Category Archives: 試験

8つ間違えた

11月12日(月)

昨日でEJUが終わりました。私のクラスのSさんやMさんは、日本語で8つ間違えたけど何点ぐらいかなどと聞いてきました。EJUは、どの問題が何点などと決まっていませんし、間違え方によって点数が違うという噂もあるし、間違えた数だけで点数が予測できるような単純なしくみではありません。

それよりも問題なのは、SさんにしろMさんにしろ筆答問題に弱いということです。いや、この2人に限りません。今年の上級クラスは、記述式の問題になると元気がなくなってしまいます。“~を抜き出しなさい”という、テキストの文言をそのまま引っ張ってくるのならまだいくらかできるのですが、自分の考えを書いたり本文の内容を要約して答えたりする問題となると、白紙のまま手がピクリとも動かない学生が大勢います。

確かに、筆答問題は答えをまとめるのに手間もかかるし、答えに至るまでの過程も長いです。選択式のようにヒントが書かれておらず、それさえも自分で見出さねばなりません。しかし、長い文章の中から自分でそれを見つけ、頭の中を整理し、筆者の言わんとしていることや登場人物の心の動きなどをつかむことにこそ、論説文を読む意義があり、読書の醍醐味を感じるのではないでしょうか。

私のクラスの学生だけじゃありません。選択授業で資料調べをさせていますが、ごく一部の学生を除いて「調べ」になっていません。たまたまネットで引っかかったサイトの内容を丸写しなのですから。日本語という外国語で調べるのは学生たちにとって荷が重いでしょうが、大学院はもちろん、大学でも進学したらそういうことの連続です。進学した卒業生たちは異口同音にそういっています。私が面倒を見ている学生たちは、そういう学問研究生活に耐えられるでしょうか。不安でなりません。

これからとこれまで

11月8日(木)

初級の学生向けの受験講座は2本立てです。11月のEJUを受ける学生がいますから、無理を承知で過去問をしています。その過去問の解説を通して、物理や化学や生物の基本事項を教えていきます。日本語を読む力がまだまだですから、問題文を読むのに上級の学生の3倍ぐらいかかってしまいます。ですから、今度の日曜日の本番でも、彼らが思い描いている大学に手が届くほどの得点は挙げられないでしょう。今回はどのくらい難しかったか、時間が足りなかったか、できなかったか、緊張するか、母国の入試と雰囲気が違うかなどが実感できれば十分です。

その代わり、来年の6月が勝負の試験です。来週の受験講座からは、それに向けて体系的に勉強していきます。断片的な知識の堆積ではなく、日本語による脳内の理科ネットワークの構築を目指します。国で勉強してきたこともベースにして、“一を知って十を知る”みたいな頭になったら、実力が飛躍的に伸びます。今は私の日本語が苦しいでしょうが、ここを我慢すれば、進学してから日本語で勉強や研究ができる思考回路が築けるのです。

上級の学生向けの受験講座は、今週が最終回です。1年以上も私の授業に付き合ってくれた学生たちには、同志に似た感情すら生まれます。私には、もう、学生たちの健闘を祈ることしかできません。毎度のこととはいえ、気体と不安がない交ぜになったこの気持ちは、達成感とも自分自身の力不足を嘆くのとも違う、何とも形容のしようがないものです。

来週からは、受験講座をしていた時間に面接練習がバンバン入りそうです。

お前の目は節穴か

11月7日(水)

自分の間違いを自分で発見し、自分で直せるようになったら、一人前に一歩近づいたと言えるでしょう。学生たちのノートをチェックすると、同じレベルでもこの力の差がけっこう大きいことに気づかされます。

クラスでディクテーションをして、何人かの学生に答えをホワイトボードに書かせ、その正誤をみんなで判定し、間違った部分を赤で直し、全学生がその正答を確認しています。しかし、後日ノートを集めて点検すると、細かいところまできちんと直している人もいれば、明らかな間違いを放置している人もいます。学生の性格によるところもあるでしょうが、概して成績のよくない学生は間違い放置組みにいます。日本語がゼロに近い学生なら直してあげもしますが、そこそこ日本語がわかるはずのレベルの学生だと、「自己責任」を取らせたくなります。でも、そうするとその差がますます広がるばかりなので、あーあと思いながら赤を入れます。

間違いに気づかない学生は、自分の答えは絶対に間違っていないと信じ込んでいるのでしょうか。その面々を思い浮かべるに、そこまで傲慢な人たちだとは思えません。これも、社会心理学などでいう正常性バイアスの一種だと思います。教師が「ここはみんなが間違えやすいから気をつけろ」と言っても、自分は間違えることなどないだろうと勝手に決め付けてしまい、正しい判断をせず、したがってしかるべき処置もとらず、間違いが放置されるのです。教師がチェックして直せば、そして、その教師の指摘を受け入れれば、テストで減点されるなどの最悪の事態は免れます。しかし、そういうバイアスのかかった目で見ると、教師の入れた赤も学生の目には映らないことだってあるかもしれません。

今度の日曜日はEJU、来週の木曜日は中間テスト。今学期も時間がどんどん流れていきます。

赤点

10月31日(水)

「はい、3時ですから15分休みましょう」と言って職員室へ帰りかけたところにKさんが来ました。「授業の後で先週の漢字テストの再試を受けてもいいですか」「はい、いいですよ」。

そして、授業後。発音チェックを受ける学生に混じって、Kさんが再試のテスト用紙をもらいにきました。制限時間10分ですが、発音チェックを2人こなした5、6分後に解答用紙を持って来ました。即、採点を始めると、Kさん、小さい声で「あっ!」。自分で自分の答えの間違いに気づきました。その間違いも含めて85点で、合格でした。

しかし、Kさんはまた新たな再試を抱えてしまいました。授業の最初に行った今週分の漢字テストでが、また不合格だったのです。どうやらKさんは漢字が徹底的に弱いようです。苦手意識が先立って、合格点を取るのをあきらめてしまっているのかもしれません。来週の水曜日もまた、再試を受けるのでしょう。

Mさんにも同じようなところがあります。Mさんは大学進学を考えていますが、EJUの成績が伸びません。話をさせると、難しい漢語も使って抽象的な話もかなりできます。ところが、読解問題は漢字が読めないので解けないと言います。だから、11月のEJUでは、読解は捨てて、聴解・聴読解で可能な限り高い点を取るという作戦に出ることにしています。

KさんもMさんも、漢字ができないことにへこたれず、自分の日本語力を必死に伸ばそうとしています。しかし、漢字をどうにかしない限り、その努力が、EJUの点数のように、目に見える形を成すことはないでしょう。KさんやMさんを直接見ている教師は、2人を力のある学生だと認めますが、大学の入試担当者は、数字を見て判断するでしょうね。気の毒ですが、これが現実です。

職員室への帰り道は、なんとなく足取りが重かったです。

永久に不滅

10月27日(土)

先週の土曜日に行われたEJUの模擬テストを欠席した学生に対して、欠席したことをその学生の学生カルテに入力しました。賞罰の罰の欄に“10.20EJU模試無断欠席”と書き入れました。コンピューターに入力しましたから、その学生が卒業するまではもちろんのこと、卒業後も半永久的に無断欠席の記録が残ります。

模擬テストの申し込みの時に、申し込んだら欠席できないと繰り返し注意しておいたのに、これらの学生は欠席しました。主催する専門学校との信頼関係に基づいて参加させてもらっているのだから、欠席はKCPの名前に傷を付けることになる、と伝えました。でも、とりあえず申し込んでおいて、気が進まなかったら休んでもいいや、という気持ちで申し込んだ可能性が否定できません。本当に具合の悪かった2名からは連絡をもらっています。

携帯電話が普及して以来、約束の重みが軽くなったと言われています。ケータイに連絡することで、気軽にドタキャンできるようになったからです。そして、いつのまにかドタキャンの連絡すら省略されるようになってしまいました。それではいけないということを教えようと、約束の重みを感じさせる指導をしてきているつもりですが、模擬テストの無断欠席のような行動を根絶するには程遠いのが現状です。

私は語学の教師に過ぎませんが、言葉の表面的な意味だけではなく、自分の発した言葉が受け手に与える影響や、自分が受け取った言葉に込められた送り手の心まで察することのできる学生を育てたいと思っています。だから、多少大人気ないかもしれませんが、“無断欠席”と入力しまくったのです。

過ぎたるは猶…

10月23日(火)

授業後、Tさんが志望理由書を見てほしいと持って来ました。頭痛がするか吐き気を催すような志望理由書ばかりを見てきた目には、一読で内容がすっと理解できるTさんの志望理由書が神々しくさえ見えました。文法的な手直しは、助詞をわずかに訂正する程度で終わりました。文法チェックに加えて、Tさんは字数制限に合わせるために200字ぐらい削ってほしいと言います。ところが、Tさんの文章には無駄がありませんから、なかなか削れないのです。一部の言葉を置き換えて数文字ずつでも削りましたが、積もるほどのちりにはなりません。

こうなると、隙のない文章というのも考え物です。試合前のプロボクサーのごとく、十二分に筋肉質の体から無理やりに脂や水分を絞り出すようなものです。ですから、字数を減らすには文章の骨格から抜本的に見直す必要があります。でも、文章の骨格に手を入れると、Tさんの志望理由書ではなく、私の創作になってしまいかねません。そんなことまで考えると、かえって頭痛に吐き気の志望理由書よりも厄介にすらなってきます。

どうにかこうにか赤を入れてTさんに手渡したところで、私は受験講座の時間が来たのでタイムアウト。受験講座の合間にたまたま顔を合わせたTさんに聞いたところ、それでもまだ100字ぐらいオーバーしているとか。こうなったら根性を決めて、Tさんに事情聴取して白紙の状態からつくり上げるほかないでしょう。Tさんの志望校は締め切りが迫っていますから、明日は腰も腹も据えて取り掛かることになるかもしれません。

初授業

10月22日(月)

始業日から10日も経って、ようやく初めて最上級クラスの授業に入りました。先週は養成講座の授業のため、このクラスの授業が2回とも代講になってしまったのです。

Mさんも、10日経って今学期初めての授業でした。就職試験のため、先月末からずっと一時帰国していたのです。まだ結果が出たわけではありませんから、もうしばらく落ち着かない気持ちで授業を受けることになるのでしょう。最上級クラスともなれば、進学だけではなく、就職を狙っている学生もいます。日本語力を生かせる仕事となると、あるようなないような、ある意味、運任せのところもあります。MさんのほかにもSさんも就職狙いですが、どうにかいい結果につなげてもらいたいです。

Yさんは欠席でした。授業後電話をかけたら、昨日T大学の試験があり、先週末からあまり眠れなかったそうです。ゆうべは、試験が終わってほっとして気が緩んで、これまでの睡眠不足を取り戻すかのように、昼まで寝てしまったとのことでした。そういえば、同じ大学を受けたKさんもこちらが隙を見せると寝ていました。面接試験というのは、どんなに日本語ができるようになっても、プレッシャーになるようです。

「プレッシャーをばねに」とはよく言われますが、それができるのは本当に力のある人たちだけです。YさんもKさんもそんな緊張する必要はないのですが、やはり本番の雰囲気は独特なのでしょう。文字通り力を出し切ってもぬけの殻みたいになっていたのかもしれません。

このクラスには、まだまだ受験を控えた学生が大勢います。今学期は、そんな学生たちのお世話が中心です。

見えない

10月18日(木)

医学部入試の合格者決定過程で不正が行われていた例が、最近相次いで発覚しています。差別を受けて不合格にされた方たちの悔しさは、いかばかりでしょう。

どの大学でも、浪人していない男性を優先的に合格させてきたようで、まるで家のことは専業主婦に任せてひたすら働いていた猛烈サラリーマンを育てる機関になったかのようです。医師の仕事はかなりハードだから女性には厳しすぎるという、理由とも言い訳ともつかない差別した側の言葉がそれを裏付けています。

医学部に進む留学生はほとんどいませんから、また、いたとしても留学生特別入試なら試験方法も合否基準も日本人受験生とは違いますから、留学生がこの不正の犠牲になっていたとは考えにくいです。しかし、合否判定に関しては、どこまで信じていいかわからないうわさが常に流れています。「A大学はB国の学生は合格しやすいが、C国の学生はなかなか合格できない」「D大学は高校を卒業したばかりで英語がよくできる女の学生を好む」「E大学は1つの日本語学校からの合格者は1人にしている」…。

もし、こういったうわさが事実なら、医学部入試の不正に匹敵するような差別です。あってはならないことだとは思いますが、うっすら実感できる話もあります。留学生入試は、日本人高校生入試に比べてブラックボックスの部分が大きいです。日本人向けの試験問題は公開しているのに、留学生向けの問題は非公開という大学も少なからずあります。こうした秘密主義が憶測を呼ぶのです。

そういう面から、私は今回の一連の不正事件に興味を持っています。

講義と採点

10月3日(水)

ここのところ、学期休み中に日本語教師養成講座の講義を担当することが多くなりました。学期が始まってしまうと、通常授業のほうに代講を立てなければならなくなるためです。今シーズンも、きのうから始まっています。

7月期は初級文法で、今学期は中上級の文法です。そうはいっても、私の文法の講義は、例えば「みんなの日本語」の範囲が初級だとか、N1の文法項目だから上級だとかという分け方ではありません。最初に教えるのは初級でも中上級になっても間違える文法とか、中上級では取り上げ方を変える項目とか、文法を語用論的に考えてみるとかしています。初級からの連続性と、日本語をコミュニケーションのツールとして考えた場合の位置づけに力点を置いています。

語用論では、日本人にとっては自明のことでも外国人にとっては意味不明のことを分析していくこともあります。また、授受表現や指示詞や受身・使役の高度な使い方など、上級の学習者が最後まで間違えることも取り上げています。私の講義では、学習者への教え方はやりませんが、教えるべきポイントは取り上げます。

午前中はそんな感じでパキパキ授業をしたのですが、午後、上級の期末テストの採点になると、勢いが衰えてしまいました。養成講座で訴えたことが、そのまま自分に跳ね返ってきたかのようでした。学期を通して学生たちに訴えたかったこと、できるようになってほしかったことが、一部の優秀な学生を除いて、からっきしだったのです。会話テストでとっさに言葉が出てこなかったのならわからなくもありませんが、学生たちの得意なペーパーテストでこれだと、少々頭が痛いです。理解が表層にも達していないおそれがあります。

この学生たちが卒業するまでに、どのように鍛えていけばいいでしょうか。宿題が重くのしかかります。

涙のかなたに

9月27日(木)

Kさんは7月までは欠席もほとんどなく、成績も優秀で、何の問題もない学生でした。しかし、7月末に体調を崩してからというもの、なかなか健康を取り戻せず、しかも、熱がある時に体を動かしたら階段から落ちてけがまでしてしまいました。精神的にも参ってしまい、今月もほとんど登校していませんでした。

そのKさんが、期末テストを受けに来ました。テスト範囲の授業をほとんど聞いていないのですから、テストを受けてもできるはずがありません。並の学生なら「どうせ…」と思って休んでしまうものですが、Kさんは出てきたのです。顔を見ると明らかに調子が悪そうだったのですが、テストを受けるとともに、今までの事情を説明に来たのです。

Kさんは来学期以降もKCPで勉強したいと言いました。私も、こうしてきちんと現状を明らかにしようというKさんなら、このままずるずると長欠に陥ることはないでしょう。健康状態が回復すれば、勉強を続けてほしいと思います。しかし、「健康を回復すれば」という大きな条件が付きます。今、日本で勉強を続けるよりも、一旦帰国して体を完全に治してから再挑戦したほうが、Kさんにいい結果をもたらすかもしれません。勉強を継続するか帰国するか決められるのは、Kさん自身です。Kさんならその判断ができると思います。

そういう話をしたら、Kさんは泣いてしまいました。涙の理由は聞きませんでしたが、自分自身に対して涙していたことは確かです。国で勉強していたら流すことのなかった涙でしょう。同じ国から来ている同級生のYさんが慰めていました。どういう結論に至っても、この涙が無駄にならないことを祈るばかりです。