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テーブルの上の暦

9月25日(月)

漢字の教科書に「暦(こよみ)」が出てきたので、この「暦」を使った例文を作ってくるようにという宿題を出しました。その中に、「テーブルの上にいつも暦が置いてある」という文がありました。この例文は〇にしますか、×にしますか。

確かに、辞書には「暦」の意味として「カレンダー」も書かれています。学生が辞書で調べて一番ピンと来た意味を選んで例文を作ったら、上述のような例文となっても不思議はありません。でも、テーブルの上においてあるのはカレンダーでしょうね。暦が置いてあるとしたら、お寺か神社か田舎の旧家か商家の文机か座卓か帳場じゃないでしょうか。

暦と言ったら、大安仏滅のような吉凶はもとより、日の出日の入り月齢日食月食のような天文学的データ、各地のサクラの平年開花日のような自然観測、各種記念日などまで載っているようなイメージです。高島易断のあの本ですよ。カレンダーは、上半分に気の利いた写真があり、日付欄には予定が書き込めるような感じがします。暦はめくり、カレンダーは破るといったら、言いすぎでしょうか。

こういうのは、意味というより語感の問題かもしれません。私の語感は上記のようなものですが、違う語感の人がいてもおかしくはありません。暦の意味を広く取る人でも、普通の文脈においては、暦はテーブルの上にはないんじゃないかな。

冒頭の例文を作ってきた学生は、よくできる学生です。文法なんかでは一を聞いて十を知るようなところがあり、ちょっと説明しただけで実に要点を心得た例文を作ります。その学生をもってしても、なおこういう例文を作り出してしまうのです。言葉を教えるのは、本当に難しいものです。

座布団をかぶって

9月22日(金)

今月はメキシコで2回大きな地震があり、多くの方が亡くなりました、がれきの山の中には、まだ生存者がいるかもしれないと報じられています、そういう方々の無事を祈るばかりです。

課外授業で北区防災センターへ行ってきました。私たちの直前のグループが長引いていたため、入口のところでしばらく待つことになりました。あたりを眺め回していると、日本の断層地図をはじめ、興味深い資料が張り出されているではありませんか。学生そっちのけで思わず読みふけっていると、「金原先生、学生たちに地震についてちょっと話してもらえますか」とO先生。あなたたちの故郷は地震が少ないのに、どうしてこんなに地震が多い日本へわざわざ来てしまったのかと、プレート境界に震源が集中している図を指差しながら、力説してしまいました。

前のグループが終わると、私のクラスは地震体験から。震度3の揺れでも結構驚いていたのですから、5強となったら目の焦点が合わなくなってきた学生もいました。6強では、一緒に体験していた小学1年生の男の子が泣き出してしまい、そこでギブアップ。学生たちだって、クラスのみんなと一緒だから笑ってもいられますが、自分のうちで1人きりだったら、パニックに陥るかもしれません。さらに、震度7となると、伏せの姿勢が保てず、転がりだす学生もいました。私も、2、3年前に花園小学校で起震車に乗ったときのことを思い出しました。7の揺れが終わっても、頭の中が真っ白でした。

このあと、煙の充満した部屋から脱出する訓練、家庭用消火器を扱う訓練を受けました。煙訓練のためにふだんは持ってこないハンカチやタオルを持ってきた学生も、それが大いに役立つことが実感できたでしょう。消火器の存在など気に留めたこともなかったでしょうが、自分の手でホースの口から水を出した学生は、消火器を見るたびにみんなで「火事だ」と叫びながらピンを抜いてハンドルを握った体験を思い出すことでしょう。

北区防災センターは、学生引率などという仕事抜きでもう一度訪れて、中の資料や展示物などをじっくり味わいたい所でした。メキシコにもこんな体験ができるところがあるのでしょうか。

9月21日(木)

「貧乏ゆすり」というくらいですから、いすに腰掛けている時、絶えず膝を揺らし続けることは、日本人の目からはみっともなく見えます。授業をしていると、国籍性別年齢を問わず貧乏ゆすりが見られることから、日本以外の国ではそれほど見苦しい癖ではないのかもしれません。そうは言っても、クラスにいる20人ほどの学生の大半に貧乏ゆすりをされると、こちらも体や心のバランスが崩れてきそうになってきます。

大学先学志望の学生を集めたクラスで、志望理由書を書かせ、その志望理由書に基づき、1人1答の面接をしました。教卓のまん前にいすを置いて、そこに1人ずつ読んで座らせ、書きたてほやほやの志望理由書を見ながら、私が質問するというものです。他の学生が見ている前で、まだ面接慣れしていないこの時期に、予期せぬ質問をされるとなると、緊張はするでしょう。だから、無意識のうちに膝が揺れていたということもありうるでしょう。でも、貧乏ゆすりしないほうが少数派だったというのは、予想だにしなかった結果です。

授業の最後にクラス全体にそのことを注意すると、みんな驚いたような顔をしていましたから、きっと自分自身でも気づいていなかったに違いありません。現に、「私は貧乏ゆすりをしましたか」と聞いてきた学生が数名いました。そして、していたと指摘すると、ちょっと落ち込んだ表情になりました。

各大学の面接官も私と同じ神経を持っているとすると、質問に対する答えがどんなにすばらしくても、貧乏ゆすりひとつでその好印象が帳消しになってしまうでしょう。ましてや発音不明瞭だったりしたら、絶望的です。これも、学生たちの大好きな日本文化の1つです。

こんな評論家的なことを言っている暇はありません。受験シーズンは始まっていますから、面接練習の場でばりばり鍛えていかなければなりません。貧乏ゆすり撲滅――これが、今シーズンの私の目標です。

デジタルネイティブの実力

9月20日(水)

今学期は、毎週水曜日に学生のプレゼンテーションの時間がありました。クラスの半分ぐらいの学生のプレゼンテーションを見てきましたが、学生間にかなりの差を感じました。

できる学生は、聞き手の目をモニターの画面に引き付けるスライドを見せて、話が終わった後の質疑応答も盛り上がりました。そういう学生もいる一方で、自分が見つけたネットのページをそのまま貼り付けて見せているだけ、発表原稿をそのまんまスライドにしているだけという学生もいました。聞いている学生のほうも、話の内容がつかみにくいため、発表者が話した内容を改めて聞き返したり的外れな質問をしてしまったりすることが少なくありませんでした。質問が出てこないことすらありました。そんなときは、私が誘導尋問のような形で、プレゼン内容を補わせるような質問をして、学生の理解の手助けをしました。

こういう学生は、聞き手のことを一切考えていないか、考えが及ばないかなんだろうなと思いながら聞いていました。彼らが近い将来に迎える面接試験のことを思うと、暗澹たる気持ちになります。ペーパーテストでは他人に自慢ができるほどの成績が挙げられても、自分が一方的にしゃべるだけでは面接官の心証はよくないでしょう。そういうのを直していくのがこの授業のひとつの目的でもあるのですが、お手本となるプレゼンの翌週ぐらいに箸にも棒にもかからない原稿棒読みを聞かせられると、こいつは他人から学ぶ能力にも事欠いているのかと、がっかりしてきます。

私が学生のころはパワーポイントなどという便利なプレゼンテーションツールなんかありませんでしたから、レジュメをいかにわかりやすく作るかが通常の発表(プレゼンテーションという言葉自体、私の学生時代にはなかったように思います)でのポイントでした。でも、そのレジュメを使って、発表内容をいかにわかりやすく伝えるかはずいぶん訓練されたものです。

デジタルネイティブである学生たちは、私なんかよりもそういう訓練を受けてきていると思うんですが、実際はそうでもないんでしょうか。案外、こういうところに日本語学校が果たすべき役割があるのかもしれません。

ある質問

9月19日(火)

化学の受験講座の準備をしていると、Hさんが「物理の問題なんですが、聞いてもいいですか」と尋ねてきました。見ると、何年か前のEJUの問題でした。Hさんは答えを教えてもらったけれども、どうしても納得がいかないようでした。すぐ授業が始まり、授業後は私は別の仕事がありましたから、後日解答するとしておきました。

いろいろな仕事が終わって職員室に戻り、Hさんが質問してきた問題をもう一度考えてみました。すると、どうということはなく、単にHさんが問題の一部を読み落としていたことがわかりました。一見もっともらしい理屈をこねてきたので何だかHさんの言い分が正しいように思えてしまいましたが、肝心なところが抜けていたのです。Hさんには明日にでも、問題の早とちりを指摘しておきましょう。

私のほうも、時間がなかったとはいえ、Hさんの勘違いにすぐに気付かず、Hさんに寄り切られてしまったような形になってしまったのはよくありません。Hさんの考え方では問題の前提が狂ってしまって、問題が成り立たなくなってしまうことにどうして目が行かなかったのでしょう。偉そうなふりして学生に講義していますが、まだまだですね。

Hさんは決して物理ができない学生ではありません。それでもこういう勘違いをしてしまうというのは、日本語力が足りないのでしょうか。でも、6月のEJUはHさんのレベルでは高得点だったんですけどね。いろんな要素がありますが、物理の問題は物理の力だけでは解けないのです。そのギャップを少しでも縮めようと、Hさんは私を頼っているのでしょうから、それに応えていかねばなりません。

台風前夜の心理学

9月16日(土)

台風18号が西日本に接近中です。愛媛県の天気予報を見ると、明日は大荒れのようです。これが2週間前、夏休みの最終日だったら、松山から東京までの飛行機が飛ぶかどうかわからず、私はまんじりともせずにニュースや天気予報を凝視していたことでしょう。

2年前の夏休みは、台風が九州を直撃した日に博多にいて、動いている交通機関が地下鉄だけという経験をしました。博多駅前のホテルに泊まっていたので、地下街を通って博多駅付近のビルへは行けましたが、ビル内のお店はほとんどが臨時休業で、全く時間つぶしになりませんでした。動いていた地下鉄で福岡空港へ行くと、飛行機は欠航でしたが、空港ビルのお店は大半が開店していて、思わずマッサージ屋さんに入って、半日マッサージで過ごしました。

今回の台風で東京はそんなことにはならないでしょうが、連休中に台風が通過することになりますから、外回りを点検しました。校庭に置いてあるベンチはかなり重いので飛ばされることはないでしょうが、テーブルといすは1人で楽々持ててしまいますから、強風にあおられるとどうなるかわかりません。ですから、屋内にしまうことにしました。

教師数名がよろよろしながら校庭の片づけをしていると、2年前の卒業生のAさんが自転車で学校の前を通りがかりました。Aさんはわざわざ自転車を降りて、テーブルを運ぶのを手伝ってくれました。八王子の大学に進学したのですが、週末のアルバイトはKCP時代から変えていないそうで、ちょうど移動しているところだったそうです。

運び終わってから大学生活を聞くと、毎週1万字ぐらいのレポートを書いているとか。文献も大量に読み込まなければならず、日々日本語が鍛えられているようでした。心理学は大学に入ってからが大変だとよく聞きますが、でも、そのおかげで日本語が見違えるように上手になっていました。思わぬ余禄に与れました。

明日は約束があって出かけますので、台風さん、お手柔らかにお願いします。

また同じ

9月15日(金)

来学期中級に上がる(つもりの)学生たちのクラスで授業をしました。自動詞と他動詞という、日本語学習者が一番苦しむテーマで、初級を「卒業」する(ことになっている)学生たちにはぴったりのテーマでした。しかし、授業の手応えは、中級に進むどころか1つ下のレベルに戻ったほうがいいのではないかという感じでした。

習ったはずの語彙をすっかり忘れていたり、覚えていても自動詞・他動詞の区別がつかなかったり、区別がついてもどこでどちらを使うのか忘れていたりと、散々な結果でした。先学期、この学生たちを担当なさった先生がご覧になったら、さぞかしがっかりされたでしょうね。自分たちのあまりのできなさ加減に学生たちもふがいなく思ったのでしょうか、だんだん声も小さくなってしまいました。

学生たちは、「いすが並んでいます」と「いすが並べてあります」の違いも教わっているはすですが、私の説明をとても新鮮そうに聞いていました。でも、私は悲観していません。学生たちは、何か月か前、同じ説明を初めて聞いたときは、今とは比べ物にならないくらい日本語が未熟でした。それゆえ、文法を理屈で覚えるより体で覚える、口にしみこませるという感じだったと思います。ところが、今は理屈も多少は理解できるくらいの日本語力になっています。だから、口頭練習を繰り返した文法項目の裏側にはこんな論理があったのかと、感心していたのかもしれません。

自動詞・他動詞はこれで終わりではありません。次の学期、新しいことを学ぶ際にまた復習します。生身の人間に文法を教えるのは、AIに文法を仕込むのとは違って、繰り返しが必要です。その説明と練習の繰り返しが、人間味ある言葉の使い方を生み出していくのです。

風邪ですか

9月14日(木)

どうも最近、マスクをしている学生が多いような気がします。人数を数えたわけではありませんが、私が受け持っているクラスにはいつも1人はいます。Sさんなんか、今学期の最初からしています。2か月も風邪を引きっぱなしなのでしょうか。夏の花粉症なのでしょうか。Dさんもマスクをしていますが、声を聞く限り元気そうです。意地悪い見方をすれば、寝坊で遅刻欠席しても、教師に体調不良のためと思わせるために毎日マスクをしているとも受け取れます。Dさんはよく休みますからねえ…。

口元を隠すのはウソをついていることの表れだと言われます。私は、手で口を隠して話すことは失礼なことだとしつけられました。ですから、毎日マスクというのが気になるのです。また、顔の下半分が見えないと表情が読めませんから、何を考えているのか、どう感じているのかわかりません。教師にとってはそういう学生は扱いにくいです。その学生の反応がつかめず、何かとやりにくいです。

Dさんにはなぜマスクをしているのかと聞いてみたことがあります。予想通り、風邪をひいているからという答えが返ってきましたが、なんとなく信じられません。私の質問に不安げな目つきで答えている様子を見ているうちに、自分をさらけ出すのが怖いからなのかなとも思いました。家族から寄せられる期待に押しつぶされそうな自分を見せたくないのでしょうか。そこまで想像力をたくましくしてしまうのは、いたずらな憶測かな。

いや、Dさんたちが感じているのは、教師や学校からのプレッシャーかもしれません。テストや宿題や、これができなかったら進級させないなどという教師の脅しが、マスクとなってはね返ってきているような気もしてきました。私もマスクをしたくなってきましたが、マスクをするとメガネが曇りますから…。

和服とぬいぐるみ

9月13日(水)

7月は雨に見舞われ、8月は暑さに負けて延び延びになっていた今学期のバザーが、ようやく開かれました。校舎の前の、通りに面したところに店を開くため、KCPの学生・教職員に限らず、近所の皆さんや通りがかりの人たちもフリーマーケットのノリで品物を手に取り、時には買ってくださいます。このバザーの売り上げは、親と離れて暮らさざるをえない子どもたちのために使われますから、少しでも多くの物が売れてほしいものです。

今回のバザーには、和服が多く出ていました。学生たちも盛んに手にとって眺めていました。また、ぬいぐるみも大小取り混ぜてたくさんあり、あれこれなでたりひっくり返したりしながらしばらくその前から離れようとしない学生もいました。私はポケットファイルやせっけんなど、いつも狙っている物が出ていないか見てみましたが、思ったようなものがありませんでした。

最近は、何でもインターネットで買い物する学生が増えてきました。受験講座で参考書や問題集を紹介すると、その場でアマゾンに発注してしまいます。今すぐ食べたり飲んだりする物以外は、お店では買わないと言っている学生さえいます。そんな学生も、バザーの品物には自然に手が出て、売り上げに貢献してくれたようです。

必要な物、欲しい物はインターネット経由で手に入れつつも、やっぱり実物を目で見て手で触ってみるショッピングも魅力的なんでしょうね。いや、もしかすると、そういうショッピングの味を知っている世代は、今の学生たちが最後になるかもしれません。インターネットのお店しか知らない世代は、バザーにどんな反応を示すのでしょう。見てみたいような見てはいけないような…。

白ご飯

9月12日(火)

ちょっと白ご飯を食べただけなのに体重が1kgも増えてしまった――これは初級のWさんが文法テストの短文作成の問題に書いた答えです。“ちょっと遅刻しただけなのにひどく叱られた”みたいな答えを想定していたのですが、教師の貧困な発想をはるかに超越したすばらしい例文です。「だけなのに」の意味や機能を実によく捕らえていて、5点の問題ですが10点ぐらいあげたい答えです。

Wさんのような気の利いた例文が作れるようになる学生がいる一方で、今までかろうじてボーダーライン上に残っていた学生の明暗が分かれるのもこの時期です。期末テストまであと2週間ほどともなると、各レベルの授業は最後の大きな山場を迎えます。この山を越えられないと、上のレベルには進めません。まさに胸突き八丁です。先学期、私が持ったクラスの学生たちは、みんなこの胸突き八丁を越えて無事進級してくれました。しかし、今学期のクラスは危ないです。Lさん、Nさん、Cさん、Yさんあたりは、今からよほど奮起しないと、来学期もう一度同じレベルということになりかねません。

じゃあ、WさんとLさんたちはいったい何が違うのでしょうか。ひとつは想像力だと思います。Lさんたちも、四択問題だったらどうにか点が取れるんじゃないかと思います。でも、何もヒントがないところで「だけなのに」を使って例文を作れといわれても、「だけなのに」の辞書的意味以上に想像の翼が広がらないのです。

また、生活の単調さが想像力の妨げになっていることも考えられます。今朝は「食べてみたい食べ物」というお題で話をしてもらいましたが、「特にありません」などと言っている学生の作る例文は、面白みに欠けます。せっかく留学しているんだから、多少は刺激を求めようよと言ってやりたいです。刺激を求めすぎてもらっても困るのですが…。

Lさんたちが期末テストで逆転勝ちを収めることを祈ってやみません。