Category Archives: 試験

目の前の学生

11月15日(金)

教卓のまん前の席を指定されたGさんは、テストの前から落ち着きがありませんでした。隣の席のXさんのノートをのぞき込んだり国の言葉でなにやら質問したりしていました。直前の確認と言えば聞こえがいいですが、表情はあまり真剣には見えませんでした。

テストが始まっても、貧乏揺すりこそしませんでしたが、口をパクパクさせたり手をあっちこっち動かしたり、あげもらいか貸し借りか行き来かわかりませんが、語彙か文法か自分なりに確認しているようでした。周りの学生は試験問題に真剣に取り組んでいるので、そんなGさんの動作など眼中にないようでしたから、放置しておきました。

聴解の時間になると、できない学生の典型的パターンに陥りました。次の問題が始まっているのに、前の問題の答えをあれこれいじりまわすのです。消しゴムで消して書き直している間に、新しい問題はどんどん進みます。そうすると、その問題も聞き取れなくて、そのまた次の問題の時に答えを考えることになります。すると、そのまたまた次の問題が…というように、悪循環に陥ってしまいます。Gさんは自転車操業にもなっていないようでした。

多くの留学生を見ていると、中には勉強に不向きなのもいます。そういう学生は勉強以外の分野で活躍すれば幸せになれるでしょうが、日本語という外国語を勉強しているうちは、苦難の連続です。Gさんにもそんなにおいを感じ取りました。まだ初級のGさんは、卒業が再来年の3月です。それまでもつのかなあと、心配になりました。

中間テストが終わりました。あさっては水上バスの旅です。Gさんも、こちらは楽しんでくれるでしょうか。お台場で活躍してくれるでしょうか。

頭を鍛える

11月13日(月)

「昨日のEJUはどうでしたか」「…」。私のクラスの学生たちは、昨日のEJUについて何も語ってくれませんでした。私も学生時代は、学校の平常テストから入学試験まで、過ぎ去ったテストのことは一切忘れ、出来や感想を聞かれても「まあまあ」としか答えませんでした。答えが間違っていたことがわかってもどうすることもできず、ただ落ち込むだけですから。学生たちがそこまで考えて無言だったのかどうかはわかりませんが、今ここでEJUの反省をするより、各大学の独自試験の対策を考えたほうが前向きであり、現実的です。

さて、その独自試験対策ですが、理科系の受験講座では、筆答試験や口頭試問に備える授業を始めました。どちらにしても、自分の思考の軌跡を明確かつ論理的に述べることが重要です。数式の羅列や独りよがりの演説では通りません。でも、EJUのマークシート方式の訓練を続けてきた学生たちは、答えを見つけるテクニックには長けているかもしれませんが、導き出す力はあまり磨いていません。

それから、大学に進学したら、数式を追いかけながら先人の足跡をたどったり、目の前の現象を数式や法則に落とし込んだりというように、演繹的にも帰納的にも論理思考が必須となります。そういう頭脳の基礎を今のうちから築いておきたいのです。大学院に進んだら、未知の世界を自分の脳みそで切り開いていかなければなりません。それにたえうる頭へと鍛えていきたいのです。

これが、私が学生たちにできる最後のご奉公だと思っています。

作戦立案

11月11日(土)

職員室のあちこちから、水上バスを降りた後のお台場ツアーのプランを話し合う声が聞こえます。通常のバス旅行だと、例えば富士急ハイランド内をどう歩き回るか、どんなアトラクションをどんな順番で回るかという話になるのですが、お台場は有料無料のアトラクションが多すぎて、一筋縄ではいきません。また、富士急ハイランドなら絶叫マシンに乗ってしまえばあとはのどがかれるまで叫び続けるだけで、そこには国籍も日本語レベルもありません。しかし、お台場はそういうわけにもいかず、教師の頭を悩ませるところとなっています。

私のレベルは行き先が決まっていますが、予定している昼食会場から約2.4キロあります。私は歩くのが大好きで、しかも速いですから、お台場みたいなまっ平らなところの2.4キロなら、どう考えても30分はかかりません。しかし、学生を引き連れていくとなると、下手をすれば1時間近くかかってしまうかもしれません。学生たちが何十分もの行軍に耐えられるとは思えません。ゆりかもめで移動してもいいですが、あの狭い車内に一気に何十人も乗り込むと、その便だけとんでもない混雑になってしまうことも十分考えられます。

さらに、上級の学生はなまじ日本語ができますから、単独行動に走るおそれも否定できません。富士急ハイランドや日光江戸村などで迷子になると、東京まで帰り着けないかもしれません。しかし、お台場なら、ゆりかもめに乗っているうちに東京タワーや山手線が見えてくることでしょうし、りんかい線だったら気がつけば新宿などというラッキーパターンもありえます。そんなことをされたら、教師の心臓はいくつあっても足りません。だから、私たちと一緒に歩いていくと面白いことに出会えるよという企画を立てねばならないのです。

さて、明日はEJU。対策講座に出た学生たちには、今晩は8時に寝るように言っておきました。すっきりした頭で実力を遺憾なく発揮し、気持ちよく水上バスの旅に参加してもらいたいです。

初スーツ

11月8日(水)

今週末、Jさんは入試の面接があります。その面接練習をするために午後職員室に現れたとき、買ったばかりのスーツも持っていました。スーツの着方がわからないので、そこから指導してほしいとのことです。

まず、ワイシャツ。スーツを買った店で一緒に買ったのですが、首回りがちょっときつそうでした。ワイシャツは袖の長さと首回りで選ぶという大原則も知らなかったようです。店も、首回りぐらい測ってくれなかったのでしょうか。

次はネクタイ。もちろん、締めるのは初めてなので、私が指導することに。でも、こちらは毎朝無意識に手を動かしていますから、教えるとなると戸惑ってしまいます。Jさんが見てよくわかるようにゆっくり実演しようと思っても、いつもとリズムが違うとこちらまでうまく結べなくなってしまいます。それでも何回か締めているうちに形が整ってきました。

新品のスーツを取り出し、タグなどをはずし、袖を通そうとしますが、センターベンツが仕付け糸で止まっています。ズボンのベルトも初めてのようで、長すぎる分だけ切ろうとすると、心配そうな顔に。

まあ何とか着られたところで、ようやく面接にと思いきや、面接室への入り方がわからないと言います。ノックや挨拶のしかたを教えました。面接室からの出方も練習しました。

やっと面接本番…にはなりませんでした。自分なりにまとめてきた志望理由を読んでくれと言います。絶対に他の受験生とかち合うことがない志望理由でしたが、強烈過ぎて上滑りするおそれも感じました。角を矯めて牛を殺してはいけませんから、Jさんらしさを消さない範囲でいくらかマイルドに書き直しました。

久しぶりに野生児登場という感じでした。そもそも、本番3日前から面接対策というあたりからして、大物ぶりを発揮しています。Jさんは実力的には合格の可能性が十分にありますから、あと2日のうちにどうにか形にしたいです。

少ない

11月6日(月)

今朝、教室に入ると、やけに学生が少なく、寂しい雰囲気が漂っていました。いつもより少し早く教室に入ったせいかなとも思いましたが、始業のチャイムと同時ぐらいに駆け込んできた学生を加えても、教室はいつもより空間が広かったです。

休んだ面々を見ると、今度の日曜日のEJUに備えて自室にこもっていそうな学生たちでした。毎回こういう学生が出現しますから、いつものことかと思う反面、そんなことしたってどうにかなるわけでもないのにとも思います。本人たちはぎりぎりのところでの追い込みのつもりなのでしょうが、そういう効果が現れるのは、規則正しい生活が送れる強い意志を持ったごくわずかな学生だけです。

まず、朝寝坊するでしょうから、そこで効果が半減。そして、自分の部屋という緊張感のない環境だと、勉強の密度も下がります。せめて近くの図書館へでも行けば自室ほどいい加減にはなりませんが、それだったら学校の図書室だって同じです。悪友の誘惑がないだけ図書館のほうが有利だというかもしれませんが、良友からのプラスの刺激もありません。

何より、試験の直前に夜更かし・朝寝坊の生活を送ると、本番の日の朝にすっきり目が覚めず、いわば時差ボケ状態で試験を受けることになります。当然、好成績は望めません。ふだんの生活リズムを崩さず、朝9時に頭の芯からシャキッとしているような生活が、試験の直前だからこそ必要なのです。去年の11月のEJUで満点を取ったJさんは、無遅刻無欠席でした。

幸い、私の受験講座の学生は、みんな顔を揃えていました。こちらの学生たちに期待を寄せることにしましょう。

一喜一憂

10月26日(木)

私のクラスの学生2人が、それぞれ先日受験した大学に合格しました。実力的に受かって当然でしたが、だからといって喜びが減じるわけではありません。改めて合格の知らせを聞くと、思わず顔がほころんでしまいます。

「受かって当然」というのは、あくまで教師目線の話であり、受験した当人は、発表まで気が気でなかったことでしょう。試験は水物とはよく言ったもので、今までに喜ばしい方向の奇跡も、残念な結果の奇跡も、少なからず見てきました。だからこそ、ほっと一息つけるのであり、「よくやった」と言ってやりたくもなるのです。

この2人は、おそらくこの大学に進学するでしょうから、これで受験は打ち止めになると思われます。しかし、この2人以外のクラスの面々は、いまだ無所属新人状態であり、これからが山場です。先月、志望理由書を書くのを手伝ったSさんがゆうべ面接練習を申し込んできたので、明日の授業後にすることにしました。Lさんは来週締め切りの志望理由書を持ってきたので、思いっきりダメ出しをして書き直しを命じました。

受験講座はあと2週間あまりに迫ったEJUに向けて、日々訓練中です。この時期になると、正攻法の解き方だけではなく、とにかく答えをあぶりだすずるいテクニックも教えます(こういう真の実力につながらない怪しい道筋があるので、理系のマークシートは好きになれないのですが…)。

今学期は入試の小論文の授業も担当しています。今週の小論文を半分ぐらい読みました。さすがに超級の学生たちだけあって、文法の間違いは少ないのですが、内容があまり伴っていません。学生たちの世界は狭いなあと思わずにはいられません。

だからこそ、KCP読書週間なのです。

大差

9月29日(金)

期末テストの採点をしました。当然のことですが、勉強していなさそうな学生は悲惨な成績でした。テスト前日に未受験のテストをあわてて受けたような学生は、軒並み不合格です。出席率の悪い学生も、見当違いの答えを連発するか、潔く(?)白紙かで、合格点ははるか彼方でした。

こういう学生たちに限って、11月のEJUや大学独自試験の準備をしていたなどと言い訳をします。ある程度は本当でしょうが、地力があれば何とかなりそうな問題まで間違えていますから、自分の実力のなさをさらけ出しているようなものです。意味不明な例文を書き連ねているようじゃお先真っ暗ですよと言いたくなります。

だって、同じように受験勉強に精を出していても、すばらしい成績を挙げた学生がいるんですから。そういう学生たちは集中力がありますね。教師の言葉を聞き逃すまいという気持ちは、顔に表れます。授業中や授業後にしてくる質問の質の高さから、勉強の密度の濃さがうかがわれます。

私が採点した範囲では、結局、赤点だったら救いの手を差し伸べようと思っていた、普段から頑張っていた学生はみんな合格点を取り、落ちたのはダメだったら見捨てようと思っていた怠け者たちでした。そういう意味では、今回の期末テストは非常によくできていたと言えます。

今回のテストは、できた学生とできなかった学生とが鮮やかに色分けされました。後者の中には、お前は一夜漬けすらしようと思わなかったのかと言ってやりたくなる学生もいます。本命校の入試日が翌日に控えていたというのなら情状酌量の余地もありますが、おそらくスマホをいじりながら前夜を過ごしたのでしょう。どうにかして目を覚まさせることが、担当した教師の最後の仕事だと思います。

年寄りばかり?

9月28日(木)

Lさんは、左足を右膝の上に載せて足を組んだり、右手に頭を載せて壁のほうを向いたり、机の上の消しゴムや学生証を落としては拾ったりと、実に落ち着きがありません。PさんとSさんは絶えず貧乏ゆすり。Kさんは左腕で腕枕をするように机の上に体をもたせ掛けて問題文を読んでいます。私が監督した教室には、いったいどうなのだろうという姿勢で期末テストを受けている学生が目立ちました。

頭をかきむしりながら難問に取り組んでいるなら、頑張っているなと好感を持つかもしれません。でも、Lさんたちの態度は、見ていて気分のいいものではありませんでした。KCPの期末テストなら、「こいつはまったくもう」などと思いながら試験監督が苦笑いするだけですみますが、入学試験だったらどうでしょう。試験中の姿勢だけで落とされることはないでしょうが、他の評価が同点で並んだ場合、誰を落とすかとなったら、Lさんみたいな受験生でしょう。私が決めるのだったら、そうしますね。

入学試験は、殊に競争率が高いところでは、落とす材料を探す手段の1つです。それに対抗するには、落とされる材料を相手に与えない、隙を見せない用心が必要です。ライオンの前で昼寝をするようなまねは許されません。K先生は、受験クラスの授業では常に「背筋を伸ばして」と指導しているそうですが、学生の体作りも含めて、理にかなっています。

人を外見で判断してはいけないと言われますが、外見で判断されるのが世間というものです。来学期はこんなことも学生に伝えていきましょう。

論理構成

9月26日(火)

道がぬれていますね。どうも          ようですね。

この下線部に言葉を入れなさい、という問題が出たらどう答えますか。この問題を作った人は「雨が降った」を正解としていますし、多くの方がこれに類する言葉を入れるのではないでしょうか。

「雨が降った」を入れた方は、どうしてそう答えたのですか。これにきちんと答えるほうが難しいかもしれません。道がぬれているという状況を見て、その原因を考えると、「雨が降った」が一番自然だから、というのが基本的な論理構成でしょうか。

こんなに深く考えずに、「だって当たり前じゃん」でおしまいにしてしまう人だっていることでしょう。ところが、これが全然当たり前ではない人もいるのです。Fさんがその1人です。Fさんの答えは「雨が降る」でした。

道がぬれていますね。どうも雨が降るようです。

「雨が降る」といえば、未来のことです。「ようです」は推量です。道がぬれているという現在の状況の原因を推量して答えてほしいのですが、Fさんは未来の出来事を答えていますから、ある現状の「原因」にはなりえません。「降る/降った」というテンスの間違いかと思ったら、Fさんは「今、降ります」といいます。要するに「雨が降っているようです」と答えたかったのです。

でも、現在進行形で雨が降っていることを指摘したかったら、わざわざ「道がぬれていますね」などとは言わないでしょう。こういう説明をしても、Fさんは理解してくれません。「今雨が降っているのだから道がぬれている」という論理のどこがいけないのかと、疑問たっぷりの目つきで私を見つめます。

あれこれ手を尽くしましたが、Fさんに「道がぬれているのはわりと近い過去の一時点に雨が降ったからだ」という理屈を理解させることはできませんでした。もしかすると、Fさんと私(たち日本人)は、根本的に発想が違うのかもしれません。これが事実なら、こういう日本人独特の発想に基づく論理をテスト問題にしてはいけないということにもなりかねません。でも、こういう考え方をするのが日本人であり、それが日本文化だよと、日本にある日本語学校に勤める私は、押し切ってしまいたいところです。

9月21日(木)

「貧乏ゆすり」というくらいですから、いすに腰掛けている時、絶えず膝を揺らし続けることは、日本人の目からはみっともなく見えます。授業をしていると、国籍性別年齢を問わず貧乏ゆすりが見られることから、日本以外の国ではそれほど見苦しい癖ではないのかもしれません。そうは言っても、クラスにいる20人ほどの学生の大半に貧乏ゆすりをされると、こちらも体や心のバランスが崩れてきそうになってきます。

大学先学志望の学生を集めたクラスで、志望理由書を書かせ、その志望理由書に基づき、1人1答の面接をしました。教卓のまん前にいすを置いて、そこに1人ずつ読んで座らせ、書きたてほやほやの志望理由書を見ながら、私が質問するというものです。他の学生が見ている前で、まだ面接慣れしていないこの時期に、予期せぬ質問をされるとなると、緊張はするでしょう。だから、無意識のうちに膝が揺れていたということもありうるでしょう。でも、貧乏ゆすりしないほうが少数派だったというのは、予想だにしなかった結果です。

授業の最後にクラス全体にそのことを注意すると、みんな驚いたような顔をしていましたから、きっと自分自身でも気づいていなかったに違いありません。現に、「私は貧乏ゆすりをしましたか」と聞いてきた学生が数名いました。そして、していたと指摘すると、ちょっと落ち込んだ表情になりました。

各大学の面接官も私と同じ神経を持っているとすると、質問に対する答えがどんなにすばらしくても、貧乏ゆすりひとつでその好印象が帳消しになってしまうでしょう。ましてや発音不明瞭だったりしたら、絶望的です。これも、学生たちの大好きな日本文化の1つです。

こんな評論家的なことを言っている暇はありません。受験シーズンは始まっていますから、面接練習の場でばりばり鍛えていかなければなりません。貧乏ゆすり撲滅――これが、今シーズンの私の目標です。