Category Archives: 社会

しばらくお休み

3月29日(金)

東京も、ようやく桜が咲きました。昨年より15日、平年より5日遅い開花だそうです。今朝の通勤時に見た四ツ谷駅の桜はまだ全然でしたが、雨が上がる前後からぐんぐん気温があがりましたから、靖国神社の標本木のつぼみがほころんだのでしょう。予報によると、明日から最高気温が20℃を超える日が続きますから、一気に満開まで上り詰めてしまうかもしれません。桜の方だって、寒さによる休眠打破は十分すぎるくらいでしたから、あとは気温さえ上がればと待ち構えていたに違いありません。

こうなると、あちこちお花見に行きたくなるところですが、今年の私はそういうわけにはいきません。来週早々、入院して手術を受けなければならないです。左下の奥歯の根っこの近くに膿の袋があり、それが付近を通る神経を圧迫するおそれがあるということで、その膿の袋を取り除くのです。歯医者で虫歯のレントゲンを撮ったら膿の袋があることがわかり、大学病院で詳しく調べてもらったら間違いないと診断され、手術を受けることになりました。

大学生の頃、親知らずが、上ではなく手前の歯に向かって生えてきて、そのため手前の歯が痛くなり、原因となっている親知らずを抜きました。この時も、街中の歯医者では手に負えず、大学病院で抜歯しました。のみとトンカチで骨を削るという荒っぽい方法で親知らずを抜き取りましたが、日帰りでした。そういう経験がありましたから、今回の手術は1時間ほどだと聞いて、親知らずと同じくらいだろうと思い、「じゃあ、1日で済みますね」と先生に確認したら、「いえいえ、全身麻酔で手術しますから、4日間入院してもらいます」と言われてしまいました。「何考えてるんだ、このアホな患者は」と思ったでしょうね、先生は。

以上のような事情で、4月1日から4日まで、入院します。病室から桜が見えるとは思えませんから、お花見はしばらくお預けです。「春の心はのどけからまし」を地で行くような4日間となりそうです。

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祝? 開業

3月16日(土)

北陸新幹線が敦賀まで延伸開業しました。敦賀は、10年以上昔になるかと思いますが、1度だけ行ったことがあります。気比神宮という立派なお宮さんがあり、かつて大陸への連絡船が出港した港町です。山が海に迫り、鉄道も高速道路も狭い平野部を目指して集まり、いかにも交通の要衝といった感じがしました。歴史ファンとしては、金ヶ崎城跡は外すことができず、しっかり見てきました。城を築きたくなる山の上にありました。その近くの金ヶ崎宮で、小豆袋守を授けていただきました。織田信長が浅井長政に裏切られた時、妹の市姫から届いた小豆袋で危機を察知し、際どく京まで逃げ切ることができた故事から、難関突破、開運招福のご利益があります。学校の机の一番上の引き出しにしまってあります。

新幹線ができた代わりに、北陸本線が第3セクター化され、北陸と大阪・名古屋の間を鉄道で行き来しようとすると、敦賀駅での乗り換えが必要となりました。JRは8分で乗り換えられると言っていますが、JRの職員が予行演習したところ、13分かかったとか。開業初日はどうだったのでしょう。ネットで見る限り、大きな混乱は起こっていないようです。

そもそも、計画から完成まで半世紀もかかっているということが大きな問題です。“北陸まで新幹線が通じれば便利になる”ことは間違いありませんが、どこをどう通って北陸に至るか、そこでもめ続けた半世紀と言っていいでしょう。乗り換えを嫌う客がJRから高速バスに流れたら、何のための半世紀という時間だったのか、わからなくなってしまいます。

東海道新幹線を造った十河信二は、「新幹線が経済的に成り立つのは東京・大阪間だけ、甘く見て岡山までだ」と言ったそうです。その十河信二が敦賀開業を見たら、どう思うでしょうか。

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少子化対策はやっぱりない

3月4日(月)

朝、出勤すると、ロビーに雛人形が飾ってありました。遅ればせながらですが、今年は2月29日が学校行事でみんな出かけましたから、しかたのないところでしょう。

昔は、「雛飾りを片付けるのが遅れると、お嫁に行くのが遅くなる」と言われたものです。それに従えば、KCPの女子在校生全員の婚期が遅れるということになります。でも、今時、婚期がどうのこうのということ自体、あまり話題にならなくなったような気がします。それだけ晩婚化、非婚化が進んだのです。

金曜日とは別のクラスで、日本の出生数と韓国の出生率の動画を見せて、どんな条件が整えられれば安心して子供を産み育てられそうかというテーマで話し合ってもらいました。数人のグループをいくつか作りましたが、どのグループもメンバーが意見を言い合っていました。

しかし、結論は厳しいものでした。多少は改善されつつあるものの、子どもを産み育てることにおいては女性の負担が大きく、動画で述べられていたように、自分のしたいこととの両立が難しいと訴えた学生もいました。また、親世代と自分たちの世代とで、子育てに対する考え方が違うから、子育てを親に頼れないという意見も出てきました。自分たちが子供の頃はその差が小さかったので、親世代はそのまた親世代(学生たちから見ると祖父母世代)に頼れたけれども、今は違うというわけです。そんな感じで、学生の多くが、積極的に子供を持ちたいとは思っていないようでした。

日本人の若者も同じように考えているんでしょうね。少子化の打開策を考えるよりも、少子化を前提とした社会づくりに力を入れるべきなのかもしれません。

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少子化対策はない?

3月1日(金)

今週は立て続けに2件、少子化の進行を示す統計が発表されました。1つは、昨年の日本の出生数が一昨年比5%減の75万人余りだったという厚生労働省の発表です。もう1つは、韓国の昨年の出生率が一昨年より0.06下がって0.72だったという韓国統計庁の発表です。両国とも少子化の進行が問題になっていましたが、さらに深刻化したというデータが示されました。

これを基に、上級クラスでどんな施策があれば子供を産み育てようという気になるかという話し合いをしました。学生たちはこれから子供を持つ(かもしれない)世代です。そして、クラスの大半が少子化に悩む国から来ています。そういう学生たちがどんな反応を示すか、アイデアを出すかに興味がありました。

「避妊薬などに高額の税金を掛ければいい」などという暴論は出てきたものの、残念ながら、膝を叩くような案は出てきませんでした。つまり、各国の施策は若者の心を子育てに向ける力はなく、かといって若者を子育てに向けされる妙案もないということです。さらに言えば、現代社会は若者が子育てに励むには不向きな構造になっているのです。だとすると、日本も韓国も他の国々も、少子化の進行は止められず、社会を支える層が薄くなることによる国家の崩壊は防ぎようがないということになります。

ほんの20分か30分の議論で素晴らしい政策が思い浮かんだら、どこの国も少子化に頭を抱えることはないでしょう。でも、学生たちが、どんな条件が整えば子供を産む育てる気になるか全然見当がつかないというのは、見過ごすことはできません。この状況を打破するには、コペルニクス的発想の転換が必要なようです。

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謝罪会見?

2月5日(月)

今学期は超級クラスで「社会を知ろう」という授業を受け持っています。その名の通り、学生が気づかない日本の一面を取り上げて、日本社会をより深く知ろうという趣旨です。先週から今週にかけての2つのクラスでは、「相撲」を題材にしました。もちろん、琴ノ若の大関昇進というニュースに絡めてです。

まず、琴ノ若と師匠夫妻(琴ノ若にとっては両親でもあります)が並んで、相撲協会からの使者の言葉を聞く場面の写真を見せました。3人は何をしているかと聞くと、2クラスとも真っ先に「謝罪」「謝っています」という答えが返ってきました。背景の胡蝶蘭を無視すれば、確かにそうですね。

ニュース動画を見せたらそれなりに理解できたようですが、大関という地位がどれぐらいのものなのかは、すぐにはピンとこなかったみたいです。「横綱の次」と答えた学生もいましたが、横綱や大関がピラミッドの本当の頂点なんだということまでは、なかなか理解が行き届いていませんでした。

そして、大関は月給250万円、年俸3000万円という金額に驚いていました。それに対して、幕下以下は学生アルバイトにも満たない手当が支給されるだけだということに、それ以上にびっくりしていました。でも、衣食住ほとんどお金がかからないので、そんなお金しかもらえなくても生活できてしまうことがわかると、妙に感心していました。

そんなこんなで、学生の相撲への理解は多少は深まったでしょうか。最後に、先週末の節分で活躍した力士の様子を見せました。鬼を鎮めるのも、力士の役割ですからね。

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美を感じる

2月3日(土)

今週の作文の課題は少々高尚で、自分が好きな芸術作品や建築物などに込められた美意識について書くというものでした。読解テキストに関連した内容ですから、授業で意見を出したり話し合ったりしています。そのため、全く1行も書けない学生はいませんでした。いや、それどころか、こちらが思っていたよりもよく書けていました。もっとも、いつもどうしようもない作文を書いてくるメンバーが欠席だったという面もありますが。

Kさんは水墨画について書いてきました。黒と白の世界である水墨画を見ていると雑念が消え去って、心に平和が訪れると言います。授業中のKさんからは想像しがたいのですが、休みの日には水墨画を鑑賞しに美術館などを巡っているのかもしれません。

Lさんは中国の紫禁城を取り上げました。外国人にとっては、紫禁城は単なる観光名所かもしれないが、その裏に秘められた歴史を知ると、見えてくるものが違ってくると言います。建物内の不自然な構造にも、ちゃんと意味があるのだそうです。歴史的建造物を見る時には、こういう解説が聞きたいものです。

Mさんはタージマハルを見た時の感激について述べています。タージマハルは、建設された時の愛の物語と、その後に控える悲劇の結末を抜きに語ることはできません。これを知識として知っているだけではなく、実物を目の当たりにして感動に浸りたいものです。

しかし…。今回もどこかのサイトの丸写しが疑われる文章がありました。Hさん、あなたは芸術作品や建築物などに込められた美意識に心を動かされたことはないのですか。もしそうだとしたら、あなたの今までの人生は、何と中身の薄いものでしょう。同情を禁じえません。

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バリアフリー

1月29日(月)

足を怪我してからというもの、外に出るたびに何かと不自由を感じています。新宿御苑前駅もその1つで、荻窪行きの電車から降りて階段なしのコースで学校まで来ようとすると、かなり遠回りしなければなりません。階段の上り下りに耐えるか、平坦な道を長距離歩くかの2択となっています。私は、夜明け前の寒空を延々と歩くより階段の上り下りがあっても最短距離ですむコースを選んでいます。

そんなことから、超級クラスの授業でバリアフリーを取り上げました。まず、学生に自分が感じているバリアを挙げてもらいました。すると、健康体の学生たちは、階段とかエスカレーターとかというよりも、不動産が借りにくいとか、アルバイト先で日本人客に信用してもらえないとか、日本人は身分証明書を持たなくてもいいのに自分たちは在留カードを常に携帯しなければならないとか、社会的なバリアをたくさん挙げてきました。

学生たちが訴えたバリアは確かに存在し、バリアを乗り越えなければならない立場だったら辛いだろうなと思えるものばかりでした。「日本の留学生活は楽しいです」と、このクラスの学生に限らず、初級から超級まで多くの学生が口にします。でも、その裏側にはこういうバリアに耐えている、もしかすると涙を流しているかもしれない別の一面もあるのです。

学生たちが挙げたバリアの多くは、日本人側に原因があります。「国際化」という言葉がもてはやされてからかなりの年月が経ちますが、日本はいまだに道半ばのようです。経済力が衰えた上に、このようなバリアを放置したままでは、日本は働いたり勉強したりしに行く国として選ばれなくなるでしょう。

授業の最後に「心のバリアフリー」という動画を見せましたが、本当にこの動画を見る必要があるのは、私たち日本人なのです。

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口先と実行

1月23日(火)

超級クラスの短作文の問題です。(   )に適当な語句を入れて文を完成させてください。

口先だけで何もやらないのは信用されない。何事もただ(   )のみです。

…いかがでしょう。これをお読みのみなさんは、どんな言葉を入れましたか。

超級クラスの学生たちは、いろいろな答えを出してくれました。行動する、やる、実行する、行うのような、英語で言えば“do”っぽい答えが多かったですが、「言葉」的な答えも数名いました。

この問題を作った先生も、私も、前者の系統の答えを求めていましたが、決して成績の悪くない学生たちが後者を書き入れていました。口先だけで何もやらないのは信用されない。何事もただ言葉のみです――うーん、理解できません。どういう発想でこの答えが出てきたのか、わかりません。

そこで、学生たちの話をよく聞いてみると、「“口先だけで何もやらない”のは、すなわち、言葉のみで実行が伴わないということだ」と言いたかったようでした。確かにそういう解釈も成り立ちます。多少強引な気がするのは、私がこういう解釈に不慣れだからでしょうか。

もちろんこれでは日本社会において通用しませんから、「口先だけで何もやらないのは信用されない。それではいけないので、言葉にした事柄は必ず実行しなければならない」という解釈を伝えました。学生たちはこの考えを理解しましたが、心からは納得していない顔つきでした。

最近は、「犬も歩けば棒に当たる」にも2通りの解釈があると言います。だとすると、この問題にも2通りの答えがあってもいいのかもしれません。上述の解釈は、私のような年寄りの発想に基づきます。若い人の考えは、学生たちと同じかもしれません。なんといっても、言葉は生ものですから。

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魔法の杖

1月22日(月)

土曜日にK先生からお借りした杖を持って銀座線に乗ると、席を譲ってもらえました。新宿御苑前から赤坂見附までの丸ノ内線は、高々数分ですから、どっしり腰を落ち着けてしまうと立ち上がる時にかえってしんどそうなので、ドアの際に立っていました。

赤坂見附から上野までは20分ぐらいありますから、実質片足で立ち続けるのは避けたいと思っていました。しかし、入ってきた銀座線はいつもより混んでいるくらいでした。ですからドア際の手すりを確保して姿勢を整えたところ、すぐそばに座っていた若い女性が「どうぞ」と声をかけてくださいました。

私もこういう場面で席を譲ろうとして断られてなんとなく気まずい空気を感じたことがありましたから、ありがたく席に着きました。席を譲ってくださった女性は、新橋か銀座で降りたようです。彼女が降りる時にもう一度お礼を言おうと思っていましたが、見逃してしまいました。

金曜日は杖を持っていませんでしたから、優先席のそばに立ったものの、席を譲ってもらえませんでした。杖の威力は偉大です。逆に考えると、杖を持っていないけれども席を必要としている人が、今まで私の周りにも結構いたということになります。席を譲ることはやぶさかではありませんが、私は席に着くと本を読むことに熱中しますから、譲って差し上げるべき人がそばにいても見逃していたことは多々あるに違いありません。

当分はステッキパワーで席を譲ってもらうとして、足が元に戻ったらちょくちょくあたりを見回して恩返しをしていきたいものです。

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やさしい気持ち

1月20日(土)

けがをした足を引きずって交通機関を利用すると、東京はまだまだバリアだらけだと気付かされます。新宿御苑前駅は、私が生まれる前にできた駅ですから、バリアフリーの発想はありません。地下の浅いところにホームがありますが、そこに至るまではすべて階段。朝、荻窪行きから降りると、私がいつも使う改札口に出るには、階段通路で線路の下を潜り抜けなければなりません。これを避けるためには、新宿三丁目まで乗り越して、ホームの反対側の池袋行きで1駅戻るという手を使うほかありません。また、後付けでエレベーターなどが設置されましたが、KCPとの間の往復の場合、それを使おうとすると、かなり遠回りになります。

乗り換えの赤坂見附はホームの反対側へ移動するだけですが、上野駅はまたしても手すりにしがみつかなければなりません。とどめは自宅最寄りの南千住で、後付けのエレベーターは途中で乗り換えが必要です。

どの駅もそうですが、下りのエスカレーターがありません。しかし、足が悪い者にとっては、上りよりも下りの階段に負担を感じます。こういう話は以前から聞いていましたが、今回身をもって痛感させられました。また、エスカレーターがあっても、エスカレーターから降りる時にバランスを崩しそうになります。もうほんの50センチばかり、エスカレーターの平坦部を伸ばしてもらえると、降りるのが楽になるはずです。

これからは、足の悪い方に少しは優しくなれるような気がしてきました。

今朝、K先生が杖を貸してくださいました。杖を使うと歩幅がだいぶ広がります。昨日は御苑の駅まで15分ぐらいかかりましたが、杖を使って校内を歩いた感じからすると、半分ほどの時間で行けそうな気がします。気持ちが少し明るくなりました。

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