私は誰ですか

1月23日(木)

初級のクラスだと、学期が始まって1週間もすると、どの学生もクラスメートの名前を覚えるものです。自己紹介そのものが教材になっていて、何回もしているうちにお互いの顔と名前が頭に入ってしまうという面もあります。それ以外にも、発話練習でペアになった学生の名前を呼ぶ場面が多いので、いわば反復練習をしているようなものなのです。

しかし、中級、上級、超級と進むにつれて、そういう友達の名前を呼ぶチャンスが減ってきます。発話内容は抽象的かつ高度なものになりますが、それに反比例して、クラスメートの名前を意識することがなくなってきます。また、進路の方向が違う学生とはあまり話さなくなります。ことに最近の学生は第一の親友がスマホですから、なおのことその傾向が強いです。今学期木曜日に受け持っているクラスの学生たちにもこの傾きが多分に感じられ、ちょっとおせっかいを焼くことにしました。

まず、席が隣同士でない(≒友達付き合いをしていない)学生を強制的に2~3人組にし、お互いの顔と名前を覚えさせます。次にそのグループを2つずつまとめ、規模を倍にして同じことをさせます。2人組だったらたまたま旧知の仲という例もありますが、4人となると1人ぐらいは話したことのない学生が混じるものです。これを繰り返し、最後にクラス全員の顔と名前を一致させます。

Wさんはクラスの学生の名前を完璧に覚えました。しかし、Pさんは人の名前を覚えるのが苦手だと言い、半分あきらめ気味。自信ありげなCさんをテストしてみると、実はボロボロ。口数が少ないSさんが、意外によく知っていました。

卒業式まであっという間ですが、だからこそ、仲良く密度濃くやってもらいたいです。

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集中

1月22日(水)

学生たちはしわぶき1つせず黙々と卒業文集の清書をしています。専用の原稿用紙に黒のフリクションではないボールペンで書くのですから、失敗は許されません。だから、おちゃらけた態度にならないのはわかりますが、これほどまで集中するクラスは珍しいです。

先週の水曜日に下書きを書いてもらって以来、昨日までかかって添削しました。日本の生活の苦労、勉強ができなかった苦しみ、新しい友達ができた喜び、未知の世界を垣間見た驚き、将来の夢、何年か後の自分への手紙、来日直前の自分へのアドバイスなど、実にバラエティーに富んでいました。

どの学生も何らかの形で挫折を味わい、それを克服して、今、こうして卒業を目の前にしているのです。来日したばかりのころに比べれば、何倍も強くなったはずです。だからこそ、かつての自分にアドバイスができ、将来の自分に「初心を忘れるな」なんてメッセージが送れるのです。

緊張気味の表情で原稿用紙に向き合っている学生を眺めながら、この学生たちと同時期に入学して、すでに帰国した学生たちのことを思い出しました。日本の生活になじめなかったり、日本語の壁が乗り越えられなかったり、誘惑に負け続けたり、健康を害したり、志半ばで帰国した学生たちが敗北感一色になっていないことを祈るばかりです。

今ここで清書に集中している学生たちも、これがゴールではありません。4月以降、私学したら、今まで以上の試練が待ち受けているに違いありません。その試練を切り抜けるだけの基礎学力と常識と精神力を、私たちは授けてきたつもりです。顔を伏せてボールペンを動かしている学生たちを、卒業後も陰ながら応援していきます。

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処置なし

1月21日(火)

久しぶりにKさんに会いました。それだけ派手に学校を休んでいたということでもあるんですが、来て売れただけありがたいと思わなければなりません。

Kさんがなぜ欠席するかと言えば、学校が面白くないからです。日本語の勉強よりも面白いことを学校外で見つけてしまったからです。先学期A大学に受かっていますから、受験の心配もありません。元々勉強が嫌いだったようで、しなくてもいいならしないで済ませたいと思っています。

もちろん、休み続けると進学してからビザが延長できなくなりますから、全然学校へ来ないという危ない橋はわたりません。じゃあ学校へ来たときはどうするかというと、教室でひたすらスマホをいじり、ただただ授業が終わるのを待ちます。予習を前提に授業を進めていますが、予習などしてくるはずがありません。指名されると、隣の学生に答えを教えてもらってどうにか答えます。

教師に注意されたから直そうなどという殊勝な心掛けなど全くありません。注意すればしただけクラスの雰囲気が暗く重くなります。スマホをやめても寝るだけです。マイナスのオーラをまき散らしまくっています。そもそも、筆記用具すら持って来ないのですから、遊びに行くついでに学校に寄ったというのが実情でしょう。

Kさんを振り向かせるために一大奮起をしたとなれば美談になりますが、私はそこまで熱血な教師ではありません。Kさん以外にも情熱を傾けねばならない学生が大勢います。例えば、Kさんよりも先に、昨日この稿に書いたWさんの夢をかなえるためなら時間を割きたいです。

Kさんは、おそらくバス旅行にもいかないんだろうな…。

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思いが空回り

1月20日(月)

今学期から受験講座に参加しているWさんは、理科系の大学を目指しています。しかし、日本語がまだ初級なので、物理や化学の話を聞いて理解するのはかなり難儀なようです。一般に、条件形や受身などを習って間もない時点で受験講座の先生たちの授業についていこうとすると、授業時間中かなりの集中力を要します。終業のチャイムが鳴るや否や学生たちが机に倒れ込むのもよくわかります。全精力を使い果たしたのでしょう。

それに加え、Wさんは数学や物理や化学の基礎が全然入っていません。国の学校であまり深く勉強してこなかったようです。私が担当している物理と化学では、同じ初級クラスの同国人のLさんに母語で教えてもらっていました。それでも理解が進んでいるようには見えませんでした。数学も同様で、S先生がわざわざ私に報告なさるくらいできないようです。

理科の場合、基礎から懇切丁寧にと思っても、相手の日本語力がある程度にまで達していないと、こちらの思いが伝えられません。学生たちの文法レベルに合わせて説明しようと思うと、長ったらしくまだるっこい話になってしまいます。図を描いたり式で示したりすればわかることも多いのですが、そのためには学生たちの国と日本とで図や式の表現方法が同じである必要があります。何らかの共通言語(に代わるもの)がほしいのです。

残念ながら、Wさんは国の学校でそういう勉強をしてこなかったようで、私との間に理科に関する共通言語がありません。おそらく、母語で勉強するにしても、ゼロスタートではないかと思います。となると、理科系の大学に進学したいという思いばかりが募り、実力が伴わないままになりそうです。どこの大学にも入れないという最悪の事態も想像されます。

Wさんのことを思えば、「君には理科系は無理だ」と今すぐ引導を渡すべきでしょう。Wさんの夢をつぶすようで辛い役目ではありますが、ここで理科系に妙にこだわって無為の時を過ごさせてはいけません。

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責任

1月17日(金)

講堂のステージ上の演壇に立つと、知っている顔やどこかで見かけたような顔やそういえば入学しにいたよねっていう顔など、さまざまな顔が一斉にこちらを向きました。中には「えっ、なんでお前が?」っていうようなのまで混じっていました。これから入試の面接かというようなスーツ姿もいれば、寝巻を着てきたのかと聞きたくなるようなお気楽ないでたちもいました。昨日、いい服を着て来いと注意しておいたはずなのになあ。

そういう学生たちに向かって、責任とは何かという話をしました。盛んにうなずいているのは中級か上級の学生、ポカンとしているのはおそらく初級の学生でしょう。卒業式みたいにみんなが日本語を理解できるか、入学式みたいに大多数に日本が通じないかなら話は楽ですが、このような混成チームを相手にするとなると、どこに照準を合わせたらいいか気を使います。

責任とは、自分で判断し、決定し、行動するから生まれるのです。行動した結果に対して責任を感じなければならないとしたほうが正しいでしょうか。そして、正しい判断や決定ができるようになるために勉強するのであり、広い目で物事がとらえられるようにとわざわざ万里の波濤を乗り越えて日本まで留学に来たのです。そのチャンスをあだやおろそかにしてはいけません。

それからもう1つ、自分のためだけではなく、他人のために働ける人に育ってほしいとも期待を述べました。一人っ子でわがままに育てられてきたとしても、そういうことはだんだん許されなくなります。誰かのために汗が流せるようになることが、成長の証です。

そんなことを、かみ砕いた言葉も交えて、学生たちに贈りました。40年前の新成人の訴えは通じたでしょうか。KCPでは、世間から4日遅れた成人式がありました。

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短く

1月16日(木)

授業後、もうすぐ入試のNさんが面接の受け方を聞きに来ました。“いまさら”なのですが、中級のNさんはもう1年KCPで勉強するつもりでいますから、今回は練習だと言います。まあ、それでもいいですが、受かると信じて受けなければ、本当に受かりませんよ。

それはともかく、練習というだけあって、Nさんの面接の受け答えは、とにかく要領が悪いです。一生懸命しゃべっているのですが、一生懸命すぎて話がやたらに長いのです。放っておくと、3分ぐらいだらだらと平気に話し続けます。中級ぐらいの実力でそんなに長い時間しゃべっていると、話の筋がどんどんずれていきます。そのため、いつの間にか質問の主旨が忘れ去られ、あさっての答えになってしまうものです。Nさんはその典型と言っていいでしょう。

こちらもまた面接初心者によくあるパターンですが、「雰囲気がいいですからこの大学にしました」的な、漠然とした抽象的な、私でも答えられちゃうような答えを連発していました。しかもしまりなく長々とですから、面接官は絶対に途中で答えを切るでしょうね。答えを切られたら、Nさんは焦ってしまい、さらにもっと答えが長くなり、負のスパイラルを描きながらドツボに陥っていくでしょう。

Nさんには、答えは30秒以内と厳命しました。本当は15秒と言いたいところですが、そんなことを言ったら、Nさんは気絶してしまうでしょう。それから、面接はコミュニケーションだとも言い聞かせました。論文発表会じゃありませんから、一方的に何分もしゃべり続けてはいけません。また、自己アピールの場でもありますから、寸鉄人を刺すような表現が理想です。

次に会う時、Nさんはどんな顔つきをしているでしょうか。

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はなむけのテスト

1月15日(水)

今学期、私が受け持っているレベルでは、毎日漢字テストをすることにしました。前日に勉強した漢字の読みを書くテスト続けていきます。

そういうわけで、朝一番で昨日勉強した漢字のテストをしました。読み問題だけなので100点続出かと思いきや、満点はわずかに2名でした。書き問題は出さないと宣言したのが裏目に出たようです。油断して、詰めが甘くなったと思われる答案が多数ありました。

でも、こうなることを少しは予想していました。多くの学生が間違えたのが、長音か濁音がかかわる問題でした。みんな、音読するときにそこまで細かく注意しないんですね。漢語の意味さえつかんでいればそれで十分だと思っているのです。しかし、読み方がいい加減だと、ワープロで漢字変換ができませんから、文章が書けません。最近のソフトはだいぶ進歩していますから、読み方が間違っていても全然書けないことはないと思いますが、能率は低下するでしょう。

私のクラスの学生たちに限りませんが、学生たちが書いて持って来る志望理由書には、不思議な間違いがよく見られます。つい最近は「…堅固にも気を付け…」という一節がありました。何だと思います? 前後の文脈からすると、「…健康にも気を付け…」なのです。“けんこう”を“けんご”としてしまう――まさに、長音と濁音がもろに関わっています。その誤字を見過ごしてそのまま私に見せるというのもいかがなものかとも思いますが、超級クラスの学生でもこんなものです。こういうのをどうにか改善したくて、それこそが卒業していく学生たちへの最大の贈り物だと思い、毎日漢字テストをしようと思い立ったのです。

明日の分のテスト問題を印刷しました。満点が少しでも増えてくれないでしょうか。

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喫煙厳禁

1月14日(火)

学校の中で、今年になってから一番大きく変わったのは、喫煙のルールです。地下にあった喫煙室が廃止になり、校内は完全禁煙となりました。健康増進法の改正に伴うもので、4月から法律的に学校や病院などの全面禁煙化を先取りし、KCPの敷地内は、建物の内も外も、たばこを吸えなくしました。

新宿区は路上喫煙も禁止ですから、学校の前と言えども道で吸うこともできません。花園公園も公共施設ですから禁煙です。付近のビルや駐車場は私有地ですから、たばこを吸いに立ち入ったりしようものなら、不法侵入となってしまいます。

要するに、KCPにいる間はたばこが吸えない、たばこを吸うなということです。学生たちの家から学校までの間も、たばこが吸えそうな場所はほとんどないんじゃないでしょうか。喫煙者にはつらいご時世となりましたが、たばこ1本で寿命が4分縮まるとか言われていますから、これを機に潔く禁煙に踏み切るのが正解だと思います。

さて、廃止した喫煙室ですが、壁やら天井やら、この校舎ができて5年余りの間のやにがこびりついてまっ茶色でした。これをきれいにしてもらうのに結構なお金がかかりました。喫煙室を使った卒業生たちに請求したいくらいです。

喫煙室の換気扇から排出される空気は、たばこ臭くてかないませんでした。休み時間になるたびにそれを吸わされていた私たちは、まさに受動喫煙そのものでした。喫煙室が満員だからと言って、外の吸ってはいけないところで吸っていた学生をどれだけ説教したことか。運動会やバス旅行やBBQなどでどれほど喫煙者に気を使っているか。喫煙者はコスト以外の何物でもありません。

たばこなんか、税金の塊を燃やしているようなものなのに、どうして吸うのでしょう。私は喫煙経験がありませんから、その辺の心理が理解できません。校内全面禁煙化をきっかけとして、“留学生活=きれいな肺”という公式を作っていきたいです。

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才能格差

1月11日(土)

Aさんは、アメリカの大学のプログラムで、今学期KCPに入学しました。でも、日本語はぺらぺらというに等しく、他の学生に、頭1つどころか体2つ分ぐらい差をつけています。

Aさんに話を聞くと、勉強のきっかけは日本のアニメだそうですから、これはよくある話です。当然、大学で日本語を専攻したか何かだろうと思っていたら、完全に独学だということで、とてもびっくりしました。そういう人は得てしてJLPTの問題は解けるけど話せないというパターンなのですが、Aさんは全然違います。話し慣れている感じがしました。Aさんの町にいた日本人と話していたそうです。日本は観光旅行で訪れたことがあり、初めてではないと言っていました。それだからなのかどうかわかりませんが、話し方に妙な癖がありません。

いろいろと恵まれた環境にあったのでしょうが、学校のような系統的に勉強する機関に属することなく、ここまで自然な日本語が使えるとは、Aさんは語学にたけていることは疑いようがありません。耳もいいのでしょうし、聞いた音をそのまま再現できる能力も、覚えた文法を応用していく力も、単語を覚えていく力も有り余るほどあるに違いありません。一を聞いて十を知るという頭脳なのでしょう。

このAさんに比べると、一生懸命勉強しているのにさっぱり伸びない学生は気の毒になってきます。こんなことを言ったら教師の敗北なのですが、日本語学習に向いていない学生って、やっぱりいるとおもいます。日本語につぎ込んでいる力を別の方面に向けた方がきっと幸せなのだろうなと思う学生もいます。

さて、新学期が始まります。学生全員がAさんだったら教師は楽なことこの上ありませんが、現実は学生に苦労を強いる側に回ることが多いです。KCPで日本語を深掘りしたいと抱負を語っていたAさんの横顔を見ながら、艱難辛苦に耐えている多くの学生たちの、眉間にしわを寄せた表情を思い浮かべました。

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入学式挨拶

みなさん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの若い方々が世界中からこのKCPに集まってきてくれたことをうれしく思います。

今、日本は大学入試を大きく変えようとしています。大学に進学しようと考えている日本の高校生の大半が受けるテストで、一部をマークシート方式から記述式にしようというものです。なぜこのような変更が行われようとしているかというと、受験生の考える力を測定したいからです。マークシート方式は、客観的な採点ができて公平であり、また、機械で採点できますから省力化も図れます。しかし、暗記で答えられたり、受験のテクニックが通用したりしますから、受験生の本当の力は見られないという批判がありました。こういった批判に応えるため、記述式を導入しようとしているのです。

日本人の高校生が受けるテストなので、留学生のみなさんには一見無関係のように感じられますが、日本の大学が求めている人材が変わりつつあるという点においては、みなさんにも大いに影響があるのです。つまり、目の前の課題に対して自分で考えて結論を導き出し、それを他人にわかるように表現する力が求められるようになるのです。出題者から与えられた答えを選ぶのではなく、自分で答えを導き出せる人物こそが、これからの日本や世界を支える人材だという認識に立って、大学は受験生の能力を吟味します。

“グローバル”という言葉が世の中に出てからかなりの時間が経ちます。その間、世界に横たわる問題は複雑化する一方で、超大国のリーダーが額を寄せ合っても問題の解決には至らないことが多くなりました。そこまで大きな問題ではなくても、多様化した人々の心を満たすのは、マークシート的な発想では無理でしょう。もちろん、迫りくるAIの影を振り払うには、人間の頭脳にしかできない複合的な思考力が必須です。

みなさんは国でどういう勉強をしてきましたか。考える訓練をしてきましたか。それとも、受験のテクニックを身に付ける練習をしてきましたか。確かに、EJUはマークシート方式です。受験のテクニックで解けてしまう問題もあります。マークシート方式のテストの特性に合わせた勉強だけで結構な点数を取って進学していった学生も実際にいます。しかし、そういう学生たちは、考えに考えて自分なりの答えにたどり着き、それを関係する人々に示し、議論し、より高い次元の問題解決へと登っていく人材を育成する教育に耐えられるでしょうか。

大学院に進もうと考えているみなさんには、大学進学希望者以上にこういう頭脳が要求されます。真の研究には模範解答などないのですから。道なき道を歩むことが、道を切り開きながら前進することが、大学院における研究です。研究の結果、ネガティブな結論に達することもあるでしょう。しかし、それもまた、立派な研究成果なのです。それを乗り越えて新たな地平に光明を見出すには、マークシート的思考では力不足です。

KCPでは、みなさんにこうした普遍的な力をつけてもらうべく、日本語での思考力を鍛える授業に取り組んでいます。時には何かを暗記させることもありますが、それはその彼方にある思考力を得るための一里塚なのです。

みなさん、真の思考力を身に付けて、私たちと日本語で議論しませんか。みなさんがそういう力をつけてもらうためとあれば、我々教職員一同は努力や支援を惜しみません。そして、みなさんと実際に議論できる日を、首を長くして待っております。

本日は、ご入学本当におめでとうございました。

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