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半年後の刈り取り

3月6日(水)

先週までは中級以上のクラスに入っていましたが、そこの学生の大半が卒業してしまったため、今週から初級クラスに入っています。顔と名前が一致する学生が2、3名というアウェイ状態が続いています。データを見ればわかるのですが、単に面倒くさくてサボってしまい、できる・できないの予備知識なしで学生たちに接しています。

でも、教室に入ってしばらくもしないうちに、こいつはできるとか、こいつはまずいとか、見えてきちゃいます。Mさんは、授業の最初から目を輝かせて教師の話を聞いていました。この学生は希望の星かなと思っていたら、授業の中頃に、昨日勉強した文法の核心を突く鋭い質問を発しました。他の学生の理解も深まると思い、このクラスのレベルは超えるかもしれませんが、ちょっと詳しく解説しました。Mさんは満足げにノートを取っていました。

その反対がSさんとOさんです。読解のテキストに付いている問題の答えをわざわざ板書したのに、問題の番号まで明示しているのに、“わかった、わかった”とばかりにニコニコしているだけで、全く写そうとしません。こういう学生は、間違いなく成績が悪いです。初日にして、要注意人物リストの筆頭に太字で記録されてしまいました。

テストの採点をすると、SさんとOさんはかろうじて合格点、Mさんはクラスで一番の成績でした。SさんとOさんは1つ上のレベルに進級できるよう指導していかなければなりません。今後の動向によっては、進級させないという厳しい判断も下さなければならないかもしれません。Mさんは、上手に育てて、上級クラスで再び見える日を楽しみに待つことにします。今学期は、種まきです。

実質総代

3月4日(月)

KCPの卒業式では、卒業生総代は設けていません。ただ、最初に証書をもらう学生だけ証書に書かれている文面を全て読み上げます。それ以外の学生のは“以下同文”で、名前以外は読みません。そういうわけで、実質的には最初に証書をもらう学生がその年の卒業生の顔となります。

今年の顔はBさんでした。1年以上最上級クラスに在籍し続け、去年の6月のEJU日本語では全受験生の最高点(実質満点)、同じく7月のJLPT・N1では満点の合格、そして国立大学への進学も決まっており、学生も教師も誰もが認める卒業生№1です。もちろん、予行演習の通りに証書を受け取り、最後の最後まで他の学生に範を垂れてくれました。

Bさんには、私も密かにお世話になりました。中間・期末テストなどでは、まず、Bさんの答案を採点します。そうすれば、模範解答を作らずにすむのです。Bさんの答えが、私の求めていた答えの水準よりも高すぎて、逆に模範解答にならなかったことすらありました。

こういう軸になる学生が抜けてしまった穴を、一体誰が埋めるのでしょう。去年はBさんが担ってくれるだろうなという予感がありましたが、今年はこれといった学生が思い当たりません。でも、おととしだって、その前の年だって、そう思いながらも4月期の終わりごろには頼りになりそうな学生が現れてきました。自分たちが最上級生だという自覚が、今年は勝負の年だという覚悟が、学生を育てるのだと思います。

Bさんは「長い間、お世話になりました。ありがとうございました」と言って、卒業式場を後にしました。明日から私は初級クラスの担当です。Bさんに続く人材を育てねば…。

すばらしいのに

3月2日(土)

水曜日の選択授業の時間に書かせた作文を読みました。今週のお題は、物語の続き。ショートショートを途中まで読んで、その続きを考えて書くのです。クラス全体で読み合わせをし、物語の内容については共通認識を持ち、その後を各自の想像力に任せて創作していきます。

とはいっても、物語の7割方は一緒に読んでいますから、どうしても似通ったストーリーが出てきます。言葉の選び方や習った文法をどのくらい上手に使っているかが、成績の分かれ目となってしまいます。

その中で、Gさんの作品が際立って光っていました。他の学生とは発想が違っていて、思わず引き込まれてしまいました。確かに、教師の目で見れば誤字脱字や文法の間違いはありました。でも、テンポのよい展開で、最初の読んだときはそれが感じられませんでした。もちろん、A評価。クラスの学生に、こんなすばらしい「続き」を考え出した学生がいたんだよと教えてあげようと思い、Gさんの作品をそのままワープロに打ち込みました。

ただ、残念なことに、Gさんは来週月曜日で卒業ですから、今回が最後の作文の授業だったのです。みんなの前でほめてあげたかったのになあ。いや、それよりも、何をきっかけに読み手の心をわしづかみにするストーリーが生まれたのか、是非聞いてみたかったです。

さらに残念なことに、Gさんはこの選択授業をよく休みましたから、学期を通しての成績がAになりません。こんなにすばらしいストーリーを紡ぎ出せるのに、初級文法を間違えて意味不明の文を羅列する学生と同等かそれ以下の評価にしかならないのです。Gさん、学校はやっぱり出席ですよ。

一瞬

3月1日(金)

2階のラウンジに、バス旅行の写真コンテストの応募作品が張り出されています。どの作品も「タイムトラベル」というテーマにふさわしく、“江戸”を感じさせてくれます。その中でも入賞作品は、ドシロウトの私が見てもすばらしく、なんだか写真の中に吸い込まれそうになります。

どの写真も、日光江戸村の中のほんの一瞬を切り取ったものですが、その一瞬が実に輝いているのです。よくぞこの一瞬にシャッターを押したものだと感心することしきりです。私は写真を全く撮りませんから、どんなにすばらしいシャッターチャンスが目の前に現れても、それに気づくことすらありません。感激できる瞬間をみすみす見逃しているのです。もったいないなあと思います。同時に、1秒にも満たない輝ききらめきときめきざわめきをがっちり捕らえる、カメラマンたちの反射神経と美的感度の鋭さと構成力に舌を巻くばかりです。

ケータイやスマホでだれでもいつでもいくらでも気軽に写真が撮れるようになりました。そのため、撮ったけど一度も見られることなく消去される写真も山ほど生まれましたが、そうした犠牲の上に頂点も高くなったと言われています。“数撃ちゃ当たる”ではありますが、その玉石混交のなかから“玉”を選び出す眼力も養われているのでしょう。

2階の写真で私が最も瞬間性を感じたのは、M先生の真剣白刃取りです。筋肉の躍動感が伝わってきました。きっと体を鍛えているのでしょうね。学生の前でそれこそ日本の伝統芸能を見せようと思ったんじゃないかな。

さて、月曜日は卒業式。卒業生が見せるKCPで最後の笑顔を切り取った写真を見てみたいです。

不審者出没?

2月28日(水)

来週の月曜日に卒業式を控え、授業時間を割いて卒業生たちの予行演習をしました。6階の講堂のステージを使い、本番と同じようにステージに上がり、証書をもらい、文集を受け取り、ステージを下りるという動作を確認しました。日本人にとっては当たり前の証書のもらい方も、日本文化に深く傾倒した学生にとってさえ戸惑うもののようです。みんな、私の説明をいつになく真剣に聞いていました。

卒業式は学校で一番大きな儀式ですから、厳かな雰囲気を持たせたいです。ですから、キメるべきところはビシッとキメてほしいのです。だらっと手を出して証書を受け取るようなことはしてほしくありません。いかに親しき仲とはいえ、私に微笑みかけてくるようなこともやめてもらいたいです。そんな細かいことまでは言いませんでしたが、今までとは違うぞという空気は感じ取ってもらえたと思います。

困るのは、この予行演習に参加しなかった学生どもです。授業を欠席するほどですから、そもそもが怪しいやつらです。それに加えて要領をつかんでいませんから、怪しさ倍増なんていうものではありません。月曜日の本番では、おどおどしながら私の前に出てくるのでしょうね。

もう一つ心配なのは服装です。面接試験に着ていくような服を着て来いと伝えましたが、欠席学生には伝わっていません。燃えないごみでも捨てに来たのかと言いたくなるようなかっこうで出現するやからが、毎年何名か必ずいます。私のクラスのCさんも、最近さっぱり姿を見かけません。ジャージ姿のぼさぼさ頭で、眠そうな顔をしながら式場にぬっと現れるのではないかと気をもんでいます。

あと一歩で

2月27日(水)

卒業式当日を含めてあと4日という段階まで来て、入学以来皆勤だったSさんが欠席しました。腹痛とのことですが、Sさん自身も皆勤を意識していたでしょうから、さぞかし残念だったでしょう。先学期、選択授業で私のクラスにいたときからずっとマスクをしていましたから、体調は決してよくなかったと思います。でも、休んではいけないと言う気持ちだけで出席を続けてきたに違いありません。それがどうにもこうにも行かなくなって、無念の欠席に踏み切ったのだと思います。

この欠席を、Sさんがどう思っているかは現時点ではわかりませんが、一つの物事を完璧にやり遂げることの難しさを痛感しているのではないでしょうか。単純なことでも、単純なことだからこそ、2年間の出席率が99%でも立派なものですが、優秀な人ほど残りの1%に目が行ってしまうものです。その1%を、次は0%にしようという気持ちこそが、向上心を生むのです。今までのSさんを見る限り、Sさんはそういう人だと思います。

でも、現実には、1日休んだら“どうでもいいや”と思ってしまう人が大半です。1日休んだら、2日休んでも3日休んでも同じことだと、ずぶずぶと楽な方へ楽な方へと落ちていくのが普通です。そこから持ち直すのは、100%を続けるより何倍も難しいものです。“明日から“と言いつつ、“明日”がさっぱり来ない学生を、今まで何人見てきたことでしょう。

10年ぐらい前にも、卒業式寸前で寝坊のため遅刻して皆勤を逃した学生がいました。その学生は、遅延証明をもらおうと思えばもらえるところに住んでいましたが、変な言い訳は一切せず、その1コマの欠席のまま卒業式を迎えました。そして、堂々と精勤賞を受賞しました。Sさんも、胸を張って明日からまた学校へ来てもらいたいです。

適度な偏屈者

2月26日(火)

私が担任をしている中級クラスのXさんがI大学の、TさんはH大学の、それぞれ大学院に合格しました。2人とも、今学期は大学院入試を控えて授業中は上の空みたいなところもありましたが、結果よければ全てよしというところでしょうか。入学して1年で志望校に受かったのです。よくやったといっていいでしょう。

XさんもTさんも、ちょっと癖のある学生です。扱いが難しいといえば実にその通りですが、そのくらいとがったところがないと、I大学やH大学のような一流と言われているところの競争には勝てないのかもしれません。でも、ただ特徴があればいいという問題でもありません。コミュニケーションを取ることができる、心に通じ合うものがあるという感覚も必要です。単なる偏屈者では、どこからもお呼びがかかりません。

残念ながら、その偏屈者というか、社会性に欠けるというか、私が面接官だったら絶対落とすだろうなという学生が、このKCPにもいます。能力がありながらどこも決まらなかった学生は、どこかそういうにおいがします。初志貫徹といえば聞こえはいいですが、アドバイスを聞く耳を持たず八方塞に陥ったというのが実情です。

XさんやTさんは、個性の出し方をわきまえていたとも言えるのではないでしょうか。絶対自分を曲げないわけでもなく、かといって押されっぱなしでもない、絶妙の力加減を身に付けていたのです。SさんやKさんは天然ボケの部分があって、受験がうまくいかないというのは、その面が強く出てしまっているのではないかと見ています。絶対受かると踏んでいた学校にも落ちたというのは、多かれ少なかれ唯我独尊に走ってしまったんじゃないかな。

何はともあれ、XさんとTさんです。明日は2人のクラスに入りますから、おめでとうと言ってあげましょう。

初心者

2月25日(月)

「あ、チャイムが鳴りましたね。じゃ、この問題、休憩の間に考えておいてください。15分休みましょう」と、教室を出ようとしたとき、Sさんが声をかけてきました。「先生、面接の練習をしたいんですが、いつ、お時間ありますか」「うーん、明日もあさってもダメだから…、じゃ、授業が終わったらそのまま教室に残って。ここでしましょう」ということで、急遽、面接練習をすることになりました。

授業後、他の学生が帰り、Sさんだけが残りました。Sさんは来年進学する予定でしたが、今学期になってから今年進学することに方針変更しました。すでに超級クラスですから、進学先でやっていけるだけの日本語力は十分あります。また、周りの学生がみんな出ていってしまうので、寂しくなりそうだということもあると思います。

練習を始めると、Sさんは面接室の入り方からしてガタガタです。質問を始めても、視線は一定しないし、声は小さいし、答えは抽象的でぼんやりしているし、発音や文法がすばらしいだけで、合格ラインには程遠いというのが正直な感想でした。

Sさんのような学生は毎年何名かいます。日本語力で進学はできちゃいますが、進学先でどうなのかはよく見えていません。たまに「おかげさまで就職が決まりました」なんて報告に来てくれる学生もいますが、泥縄式に進路を決めた学生が平均的にどうなるかまでは、なかなか追跡できません。

Sさんには私が感じたことをそのまま伝えました。そして、面接の受け答えのコツも教えました。Sさんは、出席もいいことですし、私のアドバイスを守ってくれさえすれば、おそらく合格するでしょう。決していい加減な気持ちで進路変更したのではないというSさんの言葉を信じて、かげながら応援しましょう。

実力差

2月22日(金)

先週、今週と、受験講座の物理は6か月以上勉強してきた学生のクラスと今学期から勉強を始めた学生のクラスとが、同じ項目を勉強しています。前者は中級以上で後者は初級が主力、前者にとっては復習に当たる内容ですから当たり前のことですが、こちらの言葉のしみ込み具合が全然違います。

6か月以上組は自分がどこでつまずいたかすぐわかり、私に質問することで解決しようとします。私がさらに噛み砕いた解説をすれば、どうにか理解レベルに到達します。初級主力組は、つまずきそうなところでこちらから確認を取らないと、わからないこともそのまま通過してしまいます。表情やしぐさなどからわからないというサインを見逃さないようにしていかなければなりませんから、疲れることはなはだしいです。

でも、6か月以上組も最初はそうでした。日本語力が不十分な時期に日本語で物理や化学の高度な内容の話を聞くのは、相当に厳しかったに違いありません。しかし、日本語力が付くにつれて理解が早まりかつ深まり、加速度的に理科の実力も伸びていきました。この苦しい時期を乗り切れるかどうかに、日本での進学が当初の希望通りになるかどうかがかかっています。

6か月以上組のSさんは、25日の国立大学集中試験日に遠征します。東京から西に向かうのは初めてのようで、富士山が見えるかどうかを気にしていました。進行方向右側の窓側に陣取れば、晴れてさえいれば富士山は見えます。受験ですから、幸せの左富士の話もしました。見えたら合格疑いなしと、景気づけしておきました。

忍者大流行

2月21日(木)

「先生、忍者ですか」と、何人に聞かれたでしょうか。今回のバス旅行では、日光江戸村内でKCPの教職員のだれかが忍者となって5種類の江戸時代グッズのどれかを持って歩いているので、その教職員を見つけてシールをもらい、5種類コンプリートすると、記念品がもらえるという企画を実施しました。それで、学生たちは私も何か持っているのではないかと見て、忍者か聞いてきたというわけです。中にはあからさまに「先生、シールありますか」と聞いてくる学生もいましたから、そういう学生には「シールはないけど、ごみならあるよ」と、ポケットからくしゃくしゃに丸めたビニール袋を出すと、あわてて逃げていきました。

私が引率したクラスでは、Yさんが見事に5種類のシールを全て集めました。どんな賞品かは知りませんが、今学期で帰国するYさんにとっては、いい思い出になったのではないでしょうか。Yさんに限らず、卒業予定の学生たちは、KCPでの生活の名残を惜しむかのように、江戸村のアトラクションを楽しんだり屋台で買った串などを食べたりしていました。

今までになく人気を集めていたのが、手裏剣道場でした。その前を通るたびに誰かが出入りしていましたし、手裏剣を的に命中させてゲットした賞品を見せびらかしている学生もあちこちにいました。KCP忍者とかいってあおったからでしょうかね。

もちろん毎度おなじみの変身を楽しんだ学生もいました。和装をすると、普段顔を合わせている学生も見違えてしまいます。着付けが上手だからという面も見逃せませんがね。私も毎度おなじみの変身をしました。今年もお大尽様をさせていただきました。学生から「江戸村の役者さんみたいですね」と言われて、「KCPをやめたらここに就職しようかな」なんて、いい気になっている私がいました。