七変化

2月15日(月)

Cさんは国立大学を狙って、先月末あたりから全国をまたにかけて入試を受けています。受験する各大学の面接試験に備えて、ここのところ毎日のように面接練習をしています。その意気込みは高く評価しますし、EJUの成績から見ても受験したどこかの大学には受かることと思います。

しかし、受験する大学によって勉強しようとすることが違うのです。だから、当然、日本へ来たきっかけも将来設計も違います。Cさんの面接練習に何回も付き合いましたが、どこにCさんの本当の気持ちがあるのか、いまだにつかめません。その点を指摘すると、まず、大学に入ることが肝心なので、一番入りやすい学部・学科に出願したと言います。大学で何を勉強するかは二の次、三の次だといわんばかりです。

日本人の高校生にも、入りやすいところに入ると考える人はいます。でも、そういう無目的な学生は、早々に退学したり、4年間在学したとしても就職戦線で苦労したりするのです。まして、Cさんは外国人ですから、“退学=帰国”という公式が精神的な圧迫になることもありえます。

面接練習の場で「そもそも人生とは…」と人生訓を垂れても、そんなことに耳を貸す余裕などないでしょう。事ここに至ってしまっては、Cさんの望みどおり、どこかの国立大学に入ってもらうしかありません。そのために尽力することがCさんの幸せにつながると信じたいのですが、心の奥底から、そんな死の商人みたいなことをしていていいのかっていう別人格の私がささやきます。

今週金曜日は中間テストですが、その前日もCさんは遠方で入試です。来週のバス旅行直前も遠征です。もうしばらくは良心との戦いが続きそうです。

推薦書を断る

2月13日(土)

昨日の夕方、Gさんが、専門学校を受験したいから推薦書を書いてくれと頼みに来ました。そこでGさんの出席率を調べてみると、ビザの期間延長後の出席率がKCPの推薦基準に達していないことがわかりました。ですから、Gさんに推薦書は書けないと伝えると、推薦書が書けない理由を書面にしてくれと言います。これは断る理由はありませんから、書くことにしました。

Gさんに限らず、推薦書は先生に頼みさえすれば書いてもらえると思っている学生が少なからずいるように見受けられます。推薦書とは、「この学生はいい学生ですから、ぜひ貴校で勉強させてやりたいです」という書面ですから、誰にでも出せるわけではありません。Gさんのように出席率が足りないとなると、学校で勉強するという学生の本分を忘れているということですから、間違っても推薦の対象にはできません。

Gさんの場合、専門学校側は推薦基準を設けていませんから、KCPが推薦書を書けば、それはそのまま受け取ってもらえるに違いありません。しかし、1週間に1日以上のペースで休む学生を推薦できるほど、私の度量は大きくありません。私文書偽造の罪に問われることはないでしょうが、良心の呵責は感じますし、そこまで学生を甘やかしていいものだとは思いません。Gさんの欠席には、本当に休まなければならなかった場合もあったでしょう。でも、おそらく大部分は寝坊程度の理由だったことは、想像に難くありません。推薦書の権威と信頼性を保つためにも、Gさんに推薦書を書くわけにはいきません。

私が推薦書を書かなかったことで、Gさんは専門学校に落ちるかもしれません。そして、日本での進学をあきらめ帰国を余儀なくされるかもしれません。でもそれは、少なくとも半分は、自業自得です。私たちがもっと強力に指導していればという反省もないわけではありませんが、指導に耳を貸さなかったのは、ほかならぬGさんです。

来週、Gさんは書類を受け取って、専門学校に出願します。いったい、どんな結果が出るのでしょう…。

ガムをかむ

2月12日(金)

午後の代講クラスの教室に入ると、ガムをかんでいる学生がいました。しかも、口元をかくすわけでもなく、堂々と口の中のガムを膨らませようとすらしていました。その学生の机に近寄り、教科書で思い切り机をたたいて激しく怒っていることを示し、外でそのガムを吐き出させました。

KCPは全館学厳禁です。これは学校のルールとして入学時のオリエンテーションでも伝えているし、その後も折があるたびに注意しています。文法の例文などでも、ガム禁止はよくネタにします。それにもかかわらず、しかも教師に目の前でガムをかむとは、どういう神経なのでしょう。

私はこのクラスに入るのも、そして、おそらく、その学生に会うのも初めてです。何のしがらみもありませんから、思い切り叱ることができます。傷つきやすかったりプライドが高かったりして、クラスメートの面前で叱ることが好ましくない場合もあるでしょうが、明らかにガムをかんでいることがわかる学生を放置することは、私にはできませんでした。たとえ傷ついたとしても、ルール違反は悪いことだと、当人及び周りの学生たちに知らしめることに何の躊躇が要りましょう。

幸いにも、その学生はそれほど壊れやすいタチではなく、その後は指名しても普通に答えていました。クラスの雰囲気も、一時的には暗くなりましたが、最終的には持ち直しました。私がこのクラスに入ることは、おそらくもうないでしょう。ガムをかんだ学生を受け持つ可能性も、あまり高いとはいえません。ですが、このクラスと学生を、しばらくは注視していきます。

かわいがり

2月10日(水)

新人のO先生をいたぶってしまいました。いつも面倒を見ているM先生が代講だったので、私がO先生の文法の下調べの出来具合をチェックすることになったのです。

O先生は文法書を見たり自分で例文を作ったりして、各文法項目について調べてきてはいました。でも、私がその分析結果の隙をついて悪い例文を並べると、とたんに言葉が詰まってしまいます。私は学生のとんでもない例文を腐るほど見ていますから、勘違いのポイントもわかります。そのポイントに合わせて非文の例文を作ることぐらい、朝飯前です。私の作った例文は、Oさんが自分で作った基準に当てはめると〇なのですが、感覚的には×です。どこが引っ掛かるのか、なぜダメなのかがわからず、呻吟し続けていました。

文法書の内容を伝えるだけなら、学生たちに自習させれば十分です。文法書に書かれていないポイント、それをまねて例文を作ってもつかめないニュアンスなどを伝えてこそ、本物の教師です。O先生は文法書の行間を読み取ることがまだまだのようでした。

新人の先生には申し訳ないのですが、この辺の感覚はある程度場数を踏まないと身に付きません。場数を踏むと、どんな分析をすればその文法の特徴がつかめるかが見えてきます。教えたことのない文法事項にぶつかっても、どんな例文を出してどことどこを説明すれば学生たちに理解してもらえるかが、頭のなかにひらめいてくるようになります。

気がつくと1時間以上も変な例文を出してはO先生を困らせていました。相撲の世界なら「かわいがり」に相当するのかな。Oさんは、今は文法書と同じ地平にしか立てていませんが、来学期になったら丘の中腹ぐらいには立てるでしょう。そのとき、そのとき、どんな風景を目にするのでしょうか。

伝わる日本語

2月9日(火)

MさんはK大学の筆記試験に合格し、今週末に面接試験を受けます。ふだんから口数が少なく、黙々と勉強するタイプで、筆記試験は得意でも面接で自分の考えや気持ちを表現するのは苦手そうな学生です。

授業後、そのMさんの面接練習をしました。やはり、頭の回転に口が伴っていない様子で、付き合いの長い私だからこそわかるのであり、初対面のK大学の先生方には理解不能だろうなという話しっぷりでした。

それでもMさんは強気でした。去年は筆記に合格した受験生全員が受かったから大丈夫だろうという理由からです。しかも、去年の合格者は面接では「日本語はできますか」程度のことしか聞かれなかったから、その程度なら簡単に答えられると言います。

確かに、筆記試験で学力を確認していますから、面接は合格を前提としたものでしょう。しかし、面接練習でのMさんの答え方は、コミュニケーション上に問題ありとされてもしかたのないものでした。発音がよくない上に、ポイントとなる言葉を知らないために、迂遠な言い回しをします。

Mさんの頭脳は本当にすばらしいです。理解力も応用力もあります。K大学に入ったらきっといい勉強をするだろうと思います。でも話させると単なる発音の悪い留学生に成り下がり、その頭脳明晰さの100分の1も発揮できません。本人の多少はそれに気付いているからこそ、私の面接練習を申し込んできたのですが、「多少」止まりです。根っこのところでは去年は全員合格だから、自分も安泰だと思っているのです。私もそうあってほしいですが、立場上、最悪を想定して厳しいことを言い続けるのです。

Mさんは中級に入学しましたから、KCPの初級の訓練を受けていません。国で問題集で鍛えて日本語の力をつけたのでしょう。でも、やっぱり言葉はコミュニケーションです。あと数日ではありますが、自分の気持ちを、相手に伝わる日本語に変換する訓練をして、K大学の面接に臨んでもらいたいです。

久しぶり

2月8日(月)

授業後、Gさんの面接練習をしました。Gさんは、おととし入学した学期に、レベル1で受け持ちました。授業中はいつも大きな目をこちらに向けて、目から耳から何でも吸収しようとしていました。また、動作がきびきびしていて、Gさんが動いている姿は見ていて気持ちがよかったです。それは字にも現れていて、他の学生に見せたいくらいしっかりしたノートを取っていました。

そんなGさんは、成績が悪かろうはずがなく、今学期は上級クラスです。先週の金曜日、受付で私を呼び止め、志望校のM大学大学院の面接試験が迫っているから面接練習したいと頼んできました。私の手を離れてからは、校内でたまに出会ったときに会釈をする程度で、じっくり話したことはありませんでした。でも、会釈だけは必ずしっかり例のきびきびした身のこなしでしてくれました。そんな薄い縁でしたが、Gさんは頼りにしようと思い、私もGさんのためならぜひ力になりたいと思い、面接練習を引き受けたわけです。

もちろん、全然受け持ったことのない学生から頼まれても引き受けますが、初顔合わせみたいな学生とずっと気にかけてきた学生とでは、こちらの気合が違います。学校長としてはどの学生にも分け隔てなく接しなければならないのでしょうが、機械じゃなくて人間ですから、やっぱり付き合いの濃淡によって接し方が変わってしまいます。その付き合いも、Gさんのように好印象を重ねてきた学生と、「まったくもう」というかかわりばかりの学生とでは、こちらの向かう気持ちも違ってきて当然ではないでしょうか。

何も教師に向かって尻尾を振ってもらいたいわけではありませんが、周囲にいやな雰囲気をまき散らしていてもいいことなんか1つもありません。マイペースでもいいですが、人間は社会的動物だってことは忘れないでおいてほしいものです。

パワーポイントを駆使して自分の卒業研究の概要をプレゼンするGさんを見て、頼もしく思いました。成長振りがうれしかったです。内容的にはかなりダメ出しをしましたから、これから本番までのわずかな時間で軌道修正しなければならず、下手すると徹夜続きかな…。

地震にめげずに

2月6日(土)

今朝、台湾で地震がありました。台南市では、ビルが倒壊し死者が出ています。KCPにも台湾出身の学生がいますが、今のところ実家が被害にあったという連絡はありません。

台湾も日本同様にプレートの境界上にあり、過去にも大きな地震が何回も発生しています。今回の地震もプレート境界型かもしれませんが、台南市の被害の大きさを見ると、阪神淡路大震災のような直下型かもしれません。地震が多いという共通点があるため、台湾は高速鉄道を建設する時、日本の新幹線のシステムを導入しました。その台湾の高速鉄道にも阪神淡路大震災と同様の被害が出ているとのことです。

私は地学ファンですから、地震と聞くと興味や関心は上述のような方面に向かってしまいます。しかし、絶対に忘れてはいけないのは、3.11の際に200億円以上という世界最多の義捐金を贈ってくれたのは台湾だということです。お金だけではなく、衣類や暖房器具を始め、被災者が必要とする物資もいち早く援助してくれました。地震の規模は違っても、困っている人が出ていることには変わりありません。3.11の何分の一でもいいですから、手を差し伸べたいものです。

九州では桜島の火山活動が活発になり、火を噴いています。また、昨日の朝は多摩地方で震度4の地震がありました。震源が立川断層の延長線上だというのが、少し気懸かりです。台湾の地震も含めたこれら3つが互いに関連があるとは思えませんが、パタパタと続くと、いやなものです。

週明けは春節。自然災害を吹き飛ばすくらいパーッとやってもらいたい反面、学生たちの前夜の行状が激しすぎて、月曜の教室が悲惨な状況になることも恐れています…。

不毛の会話の果て

2月5日(金)

こちらは、お宅のお子さんが入学したKCPという日本語学校です。最近、お子さんは全然学校へ来ていません。それで、こちらからお子さんに電話をかけているんですが、いつもつながりません。ご両親様のほうから連絡を取っていただけないかと思って、お電話を差し上げました。

子どもは元気にしていますよ。そちらの学校へは行っていませんが、家で毎日絵を描いています。美術大学進学希望ですから、それが一番の勉強です。KCPに通っても絵の勉強はできないでしょ。

でも、日本語学校に入学したということは、日本語の勉強をしなければならないということです。お子さんが持っているビザは、KCPで日本語を勉強することが前提のビザです。

うちの子は国にいたときから日本語はよくできましたから、日本語よりも絵なんですよ。KCPは、絵の勉強をさせてくれませんから、行くだけ無駄です。もちろん、KCPで家にいる以上に絵の勉強ができるなら、うちの子も喜んで通いますよ。それができないということは、KCPは学生のニーズに応えていないということなんじゃないですか。

……親がこれでは、子どもが学校へ来るわけがありません。これが今はやりのモンスターペアレントというやつなのでしょう。

こういう不毛の会話をさせてくれた張本人のLさんが、突然学校へ来て、美術大学への出願書類を見てほしいと言います。出願書類の書き方などさんざん指導してきたのに、そういう授業をサボっていたからでしょう、住所、氏名、生年月日など、ごく基本的なことしか埋められていない出願書類を私に見せてきました。志望理由や将来計画は完全な白紙です。

好き勝手なことをしまくって、困った時だけ学校を頼る――なんと虫のいい話でしょう。突っ放したら、きっとまたあの親がねじ込んでくるんでしょうね。怒りを振り捨てて、書類作成を手伝いました。でも、不思議なもので、いつの間にか親身になっちゃうんですね。手取り足取り書き方を指導し、志望理由と将来計画はポイントとなる事柄を教え、月曜日に書いてくることにしました。

つくづくお人よしだなと思います。だまされることを承知で人に尽くすことが、この仕事に携わる者の必須条件なのかな…。

はなむけ

2月4日(木)

私を毎朝見送ってくれる月が、だいぶやせてきました。この月が消えてなくなったら、春節です。その春節にあわせて一時帰国する学生が、私のクラスにも何名かいます。今のビザの制度では、ビザの有効期間中何回でも出入国が可能ですから、学生たちが帰国すること自体は合法的です。

でも、合法的だ、法律違反じゃないということと、法律以外の面から見てしてもいい、することが許されることには、違いがあります。多くの留学生から羨ましがられるような大学に受かっていても、いや、だからこそ、1ミリでも日本語力を高めておかないといけないのに、里心がついて一時帰国するというのはいただけません。そのレベルに至らぬ学生もばらばら帰っています。むしろ、そういう危なっかしい学生ほど、帰国したがる傾向があるように思えます。

KCPは留学生にとってゴールの学校ではありません。ここを足がかりにして、さらに上を目指すべき学校です。だから、もうすぐ卒業だといってもそれですべて終わりじゃないのです。留学の序章が終わったに過ぎず、ここでほっとしてしまっては本論の内容が貧弱になりかねません。これから始まる本当の学問において、少しでも高いスタートラインに立つんだという気概がほしいところです。

もちろん、「いい大学」に受かっても、勝って兜の緒を締めよとばかりに、それまで以上に熱心に勉強に励んでいる学生も少なくありません。そういう学生と、お気楽ご帰国組とを比べると、人間性の差すら感じますね。先月末ぐらいから授業は上の空で帰国日を指折り数えているような学生には、卒業証書はあげたくないです。お前にはもっと勉強すべきことがあるんだと、最後の鉄槌を加え、それをもって進学のはなむけとしたいです。

激しい競争

2月3日(水)

節分。例によって、赤坂の日枝神社へ豆まきを見に行きました。日枝神社の神様の使いは猿ということで、申年の今年は例年よりも人出が多かったです。私のそばにいた警備の人たちは、「去年の倍ぐらいいるね」なんて話していました。

私は超級クラスを引率していきました。Cさんは卒業文集に載せる動画の撮影のチャンスとばかりに、稲荷参道の朱塗りの鳥居をくぐっている様子を始め、クラスメートの素顔を撮りためていました。そうですね、やっぱり朱塗りの鳥居が丘の上にある境内まで続くあの道は、日本人の私でも聖なる世界に誘われるような気分になりますから、外国人である学生たちにとっては、異界に導かれるような不思議な非日常への入口なのでしょう。

正午ごろから豆まきが行われましたが、いつもの倍ぐらいの人がいましたからかなり激しい競争でした。私のクラスは半数ほどが去年の豆まきを経験していましたから、そういう学生は早々に戦線離脱。Hさんにいたっては、去年のミス上智の方がタイプだったと不謹慎な発言。それに対し、今年が初めてという学生は、何とか福豆を手にしようと、乱戦混戦に身を投じていました。

豆まきが終わって興奮気味に報告に来るのは、みんな初めての学生。いつもはおとなしいKさんやBさんも、戦利品を見せに来てくれました。Mさんは景品を引き当ててはしゃいでいました。2度目の学生でもJさんは豆の袋を2つゲットしていました。頭脳派だと思っていましたが、案外に体育会系のようです。進学してから研究成果を残すには、これくらいのガッツも必要です。

豆まきが終わってそろそろ引き上げようかというころ、去年の卒業生のDさんの姿を見つけました。Dさんは正月にこの日枝神社で巫女さんのアルバイトをしていました。「今日も巫女さん?」って声をかけたら、「ううん、遊びに」と。卒業生の元気そうな姿を見るのはいいものですね。これも神様のお引き合わせでしょうか。