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残念な学生

3月31日(木)

学期休みになると、先生方は「残念な」学生に電話をかけ、その学生を呼び出したり宿題を与えたりして、何とか進級させようとします。私は、今学期受け持った学生は卒業生が大半で、来学期も残る学生たちには「残念な」学生はいませんでしたから、高みの見物を決め込んでいます。

教師から「残念な」成績を知らされた学生は、たいてい、自分はそんなにわからないわけではないということをアピールしようとします。わかっているんだけど、ケアレスミスを犯したとか、答え方がちょっとまずかっただけだとか、そんな言い訳をします。中には、あまり勉強しないで期末を受けたと言って、教師の逆鱗に触れてしまう学生もいます。勉強しさえすればこんなのチョロイと言いたいのでしょうが、学生の本分である勉強を怠けたのだから、進級する資格などあるわけがないというのが教師の論理です。

それでも説教+宿題ぐらいで進級を認めてもらった学生は、まだ幸せです。電話口で冷たく「もう一度同じレベルです」と告げられた学生は、憤懣と落胆と悲憤と怒りと嘆きとが入り混じった複雑な感情を抱きます。それを教師に吐き出そうとしますが、「残念な」成績しか挙げられない学生ですから、教師の心を動かすような日本語になどなるはずがありません。その日本語が火に油を注ぐ形となり、さらにドツボに陥っていくパターンが大半です。「あなたには上のレベルじゃなくて下のレベルに行ってもらいます」なんて言われている学生すらいます。

でも、本当に困るのは、テストでは点を取っちゃうんだけど、全然話せなかったりコミュニケーションが取れなかったりする学生です。そういう学生の実力のなさがあぶりだされるのが、志望理由書を書いたり面接練習をしたりする頃なのです。入試は、説教+宿題や再試験でどうにかなる問題ではありませんから、今から自覚を持って真の実力を上げるように、こちらも指導しどうしていかねばなりません。

小技を磨け

3月25日(金)

最上級クラスの期末テストの採点をしました。このクラスの学生は、卒業式までは卒業生と机を並べて勉強した学生たちです。卒業式以降は、4月からの新学期への助走期間として、初級から今まで習ってきた文法を正確に使いこなす練習をしてきました。

採点結果は、みんなそれなりの成績を挙げはしたのですが、私には不満が残りました。学生たちにとっては復習問題だったので、満点に近い点数で合格してほしかったのに、そこには程遠い成績でした。「名ばかり最上級」とまでは言いませんが、横綱相撲で勝ってほしかったのに、土俵際まで押し込まれてかろうじて逆転の突き落としみたいな成績じゃ、4月以降KCPを引っ張っていく立場の学生としては情けないものがあります。

だからといって、この学生たちの日本語が意味不明なわけでもなく、こちらの言葉が通じていないわけでもなく、難しい文章も読みこなしています。コミュニケーションに支障をきたすようなことはありません。それでも、可能や使役や「ている」などの使い方を間違えているのです。研究計画書や志望理由書、プレゼンテーションなど、正確な日本語が要求される場面では、不安が残ります。

実は、卒業生の中に、志望理由書を見てくれと持って来たものの、「てある」とか受身とかの使い方がまるでなっていなくて、愕然とさせられた学生がいました。そんなことがあったので、今回、復習の時間を設けたのです。私が採点した学生たちも、あと半年足らずのうちに研究計画書や志望理由書を書かなければならない運命にあります。そのときまでには、せめて大関相撲が取れるくらいにはなっていてもらいたいです。

期末の採点が終わり、一息つけるかと思いましたが、新たな課題を見つけてしまいました。

採点基準

3月16日(水)

初級クラスの代講に入りました。文法テストがありましたから、授業後、その採点をしました。自分が仕切っているレベルなら、問題も自分で作っているし、採点基準も自分で決めればいいし、答案の出来を見て微調整も可能です。ですが、初級はそういうわけにはいきません。何より、クラス数が多いので、ということは採点者も多いので、私が勝手に採点基準を決めるわけにはいきません。疑義のある答えは、レベル担当のK先生に相談し、他のクラスとのバランスを取らなければなりません。

テストは、本来、同じ答案なら誰が採点しても同じ成績にならなければならないものです。すべてが選択問題ならそういうテストも作れましょうが、記述式となると、どうしても採点者の主観が入り込んでしまいます。初級の文法テストですから大した内容の文にはならないのですが、教師によって許容範囲が異なることは容易に想像できます。これはどうしても認めたくないとか、これぐらいなら目をつぶってあげてもいいんじゃないかという基準を、私も主張したいし、他の先生もそれと同じだけ主張したいでしょう。

たかがKCPの文法小テストですらこうなのですから、センター試験の改訂版となる新共通テストで実施が予定されている記述式試験となったら、いったいどういう採点をするつもりなのでしょう。採点が大変すぎるから複数回実施をあきらめたと言いますが、当然の結論だと思います。

受験生の真の能力や意欲をとらえるには記述式のほうがよいということで導入するというのはよくわかります。でも、その真の能力をしっかりと感じ取る体制ができていなかったら、理想は画餅どまりです。高い志を、何とか実現日してもらいたいと、陰ながら応援しています。

早朝の楽しみ

3月9日(水)

卒業生を送り出して授業時間が減ったので、久しぶりに理数系科目に時間がかけられます。今朝は誰もいない静かな職員室で、EJUの数学の問題を解きました。ただ答えを出すのではなく、答案を作り上げていくと、他人に読ませることを前提に思考経路を文字化するわけですから、頭の訓練になります。

生物の問題も解きました。こちらもまた、なぜそういう答えが導き出せるのかということを説いていくとなると、あれこれ調べて裏づけを取ることが必要です。このあれこれ調べる過程であちこち寄り道するのが、私にとっては幸せなひとときなのです。生物なんかは、教科書の隅々まで読むと、意外な知識やエピソードなどが得られることがよくあるのです。

先週までは授業に追い立てられていましたから、なかなかこういう時間が取れませんでした。というか、今朝といた数学の問題は、去年のうちに済ませておくべきものだったのです。数学や理科の問題は、頭のさえている早朝に解きたいのですが、午前中に授業があると、そちらの準備に時間が取られがちで、こちらの仕事は後手に回ってしまうのです。

でも、こういう幸せが味わえる時間は長くはありません。新入生の受け入れ準備を始め、4月期に備えての動きが始まると、まっ先に犠牲になるのがこの時間です。とは言え、4月期が始まるまでに何とかしておかないと、残った分は4月期が終わるまで手付かずになりかねません。しかし、6月のEJUの直前には学生たちに問題をやらせて、その解説をしなければなりませんから、持ち越しは許されません。

結局仕事に追われることになりそうですが、それでもしばらくは春の気配が濃くなっていく早朝のひとときを楽しみたいです。

よく来たね

2月25日(木)

今日は、多くの国立大学が、日本人高校生向けの前期日程に合わせて、留学生入試を行いました。私のクラスも、今朝は教室がスカスカで、出てきた学生もどこか戸惑ったような顔をしていました。近場の学生もいれば、遠征している学生もいます。遠征組も、明日のバス旅行に行くために、何とか今日中に帰ってきます。諸般の都合でバス旅行が明日になってしまいましたが、国立受験の学生にはしんどい日程だったかもしれません。

昨日、12月の卒業生のJさんが面接練習に来ました。卒業後、今まで約2か月、Jさんなりに直前の追い込みをかけてきました。筆記試験はそれで何とかしたようですが、面接は不安があったのでしょう。

面接練習をして見ると、案の定、甘い答えが次から次へと出てきて、これじゃ国立はまずいんじゃないかなという内容でした。Jさんは頭が固いタチではありませんから、前日でも軌道修正が利くと思い、足りないところを遠慮なく厳しく指摘しました。Jさんも、それが目的で来たはずです。

1月に入学すると、日本語学校の最中在籍期間は2年ですから、翌年の12月が卒業となります。すると、進学者にとって1~3月は空白の期間になってしまいます。その3か月は、すでに進学先が決まっていれば、ギャップイヤー的な使い方もできますが、Jさんのように最後の勝負をかけようという学生は、宅浪的な日々を送る羽目に陥りかねません。そうならないように学生としっかりした関係を築いておくのも、実は教師の隠れた仕事なのです。Jさんはその絆をぐいとたぐり寄せて、面接練習に来たというわけです。

さて、試験の手ごたえはどうだったのでしょうか。Jさんは明日のバス旅行には参加しませんが、今日受験した在校生の面々には、バスの中で話を聞いてみるつもりです。

辛抜く

2月22日(月)

先週末の中間テスト・卒業認定試験を採点しました。予想通り、遅刻や欠席の多い学生は点が取れず、授業に出ていても本気かどうかわからないような学生もまた、成績は伸びませんでした。

今学期は読解教材に小説も使いました。この小説の読み取りに、意外と大きな差がつきました。小説のパートが非の打ち所のない答えだったのはCさん。さすが、入学した時からいつも日本の小説を手にしていただけのことはあると、感心させられました。登場人物の心の動きを完璧にとらえています。ふだん小説などに親しまず、授業で使うテキストだからと読んだ程度の付け焼刃では、深い読み込みはできないものなのです。

ロジカルな文章は、Bさんが最高点でした。Bさんは物事をきちんと積み重ねて考えていくことができる学生ですから、これもまた当然の結果といえましょう。物事を、何となく勢いで、感覚的に考えてしまいがちな学生たちが失点を重ねていくのを尻目に、隙のない答えで得点を重ねました。

漢字の書き取りは珍答続出でしたが、最高傑作は、「初志を“つらぬく” 」で、「辛抜く」と答えたXさんでしょう。確かに、初志を貫くには辛い目を乗り越えぬかねばなりませんが…。個人的には「座布団3枚」で5点ぐらいあげたいところですが、そういうわけにはいきません。

文法は、授業でフィードバックしなきゃいけなさそうな間違いがいくつかありました。卒業認定試験が終わったからと言って、日本語の勉強が終わりだなんて思われたらたまりません。

卒業式まで授業日数は8日です。有意義に使って、教師としても有終の美を飾りたいです。

一生勉強

2月20日(土)

昨日の中間テスト・卒業認定試験を採点しました。卒業予定者はこのテストに合格しないと「卒業」証書がもらえず、「修了」証書になります。超級レベルの学生たちは、日本語力の絶対値においては、数百万人と言われる日本語学習者の上位1%に入るくらいのものを持っているはずですが、この学校できちんと勉強したという証を立てるため、卒業認定試験で合格点を取ってもらわねばなりません。

日本語学校は学歴の埒外の教育機関ですから、「卒業」でも「修了」でも学生たちの将来に大きな差が生じることはないでしょう。でも、だからこそ、けじめをつけることが大切です。卒業証書は、若い多感な時期の1年か2年を有意義に過ごした証明書なのです。単に力があるというだけでは渡したくありません。

さて、その結果ですが、ふだんの授業態度から手を抜かず勉強しているなと思っていた学生が着実にしかるべき成績を収める一方、消化試合みたいな態度だった学生はそれなりの点数しか取れていません。N1の試験問題をさせたら後者の学生のほうが高得点かもしれませんが、卒業認定試験は授業を受けていることを前提としていますから、評価が逆転しても当然です。

そして、学生の真価がわかるのは、実は来週からです。卒業認定試験が終わり、「卒業」が確定したらあとは野となれ山となれみたいな学生が毎年出てきます。同時に、卒業式の前日まで謙虚に学び続けようという学生もいます。超級クラスの学生たちの日本語力は認めますが、勉強することなど1つもないというわけではありません。もちろん、私は手を緩めず授業します。

七変化

2月15日(月)

Cさんは国立大学を狙って、先月末あたりから全国をまたにかけて入試を受けています。受験する各大学の面接試験に備えて、ここのところ毎日のように面接練習をしています。その意気込みは高く評価しますし、EJUの成績から見ても受験したどこかの大学には受かることと思います。

しかし、受験する大学によって勉強しようとすることが違うのです。だから、当然、日本へ来たきっかけも将来設計も違います。Cさんの面接練習に何回も付き合いましたが、どこにCさんの本当の気持ちがあるのか、いまだにつかめません。その点を指摘すると、まず、大学に入ることが肝心なので、一番入りやすい学部・学科に出願したと言います。大学で何を勉強するかは二の次、三の次だといわんばかりです。

日本人の高校生にも、入りやすいところに入ると考える人はいます。でも、そういう無目的な学生は、早々に退学したり、4年間在学したとしても就職戦線で苦労したりするのです。まして、Cさんは外国人ですから、“退学=帰国”という公式が精神的な圧迫になることもありえます。

面接練習の場で「そもそも人生とは…」と人生訓を垂れても、そんなことに耳を貸す余裕などないでしょう。事ここに至ってしまっては、Cさんの望みどおり、どこかの国立大学に入ってもらうしかありません。そのために尽力することがCさんの幸せにつながると信じたいのですが、心の奥底から、そんな死の商人みたいなことをしていていいのかっていう別人格の私がささやきます。

今週金曜日は中間テストですが、その前日もCさんは遠方で入試です。来週のバス旅行直前も遠征です。もうしばらくは良心との戦いが続きそうです。

伝わる日本語

2月9日(火)

MさんはK大学の筆記試験に合格し、今週末に面接試験を受けます。ふだんから口数が少なく、黙々と勉強するタイプで、筆記試験は得意でも面接で自分の考えや気持ちを表現するのは苦手そうな学生です。

授業後、そのMさんの面接練習をしました。やはり、頭の回転に口が伴っていない様子で、付き合いの長い私だからこそわかるのであり、初対面のK大学の先生方には理解不能だろうなという話しっぷりでした。

それでもMさんは強気でした。去年は筆記に合格した受験生全員が受かったから大丈夫だろうという理由からです。しかも、去年の合格者は面接では「日本語はできますか」程度のことしか聞かれなかったから、その程度なら簡単に答えられると言います。

確かに、筆記試験で学力を確認していますから、面接は合格を前提としたものでしょう。しかし、面接練習でのMさんの答え方は、コミュニケーション上に問題ありとされてもしかたのないものでした。発音がよくない上に、ポイントとなる言葉を知らないために、迂遠な言い回しをします。

Mさんの頭脳は本当にすばらしいです。理解力も応用力もあります。K大学に入ったらきっといい勉強をするだろうと思います。でも話させると単なる発音の悪い留学生に成り下がり、その頭脳明晰さの100分の1も発揮できません。本人の多少はそれに気付いているからこそ、私の面接練習を申し込んできたのですが、「多少」止まりです。根っこのところでは去年は全員合格だから、自分も安泰だと思っているのです。私もそうあってほしいですが、立場上、最悪を想定して厳しいことを言い続けるのです。

Mさんは中級に入学しましたから、KCPの初級の訓練を受けていません。国で問題集で鍛えて日本語の力をつけたのでしょう。でも、やっぱり言葉はコミュニケーションです。あと数日ではありますが、自分の気持ちを、相手に伝わる日本語に変換する訓練をして、K大学の面接に臨んでもらいたいです。

答えに詰まる

1月14日(木)

午後からDさんの面接練習をしました。Dさんは理系の学生で、志望校の面接の際に口頭試問も行われますから、物理や化学の問題を出す役目を負った次第です。

Dさんは、EJUの物理や化学ではかなりの点数を取りましたが、口頭試問は大苦戦でした。化学や物理の基本事項を根っこから理解していないことがあらわになりました。「なぜ」を追究せず、表面的な現象や結論となる公式だけを覚えて満足していたのです。数学の問題の解き方なんか見ていると、理系のセンスは十分あると思うんですがね。Dさんには、面接本番までに教科書を読み直し、応用問題ではなく、“〇〇とは何か”という根本の知識を確認しておくように指示を出しました。

口頭試問を貸して学生を選抜しようという大学側の姿勢は評価できますが、根本のところを押さえていなくても好成績が収められてしまうEJUって何だろうという気持ちになりました。理系的な勘が働けば、訓練によって点が取れてしまうのです。こういうテストだけで選ばれて大学に入学したら、入ってから苦労するだろうなと思いました。

先学期、理科の受験講座で記述式試験の対策をしました。T大学の電磁気学の問題など、難問ではないけれども基礎を余さず盛り込んで、それを組み合わせて答えを導き出す惚れ惚れするような良問でした。解説していて気持ちがよかったです。こういう問題なら真に力のある学生、科学的な基礎知識をもとに創造的な学問ができる学生が選ばれるだろうなと思いました。

今週末はセンター試験です。そして、センター試験を中心に、大学入試のあり方全体の改革が議論されています。そこに留学生入試を含めることは難しいでしょうが、入試対策ではなく大学で学問していく基礎力を身に付けようというインセンティブが働く試験制度になるといいです。