Category Archives: 社会

鋭い追及

3月15日(木)

おとといに続いて最上級クラスに入りました。成り行きで学生が日ごろ感じている日本語の疑問に答えることになりました。

Q1:「すごい」は形容詞なのに、「すごいおいしい」などと周りの日本人が言っていますが、これは正しい日本語ですか。文法的には「すごくおいしい」と言わなければならないと思います。

はい、まさにその通りです。形容詞が別の形容詞や動詞を修飾する時は「~く」の形にしなければなりません。しかし、「すごい」は直後の形容詞や動詞の程度がはなはだしいことを表すことが多く、「とても」のような副詞に近いはたらきをしています。副詞は活用しませんから、「すごい」も変化させずにそのまま使っているのではないでしょうか。

Q2:「食べれる」「見れる」などら抜き言葉は正しい日本語ですか。日本人はみんな使っていますが、タレントがテレビで使うと字幕では「食べられる」「見られる」と直されています。

大半の日本人が使っているのですから、ら抜き言葉はもはや正しい日本語の一部と言ってもいいかもしれません。しかし、日本語教育は保守的ですから、もうしばらく教科書上ではら抜き言葉は正しくないとされるでしょう。

Q3:食べ物のレポーターは、どうして何を食べても「おいしい」としか言わないのですか。

単にそれ以外の言葉を知らないからでしょう。せめて「塩味が利いていておいしい」とかって、どういうところがおいしいか言ってほしいものです。

Q4:若い人たちは何でも「やばい」と表現しますが、なんだかバカっぽく感じます。

私もそう感じます。最近、何でも「大丈夫」で片付けようとする風潮も見えますが、これもよくない傾向だと思います。皆さんには物事を正確に詳しく表現できるだけの語彙力をつけてもらいたいです。

…さすが最上級、実によく観察しています。こういう目で見つめられたら、KCPの先生もちょっと危ういんじゃないかなあ。日本人の皆さん、留学生に尊敬されるような美しく高尚な日本語を使ってください。

2万円の寿司

3月12日(月)

2年前の卒業生のGさんとLさんが来ました。Gさんはあれこれ就活していますが、まだ結果が出ていないとのこと。もう時間がありませんが、最後まで粘り強く仕事を探すそうです。

Lさんは、大阪の調理の専門学校に通っています。東京へは食べ歩きに来たと言います。今晩は、銀座へ2万円のお寿司を食べに行きます。おいしいと評判の店はくまなく回って味の研究をしているそうですが、中にはどうしても予約が取れないところもあると、残念そうな顔をしていました。

大阪で有名な店の名前を出したら、もう行ったことがあるとあっさり言われてしまいました。その店は、私なんかは接待でもない限り食べに行けません。たとえ行けたとしても、緊張して料理を味わうどころではないでしょう。そういう店にも果敢に入って堂々と味わってくるのですから、感心せずにはいられません。しかも自腹ですからねえ…。

アルバイト先にも恵まれているようで、学校で習ったことを実際にさせてくれるそうです。お客さんに出す魚は切らせてもらえませんが、野菜ぐらいは任されることもあるらしいです。Lさんは、和食の料理人になろうと思っていますから、その店での経験は全てがLさんの血肉になります。

専門学校での成績はかなり優秀だと自慢していました。でも、卒業したら国へ帰らざるをえません。寿司職人ではビザが取れませんから。政府が考えている高度人材は学問やビジネスの分野ばかりで、手に職をつけた外国人はその範疇にありません。Lさんが国へ帰ってしまったら、やっぱり人材流失だと思います。まじめに勉強してきたGさんに仕事を用意してあげられない日本の社会は、どこかゆがんでいるような気がします。これからの日本は、国籍が日本の人だけが頑張ればどうにかなる社会ではないと思うのですが…。

まっさらの教科書とくさいトイレ

3月10日(土)

昨日卒業していったXさんが、受験勉強に使った教科書や問題集を持ってきてくれました。私が持っていない教科書でしたから、ありがたくいただくことにしました。

その教科書、正確に言うと、使おうと思って買ったけれどもまっさらのままで終わってしまった、日本の高校の教科書です。教科書は市販の参考書よりずっと安いですが、Xさんの場合、冊数が多いですから数千円に上ります。それを、手垢にまみれるどころかインクの匂いすら漂ってきそうな状態で寄付してくれました。近頃の学生(の親)はお金持ちになったものです。

そのXさん、実はおととい私のところへ進路の相談に来ました。M大学とE大学に受かったけれども、どちらがいいだろうかと聞かれました。私の感覚ではE大学だと答えたら、XさんはM大学のほうがトイレもきれいだしそれ以外の設備も整っていると、受験のときに実際に見てきた感想を述べてきました。どうやら、心の中ではM大学と決めていて、私の口からM大学という言葉を聞き、背中を押してもらおうと思っていたようです。

私がM大学よりはE大学だと意見を変えなかったので、Xさんは態度保留のまま帰りました。それから2日間周りの人に聞いたりネットで調べたりして、自分の勉強したいことを勉強するならE大学のほうがいいだろうという結論に至ったようです。それでも、E大学はトイレがくさいとか食堂が狭いとか、M大学に未練がありそうなことも言っていました。

国立大学は予算が削られ続けていて、人材や施設の充実に影響が出ているという話をよく聞きます。E大学も国立ですから、トイレにかけるお金を研究費か何かに回しているのでしょうか。貧乏な大学で裕福な学生が学ぶ――なんだか皮肉な様相を呈しています。

上下

3月3日(土)

今朝の日本経済新聞によると、文部科学省は大学を「世界的研究・教育の拠点」「高度人材の養成」「実務的な職業教育」の3種類に分類するそうです。文科省が何と言おうと、大学がこの順番に序列化され、KCPから大学進学しようと考える学生たちは「世界的研究・教育の拠点」大学を狙うことでしょう。

抜群に優秀で、間違っても「世界的研究・教育の拠点」大学に入れちゃう学生は、まあいいでしょう。しかし、「世界的研究・教育の拠点」大学に失敗して、「高度人材の養成」大学に受かった学生はどうでしょう。官製ランキングのおかげで、喜びも半減となってしまうかもしれません。

文科省の言いたいこともわかりますし、これが理想的に機能したら日本の大学の世界的地位の向上につながるかもしれません。しかし、今ですら足りない大学への補助金抑制策の一環としてこういうことを考えているのだとしたら、本末転倒だと思います。「喜びも半減」の学生が集まってもその大学を伸ばすパワーにはならないし、このランキングをもとに大学の活動費が削られでもしたら、まさに負のスパイラルです。

また、今はよい意味で大学ランキングの埒外の大学がいくつかありますが、そういう大学もランキング枠内に入れ込むのだとしたら、角を矯めてしまうことになるのではないかと危惧しています。大学側も、官製ランキングに振り回されないような個性と自信を持って、学生に訴えかけてもらいたいです。

有名大学が“いい大学”だという傾向があることは認めます。でも、個々の学生にとっての“いい大学”は、巷間に流布しているランキングとは別の次元のものだとも思います。世間的な“いい大学”を捨てて自分の意志で選んだ大学に進み、そこで充実した学生生活を送っている卒業生が何人もいます。自分の物差しを持てと言われても難しいと思いますが、誰かが作ったランキングで自分の人生を決めていくなんて、悔しいじゃありませんか。

他人の振り見て

3月1日(木)

最近、Jさんを見かけると、挨拶はしてくれるのですが、違和感が残ります。目を合わせていないとか頭の下げ方がぎこちないとか、そういうしぐさそのものではありません。両耳からにょきにょきと突き出しているワイヤレスイヤホンが気になってしかたがないのです。

あれをしたままこちらの目を見て頭を下げられても、心ここにあらずみたいで、かえってこちらが落ち着かないのです。Jさんの笑顔が輝いているだけに、イヤホンが余計に目立ってしまいます。授業中だったら耳からむしり取りもしましょうが、ロビーで会っただけでいきなり耳に手を伸ばしたら、穏やかじゃありませんよね。

Jさんに限らず、電車内や街中でも耳にょき族を見かけます。私はヘッドホンとかイヤホンとかをしたまま歩く習慣がありませんから、そうまでして音楽だか語学レッスンだかに没入しようという気持ちがわかりません。本人は時間を有効に使っているつもりなのかもしれませんが、音による危険察知もできませんし、見栄えがいいとも思えませんし、まあ、独り善がりでしょうね。

…とここまで考えてみて、電車の中でひたすら本を読み、自分の世界に閉じこもっている私も、こういう人たちと同根かもしれないと思えてきました。文庫本などという前時代的なアイテムを手にしている分だけ、かび臭く思われるかもしれません。“ドアの前で本を読んでるオッサン、邪魔くさいで”とかってどつかれても、文句は言えません。私を見てにこやかにお辞儀するJさんのほうが、よっぽど愛想があるじゃありませんか。

明るい町

2月21日(水)

今週になってから、御苑の駅から学校までの道が明るくなったような気がしていました。街灯がなんだかおしゃれになりました。毎朝職員室内をお掃除してくださる、地元にお住まいのHさんに事情をお聞きしたところ、新宿区と商店街と町内会がお金を出して街灯を新しくしたそうです。電球をLEDにしたので、明るさも増したとのことです。

最近引ったくりが増えており、それへの対策でもあるようです。防犯には町を明るくすることが何よりも肝心で、街灯を明るくした路地は犯罪がなくなったとHさん。「ここの前も明るくなると思いますよ。でも、まずは商店街ですよ。なんたってお金持ってるから」ということで、商店街だったのかな。

防犯効果もあるでしょうが、街灯が明るくなると、私のように人通りが少ない時間帯に歩くことが多い人間は、交通事故の心配も減ります。濃色のコートを着ていると、夜は闇に溶け込んで忍者状態になってしまいます。でも、今の商店街の明るさだと、運転する人たちに人影としてはっきり認知してもらえそうです。

また、視線も上を向きます。新しい街灯は支柱に商店街の名前が行灯で入り、それに目が引き付けられるので、首が持ち上がるのです。そうなると、姿勢も良くなります。疲れていても、元気が出てきます。

でも、これは夜道を歩くから気がつくのであって、朝、明るくなってから、夕方暗くなる前に商店街を歩く学生たちは、あんまり気付いていないんじゃないかな。いや、学生たちは夜道だってスマホを見ながらですから、どんなにこじゃれた街灯を設置しても、全く関心を示さないかもね。

寝場所

2月15日(木)

今頃、Yさんは明日の試験に備えてホテルで参考書を開いているのでしょうか、それとももう寝てしまっているのでしょうか。今朝の飛行機で北海道へと向かっています。アメダスのデータによると、札幌は日中いくらか晴れ間がのぞいたようですが、最高気温はー2.3度と真冬日で、積雪は65cmほどあります。

実は、昨日、Yさんの面接練習をしました。もう何回も練習を繰り返し、すでにK大学に受かっているだけあって、面接の受け答えには大きな問題はありませんでした。多少圧力をかけても、変に緊張せずにサラッと受け流す余裕が感じられました。

練習後の雑談で、前日入りで時間に余裕があるようなら、藻岩山に登って札幌の街を上から眺めおろし、面接の際の話のネタにすればいいとアドバイスしました。Yさんは乗り気でしたが、行ったでしょうか。それと、圧雪の上を歩くときに、受験生なのだから間違っても滑って転ぶことのないように、へっぴり腰で見た目は悪くても慎重に足を動かすようにとも言っておきました。

その雑談で、Yさんは成田発のLCCを使うと言っていました。早朝便なので成田に泊まるとも言っていましたから、それではかえって高くつくのではと聞くと、成田空港で一夜を過ごすと、こともなげに言いました。K大学を受けに行った帰りも、早朝発の成田行きに乗るために空港に泊まろうとしたところ、夜になったら締め出しを食らったとのこと。空港近くのコンビニを転々として、朝まで過ごしたそうです。南国鹿児島とはいえ、さすがに冬の夜は寒かったと言っていました。

Yさんは一見繊細そうなのですが、図太い面もあるのだなあと感心させられました。そのバイタリティーを受験でも発揮して、文字通りの「合格」発表日を迎えてもらいたいです。

バレンタイン<募金

2月14日(水)

私が就職した30年ちょっと前は、配属された工場のあちこちの部署からチョコレートをいただいたものです。義理チョコ、その他大勢チョコ、枯れ木も山の賑わいチョコでしたが、それっぽい箱を手渡されると、何はともあれ、思わず微笑んでしまいました。私のところだけじゃなく、工場中にチョコが飛び交っていました。工場内の書類や荷物を運ぶ構内便の荷物室が、この日だけは満載になりました。

最近はハロウィンに追いつき追い越された感があり、お店屋さんでの扱いも穏やかになったように思います。先週末、家の近くのスーパーに入ったら、楽しいひな祭りが流れていました。チョコ売り場は設置されており、それなりにお客さんがいましたが、そのすぐ隣にひな祭りグッズが置かれていました。もはや、若者が大騒ぎする年間の一大イベントではなくなったのでしょう。

「先生、これ、どうぞ」と、授業後、Jさんが私にチョコをくれました。「ありがとう。あなたが女性だったらどんなにうれしかったでしょう」と冗談半分に言ったら、Jさんもちょっと照れくさそうに笑っていました。愛を告げる日ではなく、感謝の気持ちを表す日に変貌したのでしょう。友チョコとかご褒美チョコとかも、身の回りの人たちや自分自身への感謝の気持ちの表明だと考えると、胸にすとんと落ちます。

チョコレートよりも、台湾地震の被災者への募金がにぎわっていました。私は面接練習があったのでじっくり観察する暇はありませんでしたが、有志の胸の前の募金箱にお金を入れている学生たちの姿をチラッと目にしました。

狭いなあ

2月10日(土)

昨日からオリンピックなので、クラスの学生たちにオリンピックについて自由に語ってもらおうと思いました。3人1組で話を始めてもらったのですが、あるグループは30秒もたたないうちに静かになってしまいました。「どうしたの?」「私たち、だれもオリンピックに興味がないんです」「冬のオリンピックじゃなくてもいいんだよ」「夏も冬も全然知らないんです」…ということで、そのグループは盛り上がることなく制限時間になってしまいました。

私もオリンピックに特別強い興味を持っているわけではありません。それでも笠谷幸生から浅田真央まで、それなりに語れますし、よほどオタクっぽいトリビアでない限り相手の話題にもついていけます。マイナーなスポーツならいざしらず、オリンピックですよ。全く語れないというのは、常識に欠けているとされても文句は言えないでしょう。

最近、こういう、興味の範囲の狭い学生が増えているような気がします。読解にしても、読解力以前の、興味関心のレベルが低すぎてテキストの読み込みができない学生がいます。昨日の3人にしても、勉強ができないわけではありませんが、このまんまだと面接試験に耐えられるかどうかわかりません。進学できたとしても、学問を進めるなら今のうちから視野を広げておく必要があります。

Cさん、Hさん、Tさん、Sさん、Lさん、Dさん、みんな4月から進学ですが、私の目には危なく映ります。手を拱いていたわけではありませんが、この学生たちの目を外に向けるには、私は力不足だったようです。卒業式までちょうどあと1か月ですが、どうにかできないものかと思っています。

使わない

2月8日(木)

授業が終わって自分の席で採点していると、H先生が「これ、Yさんの財布です。連絡取ってもらえませんか」と言いながら、ちょっと高そうな財布を私に手渡しました。ちょっと値の張りそうな財布で、カードも何枚か入っていて、その中の1枚にYさんの名前が書かれていました。数えたわけではありませんが、お札がいっぱい詰まっていて、これを失くしたとなったらYさんはショックだろうなと、容易に想像できました。Yさんにメールを送ると、10分後ぐらいにYさんが財布を受け取りに来ました。財布を渡すと、申し訳なさそうに苦笑い。

Yさんの財布には結構な現金が入っていましたが、私が若い頃は、年齢×1000円分のお札を入れておけと言われたものです。つまり、30歳なら30×1000=3万円、40歳なら4万円は、いざという時のために現金で用意しておけということです。でも、今、私の財布には3万円あるかどうかです。その代わり、nanacoやwaonやpasmoなどの電子マネーに、全部で2万円ぐらいは入っているんじゃないかな。図書カードも1万円のが数枚あり、クレジットカードも持っていますから、現金を使うことが少なくなりました。

今朝のクラスで、学生たちに日本で面倒くさいと感じることを話し合ってもらいました。ごみの分別とか敬語とか食事の準備とか、いろんな意見が出てきました。私だったら現金の支払いって答えるんじゃないかなと思いながら、学生たちの答えを聞いていました。

今は何でも電子マネーや上述のカードのどれかで払います。現金を全く使わない日も珍しくありません。そうなると、財布から現金を出して、代金を支払って、お釣をもらってそれを財布に入れるという一連の動作が億劫に感じるようになってきました。ちなみに、今週は月曜から水曜まで、現金は全く使っていません、

お金は使いませんが、私は財布はなくしませんよ、Yさん。