初戦をものにせよ

6月19日(水)

留学生入試のトップを切って、早稲田大学の出願がもうすぐ始まります。そこで、志願者を集めて、卒業証明書など出願書類を点検し、志願表などの作成の注意点を伝えました。

今までいろいろな先生から何度も言われているはずなのに、「必着」の意味がよくわかっていない学生がいました。大学に直接持っていくなどと言っていましたが、入試要項には大学窓口では一切受け付けないとしっかり書かれています。1人の学生を救いました。

受験料の納め方にも質問が来ました。学生たちの出身国は日本より現金を使うことが少ないので、カードやアリペイなどで払うと思っていたら、みんなコンビニで現金で払うとのことで、ちょっとびっくりしました。

みんな志望理由書はこれからだそうです。ペンで書かなければならないので、間違えた時に修正テープを使ってもいいかというのが気になる点です。ダメとはどこにも書いてありませんが、日本人の心理としては、好ましい心証にはならないだろうと答えておきました。800字以上の文章を、精神を集中させて所定の原稿用紙に書かなければなりません。私もあまりしたい仕事ではありません。

早稲田大学は出願書類を電子的に作成するのですが、志望理由書だけは手書きを求めます。ワープロで書かれた文章からは漂ってこない志願者の体臭を感じたいのでしょうか。すべてキーボード入力で済ませられるとなると、志願者の本気度が盛り上がらないように思えます。一画一画丁寧に原稿用紙に刻み込むことによって、早稲田大学で学ぼうという気持ちが高まりそうな気がします。

26日必着ですから、遅くとも25日には郵便局へ持ち込まなければなりません。2020年度入試の初戦が始まりました。

外を見ろ

6月18日(火)

京都の大学の説明会を開きました。個々の大学の説明に先立って、京都市の留学生担当の方が、京都に留学する意義について話してくださいました。京都市の留学生に対する支援がとても手厚いことがよくわかりました。また、京都の大学全体が留学生を積極的に受け入れていこうとしていることも強く感じさせられました。

京都は、京大をはじめ、大学の街、学生の街というイメージがあります。市の人口の1割が大学生だそうですから、本当にそうなのです。同時に、市民も大学生を受け入れている、やさしく包み込んでいる感じがします。大学生は4年間しか京都で暮らさないかもしれないけれども、京都市民はよそから来た大学生に対して、その4年間、それこそ“おもてなし”の気持ちで接しているのでしょう。その延長線上に、留学生への支援体制があります。

京都は、明治維新後に天皇が東京に動座して、街が寂れかけた時、琵琶湖疎水をつくり、東山から市街地への落差を利用して水力発電を行い、その電力によって日本初の市街電車を誕生させました。このように、新しい文物を他に先んじて取り入れる気質もあります。だから、他の都市よりも一歩進んで留学生をドーンと受け入れようとしているのだと思います。

東京は、何もしなくても留学生が集まってくると思っているでしょうから、京都ほど留学生に対してフレンドリーではないような気がします。よーく探せば留学生支援策も見えてくるのでしょうが、東京都とかが音頭を取って京都市のように大学を取りまとめるというところには至っていません。もっとも、東京は大学が多すぎて、取りまとめる労力がとんでもなくかかってしまうのかもしれませんが。

何はともあれ、説明会に参加した学生たちは、京都の大学や京都で留学生活を送ることを真剣に考えてみるきっかけを得たようです。これを機に、東京から目を外に向けてくれればと思っています。

いつ使う

6月17日(月)

いよいよ今学期も最終週を迎えました。各レベルで期末タスクが盛んに行われる時期です。

私のクラスは、会話テストがありました。課題を与え、ペアで会話を作ります。今学期勉強した文法や語彙を使い、ストーリーをきちんと締めくくることが求められます。自然消滅とか単なる雑談とかけんか別れとかは点数になりません。会話テストですから、もちろん、発音の良さも評価項目の1つです。

どのグループも概してよくできていましたが、敬語を上手に使っていたグループが目立ちました。習ってから間がない文法項目ですし、学生たちの印象も強かったのでしょう。文法テストで散々苦労させられたという面も見逃せません。実際の会話においても、自然に敬語が出てくるようになれば、私も教えた甲斐があるというものですが、果たしてそれはどうでしょう。

逆に学生たちがあまり使わなかったのは、「どこに置いたか忘れてしまった」のような、疑問文を文の中に組み込んだ文型です。「どこに置きましたか。忘れちゃったなあ」とかってごまかしていました。それから、使役も使ってほしいところで使ってくれなかったなあ。テストが過ぎたら、きっと使わなくなってしまったんでしょう。

こういった文法が自然に出てくるのは、中級や上級でもまれてからでしょう。私のクラスの学生たちは、ようやく「~てしまいます」が使うべきところで出てくるようになったばかりです。現在進行形じゃない「~ています」も、少しずつ使えるようになってきたところです。受身はまだまだですね。

これは、教師の側の課題でもあります。目標とする文法項目を使わせようと仕組んだ練習の中ではなく、普通の何気ない発話の中で、習った文法を使うべきところをビシビシ指摘し、言い直させ、こういう時に使うんだと学生に体で覚えさせなければなりません。こうするには、教師が既習文法を使う場面に敏感でなければなりません。

これが、相当に難しいんですよね。学生ばかりを責めてはいられません。

前日

6月15日(土)

明日は6月のEJU本番です。前日に問題を解いても点が上がるとは思えませんが、受験講座に最後まで、しかもこの強い雨の中、通ってきた学生たちは褒めてあげたいです。

KCPの学生の一番悪いところは、わりとあっさりあきらめるところです。今学期は最初と最後のEJU講座を受け持ちましたが、半分でしたね、残っていたのは。KCPの講座は生ぬるいから自分で厳しき鍛えるというのならやめるのも大歓迎ですが、そうとは思えないメンバーが抜けています。

ただ日本にいるだけでは、日本語の力はつきません。ことに、高等教育が受けられるレベルの日本語は、しかるべき積み重ねが必要です。また、教科書を読んだり問題を解いたりするだけでは、話すとか書くとか、情報発信系の技能は身に付きません。受験のテクニックだけでは、今、大学などが留学生にいちばん求めているコミュニケーション能力は身に付きません。

目の前のEJUでそれなりの点数を取るだけなら、短期集中ガリ勉(普通の勉強じゃありません。ガリ勉です)でもどうにかなるでしょう。11月のEJU直前のLさんなんかはそんな感じでした。そして、目標以上の高得点を挙げました。しかし、そこまででした。満を持して臨んだ志望校には受かりませんでした。おそらく面接で失敗したのでしょう。だから、長期的視野で自分の勉強をとらえ直してもらいたいのです。

私はそういうつもりで、通常の日本語授業も受験講座も行っています。KCPのテストにも入試にも出ないけれども、日本で暮らしていくのなら使えるようになっておくべき表現とか、大学に進学してから役に立つ考え方なども交えて教えています。超級なら、そういうことを念頭に置いて教材を作っています。

途中で脱落した学生たちは、目の前の日本語すら手にしていないかもしれません。大いに心配です。

外の日本語

6月14日(金)

今週前半とは変わって、木陰が恋しい日差しの中、学生たちが上野駅公園口に三々五々集まってきました。国立科学博物館へ課外授業に行きました。

私自身、科学博物館に入るのは相当久しぶりで、地球館は初めてじゃないかと思います。ですから、学生を引率しつつ、ワクワク感も味わっていました。そういう意味では、学生と同じでした。

タスクシートを配って、その課題を解きながら館内を歩いてもらおうと考えていました。こういうことをすると、往々にしてタスクに関わる展示だけ見て、シートを埋めたら解散時間までベンチでおしゃべりかスマホか居眠りかという学生が現れるものですが、今回はそういう学生は皆無でした。どの展示にも興味を示し、友達とキャーキャー騒ぎながら歩き回っていました。多方面の知識に進んで浸ろうとする強い知的好奇心を持っているとしたら、今年の学生たちは優秀かもしれません。

入って間もなく、Yさんが「先生、ここで写真を撮ってもいいですか」と聞いてきました。撮影可だと知っていましたが、「さあ、あそこの係の人に聞いてみて」と、ボランティアガイド(?)の方を指し示しました。Yさんは果敢にその方のところへ行って、「すみませんが、ここで写真を撮ってもいいですか」と聞き、「はい、大丈夫ですよ」という答えをもらい、安心して写真を撮り始めました。

Sさん、Xさん、Gさん、Lさんは、ガイドの方の説明に耳を傾けていました。ガイドの方は小学生中学生に話すことも多いでしょうから、やさしい言葉で説明する訓練はできていると思います。しかし、中級の一歩手前レベルの学生たちには、学術用語も出てくるし話すスピードも速いし、かなりタフだったかもしれません。でも、話が終わった時、みんな満足そうな顔をしていました。Sさんはこれに味を占めたのか、他の展示室でもガイドの説明を受けていました。

午前中いっぱい見学して、学生たちは成果を満載したタスクシートを提出して帰って行きました。私は展示物よりも学生を見ていることが多く、ちょっと不完全燃焼でした。今度は仕事ではなく、個人的に訪れて、ガイドの方ともたっぷりお話して、科学館の隅から隅まで楽しみ尽くしたいです。

ダーティー

6月13日(木)

東京福祉大学の一件が世間を騒がせています。あんなに派手に留学生が行方不明になっちゃったら、学生管理が雑だったと言わざるを得ません。職員1人で100人もの留学生を見ることになっていたそうですが、本当に目が届いていたのはその1/5ぐらいじゃないでしょうか。

そもそも、“学部研究生”などという、法律違反でなければ何をしてもいいという脱法ドラッグみたいな発想で学生を集めることからして間違っています。大学関係者は学生に裏切られた的な釈明をしていますが、学生が支払う授業料などが目当てだったことは疑いありません。また、学生側にものびのびと働ける緩い管理へのニーズがあったことでしょう。この両者の利益が一致して、こういう仕儀になったのです。

日本語学校の側も、2月か3月になっても行き先の決まらない学生を引き取ってくれる大学を便利に使っていた面があります。日本語学習が非常に難しい背景を有する学生を大量に入学させてしまい、自分のところに在籍しているうちは不法滞在にさせたくないので、渡りに船とばかりにこうした大学に学生を送り込んだのでしょう。留学生30万人計画が達成間近だとはいっても、こういう到底留学生とは呼べないような存在も含めてのことですから、実際には道半ばです。

もう一つ、これが「福祉」大学を舞台に演じられているという点に不安を感じます。福祉というと、介護などで長時間労働低賃金というイメージがあり、それに加えてこうしたダーティーな話題を提供したとなると、さらに株が下がってしまうのではないでしょうか。日本人の福祉の担い手に悪影響が及ばないことを祈るばかりです。

寒くないですか

6月12日(水)

今週は肌寒い日が続いています。長袖シャツをしまい込んでしまった私は、半袖で意地を張っています。外に出たら本気で歩き、体熱を発生させて寒さを吹き飛ばします。しかし、校舎内にいるとそうそう激しく体を動かすことはなく、やっぱり押し入れから長袖を引っ張り出した方がいいかなあと思うこともあります。

学生は若い分だけ新陳代謝が激しく、私と同じくらいの薄着でも寒さは感じていないようです。受験講座に出ているSさんなどがそのいい例です。Sさんが教室に入ると、いつの間にかエアコンがついています。受験講座は通常クラスの日本語授業ほど人数がいませんから、また、今学期の教室は日当たりが悪いですから、冷房はあっという間に効いてきます。教師は日本語授業ほどアクションをすることもありませんから、体熱は奪われる一方です。

でも、教室が暑く感じるのはSさんだけのようです。KさんやYさんもエアコンの吹き出し口を見上げています。「ちょっと寒いんですが…」と言ってくれればすぐエアコンを切ってあげるのにと思いながら、学生たちの無言の駆け引きを見ています。

Gさんはやせ形で暑がりには見えないのですが、毎朝、ラウンジのエアコンをつけてくれと職員室に言いに来ます。ラウンジは、自動販売機やパソコンからの排熱で、日当たりが悪いわりには温度が高いです。また、8時を過ぎると学校へ来てから食事をする学生がけっこういて、テーブルがさらっと埋まるぐらいにはなります。だから、外では何か羽織っていても、ラウンジではエアコンが欲しくなるのです。

外はあまり暖かくないのですが、校庭のテーブルは意外と人気があります。昼休みはお弁当を広げたり勉強したり談笑したりする学生が絶えません。東京の12時の気温は20度でした。外で食べるなら、もう3度ほしいな。

無力感から駒

6月11日(火)

朝、いつものようにパソコンの電源を入れ、メールを見ようとすると、“サーバーに接続できません”という表示が現れました。インターネットへの接続も試みましたが、失敗しました。ローカルに置いてあるファイルなどは開くことができましたから、どうやらサーバーがどうにかなってしまったようです。

こうなると、私は手も足も出せません。担当のNさんが来るまで、自然治癒に期待をかけて待つしかありません。Nさんの出勤まで、サーバーやネットを使わなくてもできる仕事をしていました。というか、最悪、教室のパソコンもこのような状態かもしれませんから、それでも授業ができるように、教材・資料作りに取り掛かりました。

サーバーは毎日便利に使わせてもらっていますが、一度調子が狂ってしまうと、私のような素人にはどうしようもありません。台風が過ぎ去るまで、ただただ祈りを捧げ続けた古代人に似ていなくもありません。IT機器にへそを曲げられると、非常に強烈な無力感に襲われます。

幸いにも、教室のパソコンは通常通りに使えました。しかし、せっかく作った教材も使ってみたくなり、予定外の進め方をしてしまいました。即興で作ったにしては学生の受けがよく、冷や汗が報われました。また、こうした機会でもないと、思い切って新しいことを始めようともしないんですね。惰性に流されていたというか、守りに入っていたというか、慣れすぎていたというか、チャレンジ精神に欠けていた自分自身を反省させられました。

授業から戻ってくると、サーバーなどは復旧していました。また、便利さにどっぷりつかる日常が戻ってきました。

苦手意識

6月10日(月)

SさんとYさんは漢字が極端にできません。中間テストも20点とかという、まぐれ当たりでも取れそうな点数でしかありません。漢字に関してはぬぐいがたい苦手意識があるようで、努力をしようとすらしません。授業後、中間テストで間違ところを直してから変えるように言いましたが、今週は火曜日しか空いていないとか言いながら帰ってしまいました。

漢字がわからないということは、文法にも読解にも悪影響を及ぼします。教科書を読ませようとしたって、漢字があるたびにつっかえてしまい、隣の学生に小声で教えてもらう始末です。テストの答案はほとんどひらがなで、たまに漢字が書いてあっても、誤字のことが多いです。読むのにも苦労しますし、直すにしてもどこまでなら手を加えた内容を理解してもらえるか考えなければならないので、採点するのに他の学生の倍は疲れます。

でも、SさんもYさんも日本で進学したいのです。将来は日本での就職も考えています。現状では進学も難しいですし、ましてや就職なんて、「100年早いよ」と言われそうです。本人たちも自分の現状に気づいており、それがストレスとなってさらにやる気を失わせているところがあるように見えます。

日本で暮らしていくには、漢字を覚えることは不可欠だと思います。大学教授や多国籍企業の日本支社長みたいに英語だけで暮らしていける人なら別でしょうけど、大多数の“一般庶民”レベルの人たちは、周りの人たちと日本語で意思疎通することなしには生きていけないでしょう。漢字を書くことはなくても、日本語の語構成における漢字の役割を理解するだけで、日本語がわかるようになります。生活費、交通費などの「ひ」は、「日」でも「火」でもないと知っていれば、言葉のレベルが上がります。自国語だけで暮らしていくとしたら、それは自ら進んで使い捨ての労働力に甘んじることを意味すると思います。

SさんとYさんは、そういうことを望んではいないでしょう。だったら、苦しくても漢字を勉強しなければ、明るい未来は開けません。私たちの方も、SさんやYさんのような学習者にどんな漢字教育を施せば、その人たちが日本で生きやすく暮らしていけるようになるか考えていかなければなりません。

日本人らしい

6月7日(金)

文法の教科書に「田中さんは日本人らしい人です」という例文がありました。「じゃあ、田中さんはどんな人だと思いますか」と学生たちに聞いてみました。これをお読みの皆さんは、どんな人を思い浮かべますか。

真っ先に挙がった答えが、「ハンカチを持っている人です」でした。確かに、KCPの学生は、年齢性別国籍を問わず、ハンカチを持っていません。トイレで手を洗っても、手を振って水を飛ばしてしまいます。そのためトイレの手を洗うところが汚くなってしょうがないのですが。それに対し、日本人は子供のころからハンカチを持つことを厳しくしつけられています。私も事あるごとに学生にハンカチを持つように言っています。だからハンカチを持っている人が日本人らしい人なのかもしれませんが、それが最初に出てくるということは、学生たちにとってハンカチを持つということがよほど普通じゃない行為に映っているのでしょう。

逆の見方をすると、ハンカチを常に持ち歩くことは、学生たちにとっては異文化の代表なのです。その中でも、なかなかまねできない、あるいはなじみにくい日本固有の文化であるに違いありません。外見だけからはわからない、日本人の隠れた特徴、日本で生活してみないとわからないちょっとディープな小ネタと言ってもいいかもしれません。

その他、仕事が終わったら居酒屋へ行くとか、すぐすみませんと言うとか、フムフムとうなずきたくなる答えが出てきました。「私は日本人らしいですか」と聞いてみたくなりましたが、ここで脱線し続けているわけにもいきませんから、次に進みました。進度が遅れても聞いてみたかったなあと、少し後悔しています。