Category Archives: 学生

手を挙げる

5月11日(水)

来週の火曜日の運動会では、最上級レベルの学生は競技役員として、競技の進行に携わってもらうことになっています。その競技役員とは具体的にどのようなことをするのかについての説明会を開きました。

どんな仕事があるかを説明した後で、その役割を務めてくれる学生を募りました。すると、Mさん、Yさん、Eさん、Tさん、Uさんなどはどんどん手を挙げてくれるのですが、Bさん、Sさん、Kさんなどはできるだけかかわらないようにという内面が透けて見えました。Iさんにいたっては、「やりたくないです」とはっきり言い切ってしまいました。

みんなのために汗をかこうという学生と、自分のことしか考えようとしない学生と、わりとはっきり分かれました。前者には、その心意気に何らかの形で報いてあげたいと思いました。そういう学生が何かしようとしているとき、一肌脱いであげたくもなるでしょう。後者に対して冷たく当たるつもりはありませんが、「この学生は運動会の時にがんばってくれたから…」という、プラスアルファの気持ちにはなれなかったとしても、こちらに罪はないんじゃないかな。

進んで手を挙げてくれた学生たちが何か見返りを求めているとは思いません。純粋な気持ちが感じられたからこそ、その心が尊くいとおしいのです。そして、そういう学生たちと手をつないで、運動会を盛り上げ、成功させ、是非、その喜びを分かち合いたいものです。

説明が終わった後、「気ばたらき」ということばを出して、これこそが運動会を成功に導くキーワードだと強調しました。何でも引き受けてくれたYさんたちには、私が言いたかったことがきっと伝わったと思います。思い出深い運動会を作り上げようと、こちらの決意も新たにしました。

トイレに財布

5月10日(火)

お昼過ぎに午後の授業の準備をしていると、事務のSさんから「Dさんって、金原先生のクラスの学生ですよね」と声をかけられました。「はい、そうですが」「これ、Dさんの財布なんですが、5階のトイレにありました。注意して返してあげてください」「あ、すみません。ありがとうございました」

そんなやり取りの末に手渡された財布はズシリと重く、中には在留カード、キャッシュカード、定期券など、暮らしていく上でなくてはならないカード類がぎっしり詰まっていました。授業が始まるまで小一時間ありましたから、そのうちDさんが青い顔をして事務所に「財布をなくした」と言いに来て、その場で「バカモノ」とか言いながら返せばいいだろうと思っていました。

ところが、Dさんはいっこうに現れません。授業開始時刻が迫ってきたので、教室へ行きました。すると、Dさんがふだんと変わらぬ顔で座っているではありませんか。「こういうものをトイレに置いてきたらダメじゃないですか」と言いながら、財布で顔を張るふりをしてそれをDさんの目の前に突き出しても、まだきょとんとしていました。何が起きたのか理解できないという顔つきでした。財布をなくしたという自覚が全くなかったに違いありません。

そんなに大事なものが入っている財布を、なぜトイレで出して、なおかつそれを置きっぱなしにしたのか、その点はよくわかりませんが、無用心なことこの上ありません。学校内だったからよかったようなものの、駅やどこかのお店のトイレだったら、戻ってこなくても文句は言えません。Dさんと同じ年頃の私は、もっと用心深かったと思います。

最近、アルバイトをしている学生が激減しています。勉学に励むという面では結構なことですが、お金の大切さを知らないまま一人暮らしを続けている学生が増えているような気がして、少々心配です。

薄く広く

5月9日(月)

文部科学省学習奨励費受給者の推薦者を決める面接をしました。自薦で名乗りをあげた学生の中から、教師の目で厳選された学生だけが最終面接を受けます。そういう手続を経てきているので、出席率はほぼ100%、成績もそれなり以上の学生たちばかりが残っています。ですから、毎年、この面接には苦労します。だれを落としても悔いが残りそうな気がするのです。

学習奨励費とは、要するに奨学金ですから、いい学生であるかと同等かそれ以上に、経済的にどんな状況であるかが大きな問題になります。経済的に苦しくても勉学に励んでいる学生にもらってほしいと思っていますが、最近はかつてのような苦学生が少なくなりました。生活状況を聞いても、赤貧洗うが如しという学生はいません。奨学金なしでも生活していける仕送りを受けている学生ばかりです。

そう考えると、日本人の高校生のほうがよっぽど貧しいかもしれません。大学進学率は私の頃の倍ぐらいになっていますが、学費が工面できずに退学したり危ない仕事に手を染めたり、そもそも進学をあきらめたりしている若者も多いです。そういう人たちに比べると、今回の候補者の面々は恵まれた生活を送っていると思います。かつては「日本は物価が高いです」という例文が学生たちの生活実感を表していましたが、今はさほどに感じていないように見受けられます。

文部科学省がこういう学生たちの生活状況を知っているのか、学習奨励費の支給額も年々下がって、薄く広くという意図を感じます。ありがたみがなくなったという声も耳にしますが、私は時宜を得た施策だと思っています。今の学生は、お金そのものよりも、学習奨励費受給者という名誉をもらいたいのかもしれません。

端午の節句の陰で

5月2日(月)

5日が休日なので、端午の節句を前倒しして行いました。連休前に飾りつけた五月人形を見ながら、柏餅をいただくという趣向です。

もちろん、単に見るだけでは何のことやらさっぱりわからない学生が大半ですから、教師が説明したり事前学習で調べてくることになっていたりします。最近の若い人は、うっかりすると、桃太郎や金太郎はauのキャラクターだと思ってしまうかもしれませんが、さすがに日本語教師はそんなことはなく、平成生まれの先生方もきちんと説明なさっていました。

柏餅が配られると、毎年のことですが、すぐパクついてしまう学生が絶えません。今年もそんなフライングの学生が何名も先生に注意されていました。それから、柏餅を桜餅と混同して、葉っぱごと食べてしまおうとするシーンも、毎年の恒例です。

全クラス共通の行事は「柏餅」ですが、各レベルでは、それぞれ、端午の節句の意義付けを考えさせる活動をしています。私が担当したレベルは、連休前に自分の名前の由来を調べてくるという宿題を出しました。親や親戚などに聞いて、それ用の用紙にまとめてくることになっていました。

ところが、Uさんは「わかりません」と一言だけ書いた紙を出そうとしました。担当のS先生が受け取りを拒否すると、そのままふてくされてしまいました。Uさんは特別な家庭環境にある学生ではありません。明らかに宿題をほったらかして、学校へ来てからやっつけたに違いありません。

Uさんはふだんからそういう学生です。教師を敵に回していることに気がついていません。私たちは何でも素直に言うことを聞く学生ばかりを求めているわけではありませんが、何ごとにも消極的、非協力的な学生と、その反対の学生とだったら、後者を応援したくなりますよ。心が狭いと言われようとも、私はそうです。

桃太郎も金太郎も周りを味方にして大きな仕事を成し遂げました。Uさん、たかが宿題をしてこなかっただけでそんな態度をとることが、あなたをどんなに不利な立場にしているか、考えたことがありますか。

大器晩成?

4月28日(木)

初級のクラスに代講で入ると、特に学期が始まって間もないこの時期、しかも一番下のレベルだと、必ず1人か2人いるんです。自分はこんなクラスで勉強しなければならない学生ではないと言わんばかりに、難しい文法を使ったり小難しいことを聞いてきたりする学生が。今週は2度ほど代講しましたが、どちらのクラスにもそれっぽい学生がいました。

入学前のプレースメントテストの結果、惜しいところで一番下のレベルに判定された学生にとっては、「はしでご飯を食べます」なんて文法は、かったるくてやってられないでしょう。国で勉強した期間が長かったり、JLPTのN2あたりに合格してたりすると、なおさらそういう気持ちが募ることは、想像に難くありません。

でも、何かが足りないから、基礎部分に穴が開いてるからこそ、下のレベルに判定されたのです。基礎が不安定なまま、さらにブロックを積み上げていても、砂上の楼閣にしかなりません。早い段階で伸び悩み、結局穴を埋める工事をしなければならなくなるのです。

その点、私のクラスのZさんは殊勝です。N2があるのに初級クラスに入れられたけれども、どういう練習をすればいいかと聞いてきました。自分の置かれた境遇を嘆くのではなく、その環境からいかに多くのものを得るかということを考えているのです。「できる」「わかっている」と思い込まず、謙虚に学びなおそうとしている姿勢が、Zさんをより高いところへ引っ張り上げていくに違いありません。

ウサギとカメの寓話は世界中でつとに有名だと思いますが、どうしてみんなウサギになりたがるのでしょう。

意外なリーダー

4月27日(水)

最上級クラスでグループ活動をさせてみました。私の担当した日は個人活動ばかりだったのですが、授業に変化を付けるのと、学生に喝を入れるのとを兼ねて、4~5人1組で課題に取り組んでもらいました。

リーダーになってくれそうな学生を各グループに分散させ、国籍や性別を考慮してグループを作りました。いざ、活動に取り掛かると、予想外の学生が活躍し始めました。いつもは反応が薄いCさんやKさんなどがいつの間にかリーダーになっていたり、逆に引っ張っていくことを期待していた学生がぶら下がり役立ったりと、意外な展開が繰り広げられました。

授業での発言の多寡で、無意識のうちに、リーダー役を期待したりダメだろうと決め付けたりしていたことに気がつきました。20人の前には立てなくても、数人相手だったら仕切っていける人がいても不思議ではありません。自分の得意分野なら、語れるものを持っているテーマなら、グループの他のメンバーから頼りにされて、いつの間にかリーダーになっていたっていうこともありえます。

また、このクラスは大半が初めて受け持つ学生ですから、性格がつかめていないというか、気心が知れていないというか、学生たちには私の知らない面がたくさんあります。それゆえ、学生を眺める角度がちょっと変わっただけで、学生が非常に新鮮に見えてくるのです。

来月の運動会では、最上級クラスの学生には、競技役員として競技の進行を支えてもらうことになっています。その際、どの学生にどんな役を割り振るかを見極めなければなりません。その参考資料をこっそり集めてもいるのです。CさんやKさんには、ちょっと重要な仕事をしてもらおうかな…。

真っ赤な洗礼

4月22日(金)

午前中、昨日のクラスの作文の採点・添削をしました。初級の終わり、中級の直前のレベルですから、ある程度の文章が書けて当然なのですが、そうは問屋が卸さないんですねえ。新入生の出来が特に悪いです。何が悪いかというと、時制と表記です。時制は過去と非過去、つまり「した」と「する」の使い分けがいい加減なのです。表記は濁点の有無と長音か長音でないかの区別があいまいな点です。

KCPで1学期か2学期か勉強してきた学生は、上述の点はそんなに大きな問題になっていません。先学期までの作文の時間にがっちり訓練されていることが裏付けられました。新入生は、レベルテストのようなペーパーテストは国で訓練されているでしょうが、国の学校では、文章を書く練習まではなかなか手が回らないと思います。上級クラスに入ってくる新入生なら作文も書かせられているでしょう。でも、私のクラスに入ってくるくらいの実力だと、作文の時間がなくても不思議ではありません。

文法の時間に書かせる例文程度なら、好意的に受け取ってあげればミスもそんなに目立ちません。しかし、作文レベルになると、文と文のつながりが重要ですし、使われる単語の種類も多くなりますから、間違いが積み重なって増幅されるのです。

文法の間違いが多いのは、文法項目の丸暗記は通用しないということであり、表記ミスが多いということは、発音もそれぐらいいい加減だということにほかなりません。一度はボコボコにしてやって、謙虚に学びなおす姿勢を持たせることこそ、こういう新入生に対する真の優しさだと思っています。100点満点で30点とかっていう作文を返されたら、さぞかしショックを受けるでしょう。でも、そこから立ち上がらないと、自分の目標には到底手が届きません。そういう本場の厳しさの洗礼を受けるためにわざわざ留学してきたのですから、血まみれになることはゴールに向けての第一歩なのです。

ある退学

4月21日(木)

昨日付けで、Sさんが退学しました。自分自身で勉強が続けられないと判断したようです。

Sさんは去年10月の入学生です。出席状況を見ると、最初の3か月はよかったものの、先学期は大きく下がりました。今学期は、今週の月、火、水と3日連続欠席したあげくの退学です。入学した時に学校に提出した写真のSさんは髪が黒かったですが、ゆうべ退学手続に訪れた時のSさんはまっ黄色の髪でした。髪の色だけで人柄を判断してはいけませんが、日本へ来てからSさんの心の内に大きな変化があったと考えるほうが普通じゃないでしょうか。

いい判断だと思います。出席率とともに成績も落ちていましたから、勉強を続けていっても、Sさんが思い描いていたような進学ができたかどうかは疑わしいものがあります。私たちだって指導を続けていきますが、学生は、一度楽しいことや遊びを覚えてしまうと、再び勉強道に戻るのは並大抵のことではありません。

勉強や進学に関しては目を閉じ耳をふさぎ、在籍はするけどまともに勉強しないという、自分自身を生殺しの状態に落とし込む学生を今まで何人も見てきました。そういう学生に比べると、Sさんは潔く思い切った決断をしました。帰国したら今よりも厳しい生活が待っていることでしょうが、その道にあえて進もうとしているのです。KCPのコース満了まで、日本でだらだらとしまりのない留学生活を送っていくことが許せなかったのでしょうか。

Sさんが私ぐらいの年齢になったとき、この半年の留学生活はどんな思い出になっているでしょう。期間は短くても、あるいはネガティブなものでも、自分の人生を形作る経験になりうるものです。Sさんには、これからの人生で、この留学をそういうものにしていってもらいたいと思います。

美しい玄関

4月20日(水)

今朝、誰もいない職員室で仕事をしていると、電話が鳴りました。「おはようございます。××クラスのLと申しますが、S先生いらっしゃいますか」「すみません。まだいらっしゃってないんですが…」「それでは、申し訳ありませんが、S先生に、風邪を引いたので今日は欠席すると伝えていただけませんか」。中級の学生でしたが、発音もきれいで、非の打ち所のない話し方でした。モデル会話として録音しておけばよかったと思ったほどです。

最上級クラスの学生でも、ちょっと硬い場面での会話となると、すでに習ったはずの表現がすんなりとは出てこないものです。目上の人に頼みごとをするという想定で発話内容を考えてもらったのですが、いきなり頼みごとに入ってしまう学生が続出。みんな、依頼の表現をいかに丁寧にするかに気を取られている中で、唯一、Yさんが「すみませんが、今、お時間よろしいでしょうか」という、相手の都合を聞く言葉から始めてくれました。

いくら内装を豪華にしても、玄関がみすぼらしかったら、その立派な内装を見てもらえないかもしれません。「なんだ、こいつ」と思われて、自分の言わんとしていることを聞いてもらえなかったら、そこまでいかなくても悪い第一印象をもたれてしまったら、結局損を被るのは自分自身です。日本人って、みょうちくりんなところに地雷を抱えていますから、その地雷を踏まないようにするにはどうしたらいいかということを、初級の段階から少しずつやってきています。それが、なかなか完成の域に達しないんですねえ。

このクラスの学生には大学院進学希望の学生が多く、そういう学生にとっては、進学するまででも、してからでも、玄関口を飾る話し方は不可欠です。内装は進学担当の先生方が個別にがっちり整えてくれることでしょうから、こちらは全学生標準装備の水準を上げることに専念していきます。

違和感の根っこ

4月19日(火)

私が担当している初級クラスは、今、「~てもらいます/くれます/あげます」を勉強しています。中級以降の彼らの成長具合を知っている私は、ついつい力を入れすぎてしまいます。先週の名詞修飾もこちらの意欲が上滑り気味だったのに、無反省にまた力んでしまいました。

このレベルは、名詞修飾やあげもらいをはじめとして、日本語の文を理解したり、自分の主張や心情を理解してもらったりという、日本語による情報の送受信を行う上できわめて重要な文法事項が目白押しです。こういう濃密な文法は、教わるほうにも教えるほうにも厳しいものがあります。ここがいい加減だと、中級以降の読解が全く振るわず、発話がいつまで経ってもガイジンっぽいままなのです。ガイジンっぽくても、少しでもこちらが内容をつかめればいいのですが、文字は日本語でも文章は日本語ではないなんていう作文を読まされるのは、こりごりです。

でも、テストで点が取れさえすればいいと考えている学生は、相手を理解したりさせたりというコミュニケーションをとかくおろそかにしがちです。会話タスクの最中に漢字の宿題をやろうとしたDさんに、入試の面接練習の時に及んで真っ青になった諸先輩の顔がダブってきました。

日本人は、「~てもらいます/くれます/あげます」に包まれて生活していますから、あるべきところにそれがないと、違和感を覚えるものです。その違和感こそがガイジンっぽさの根源であり、日本語教師はこれを根絶するべく、授業中に声を張り上げたり宿題を厳しく取り立てたりしているのです。