どうでしたか

5月7日(水)

レベル1のクラスで形容詞の過去を導入し、「○○はどうでしたか」も勉強したので、練習を兼ねて「運動会はどうでしたか」と学生たちに聞きました。私が聞く前に学生同士でQAの練習をしましたから、私の問いかけに対してわりとスムーズに答えが返ってきました。みんな「楽しかったです」「面白かったです」と答えました。それだけではつまらないので、「何が楽しかった/面白かったですか」と突っ込むと、これまたみんな、自分の出場した種目を挙げました。中にはルールを十分に理解せずに競技に加わっていたと思しき学生もいましたが、無我夢中でとんだりはねたりしたのがエキサイティングだったのでしょう。「疲れた」という声もありましたが、若い体が程よく動いた、心地よい疲れだったに違いありません。

その調子で、「連休はどうでしたか」もQA練習させました。その後に何人かの学生に聞きました。ところがこちらはパッとしませんでした。「どこも行きませんでした」が相次ぎ、「うちでゲームをしました」「宿題をしました」という学生ばかりでした。レベル1の日本語力では、どこかへ何かをしに行くとしても、意志疎通が大いに不安でしょうから、うちで勉強の合間にゲームをするくらいが関の山なのかもしれません。

私は、連休中は奈良県桜井市に滞在し、古墳やら遺跡やらを見て回りました。雨が降った昨日は別として、1日3万歩以上歩きました。気温がさほど高くなく、もちろん寒くもなく、外を歩くのに絶好のコンディションでした。

私が古墳や遺跡を好むのは、いくらでも想像力をはたかせることができるからです。姫路城の現存天守閣は美しいです。歴史的価値があります。でも、目の前に江戸時代に建てられた天守閣が屹立していたら、想像力はそこ止まりです。それに対し、下津井城跡や高取城跡には何もありません。想像力ははたらかせ放題です。この延長線上に○○寺跡や××古墳があるのです。説明版を隅から隅まで読んで、何があったか、どんな人が闊歩していたか思い浮かべるのが好きです。そういうところばかり、1日に何か所も訪れたというわけです。

私も運動会の日の学生同様、心地よい疲れを十分に堪能しました。

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1日限りのこいのぼり

5月1日(木)

今朝、校庭の上空にこいのぼりが泳ぎ始めました。4匹家族のささやかなものですが、こいのぼりを見上げると、心も上向きになります。気が付いた学生は、写真に撮っていました。残念ながら、明日は運動会で、しかも雨の予報ですから、また、その後4連休ということもあり、こいのぼりは夕方にはしまわれてしまいました。地元のみなさんもKCPの毎年こいのぼりを楽しみにしてくださっているとのことですが、今年はほんの数時間の遊泳でしたから、果たして楽しんでいただけたでしょうか。

上述のように、明日は運動会です。教職員はその準備にかかりっきりです。私も、授業で学生と一緒にラジオ体操の練習をしました。ラジオ体操は、小学校などでがっちり仕込まれ、大半の日本人ができるという意味では、立派な日本文化の1つです。私も体が覚えていて、例の音楽が流れ始めると、自然に腕を回したり体をひねったりしていました。教卓とホワイトボードの間の狭いすき間でしましたから、体を存分に動かせたわけではありませんが、深呼吸の頃にはうっすらと汗をかいていました。

明日は雨という予報が若干気がかりです。“学校へ行くより時間がかかるんなら、雨も降ってるし、明日から連休だし、休んじゃおうかな”などと考える不届き者が出かねません。最近の学生は、出席率が下がるのを気にしないきらいがあります。頭が痛いです。

KCPのこいのぼりは1日足らずでしたが、運動会会場までの道すらが、曇り空ながらも風にそよぐこいのぼりが見られるのではないかと期待しています。

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ドコモじゃないよ

4月30日(水)

「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」というような練習を、レベル1のクラスでしました。

このやり取りで、「だれか」「なにか」は頭高型のアクセント、それに対して「だれも」「なにも」は平板型のアクセントです。これは中級以上の学生にとっても難しいらしく、「だれも」「なにも」を頭高型で言ってしまう学生がおおぜいいます。ですから、初めて習う時につぶしておこうと意気込んで教室に乗り込みました。

初めて出てきたときに、「私の後について言ってください」と指示して言わせてみました。私は、もちろん頭高型と平板型をきちんと分けて、「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」と言いましたが、学生のリピートを聞くと、「だれも」は半数以上が「だれか」と同じ頭高型で言っていました。

そこでいったん止めて、ホワイトボードにアクセント記号を書いて、コーラスさせました。そして、再度挑戦したのですが、まだ5人ぐらいは「だれか」のアクセントで「だれも」を言っていました。

それはとりあえずあきらめて、「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」でやってみても、一定数の学生は「なにも」を頭高型で発音していました。「なにも」という単語レベルなら、正しいアクセントのリピートがそろうのですが、文になると数名は頭高型に戻ってしまいます。

「どこか行きませんか」「いいえ、どこも行きたくないです」でも状況は変わりません。「“どこも(頭高型)”はケータイ!」と言ってやると、気が付いてくすっと笑った学生が2人ほどいました。レベル3だとクラス中がわかるんですがね。「ドコモ」とカタカナで板書したら、大半の学生がわかりました。

意気込んで乗り込んでみたものの、結局不自然なアクセントはつぶせませんでした。長期戦で少しずつ直していくほかないのでしょう。

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「に」は重い?

4月28日(月)

先週に続いて、レベル1の文法テストの日に当たってしまいました。

“おんせん(   )はいりたいです。”という問題がありました。答えは、言うまでもなく「に」です。でも、「を」という誤答が目立ちました。助詞の「に」を「を」としてしまう誤りは、中級上級になっても尾を引きます。だから、何もないまっさらなレベル1の頭に「に」を印象付けたいところです。しかし、授業開始から半月余りで「を」の魔手が学生たちに襲い掛かり、その犠牲者が多数出てしまいました。

助詞「に」は、母語にかかわりなく、日本語学習者にとって難解のようです。“電車を乗ります”のような誤用は日々目にしています。「に」は、主格の「が」や目的格の「を」と違って、漠然と守備範囲が広いです。“(場所)に”にしたって、“(場所)で”と競合関係(?)にあり、テストでも作文でも、学生たちはよく間違えてくれます。

日本語文法の助詞の問題で、正解がいちばん多いのが「に」だそうです。私も、文法の問題を作るとなると、やはり「に」を問う問題を多く作ってしまいます。JLPTのような大規模テストでも、「に」が正答になることが多いように見受けられます。「に」が正しく使えるかどうかは、日本語教師にとってその学習者の力を測るバロメーターみたいなものなのです。逆の見方をすると、「に」を間違えずに使っている学習者は、相当できると見ていいでしょう。

これをお読みの日本人のみなさん、あなたの身の回りの外国人はいかがですか。同じくこれをお読みの日本語学習者のみなさん、ご自身の日本語はいかがですか。日本語が上手だと思われたかったら、「に」を磨いてください。

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だれにしようか

4月26日(土)

来週の金曜日が運動会ですから、土曜日にわざわざ出勤してきた教師は、その準備に力を注ぎました。各競技をどうやって進めるかはもちろん、種々の小道具の作成も、こういう授業のない日でないとなかなか進みません。授業の合間に、学生の切れ目を見計らってでは、仕事が細切れになってしまいます。

N先生は、自分のチームの学生を読んで、チームの応援旗を作ったり、応援のフォーメーションの練習をしたりしていました。KCPの運動会は紅白2チームではなく、4チーム対抗です。他のチームを圧倒するような応援となると、核になる学生が欲しいところです。2階のラウンジでやっていた練習に参加していた学生たちは、当日応援の主力メンバーとなることでしょう。

私はというと、かなりの時間を割いて人繰りをしていました。私が受け持っている最上級クラスは、もっぱら競技役員です。朝の駅から体育館までの道案内や体育館内の会場設営から始まって、競技の最中は出場する選手を並べたり審判の補助をしたり、体育館内で喫煙など悪いことをする学生がいないか見回りをしたり、運動会終了後は後片付けもしてもらいます。どの競技のどんな仕事に誰を貼り付けるかという、学生の割り振りをしていたというわけです。

学生に手伝ってもらうのは、教職員だけでは手が足りないからというのが第一の理由ですが、それだけではありません。通訳というのも重要な仕事です。来日1か月ほどの初級の学生との意思疎通には、上級の学生たちの通訳が欠かせません。恩着せがましい言い方をすると、こういう場で通訳した経験が、自分の日本語力に対する自信につながるものですから、そういう経験も差せたいのです。

さらに、気働きを実地体験してもらいたいと考えています。国では大事に育てられてきたでしょうから、学生の側が気働きをする必要などなかったことでしょう。日本で生活するようになって多少はそういうことができるようになったでしょうから、その成果を存分に発揮してもらいたいところです。運動会での仕事の内容は一応決まっていますが、当日その場の流れに合わせて機転を利かせることも求められます。そういうことができそうな学生を要所要所に配置することに、朝から時間を費やしたというわけです。

学生たちはわりと気安く日本で就職したいと言いますが、日本で働く際には気働きができることが不文律みたいなものです。私も、運動会の日には、学生たちの気働きをじっくり観察するつもりです。

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腰痛、御苑、カラス

4月24日(木)

Lさんは会話に自信がありません。KCPでは会話を重視していますから、何かと負い目を感じることが多いようです。それで、今学期は、授業後に残って、その日クラスを担当した先生と会話の練習をすることにしました。

そういう密命を帯びて、Lさんのクラスに入りました。このクラス、私は木曜日だけですから、Lさんと言われても顔が思い浮かびませんでした。まず、出席を取るときに顔と名前と声を同期させ、授業中に何回か指名して、実際に話す力がどの程度なのか把握しました。

さて、授業終了のチャイムが鳴りました。チャイムが鳴るや否や、Gさんが「先生質問です」と、教科書を持って駆け寄ってきました。Lさんが帰ってしまうのではないかと気が気ではなかったのですが、Gさんもこのクラスの学生ですから、その質問には誠実に答えなければなりません。質問は1つではありませんでしたから、すべてに答えるまでに10分ほど要しました。フッと振り返ると、Lさんが椅子に座って待ち構えているではありませんか。かなり本気なんだなと思いました。

会話が苦手ということは、私が相当引っ張らないとしゃべってくれないのだろうと思い、「お待たせしました。すみません。あ、Lさん、コートを着ていますが、寒いんですか」と話しかけました。Lさんは、「はい、少し…」と、言いたいことがうまく言えないようなそぶりを見せました。「Lさんは中国の南の方から来ましたか」「いいえ、北です。私は腰が痛いです」「ああ、腰を冷やさないようにコートを着ているんですか」…といった会話を続けているうちに、Lさんの口はだんだん滑らかになってきました。

Lさんは、日本語の文の作り方に難があるようです。しかし、次から次と話題が展開していって、私が意気込んでリードするまでもありませんでした。Lさんが話した言葉を、私が要領のいい日本語に直し、それをLさんがリピートするというパターンを何回か繰り返しました。その間に、Lさんは腰痛で医者に通っていること、新宿御苑の年間パスポートを買い、週に2、3回通っていること、新宿御苑は、今、桜がきれいで、観光客やいろいろな学校の団体がよく来ていること、日本のカラスとネズミは大きくて怖いこと、…など、話がどんどん広がりました。この調子でクラスの教師が毎日相手をすれば、日本語らしい文の作り方も身に付き、話す力も大きく伸びることでしょう。

気が付いたら、30分近く経っていました。午後のクラスの学生が、教室の前で待っていました。

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4月23日(水)

授業が午後からでしたから、朝から昨日の選択授業で書かせた小論文を読みました。先週から始まり、昨日は第2回でした。先週の小論文は、どうにか規定の字数で原稿用紙のマス目を埋めたにすぎないような文章が大半でした。ですから、昨日それを学生に返すとき、次はこういうところに気を付けて書いてほしいとフィードバックしました。

その1つが「だろう」を多用しないことです。学生に「だろう」はどんな時に使うかと聞いたところ、推測とか予想とかという、正しい答えが上がりました。「今年の夏も暑くなるだろう」とか、「与党が参院選で勝つのは難しいだろう」というような使い方です。「毎日8時間勉強すれば、志望校に手が届くだろう」などという、仮定の表現と組み合わせてもいいでしょう。

しかし、現実は、そういうことがわかっていながら、学生たちは「バブル崩壊後、日本経済は低迷し始めただろう」「札幌はラーメンの本場だろう」というように不要な「だろう」をあちこちにばらまいていました。おそらく、断言するのが怖いからなのだと思います。「札幌はラーメンの本場だ」と言い切った後で、「博多こそラーメンの本場だ」と突っ込まれ、そこで変な論争に巻き込まれたくないという心理が働いているのかもしれません。

でも、論争覚悟で自分の意見や考えをぶつけるのが小論文です。尻尾をつかまれないようにと逃げてばかりでは、読み手の共感を得ることはできません。当然、採点官の心を揺さぶれるはずなどありません。

さて、朝から読んだ小論文ですが、確かに無駄な「だろう」は激減しました。しかし、有害無益な「だろう」の陰に隠れていた難点が、かえって目立ってきてしまいました。それを添削するのに、また一苦労しそうです。

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聞くは一時の恥

4月22日(火)

日本語プラス化学は、先週宿題にしておいた過去問の答え合わせをし、わからないところの質問を受け付けました。答え合わせは私が作った問題解説を配って自分でしてもらいますが、その問題解説を読んだだけでなぜその答えになるか理解できるかとなると、おそらくそう単純なものではありません。

そう思って質問タイムを設けたのですが、だれも質問しません。質問がないわけではなく、どう聞けばいいかわからない、何から聞けば理解が進むかわからないというのが本音だと思います。今学期2回目ですが、先週はオリエンテーションですから、実質初回です。しかもメンバー同士顔見知りでもなく、やっぱり質問しにくいのでしょう。

この場面を救ってくれたのが、Cさんでした。Cさんは日本語プラス3期目ですから、今回の問題も授業の各単元のどこかで見たことがあるかもしれません。「7番の問題を説明してください」と口火を切ってくれました。

どうやって7番の問題の答えを導き出したか解説し、その後、関連のある問題をいくつかまとめて解説しました。他の学生は、私の板書を写したり、パワーポイントを見て反応式か何かを書きとったりしていました。みんな、何かきっかけが欲しかったようです。

さらに、授業後、Kさんが質問に来ました。とてもいい質問でしたから、授業中にしてもらいたかったです。そんなことを言っても始まりませんから、Kさんにわかるように答えました。お互い牽制し合っているみたいです。化学クラスの学生同士、何でも言い合えるような雰囲気作りが必要です。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥です。

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初テストの出来栄え

4月21日(月)

レベル1のクラスで、初めての文法テストをしました。入学後2週間ですから、文法と言っても「コーヒーをのみますか。――いいえ、のみません」などという程度です。「ありがとうございます。でも、刺激物は控えておりまして…」なんていう答えは求めていません。

試験時間は20分。早々に解答し終えた学生もいましたが、その答えを覗き見ると、随所に間違いがありました。試験中ですから、学生個人に対しては間違いを指摘するわけにはいきません。「はい、あと5分です。みなさんの答え、本当にいいですか。“てんてん”、小さい“やゆよ”、小さい“つ”、長い音、大丈夫ですか。もう一度よーく見てください」と全体に注意するのが精一杯です。これだって、こういう注意をしなかったクラスに対して不公平だと言われてもしかたありません。

Mさんは、私の注意を聞いて、間違いを見つけて、直しました。しかし、Yさんは見直そうともしませんでした。レベル1だと、見直しても間違いに気づかない学生の方が多いものです。中級になると、こちらの思い通りに直してくれる学生が出てくるものなのですが。

さて、採点です。満点に近い学生からかろうじて0点を免れた学生まで、予想以上に点差が付きました。Sさんは不合格になってしまいました。来日が1週間近く遅れたので、授業で勉強・練習しなかったところがたくさん出たのが痛かったです。でも、この先必死に勉強すれば、まだまだ十分挽回可能です。

そのSさん、授業後に来日前に行われたテストの追試を受けて帰りました。また、授業に入った直後に行われたテストの不合格者への課題も提出しました。どちらも完璧な出来でした。昨日の宿題も、むしろ他の学生より高い内容を書いていました。この調子なら、次のテストは間違いなく合格でしょう。ただ、話す力がまだまだなのが気がかりです。

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伸びたなあ

4月19日(土)

Sさんは去年の10月期から理科系の日本語プラスを取っています。最初の学期は、11月のEJUの直前でしたから、EJU対策が中心でした。しかし、当時レベル3、中級にも達していなかったSさんには、授業の内容も私の日本語も難しく、何が何だか全然わかりませんでした。EJUが終わり、もう一度基礎からの授業になり、ようやく少しずつ話がわかってきました。

先学期は、授業を聞き、練習問題をし、ひたすら力を蓄えました。学期末には、過去問にもだいぶ歯が立つようになりました。

そして迎えた今学期、Sさんが取っている生物の授業は昨日から始まりました。半年前のSさんと同じように、レベル3の新しい学生が加わりました。オリエンテーションで生物の教科書に載っているような図を見せると、何の図かすぐに日本語で答えられました。問題文がやたら長い過去問も、少し時間はかかりましたが、正解でした。よくわからずにポカンとしていた同国人の新しい学生に、国の言葉で説明していました。

日本語でなくても、問題の解説ができるというのは、かなり実力をつけたという証拠です。人は教える間に教えられるといいます。わからない学生に教えるためには、自分自身の頭の中が整理されていなければなりません。Sさんの頭の中には、単に知識が堆積しているだけではなく、それがきちんと体系づけられているようです。もし、本当にそうなら、今度のEJUはかなり期待が持てます。

考えてみれば、Sさんももうすぐ上級のレベルにまで上ってきたのです。これぐらいできて当然かもしれません。毎週見ているとあまり感じられませんが、昨日みたいな姿をみると、成長を感じずにはいられません。

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