2人目

10月9日(木)

Sさんは今学期も朝6時半少し前に学校へ来て、ラウンジで勉強しています。ラッシュを避けて登校し、授業が始まるまでその日の予習をするという勉強スタイルを貫いています。4月期からずっと続けていて、1日も休んでいません。こっそりラウンジを除いても、朝ご飯を食べながら勉強していることはあっても、爆睡などということは、今まで1日たりともありません。立派なものです。

そのSさんが「おはようございます」と挨拶して2階へ上がっていってしばらくしたころ(と言っても7時前ですが)、もう1人、職員室に顔を出しました。昨日授業をしたレベル1のクラスのYさんです。Sさんは上級の学生ですから、9時から授業が始まります。しかし、Yさんの授業は午後1時半からです。始まるまで6時間あまりあります。住所を調べると、学校まで歩いて来られる所ではありません。Sさんと同じように、ラッシュは外そうという考えなのかもしれません。昨日出した宿題について質問し、ラウンジへ上がりました。SさんとYさんは同国人ですから、ラウンジへ行ってSさんにYさんを紹介しました。

午前の授業を終えて職員室に戻ると、Yさんが来ました。私にメモを見せました。そこには志望校とEJUの必要科目と足切り点、独自試験の科目が書かれていました。レベル1の学生がネットで調べて一つ一つ書き写して、こういう大学に入るには、今からどんな勉強を始めればいいかと聞いてきました。半日かけて資料を作り、質問の言葉を練り上げ、私に聞いたのでしょう。翻訳アプリの日本語を私の目の前に突き出す学生が多い中、実に見上げた姿勢です。

今からどんな勉強をすればいいかと聞かれましたが、レベル1だったらまず日本語です。それ以外の科目は、国の高校で勉強した教科書で復習するのが、初級の学生にとってはベストの勉強法です。

Yさんはやる気満々です。期待しましょう。

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慣れない教室

10月8日(水)

今学期は月曜日と水曜日がレベル1です。その間の、レベル1に挟まれた火曜日が、最上級クラスです。さて、どちらが私にとってのオアシスになるでしょうか。

というわけで、始業日のレベル1のクラスに入りました。出席を取る前に「こんにちは!」と声をかけても、パラパラと「こんにちは」と応じる声があがるだけでした。「こんにちは」が挨拶の言葉だと知らないはずはないでしょうから、お互い牽制し合っていたのかもしれません。

そのせいかどうかわかりませんが、このクラスは聞いた言葉をそのままリピートするのが苦手なようです。レベル1の初日ですから、文の複雑さなんて知れたものです。「キムさん、お国は?」なんていう程度です。それでも、みんなの口からスムーズに言葉が出るようになるには、数回の繰り返しが必要でした。

それから、クラス全体を盛り上げようと、「隣じゃない人と練習して」と指示を出しても動きは鈍かったです。身振りで「あっちの人と」訴えても腰が重く、こちらの闘志は空回り気味でした。初対面の人ばかりで話しかけにくいのでしょうか。それを打ち壊すためにあれこれ考えて学生に動いてもらおうと思ってるんですが…。

お互いがお互いを日本語で知り合うまで、もうほんの少し時間と経験が必要なようです。コミュ力がありそうな学生が友達を探しに教室内を動き回り始めたところで、授業時間が切れてしまいました。明日の先生に頑張ってもらうことにします。会話の中間テストの頃には、日本語が口からあふれ出てくることを期待しましょう。

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入学式挨拶

みなさん、ご入学おめでとうございます。このように多くの方々が世界中からこのKCPに集まってきてくださったことを非常にうれしく思います。

みなさんのような留学生は、昔々からいました。自分の国を出て、より進んだ知識や技術を得る、自分の将来に資する学問をする、興味や関心のある物事を実地に見聞する、自分の慣れ親しんだ文化とは異なる文化を体験する、そういった目標を掲げて新しい世界に挑んだ人々のおかげで、現在の社会が築かれたと言っても過言ではありません。日本では、今から1400年ほど前、7世紀初頭に遣隋使の一員として大陸に渡った僧たちが、留学生の嚆矢と言えます。

それから時代がだいぶ下り、江戸時代末期のお話です。1854年、アメリカのペリー艦隊・黒船が、ここ新宿から50キロほどのところの浦賀沖に来ました。前年に続く来訪で、日本中が上を下への大騒ぎでした。その大騒ぎの最中、1艘の小舟が夜陰に紛れて黒船に近づきました。乗っていたのは吉田松陰でした。松陰は黒船に乗せてもらってアメリカへ行き、自分の目でアメリカを見て、そこにある当時の日本が及びもつかないほど高度な技術や社会の仕組みを学び取ろう、そしてそれをもとに日本の国を改革しよう、発展させようと考えました。まさに留学生になろうとしたのです。

しかし、日本と和親条約を結ぼうとしていたペリーは、日本政府との間に余計なトラブルを引き起こしたくなかったので、松陰の希望を拒絶しました。希望がかなわず黒船から引き返さざるを得なくなった時の松陰の無念さは、察するに余りあります。さらに、松陰は、留学ができなかったばかりでなく、海外渡航を企て黒船に接触したのは鎖国を国是としていた幕府の方針に反するということで禁固刑となりました。そして、5年後には別の事件にも連座したため、処刑されてしまいました。この時、わずかに29歳でした。残念ながら、留学生としてみなさんの大先輩になることはできませんでした。

松陰は禁固刑に処せられている間、松下村塾という自分の思想を伝える塾を開き、塾生に大きな影響を与えました。松陰の松下村塾は、江戸幕府を倒し、明治の新しい日本を築く際に大いに活躍した人材を輩出しています。松陰は素晴らしい仕事をしたと言えます。しかし、もし、黒船に乗ってアメリカ留学できていたら、後輩たちに何を伝えたでしょうか。松陰の薫陶を受けた人たちはどんな明治日本を築いたでしょうか。松陰の人生を振り返ると、留学の意義深さに思いが至ります。

グローバル化、国際交流が進んだ21世紀に生きるみなさんは、吉田松陰のように命がけで留学に来ているわけではないでしょう。しかし、新知識、新技術に触れることを渇望し、新社会にあこがれ、そこでの得難い体験経験を夢見ていた松陰の心は理解してもらいたいです。松陰の果たせなかった夢、つかめなかったチャンスがみなさんの目の前にあります。それを自分のものとすることで初めて、みなさんの留学は価値ある物となるのです。そういう気持ちで、明日から始まる授業に臨んでください。

私たち教職員一同は、みなさんの留学の成功を全力で応援します。安心して頼ってください。

本日は、ご入学本当におめでとうございました。

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「すずし」とは言いませんね

10月6日(月)

みなさんは、い形容詞の語幹を感嘆詞的に使いますか。例えば、今年の夏なんか毎日でしたが、冷房の効いた屋内から外に出た瞬間、「あつ(暑)!」と、実際に口には出さなくても、心の中でそう叫んだりはしませんでしたか。学生たちもよく言っていましたから、現代日本語としてかなり浸透していると思われます。

さて、このい形容詞の語幹ですが、2拍のものが一番よく使われます。「あつ」「さむ」「くら」「おも」「こわ」「わる」「はや」「おそ」「やば」など、きりがありません。3拍となると、「ちいさ」よりは「ちさ」、「おおき」は「でか」、「おいし」は「うま」でしょう。長音を切り詰めて2拍にしたり、2拍の類義語を持ってきたりする例があります。それ以外となると、「みじか」「つめた」「うるさ」「きたな」は耳にしますが、「あかる」「かなし」「うれし」は聞きませんねえ。4拍以上になると、絶望的ですね。「うつくし」「あたらし」「おもしろ」「ほそなが」「あたたか」「のぞまし」「むしあつ」「けたたまし」「むさくるし」なんて、聞いたことがありますか。「むずかし」は「むず」になりますね。

とはいうものの、「けちくさ」「めんどくさ」「えげつな」「あほくさ」「びんぼくさ」「きしょくわる」など、ネガティブな意味の形容詞は、4拍以上でも“い”省略形が用いられます。そもそも、「あつ」「さむ」なども、不快感や意外、驚きを表す時に用いられ、だからこそ感嘆詞的なのです。「あま(甘)」と言ったら、単に甘いのではなく、甘すぎるとか、予想をはるかに上回る甘さだとか、甘やかしすぎているとか、そんな感情の発露だと思います。

この“い”省略形は、もともとは関西言葉でしょう。私は、半世紀以上も前に、京都に住んでいたいとこ経由で知りました。関東地方でも普通に使われるようになったのは、今世紀に入ってからではないでしょうか。もしかすると、スマホやSNSの普及と歩調を合わせているのかもしれません。ここから先は、私のような素人ではなく、どなたか専門家の研究にお任せすることにします。

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最後の仕事

10月4日(土)

クラス担任の最後の仕事は、成績通知票にコメントを書いて、それを各学生に送ることです。成績表そのものは、中間テストや期末テスト、日々の授業内に行う平常テストの平均点などがそのまま入りますというか、コンピューターが勝手に記入してくれますから、頭を使う必要はありません。しかし、コメントはそれぞれの学生に向けて自分の言葉で書き入れなければなりませんから、頭をフル回転させなければなりません。

非常にいい学生とどうしようもなく悪い学生は、ネタがいくらでも思い浮かびますからスラスラ書けます。悪い学生はネタを絞るのに苦労するくらいです。また、進学が決まった学生や受験の前にあれこれお世話した学生も、おめでとうとかよく頑張ったとか、いくらでも書きようがあります。まあ、この稿に登場するような学生には、何か書いてあげられるものです。

しかし、授業中に目立たず、成績も可もなく不可もなくといった学生は、書くのに苦労します。「次の学期も頑張ってください」では、いかにもおざなりで心がこもっていません。JLPTに合格していないかなと調べてみたり、コトバデーの時はどうだっただろうかと記憶をたどったり、クラスの日報の中にヒントはないかと当たってみたり、果ては教科書を開いてとっかかりを探したり、思いつく限りの手を使います。たいてい何か見つかるものですが、地味一筋の学生には、本当に頭を抱えてしまいます。

今学期は、幸いにもそういう学生は少なく、午前中に書き上げることができました。でも、同時に、多くの学生がこの10月期に進路決定を控えていることを改めて感じ、どう指導していくべきか、新学期の課題がいきなり突き付けられました。

新学期は、来週水曜日からです。

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死なせないで

10月3日(金)

最近の研究は、文系理系を問わず、いかなる分野においても、定量性が求められます。“AはBより多い”ではなく、“AはBより15%多い”といったまとめ方がなされます。そういった研究結果を論文にするとなると、必然的に図表が多くなります。その論文から知見を得るには、図表を読み解かねばなりません。つまり、学問をするにはグラフを読み取る力が必要不可欠なのです。

そういうわけで、選択授業小論文の期末テストは、グラフから読み取ったことについて自分の意見をまとめるという課題を出しました。それを採点したのですが、頭が痛くなり、吐き気を催しました。

テストの際、ただグラフを配っただけではなく、読み取りの注意点の解説までしました。私は丁寧に説明したつもりでしたが、学生たちは勘違い大間違いを派手にやらかしました。“10万人当たり3.1件”を3.1%と思い込んだり、「CはDに含まれますから、この2つの数字を足してはいけません」と繰り返し注意したのに、足してしまったりしてくれました。さらに、想像をたくましくし過ぎて、勝手に何百万人も死んだと決めつけて議論を進めた学生も何人かいました。その一方で、容易に想像がつく社会的背景に触れた学生はごくわずかでした。これが入試問題だったら、合格者は2名ぐらいだったでしょう。

小論文クラスの学生は全員上級ですから、私の説明が理解できないはずはありません。グラフが読み取れないがゆえに、あらぬ方向に走ってしまったのでしょう。裏読み深読みを求めたわけではありません。表面に見えている事柄をそのまま書いてくれればよかったのですが、それができなかったんですねえ。

グラフの読み取りは理系人間の専売特許ではありません。ここでどうにかしておかないと、学生たちは進学してから苦労することになります。

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絶望的?

10月2日(木)

面接練習をしたいということで朝9時に呼んだHさんが、9時になっても来ませんでした。よく遅刻する学生ですから、そのうち「寝坊しちゃいました」なんて、頭をかきながら入ってくるのではないかと思っていたのですが、9時半になっても何の連絡もありません。10時から打ち合わせが入っていますから、今さら来られても、ろくな面接練習ができません。

10時の打ち合わせが終わり、1階に下りてきたのが11時過ぎ。Hさんが来た気配はありませんでした。席に戻ると、下痢をしたので遅れるというHさんからのメールが10時過ぎに入っていました。しかし、私は12時に病院の予約を入れていましたから、中途半端な時間に来られても待たせるだけになってしまいます。12時半に来いというメールを送って、病院へ向かいました。

病院は待ち時間もなく、検査の結果を聞くだけでしたから、あっという間に終わってしまいました。「異状なし」と告げられただけです。ですから、12:15には学校に戻っていました。

結局、Hさんが来たのは12:45頃でした。言い訳を聞く時間も惜しいので、すぐに面接練習を始めました。意地悪な質問もしましたが、Hさんは黙り込んでしまうことなく、苦し紛れではなさそうなまっとうな受け答えをしてくれました。他の質問も水準以上の内容でした。しかし、言葉使いがいけません。Hさん自身は後で緊張していたと言っていましたが、「やっぱ」とか「めっちゃ」とかくだけた言い方が随所に出てきました。本番でこの話し方をしたらアウトだろうなと思いました。

自分の思いを口から訴えられない学生が大勢いる中で、どんどん言葉が出てくるHさんは頭の回転の速さも感じられ、立派なものだと思いました。でも、タメ口に近い話し方では、お堅いイメージのあるG大学は拾ってくれないでしょう。

それよりも何よりも、受験当日に下痢だろうと頭痛だろうと発熱だろうと、大幅遅刻は門前払いです。そもそも体調管理ができないような受験生には、合格の資格などありません。あさっての朝は、ちゃんと決められた時間までに行ってくれるでしょうか。それが一番不安です。

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本番

10月1日(水)

先週末、SさんからT大学に提出する志望理由書の添削を頼まれました。誤字脱字はありませんでした。それぐらいはAIが見てくれるのでしょう。直さなければ絶対に落ちるだろうというような、致命的におかしな部分もなく、このまま出してもどうにかなりそうな感じはしました。しかし、T大学は“ダメではない”程度で入れてくれる大学ではありません。何か光るもの、とがった部分が欲しいところです。Sさんの志望理由書に最も欠けているのがそれでした。土台が他大学に出した志望理由書で、それに多少手を加えてT大学向けに書き直したものです。そういう文章になる方が自然であり、右から左へと流れ作業でこなして書き上げた文章という感じが拭えませんでした。

そういう意味のことを返信すると、丸一日ほど経ってから、改訂版が送られてきました。今度は自分で調べ考え、字数制限に合わせて推敲を繰り返したと思われる志望理由書でした。どこの大学にも通用しそうな内容が消え、その代わりにT大学の特徴をとらえた志望理由が書かれていました。だいぶとがってきたかなという印象でした。これ以上とがらせると、お読みになる先生によっては嫌悪感を抱かれるのではないかと思い、不自然な日本語表現を指摘してOKを出しました。

程なく、そこを直して志望理由書が無事完成したというメールが届きました。T大学の出願はこれからですが、このくらい時間に余裕を持って動いてもらいたいものです。明日締切なんていう時に志望理由書を送り付けられても、こちらも焦ってしまい、じっくり読んで手を加えるどころではありません。

さて、Sさんの志望理由書は私の手を離れました。次は面接練習でしょうか。面接練習と言えば、明日は朝からHさんを鍛えなければなりません。

受験の秋、本番です。

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カラリ

9月26日(金)

18日以来、8日ぶりに最高気温が30度を超えました。日中外出しましたが、気温の高さは感じたものの、肌を包み込むような熱気はなく、日陰に逃げたいという暑さではありませんでした。空も、先日までのような、いかにも水蒸気をたくさん含んでいそうな白っぽい感じではなく、“天高く”という表現がぴったりくる青さでした。

気象庁のページを見てみると、18日までに比べて、最近は湿度が低くなっています。最低湿度が40%台の日が続いています。18日以前は70%台の日もちょくちょくありましたから、さわやかさの原因はこの湿度の低さにあるに違いありません。

今年ほど夏と秋の境界が明確な年は珍しいのではないでしょうか。夏は9月18日まで、秋は19日からと、スパッと切り分けることができます。真夏日はもう何回かあるかもしれませんが、熱帯夜になることはないでしょう。秋が19日から始まり、彼岸の入りが20日でしたから、「暑さ寒さも彼岸まで」も律儀に具現してくれました。

夏だった頃、今年は秋があるのだろうかという話をこの稿に書きましたが、それはまだ生きているようです。今年はあっという間に気温が下がり、冬は例年より寒いくらいだそうです。“秋の気温は釣瓶落とし”といったところでしょうか。寒い冬が来るなら温暖化は止まったのでは、と思いたくなりますが、これもまた温暖化のせいで偏西風の吹き方が変になり、日本上空に寒気団が訪れるからだそうです。

短い秋になりそうですが、精一杯楽しもうではありませんか。

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謎の会話

9月25日(木)

昨日に続いて、レベル1の会話テスト。

「10月に国の友達が日本へ来ます」「そうですか。どこへ行きますか」「京都へ行きたいです」「京都へ行くなら清水寺がいいですよ。今、秋ですからきれいですよ」「昼ご飯、何を食べますか」「京都ならおいしい料理がたくさんありますよ」「私は松屋の牛丼を食べます」「京都は松屋やすき家の牛丼じゃなくて、京都の食べ物を食べたほうがいいですよ」

…というような、話が通じているのかいないのかよくわからない会話が続きました。わあたしは筋を追いかけるので精いっぱいでしたが、当の本人たちは妙に楽しそうでした。こんな会話でお互いに意思疎通ができているのでしょうか。テストですから教師が介入するわけにはいきません。もどかしい気持ちを抱えながら既定の字いかんが来るまで会話を聞き続けました。

さらに、このような会話を採点しなければなりません。発音や流暢さはどうにかつけられますが、やり取りそのものの評価や習った文をきちんと使っているかどうかとなると、頭を抱えてしまいます。上述の場合、「昼ご飯、何を食べますか」と質問した学生は、話題を変えようとしたのです。レベル3あたりなら「ところで」などという便利な接続詞を使ってくれるのでしょうが、レベル1の学生にはそんな器用なまねは望むべくもありません。

逆の見方をすると、このやり取りは中級あたりの教材に使えるかもしれません。「これじゃ何を言っているかわからないでしょう。だから接続詞って大事なんですよ」という方に学生の頭が向かないものでしょうか。

採点は一応終わりましたが、明日、醒めた目でもう一度録画を見てみるつもりです。

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