相談に乗ります

9月4日(金)

9月に入り、実際に受験する友人を見ると、自分ばかりがのんびりとはしていられないと、進学相談に来る学生が増えました。

Wさんは6月のEJUの成績が思わしくなく、その成績で入れそうな大学を探しています。やりたいことがはっきりしていますから、こちらとしてもアドバイスしやすいです。とはいえ、こちらは学部名とか学科名とか自分の手持ちの知識などをもとに答えているだけですから、そのアドバイスが本当にWさんにとって有効かどうかはわかりません。

Pさんも勉強したいこともはっきりしているし、志望校も決まっていますが、それが経営とか経済とかと違って、つぶしの利かない専門なので、就職できるかどうかを心配しています。国のご両親が経営学部みたいな方向に進むようにとおっしゃっているようです。Pさん自身も、自分の勉強したいことが勉強できても、その専門を生かした道に進めそうもないのなら、最初から就職に有利な学部を選んだほうがいいのかもしれないと思い始めています。

私は理系で、しかも昨今のようなデジタル機器を駆使した厳しい就職戦線を経験していませんから、的を射たアドバイスになっていないかもしれませんが、就職試験の面接官って、この学生がどれだけ会社に貢献できるか、どれくらいこの会社を愛しているか、どこまで伸びるか、というようなことを見ているのではないでしょうか。そういうことを念頭に、どのように自分をアピールしていくかを考えれば、内定を勝ち取れるのではないでしょうか。大学時代に何を勉強し、どんなふうに成長したかが示すことで事故アピールすることが肝要なのだと思います。

Sさんは英語が得意な学生です。夏休み中に見学に行った志望校で、事務の方から入試の情報をもらおうと相談したら、英語で受験できるコースを薦められたそうです。でも、そのスコアを取ったのは去年のことなので、そうすると、KCPで日本語を必死に勉強してきたこの1年半ほどは何だったのかって、悲しくなりそうだと言います。日本で勉強するってことは、日本語は絶対に必要なんです。うまくなりすぎることはありません。

来週も進学相談が入っています。秋になるとともに、臨戦態勢突入です。

医者の卵? 卵の殻?

9月3日(金)

初級のクラスに入ると、文法もきっちり教えなければならないのですが、語彙もいろいろと教えたくなります。みんなの日本語や漢字の教科書に出てくる語彙だけでは、受験にしても働くにしても到底足りないからです。文法は、みんなの日本語2冊の内容をきちんと使いこなせれば、たいていの場面は通用します。しかし、単語の数は全然不十分です。だから、教科書の内容に関係のある言葉を積極的に紹介します。

例えば、「卵」という漢字を勉強するとき、今使っている教科書には「卵黄」「卵白」「産卵」「(医者の)卵」などという用例は出ていますが、「卵の殻」はありません。これは子供でも知っている言葉ですから、学生たちが知らないとなると、進学先で相当恥ずかしいんじゃないかな。

そういう、いわば留学生だけが知らない日本語を少しずつ集めています。擬音語擬態語はそれなりの学習書が出るようになりましたが、この手の単語は「習うより慣れろ」的に放置されているのが現状です。集めていますとは言いましたが、日本語の教科書には載ってなくても日本人にとっては常識以前の単語っていうのは、頭で考えて思い浮かぶもんじゃありませんから、思いついたときに記録しておかないと、すぐどこかへ行ってしまいます。それゆえ、なかなかうまく集まりません。

明日は上級の授業です。上級は上級なりの、やっぱり知らないと相当恥ずかしい単語がありますから、それを入れていきます。こういう単語や表現が勉強できることが、ネイティブの教師に習う真の意味であり、現地で勉強する最大の利点です。同時に、ネイティブ教師にとってはそういうのを教えるところに真骨頂があるのだと思っています。

360点

9月2日(水)

初級のSさんはK大学への進学を考えています。それに向けて、塾にも通っています。塾ではEJUの読解や聴解の問題を特訓しているようです。それは非常に結構なのですが、問題を解くテクニックの習得に傾きすぎているきらいがあります。だから、KCPの勉強には身が入りません。そのあげく、中間テストの文法は不合格でした。

今日の文法テストも、細かいミスが積み重なり、結局合格点を少し超える程度の成績止まりでした。文法が全然わかっていないわけではありませんが、正確には使えませんし、そもそも今まで勉強してきたはずの内容に抜け落ちがあります。こんな調子では、テクニックを駆使してK大学に入ったとしても、そこでいい勉強はできないでしょう。

来年6月のEJUの日本語で360点取るのが目標だと言います。360点といえば、間違えられるのはせいぜい2問です。単にテクニックだけではなく、相当な集中力も必要です。しかし、授業中のSさんの態度を見る限り、集中力がありそうな感じはしません。

私たちは、どういう測り方をされても高く評価されるような日本語力を学生につけさせようと思っています。そういう日本語力があれば、どんな方向に進んだとしても、学生自身の人生に真に寄与する学問や仕事ができます。それこそが学生の人生を豊かにするものと信じています。“いい大学”に入るには迂遠な方法かもしれませんが、インスタントの日本語力で挫折するよりは、最終的にはより高いところに立てると信じています。

Sさんは私との面接もそこそこに、塾へ急いで行きました。毎日明け方の4時ごろまで勉強するそうです。その努力は多としますが、ぜひとも無駄な努力にならないように、自分自身を大局的に見てほしいものです。

何も決まっていない

9月1日(火)

Pさんはいわゆるモラトリアム人間で、自分は何がしたいのか、自分自身にもわかりません。何かを作る技術を身に付けたいということで、理科系の大学進学を目指しています。もう少し正確に言うと、周りから進路を決めろと言われて、なんとなくそういう方面に進もうと思い始めたところです。何が何でも「技術」じゃありません。

実は、今までに何回も、Pさんはこういう決心をしました。しかし、その決心が長続きしたためしがなく、いつの間にかぐうたらな生活に戻ってしまいました。確たる目標や夢がないのですから、勉強しようという意欲が湧いてきません。外から何かインセンティブを与えたところで、Pさんの心に火がつくわけでもありません。

Pさんほどではなくても、有名大学を受ける学生の中にも、「有名大学生」という身分がほしい以外の動機がない学生がいます。志望理由を見ても美辞麗句ばかりで地に足が着いていません。あれこれ問い詰めても自分の心の底からの言葉がなく、抽象論精神論ばかりになります。それでも、そこに向かって進もうとする分だけ、Pさんよりはましです。

翻って、私に高校時代はどうだったでしょう。つぶしが利くからって工学部を選んだ記憶もあります。専門を1つにキメ打つのが怖くて、将来を絞りきらずに進学できる大学を選んでいました。そしてなんとなく流れで大学院に進学し、ろくな就活もせずに就職先を決めて、社会人になりました。

Pさんに対して胸を張れるような進路の決め方をしてきたわけではありません。しかし、自分が選んだ道を後悔はしていません。そのときそのときは厳しくても、後から誇れるような経験を積んできたつもりです。時代が違いますから今は同じようにはいかないでしょうけどね。

留学生は日本人ほどいい加減な道の決め方は許されません。Pさん、何とかしようね。

台風にも負けず

8月31日(月)

夏休みは九州へ行ってきました。台風に直撃されて、25日は身動きが取れませんでしたが、それ以外はいい旅行ができたと思います。

九州は韓国に近いため、東京よりも韓国人が目立ちました。最近では大久保でも押され気味という韓国人ですが、博多をはじめ九州の町では元気でした。

私が博多駅から特急に乗ろうとしていたら、いきなり切符を目の前に突き出して、「イゴ、イゴ」と声をかけてきた若い女性2人組がいました。「イゴ」とは「イゴ オルマエヨ(これはいくらですか)」の「イゴ」ではないかと私の乏しい韓国語知識がささやきかけ、要は“この切符の席はどこか”ということだろうと判断しました。いきなり「イゴ」と来るのだから、日本語はゼロ、“Excuse me”でもなかったということは英語もゼロに違いありません。ここまでわかれば、日本語が全然わからない人への対処法はKCPで日々鍛錬しておりますので、難なくこなせました。最後もこの2人は深々とお辞儀をするだけで、「ありがとう」も出なかったということは、やはり、日本語全然だったのでしょう。

でも、こういうのに限って、国へ帰ってから、「日本語、全然できないけど日本を旅行してきちゃった。ボディーランゲージができれば、ケンチャナ、ケンチャナ」なんて言うんでしょうね。その話を聞いて、次々と言葉の壁を乗り越えて日本へ観光に来てくれたら、私も多少は日本の国に貢献したことになります。

それにしても、なぜ、あの2人組は私に話しかけてきたのでしょう。当日の私は、真っ赤なポロシャツにくすんだ青の短パン、ショルダーバッグを提げていました。どう見てもJRの駅員や車掌のいでたちではありません。唯一可能性があるとすれば、真っ赤なシャツが博多の街かどこかのボランティアの制服で、その制服の人に親切にしてもらって、その同じ色のシャツを特急の車内で見かけたのでまた声をかけたのではないかということです。

中国人も目立ちました。通潤橋なんていう山奥の観光地にもバスを仕立てて大勢の中国人が来ていました。しかし、私が泊まったホテルには、中国語だけの注意書きが貼られていました。私の乏しい中国語知識でそれを読み取ると、大浴場の中で飲み食いするな、バイキングで一度取った料理は元に戻すな、部屋のドアを開けて大声で話すな、などなど、はたで見ていたら傍若無人と感じるだろうなということばかりでした。

通潤橋、祐徳稲荷、軍艦島、田川市石炭・歴史博物館など、若干マニアックなところを巡ってきました。どこも感激しました。半年も前から計画を練り続けた甲斐がありました。

任命責任

8月21日(金)

奨学金をもらっていたQさんがちょっとした問題を起こし、奨学金を打ち止めにすることになりました。奨学生ともあろう者が校則を破ってしまったのですから、黙過するわけにはいきません。Qさんは、奨学生として選ぶときの面接で、卒業式まで模範生であり続けると約束したにもかかわらず、模範生なら間違ってもしてはいけないことをしたのです。多少厳しい処分かもしれませんが、甘んじて受けてもらわねばなりません。

Qさんもそういう処分を覚悟していたのか、処分を伝えたときも平静を保っていました。確かにQさんは奨学金が取り消されるような大きな間違いを犯しました。しかし、Qさんの真価が発揮されるのはこれからです。これでいじけてしまったら所詮はそれまでの人間だったのです。この不名誉をすすぐべく再び立ち上がってこそ、器の大きさが示されるのです。

Qさんにしてみれば、校則を破ったことは一時の気まぐれか悪魔のささやきに応じてしまったか何かでしょう。それが重大な結果をもたらしたことを忘れないでほしいです。軽はずみな行為によって非常に大きな不利益を被ったこと、自分自身だけでなく周りにも痛みを与えたこと、そういったことを肝に銘じて、再起を図ってもらいたいです。

私たちも、処分を伝えてそれで終わりだとは思っていません。これからも今まで以上にQさんを見ていくことが、一度は奨学生としてQさんを選んだ私たちが負うべき責任です。

これからスタート

8月20日

このところ中間テスト後の面接をしていますが、今日の相手はDさんでした。DさんはKCPのほかに進学のための塾にも通っています。在籍期間の関係上、来年の3月で卒業しなければならないのですが、進学の準備がはかばかしくありません。夏休み明けには各方面で出願受付が始まるというのに、Dさん自身が動いている気配がしないのです。

ご多分に漏れず、Dさんも入学当初は有名大学に入りたいと言っていました。しかし、6月のEJUの結果を塾の先生に見せたら、それまでDさんが考えもしなかったような大学を薦められました。私が見ても妥当なところだと思える大学です。Dさんは、半分は納得しつつも、「有名な大学で入りやすいところはありますか」と聞いてきたあたり、まだ完全にはあきらめ切れてはいないのでしょう。

もちろん、言下に否定しました。今まで私たちよりも塾の先生を信じてやってきたのですが、自分の思いとかけ離れたことを言われたので、何とかこちらの口から甘い言葉を聞きたかったのでしょう。私にしてみれば、そういう危機感のなさが何とも腹立たしい限りです。

塾の先生に薦められた大学も、出願がそんな遠い未来ではありません。しかし、Dさんは国の高校からもらうべき卒業証明書や成績証明書すらもらっていません。もらってもそれを翻訳しなければなりませんから、今すぐ動かなければなりません。そういうことをDさんにわからせるのに、多大な労力を使いました。

そもそも、Dさんは大学で何を勉強するかもあやふやです。だって、大学の名前が第一優先でしたから。その大学の名前で選べなくなったので、すっからかんの中身が露呈したというわけです。

Dさんほどのつわものはそう多くないにしても、波乱を予感させる今日の進学指導でした。

奪う

8月19日(水)

私が入った初級クラスは、日本人ゲストを迎えての会話がありました。学生たちは、日本に住んでいるとはいえ、教師以外の日本人と話す機会はそんなに多くありません。アルバイトをしているとしても、そこで話す日本語は限られた話題で限られた語彙や文法だけですから、必ずしも学生たちを満足させるものではありません。

初級の場合、いきなり会話と言われてフリートークができるはずがなく、事前の準備をがっちりしておかなければなりません。昨日宿題プリントが配られ、それを元にゲストに考えてきたことを話したり、ゲストから話を聞いたりしました。そういう活動ですから、とんでもない方向に話が行ってしまうことはあまりありません。

とはいえ、学生の個性はかなり表れます。CさんとRさんは同じグループだったのですが、Cさんは思いついたことをすぐ口に出すタイプなのに対し、Rさんは話す内容や話し方をきちんと考えてから言葉を発します。Cさんは文法的な正確さはそっちのけで、どんどんゲストに向かって話しかけます。こちらの想定した内容ではない範囲にまで踏み出していきます。押され気味のRさんがチャンスをつかんで日本人に質問しても、その答えを聞いたCさんがすぐ自分の方向に話しを持って行ってしまいます。

私はこういう活動の場合、そのグループの流れに任せるのが常なのですが、このグループには介入しました。Cさんを強制的に黙らせて、他の学生に話すチャンスを与えました。日本人と話せるせっかくのチャンスをCさんに奪われてしまったとなっては、そう感じる学生も、Cさん自身も不幸です。

もうすぐ面談がありますから、Cさんにはそのときに注意するつもりです。でも、これは性格であり、Cさんには野生児的なところもありますから、すぐには解決しないかもしれません。

記録を縮める

8月18日(火)

「記録を3秒縮める」といったら、たとえば2分30秒だったのが2分27秒になったということで、そこは全く問題がありません。ところが、「縮める」をその反対の「伸ばす」に替えても、意味は変わりません。

こんなことを漢字の時間に学生に言ったら、学生たちは不思議そうな顔をしていました。当然、2分30秒が2分33秒になったのはどういうか、という質問がありました。こちらは「記録が下がる/落ちる」でしょう。

どうしてこんなことが起きるかというと、記録に関しての場合の「伸ばす」は、「縮める」の反対、時間を長くするという意味ではなく、良くするという意味だからです。そして、厳密に言うと、「縮める」の反対は「延ばす」なのです。

私が漢字の授業をすると、こんなふうに漢字以外のところでけっつまずいてしまいます。もともと辞書で言葉の意味を調べたり、文法を突っ込んで考えたりするのが好きですから、何かの拍子にその成果(?)が出てきてしまうのです。

昨日は初級クラスで「消しゴムのかす」を教えました。「消しゴムのごみ」なんて言っていたんじゃ、進学してから笑われます。「消しゴムのかす」は、EJUやJLPTにはまず出ないでしょう。大学入試でこれを知らなかったからといって落とされることもないでしょう。そういう意味では全く役に立たない言葉ですが、小学校に上がる前の子供でも知ってるでしょうから、知らなかったらかなり恥ずかしいです。

明日はまた初級クラスです。今度は、どんな場外乱闘を起こそうかな…。

英語で大学

8月17日(月)

Lさんは進学コースの初級の学生です。英語がよくできるので、英語だけで受験できる大学の、授業はすべて英語で行われるというコースを狙っています。だから、日本語の授業は最小限にしたいと思っていて、進学コースの日本語の授業には出たくないと言ってきました。

初級とはいえ、Lさんのレベルならこの程度のことは日本語で言えて当然なのですが、Lさんは途中で英語になってしまいます。その英語自体はとてもわかりやすく、Lさんが意志伝達の手段として英語を選んだことは間違っていません。しかし、ここは日本語学校です。日本語を使って進学することが前提の学校です。そういう学校に入学したからには、日本語をしっかり身に付けてもらわねば困ります。進学コースを選んだということは、日本語もしっかり勉強しようという意向だったのではないでしょうか。

Lさんのことはひとまずおくとして、そもそも、日本の大学が英語で授業をする意義は何でしょうか。研究のグローバル化に対応するとか、優秀な学生を世界中から集めるためとかという答えが返ってくることでしょう。でも、日本のよいところは日本語で、つまり、私たちの母語で世界最先端の研究ができることではなかったのでしょうか。日本語を母語とする人たちは、日本語で思考する時に最高の思考ができるはずです。英語での思考は日本語での思考を上回ることはありません。同様に、中国人は中国語で、韓国人は韓国語で、どの国の日とも自分の母語で思考する時が最も高度な思考ができると思います。

だから、英語が第二言語に過ぎない人たちが集まっても、ノーベル賞が取れるような研究はできないと思います。世界の最先端の研究は、ほんのちょっとしたひらめきの差で勝負がつくことがよくあります。母語で考えなかったがゆえにその勝負に敗れてしまったのでは、何のための研究のグローバル化かわかったもんじゃないではありませんか。ドイツやフランスのノーベル賞受賞者数がイマイチなのは、この辺のことが関係しているのかもしれません。

Lさんが英語で大学教育を受けてるのは、別にかまいません。でも、ここは「日本語」学校なんだという筋は通したいです。