶対にないでしょう。

その敬語ですが、養成講座受講生のみなさんも、毎期、かなり苦労なさいます。尊敬語と謙譲語を混同するくらいは当たり前で、敬語の誤用訂正となると、ほとんどお手上げ状態ですね。社会経験のある方でも、そうそうすんなりいくものではありません。だって、KCPの教師ですら、よーく聞いてみると完璧とは言えませんからね。他人の敬語の間違いに気づいて一人でにやけている私みたいな人種が異常なのです。

毎回話題になるのは“おられる”です。「社長は会議室におられます」「先生はラウンジでくつろいでおられます」は、敬語という観点から正しいかどうかです。“目上の人がどこかにいる”または“目上の人が何かしている”という意味で“おられる”を使っていいかと聞かれたら、少なくとも私は絶対に使いません。

“おる”は“いる”の謙譲語です。その謙譲語を尊敬動詞にしたところで、根本のところでへりくだっているのですから、目上の人に対して敬意を表したことにはなりません。ただし、西日本では「どこにおったん(=どこにいたの)」「ちょっと子供見とって(見ておって=見ていて)」のように、謙譲とか尊敬とか関係なく“いる”の意味で“おる”を使います。ですから、西日本の方の“おられる”は、尊敬動詞と考えてもいいでしょう。

日本語教師を目指そうという、日本語に対する意識が高い方々にとってもこれぐらいややこしいのですから、学生がすぐには使えないのも当然です。明日から、また学生たちがそれに向かって挑戦していきます。

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塩素のにおい

7月7日(火)

あさってから新学期なので、午後から教室の消毒をしました。教職員が全教室を手分けして、いすや机をはじめ、学生・教師が触れそうなところを、消毒液でよく拭きました。毎日の授業後も消毒液を吹きかけていましたから、どうしようもなく汚れているということはなかったでしょう。しかし、最近、じわじわと感染者数が増えて来ていますから、念を入れておくに越したことはありません。

床とか窓とか、しゃがみこんだり伸び上がったりしないと手が届かない場所まで手掛けたわけではないのですが、うっすら汗をかくほどの仕事量でした。今学期は始業日までに新入生が大挙してやってくることはありませんから、学期前の準備も比較的楽でした。ですから、ちょっと額に汗するくらいで、新学期を迎えるにふさわしい雰囲気になります。お正月を迎えるにあたって大掃除をするようなものでしょうか。

九州の大雨に見舞われた地域に比べれば、教室の消毒なんてゴミみたいなものです。家の中を濁流が通り抜けたんですよ。倒木やら車やら、果ては隣の家まで流れ込んできたんですよ。畳も家具も衣類も家電製品も台所用品も仕事道具もみんな泥水に浸かっちゃったんですよ。消毒液でちょちょいと拭けば終わりじゃありません。

大きな被害を受けた熊本県人吉市へは、5年ほど前の夏休みに行きました。鎌倉時代から続く相良氏の城下町で、街の人たちはその歴史に誇りを持っています。また、熊本県唯一の国宝・青井阿蘇神社は風格を感じさせる拝殿を持っていますが、球磨川のほとりと言ってもいいところにありますから、被害が心配です。

消毒後の教室には、かすかに塩素のにおいが残っていました。人吉のみなさんは塩素まみれになるくらいに消毒をするところから立ち上がるんだろうなと思いました。七夕の夜も、人吉には雨が降っているようです。

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ご無沙汰してました

7月6日(月)

前回の出勤が6月23日ですから、実に13日ぶりの出勤です。去年の10連休以上に休んでしまいました。厳密にいうと、7月2日に病院へ行く道すがらちょっとだけ顔を出しましたから、この間まるっきり学校に近づかなかったわけではありません。

さて、再起動最初の仕事は養成講座の講義でした。私が担当しているのは演習や実習ではなく講義形式ですから、オンラインです。オンラインだとマスクもフェイスシールドも必要なく、鬱陶しい思いをしなくて済みます。窓も開けなくていいので、隣のビル工事の騒音にも悩まされません。ZOOMの使い方にも慣れてきましたから、椅子に腰かけてのんびり授業ができるようになりました。

日本語の先生になりたいというくらいの方たちですから、けっこう活発に意見や質問が出てきます。日本語に対する勘もよさそうで、5月までの講義は予想以上に進みました。ですから、今月からの講義はあれこれ考えてもらうパートを増やし、私の話が上滑りしないように、3歩進んで2歩下がるくらいの構えでいこうと思っています。

次の講義はあさってです。休みの前に集めておいた資料を読み込んで、受講生の知的好奇心を触発するような講義を作り上げたいと思っています。だけど、次回は敬語が中心ですから、今までの経験からいうと、いかに優秀な受講生でも、講義を楽しむより敬語の忘れっぷりに愕然とすることが多いようです。ボコボコにならないように予習してくるように言っておきました。受講生のみなさんも巣ごもりの日々でしょうから、その暇つぶしに取り組んでくれるのではないかと期待しています。

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厳しい戦い

6月23日(火)

昼食から戻って職員室で仕事をしていると、スーツ姿の見慣れぬ若者が入ってきました。新しい先生が来るという話も聞いていないし、このご時世ですから新入生という線も考えにくいです。それに、私の方を見て妙になれなれしく微笑みかけています。私の顔がよっぽど怪訝そうだったのでしょうか、マスクを外してくれました。笑顔の元が見えました。小さめの歯が隙間なく生えそろった口元は、まぎれもなく卒業生のYさんのものでした。

Yさんは、就活の真っ最中です。やはり、コロナの影響はかなりあるらしく、「採用は厳しい」とはっきり言われることもあるそうです。オンライン面接でも通常の面接でも、難しさは変わりないと言っていました。2種類の難しさのポイントが違う面接をこなさなければならないのですから、去年までの就活生より精神的にきついんじゃないでしょうか。

大学で何が一番大変かと聞いたら、「論文」と即答が返ってきました。Yさんの先生は、論文に関しては一家言ある方のようで、3年生の時に出した論文はボコボコにされたそうです。そういう厳しい訓練を受けたおかげでしょうか、Yさんが使う語彙は社会人のものになっていました。専門分野についても、今の社会についても、実のある議論ができる実力が備わっています。私はいわば身内の人間ですから採点が甘いのかもしれませんが、こんな学生を採ったら、その企業は10年後にきっといい人材を採ったと思うことでしょう。

去年の今頃は、世界中のだれもが1年後にこんな状況になっているなんて、夢想だにしませんでした。Yさんの同級生たちは、みんなどこかで就活に苦戦していることでしょう。どうにか勝ち抜いてほしいと、ひたすら願うのみです。

さて、私は、明日から遅ればせながらのゴールデンウィークと、少々早めの夏休みをいただきます。このブログも、しばらくお休みです。

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6月22日(月)

朝から雨で気温が上がらず、先週風邪で休んだSさんは、厚手のセーターを着ていました。換気のため窓とドアを開け放った教室は風通しがよすぎて、Sさんぐらいの服装がちょうどよかったかもしれません。

私は漢字の採点を担当しました。平均点は70点前後で、去年までの期末テストと大差がありません。満点に近い学生もいれば、1桁の学生もいます。同じレベルでもずいぶん差がつくものだというのも、いつもの学期の感想と同じです。ただ、今回は、中間テストと比べると、大半の学生が大きく成績を下げていました。

中間テストのころは、まだ全面的にオンライン授業でしたから、中間テストもオンラインで実施されました。どういう出題のしかたをしたかは詳しくはわかりませんが、スマホやタブレットで答えられるような出題方式だったことは確かです。中間テストは電子的に答え、期末テストは手書きで答えたのです。この差が、多くの学生の成績が下がった理由にほかなりません。

ここで考えなければならないことは、学生の実力をより正確に表しているのはどちらの方式かということです。それを判定するには、学生に求められる漢字力はどちらの方式で測った力に近いかです。ここまで考えると、紙に鉛筆で漢字やその読み方を書く方式が優れているとは言い切れないような気がします。

現在は、ワープロで文字を書くのが標準です。私も、この稿もそうですが、手書きで文章を書くなどめったにありません。それこそ、学生の作文を添削するときぐらいでしょう。となると、おそらく選択式だったオンラインの漢字テストの方がより現実的な漢字力を見ていると言えないこともありません。

これからは、テストの出題方式も成績の算出法も、考え直さなければならないでしょう。これもまた、コロナ後の1つの表情でしょう。

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6月20日(土)

午前中は受験講座EJU、今学期最後の授業をしました。学期初めの計画では、「明日はいよいよEJU本番です。この授業を通して伸ばしてきた実力を発揮すれば、きっといい成績が取れるでしょう。今晩は早めに寝て、明日に備えてください」なんて挨拶をするはずだったのですが、肝心のEJUが中止になってしまい、はなはだしい空振りになってしまいました。

やはり、EJU中止が本決まりになってから、目標を見失ったのか、参加しなくなった学生が何名かいました。次の目標が5か月先となると、気も抜けてしまいますよね。だからこそ、最後まで休まずに出席し続けた学生たちの方をほめるべきでしょうか。

このEJUの中止について、今週になって朝日新聞が取り上げました。その少し前には、神戸新聞も取り上げています。でも、それ以上の広がりはありませんでした。世間の人々にとっては、大学入学共通テストの日程追加や、文科省が各大学に入試範囲の縮小を依頼したことが大きなニュースです。留学生よりうちの息子や隣のうちのお嬢さんです。

日本人の高校生が受ける入試は、こういう形でコロナ禍による授業の遅れへの配慮が見られます。留学生入試はどうなのでしょう。自粛で家にこもりっきりだった今年の日本語学校生は、去年までの学生に比べて発話力が弱いです。例年と同じ基準でばっさり切られてしまうと、留学生にとっては辛いですね。量より質ということで、定員厳格化もあり、情け容赦なくやられてしまうのではないかと、教師も落ち着きません。

同時に、日本に残っている日本語学校生も少なくなっているはずですから、案外楽には入れちゃうんじゃないかと、甘い期待も寄せています。しっかり見極めていかなければなりません。

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会話が弾む

6月19日(金)

午前の授業が終わった後、アメリカの大学のプログラムできている学生の面接テストをしました。月曜日に行われる文法や読解などのペーパーテストのほかに、このプログラムでは会話力も測定します。

私が担当した2名はどちらも上級の学生でした。マスク越しというハンデがあるにもかかわらず、発音が不明瞭になることもなく、あっという間に規定の時間が過ぎました。さすがに上級ですね。手加減せずに話しかけてもこちらの言っていることをきちんと理解し、適切な応答をしました。自分で会話を膨らませていくすべも身に付けていて、話がどんどん広がっていきました。

もちろん、ミスが皆無だったわけではありません。しかし、聞き手である私に誤解を与えるような間違え方ではなく、コミュニケーションを取る上では何の支障にもなりませんでした。陰険な日本語教師が相手だから重箱の隅をほじくり回して小骨の先っぽのような異物を摘出しますが、普通の日本人だったら気づかなかったかもしれません。私が今学期教えた中級の学生たちも、あと1学期か2学期のうちにこのくらいまで話せるようになってくれたらと思いました。でも、たぶん無理だろうなあ…。

Sさんは、納豆以外の和食はすべて食べられると豪語しました。自分以外はみんな日本人という会社への就職が決まっています。Sさんの会話力なら十分務まるでしょう。

Cさんは明治大正時代の日本史・日本文化、特に建築に興味があると言いました。具体的にどんな建築かと聞くと、きちんと答えが返ってきました。大学でその方面の勉強をするそうです。

しっかりした目標と興味を持っているからこそ、日本語の勉強にも身が入り、力がどんどん伸びたのでしょう。漢字の国ではないところから来て、初級で入学し、順調に進級してきているのです。立派なものです。

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3週連続作文

6月18日(木)

オンライン授業が続いたせいかどうかわかりませんが、私が教えている中級レベルは、どのクラスも作文の出来がもう一つです。それゆえ、期末直前の授業にもかかわらず、作文を書かせました。課題は昨日のオンライン授業で出されているので、自分で作ったメモの参考に原稿用紙のマス目を埋めていくだけだったのですが…。

まず、クラスでいちばんよくできるはずのXさんが、「先生、タイトルは何ですか」と聞いてきました。Xさんにすら課題がよく伝わっていないのかと思って、「えっ? 昨日、O先生が何を書くか説明したでしょ」と言いながら、課題の説明をしました。でも、そうじゃなくて、その課題について原稿用紙に書く時、どういうタイトルにしたらいいかということのようでした。

私が学期の最初から作文を担当していたら、「私が読みたくなるようなタイトルを付けてください」と言い続けます。最初の対面授業の時にも言ったのですが、十分に浸透していませんでした。改めてそう指示して、回収した作文を見てみましたが、どれも似たり寄ったりでした。

作文の中身はというと、論旨はそれなりに通っていても、使っている言葉が難しすぎて、かえって訴える力が弱くなってしまった文章が目立ちました。作文のメモを作ってくることが宿題でしたから、学生たちは張り切って辞書を引きまくって難しい言葉を見つけ出し、それを使ったのでしょう。残念ながら、その多くが失敗でした。言ってみれば向こう傷ですから、大丈夫とかダメとかの連発よりは評価しなければならないかもしれません。

このクラスの学生は、半数近くが6月のEJUが受けられず、11月に勝負をかけます。11月の結果を使う大学でも、入試自体はその前に行われることもあります。500字のEJUの記述試験より前に、1000字の小論文を書かなければならないケースも十分考えられます。そういう意味で、次の学期が、学生たちも私たちも、正念場です。

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アンケート

6月17日(水)

留学生に推薦したい専門学校・大学・大学院を挙げてほしいというアンケートが来ました。確かに私は学生の進路指導もしていますが、日本全国の専門学校・大学・大学院を知り尽くしているわけではありません。まさに管見の及ぶ限りで答えるほかありません。

私が持っている管は、各校の留学生担当の方や、何かの折に見た学校の様子や、卒業生から聞いた話や、一般に報じられている各校に関わるニュース程度です。私自身、専門学校や大学に対して何の影響力も持っていませんから、特別なパイプを握ってもいません。こんな狭い視野から見た評価を答えてしまっていいのだろうかと思いつつ、用紙に記入しました。

まず選んだのが、進学した学生がいい学校だと言っているところです。学生自身、志望校選びの際には情報収集に努め、それなりに取捨選択した結果が、現在の在籍校です。しかし、第一志望校に進学したはずなのに不満を述べる学生もいます。そういう学校は見掛け倒しなんだなあと思います。逆に、滑り止めくらいの気持ちで受かったところに進学せざるを得なくなった学生から、「後輩にぜひ薦めてください」と言われる学校は、きっと人生を豊かにできる留学ができるところだと思います。

私なりの“いい学校”の判断基準に、入試問題の質があります。その問題を解くことによって、受験生に新たな視点が生まれるような出題をする学校は、きっと学生を伸ばしてくれるだろうと思います。おざなりだと感じられるような問題や、落とすためとしか思えないような問題や、問題のための問題みたいな問題や、いわゆるクソ問題を平気で出してくるようなところは評価が低くなります。

来学期になったら、進路指導が本格化します。今年は今までとは違う条件で戦うことになりますから、こちらとしても怠りなく研究し続けねばなりません。というか、もう、ちびちびろ情報を集め始めています。

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