15%

9月3日(土)

ある年のEJU日本語の問題に出てきたカタカナ語のリストを作って、EJUの対策講座に出てきた学生に配り、その中にどれくらいわからない言葉があるか聞いてみました。学生によって多少のばらつきはありますが、わからない言葉は15%程度でした。もっと多いかなと思っていましたが、85%ぐらいわかっているということは、結構いい線行ってるんじゃないのかな。ただ、聴解・聴読解に出てきた言葉も文字として渡しましたから、耳だけだとわからない割合が増えるかもしれません。

外国人、殊に日本での進学を考えているような人にとっては、カタカナ語との戦いに勝たない限り、明るい将来は開けてきません。入試もそうですが、進学してからの専門の勉強において、さらに厳しい戦いが待ち構えています。日常生活では目にも耳にもしないカタカナ語に触れ、しかもそれが長ったらしかったら略された形もあります。

日本語は柔軟な構造をした言語ですから、外国語をカタカナ語としてバリバリ受け入れてきました。日本人はそれをわかりにくいとか文句を垂れながらも受け入れてきました。新しいカタカナ語も、いつの間にか自家薬籠中のものとしてしまいます。「リピーター」なんて、私が学生たちの年代にはありませんでしたが、今では過半の日本人が理解するんじゃないでしょうか。その「リピーター」ですが、学生たちはピンと来ていないようでした。

私は、学生たちの頭の中にちょっとでも引っ掛かりを残しておこうと思って、読解でも文法でも聴解でも漢字でも、どんな授業でも積極的にカタカナ語を紹介しています。紹介しっぱなしになっているきらいがある点は否めませんが、学生はわりと楽しみにしていてくれるみたいです。

JLPTの結果通知が届きました。月曜日にこれを見て、12月に上のレベルに挑戦したり捲土重来を図ったりする学生もいるでしょう。彼らもまた、カタカナ語とのにらみ合いを続けていくのです。

9月2日(金)

Lさんは漢字のない国から来て、初級から順調に進級してきて、上級に手が届くレベルにまで達しました。しかし、今学期はピンチです。中間テストは、読解が不合格で文法もやっと合格という成績でした。漢字・語彙は、かなり勉強したのか、漢字の読み書きはパーフェクトに近い成績でした。しかし、文意に合う語彙を選ぶ問題はたくさん間違えていました。つまり、伸び悩みの原因は語彙力不足だったのです。

漢字は、ひたすら何回も書けば手が覚えてくれます。書いた漢字の上に振り仮名をつければ、読みも覚えられるでしょう。しかし、そうやって覚えた漢字の言葉をどこでどのように使うのかは、そう簡単に身に付きません。また、漢字が読めるのと、その漢字が使われている文の意味が理解できるのとは違いますし、ましてや漢字の言葉がたくさん出てくる文章全体の内容の把握となると、読み書きの力が直結するわけではありません。

Lさんは、今、そういうことを痛いほど感じています。私がLさんに語彙不足を指摘すると、Lさんは涙を流しました。悔し涙でしょう。自分に対する無力感、自分の目の前にある壁の高さに対する絶望感を抱いているのかもしれません。ここからもう一段高いところへ上るには、この壁を打ち破らなければなりません。

中級は、多くの卒業生が一番辛かった時期として挙げるレベルです。勉強疲れと伸び悩みとゴールの遠さと、そういった諸々が一気に押しかぶさってきます。Lさんは、その一番辛い時期にさしかかっているのです。中間テストの間違い直しをした後に見せてくれた笑顔に、望みをかけたいです。

暑かったですか

9月1日(木)

9月に入りました。朝の空気には熱気が感じられませんでしたが、日中はまだまだ残暑を感じました。台風10号は秋を運んできてくれたとまでは言えませんが、空は確実に高くなっていました。

お昼に出た帰りに八百屋さんの軒先をのぞいてみたら、緑色の温州みかんが目に留まりました。ハウス物のみかんらしい色の、皮の柔らかそうなみかんはすでに出回っていますが、皮が硬くて口が曲がるほど酸っぱそうな色のみかんは、今シーズン初めてです。8個ぐらい入ったネットが税抜き498円でしたから、お手ごろだと思い、買ってしまいました。うちへ帰ってから味わってみたいです。

暑さ寒さも彼岸までと言いますから、これから多少のでこぼこはあるでしょうが、次第に涼しくなっていくと思います。もう暑い盛りは過ぎましたが、今年の夏は当初予想されていたほど暑い夏ではなかったような気がします。少なくとも東京はそうだったと思います。気象庁のデータによると、熱帯夜がわずかに8日でした。去年は26日でしたから、3分の1以下です。真夏日はほぼ同じですから、夜の涼しさが暑い夏とは感じなかった原因なのでしょう。

ここまで考えて、もしかすると、これは私だけの感想かもしれないと思い始めました。私はエアコンを使わず窓を開けて寝ますから、夜の暑さ涼しさは普通の人より敏感に感じます。一方、日中は、朝の通勤ラッシュのはるか前から日がとっぷり暮れるまで校舎の中にいますから、暑さを感じることがあまりありません。普通の生活をしている人にとっては、長期予報のとおりに暑かったのでしょうか。

恋心

8月31日(水)

Wさんが志望理由書を持って来ました。そこには経済学部を志望する理由が縷々書き連ねてありましたが、肝心のT大学を志望する理由が見当たりませんでした。正直に言って、経済学部のように多くの大学にある学部を目指すとなると、その大学でないといけない理由はなかなか見つけられません。Wさんも、経済学を学ぶ理由は自然に湧いてきたものの、経済学を学ぶ場としてT大学を選んだ理由には、そんなに思い入れが感じられなかったのかもしれません。

本音ベースでは、背伸びすれば手が届きそうというのが最大の志望理由なのでしょう。でも、それは言わぬが花で、受験生も口に出したり文字にしたりしてはいけないし、大学側もうすうす気付いていたとしてもあえて触れることはしません。とすると、志望理由とは何でしょう。

それは、どこまでその大学にほれ込んだかを表しているのではないかと思います。志願者は、受かったら4年間その大学で暮らすことになります。20歳になるかならないかの若者にとっての4年間は、我々年寄りの4年間よりもはるかに重い意味を持っています。住めば都という面があるにせよ、その生活の場を愛することができなければ、耐えられないでしょう。それゆえ、その大学を隅から隅まで調べ上げて、そこでの勉学に夢を抱き、希望を携え、キャンパスライフを充実させようと自分を盛り上げることが必要なのです。その期待を表明するのが、志望理由書ではないかと思います。誰の目に触れても恥ずかしくないほどの恋心が抱けなかったら、その大学には進むべきではないでしょう。

Wさんは、まだそこまで思いが発酵していないようです。出願締め切りまでまだ間がありますから、これからT大学に熱を上げてもらいましょう。

家族的教室

8月30日(火)

家族的な雰囲気といえば聞こえはいいものの、教室に入って教卓側2列に学生がいないとなると、教師としては大いに調子が狂います。私のクラスだけではなく、他の先生方も欠席者が多いと嘆いていました。

さすがにまだ夏休みだと思っている学生はいないでしょうが、夏休みから脱却できない学生はいるようです。生活のペースは、一度崩すと元に戻すのはかなりの難事業になります。

大学進学には日本語学校の出席書類は不要だからとのたまう学生が毎年出てきますが、今年もそう考えて気安く休んでいるやからがいます。確かに、日本語学校の書類がなくても出願・受験できる大学は多いです。しかし、そこに受かって、進学後にビザを更新する時には日本語学校の書類が求められます。その期に及んで青くなっても、後悔先に立たずです。

台風のせいもあるかもしれません。関東地方は厳重な警戒が必要と報じられていましたから、勝手に休校と決め込んでしまった学生もいました。欠席者に電話をかけたら、まじめにそう答えた学生がいたそうです。

学生たちの母国に比べ、日本は自然災害が多い国だと言えます。地震も台風も襲ってきます。北日本は世界的な豪雪地帯です。台風が来そうだからと休んでしまった学生には、そういう国に留学しているんだという自覚が足りないのではないかと思います。こういうときこそ、日本人はどうやって災害を防ごうとしているか、どのように自然条件と折り合いをつけようとしているかを観察するいい機会なのに、家に閉じこもってニュースを見てるだけじゃ、他人事で終わってしまいます。

家族的な雰囲気の中、濃密な授業をしました。休んだ学生が残念がるような授業を心がけました。

ちょっとマニアック

8月29日(月)

県庁所在地クラスの都市ともなると、どこもしっかりした歴史を持ち、それを裏打ちする史跡があるものです。その地の人々は自分たちの歴史に誇りを感じ、それを後世に伝えていこうという姿勢が感じられます。その中において、長崎は異質な歴史が重層している稀有な街です。金沢は、長崎と同規模の街で、深い歴史もあり、それに根ざした文化もあり、日本人はもちろんのこと、外国人をも魅了してやみません。しかし、それらの大半は「加賀百万石」という大きな括りの中に入れられます。それに対して、長崎には、中国の香り、オランダの色、キリスト教の風、幕末の足音、そして被爆都市としての涙、ざっとこれくらいの歴史が複雑に絡み合って層を成しています。それゆえ、街を歩いていて史跡の案内板を読んでいると、自分が今どこの国の歴史と向き合っているのかわからなくなるという、心地よい錯乱に陥ります。

夏休みは、その長崎を振り出しに、日田、臼杵、高千穂、人吉、大宰府と回って、福岡から東京に戻ってきました。…とあっさり書きましたが、この文章をお読みの方で上記5つの土地をすべて歩いた方はゼロに近いでしょうし、九州の地図の上でその場所を正確に指し示せる方も少ないでしょう。臼杵にいたっては、これを「うすき」と読める方すら珍しいかもしれません。

それはともかく、東日本は台風やらその後の大雨やらで大騒ぎだったようですが、九州はいいお天気が続き、傘を使ったのは高千穂で夕立に見舞われたときだけでした。おかげで、腕の外側だけがこんがり焼けました。

長崎では被爆都市としての一面を見学し、出島でオランダの匂いをかぎました。地学ファンとしては稲佐山を見落とすわけにはいかず、頂上から長崎の地形をたっぷり味わってきました。

日田は幕府天領の町で、豆田町がその面影を残していました。暑さも有名ですが、私が歩いた日は最高気温が35.6度で、日田としては涼しい1日だったようです。

臼杵は石仏を見てきました。臼杵の石仏も心惹かれる表情でしたが、友好都市となっている敦煌の莫高窟には規模も歴史も遠く及びません。

高千穂は神々の里ですが、現代においては橋の町です。そもそも高千穂の神話が、川べりのがけの岩屋にアマテラスが隠れたところから始まるのです。深い谷をまたぐ幾本もの橋が町と町をつなぎ、神々の里に現代文明と観光客をもたらしました。天岩戸もしっかり見てきました。

人吉は平安末期から続く相良氏の街で、立派な歴史博物館と国宝を有する青井阿蘇神社を見学し、そして温泉を楽しんできました。

大宰府は天満宮へは行ったことがありますから、その隣の九州国立博物館を見てきました。展示物は興味深かったですが、学芸員と思われる人に質問しても満足のいく答えが返ってこなかったのが残念でした。そのかわり、大宰府政庁跡にあった無料の大宰府展示館のボランティア解説員が大宰府の歴史を詳しく教えてくれました。そこで教えてもらった水城(みずき)が帰りの電車から見えて、感激しました。

さて、期末テストまでちょうど1か月。学生に気合を入れつつ、私も頑張らなければ…。

2年後、5年後

8月19日(金)

Yさんは、来春、理系の大学院進学を予定しています。志望校の志望する研究室の先生ともだいたい話がついています。非常に好意的な扱いを受けているとのことです。

大学院進学の道筋は何とか付けられましたが、Yさんが心配しているのは、大学院で学位を取った後です。Yさんは研究職に就きたいと考えていますが、ビザの問題があり、大学院出たての外国人が日本国内で研究職を得るのはかなり厳しいとも聞かされています。

日本の民間企業は、博士よりも修士を採りたがりますから、博士課程に進学しないで就職するというのも1つの手です。しかし、Yさんのやりたい研究分野はあまりつぶしが利かないので、民間企業に就職するというのも、決して容易なことではなさそうです。たとえ就職できたとしても、そこでYさんのやりたい研究ができる可能性は非常に小さいです。

研究職を得るには博士を取らねばなりませんが、博士号は研究職のパスポートにはなりません。就職するなら修士のほうが有利ですが、就職先で自分の研究が生かせるかというと絶望的です。Yさんは国へ帰るよりも日本で暮らしていたいのですが、日本の社会のシステムは、Yさんにやさしくありません。

Yさんは、国籍を変えるつもりはありませんが、ずっと日本で働きたい、暮らしたいと思っています。入管の高度人材ポイント制が始まって数年になりますが、恩恵を受けている人はどのくらいいるのでしょうか。Yさんが就職する頃にはこの制度が大きく育っていることを願ってやみません。

明日からの夏休みに何をするかときいたら、うちで英語の勉強をするとのことです。大学院入試対策ではなく、最悪日本で就職できなかったら、アメリカへ渡るかもしれないからとのことでした。

自動翻訳装置

8月18日(木)

昨日に引き続き、指定校推薦の希望者の面接をしました。成績優秀で志操堅固な、学校として胸を張って推薦できる学生もいた反面、推薦したら学校の見識を疑われそうな学生もいました。

Cさんは残念ながら後者の学生でした。人間性がどうのこうのというのではありません。とにかく話せないのです。ちょうど1年前、初級で受け持ったのですが、上級となった今も、話す力はまったく変わっていませんでした。もちろん、聞く力は向上しています。ほとんど手加減をしなかった私の質問を理解していましたから。ただ、その答え方がひどかったのです。

私はCさんを受け持ったこともあり、Cさんの話し方の特徴もよみがえってきましたから、自動翻訳装置が働き、Cさんが言いたいことは見当がつきました。しかし、受験する大学の面接官は自動翻訳装置を持っていませんから、まず間違いなく、Cさんの言いたいことは伝わらないでしょう。そうなったら、「どうしてKCPはこんな日本語の通じない学生を推薦したのだろう」ということになってしまいます。

でも、Cさんは、私が受け持った1年前から先学期まで、試験にパスして進級し続けてきました。EJUでもCさんの志望校が定めた基準点をクリアしています。しかし、話すと単文を連ねるのがやっとで、時に活用を間違えたり単語が思うように出てこなかったりしてしまうのです。

Cさんと同時期に同様に進級してきた学生の中にも、非常に流暢に話す学生もいます。ですから、カリキュラムそのものが悪いわけではないと思います。また、曲がりなりにもきちんと進級し、EJUでもしかるべき成績を挙げていますから、Cさんは努力しなかったわけでもありません。ただその努力の方向が、読み書き方面に偏っていたのではないでしょうか。

KCPは初級から話すことにかなり力を入れているつもりです。進学した卒業生は、よく、他の日本語学校出身者より自分は話す力が高いと自慢げに話します。だからそれなり以上に効果は出ていると思います。それでもCさんのような例が現れるところに、四技能をバランスよく伸ばしていく難しさを痛感させられます。

光明

8月17日(水)

Eさんは今日も学校へ来ませんでした。ずいぶん欠席が続いています。10月に専門学校に入学することが決まっていますが、9月いっぱいはKCPの学生ですから、出席する義務があります。しかし、もう登校する気はないようです。このままでは次のビザ更新ができなくなるおそれがあるのですが、そういうことをいくら話しても、高をくくっているのか、態度を改めようとしません。

KCPが嫌いで登校拒否状態だというのであれば、10月に進学したら状況がよくなるかもしれません。しかし、私が見る限り、Eさんは勉強そのものが嫌いなようで、進学したからといってまじめに学校に通うようになるとは思えません。最初の1か月くらいはもつかもしれませんが、お正月休みが終わったら崩れてしまうんじゃないかという気がしてなりません。

私はEさんのご両親や家庭環境を詳しく知っているわけではありませんが、わがままに育てられたんじゃないでしょうか。いやなことは避けて通ってきたか、誰かが取り除いてくれたかだったのではないかと思います。KCP入学後も、テストや宿題などから逃げ回ってきたふしが見られます。専門学校はそんなに甘くはありませんから、これまでと同じことは続けられません。よほどの覚悟を持たない限り、卒業までたどり着かないでしょう。

勉強が嫌いなだけなら、まだ救いようはあります。でも、Eさんが努力をいとう人間になってしまっていたら、将来に光明を見出すことは非常に難しいです。Eさんがそういう人だとは思いたくありませんが、それを打ち消す状況証拠がなかなか見出せないこともまた事実です。

指定校推薦の希望者・Cさんの面接をしました。Cさんは将来の目標を明確に持ち、それに向かって努力できる人だということがよくわかりました。Cさんの話を聞いているうちに、私もCさんの夢に釣り込まれて、自分の将来が限りなく広がっていくような錯覚を抱いてしまいました。面接を終えてから、とても清々しい気分になりました。

今年も始まりました

8月16日(火)

Gさんは入試の面接が迫っています。授業後、始めて面接練習をしました。私にとっても、今シーズン初の面接練習です。残念ながら、「初」を飾る面接にはなりませんでした。

まず、答えがどれも長ったらしい点です。しゃべればしゃべるほど焦点がぼやけていきました。どこに結論があるのかさっぱりつかめず、熱弁のわりには聞き手に与えるインパクトが弱い答えでした。あれもこれも言わなきゃと思って盛りだくさんにしていくうちに、自分でも何に対して答えているのかわからなくなってしまったんじゃないかと思います。

次に、何とかつかんだ発言内容に具体性が乏しい点です。志望理由も学習計画も将来設計も、すべてがGさん自身の中で熟し切れていませんでした。何かについて突っ込むと、慌てふためいて墓穴掘りに励むという最悪のパターンに陥っていました。こちらがこれ以上追究しても得るものがないだろうというあきらめの境地に至って、Gさんはようやく窮地を脱するのでした。

とどめは発音の悪さです。一生懸命話していることはわかりますが、日本語教師の私が聞いても聞き取りにくいのですから、外国人留学生の話に耳が慣れていない大学の先生方がお聞きになったら、チンプンカンプンかもしれません。このままでは、Gさんの情熱は空回りになりかねません。

こういう点を指摘すると、特に内容については、どう答えればいいかということを盛んに聞いてきました。答える内容があって、それを上手に伝える方法なら教えてあげられますが、答えそのものは自分で考えるべきものです。これができなかったら、大学に進学しちゃいけませんよ。

「初」はいつの年でもこんなレベルでしょう。ここを起点に教授と議論ができるぐらいのレベルにまで鍛え上げていくのが、毎年の私たちの仕事です。明日の上級クラスでは、早速面接の基本について説いていかなければなりません。