Category Archives: 進学

理系志望増殖中

7月21日(木)

Jさんは理科系の受験講座を受けています。しかし、どうも成績が伸びません。数学のS先生も、Jさんの数学の力を心配しています。学生が理科系を志してくれることは、理系人間としてはうれしい限りです。しかし、無理をして理科系学部に進学しても、良いことは1つもありません。

ここ数年、国では文系の勉強をしてきたけれども、日本では理科系への進学を目指す学生が増えてきたような気がします。以前は、理科系を志望していたものの、理系科目の成績が伸びず、文科系に進路変更するというパターンがほとんどでした。今でもそういう“文転”の学生もいますが、“理転”的な学生が出てきています。

これには、学生たちの国の就職状況が影響しているようです。聞くところによると、文科系の学部学科の場合、大卒に見合う職業に就けないようです。東大並みの大学を出ても、名のある企業に入れるのはごくわずかで、零細企業に入る(本人的には「甘んじる」でしょうね)学生も少なくないとか。こういう状況から逃れるために日本へ来て、多少なりとも就職のいい理科系学部を狙おうという考えなのです。

しかし、数学ができなかったら、理科系学部ではろくな勉強ができません。間違って入試に通って進学できたとしても、進級はできません。留年を繰り返せば、いずれは退学させられます。貴重な若い時期の数年を浪費することになります。

そもそも、好きでもない勉強は続けられません。これからは一生勉強し続けないと、AIにこき使われるようになってしまいます。ですから、“文転”にせよ“理転”にせよ、安易な進路の決定は考えものです。

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思わぬ落とし穴

7月19日(火)

Nさんは大学院進学を目指している学生です。昨年度は中級で受験だったこともあり、志望校には手が届きませんでした。入管の特例措置で、来年3月までKCPで勉強することになっています。ただ、Nさんの志望校はかなりレベルが高いですから、上級で挑んだとしても楽な戦いにはなりません。

そんなNさんの進学準備の進み方が、実に危うい状況に陥っているということがわかりました。最大の問題が、日本語で書いた論文を提出しなければならないのですが、その進捗状況がほぼゼロだという点です。Nさんの専門で、日本語での論文が不要な大学院も多数ありますが、今のところ、Nさんは妥協するつもりはなさそうです。じゃあ、論文がすらすら書けそうかというと、これまた違います。題材を決めて、材料を探して、論文として組み立てて、日本語としておかしくないかチェックして、…という段階を1歩も進んでいますん。Nさん自身、それは痛いほどわかっています。

入試は11月と言います。すると、遅くとも10月には出願でしょうから、現時点で1行も書いていないというのはかなり厳しい状況です。でも、論文提出が不必要な大学院については、何も調べていないに等しいです。本命校だけがあって、滑り止めが全く考慮されていません。危ういことこの上もありません。

こんなことがわかったのは、別件でNさんを呼び出してあれこれ話を聞きだしたのがきっかけでした。その別件なんか枝葉末節に思えてしまうくらい、Nさんはとんでもない状況にあります。“いい学生”の部類に入る学生でしたから、今までずっと、Nさんの「大丈夫です」を信じてきました。しかし、これからは第一級の要注意学生です。Nさんみたいな表面上“いい学生”がいないかどうか、再点検しなければなりません。

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たくさんわかりませんでした

7月12日(火)

理科系の受験講座は、多くの場合、学生にとっては国の高校で勉強したことの復習です。文系の総合科目は日本の地理歴史政治経済も含みますから初めて聞く話もありますが、理科系は用語が日本語に置き換わるだけで、内容は同じです。日本ではNaClだけど、私の国ではSoClだなどという話は聞いたことがありません。

Jさんは今学期レベル3で、受験講座が受けられるようになりました。初日は、90分にわたって私の化学の授業を聞きました。その前に、S先生の数学も聞いています。授業後、「日本語、難しかった?」と聞いてみたら、「はい。たくさんわかりませんでした。でも、だいたい大丈夫です」と、どうとらえていいのか迷ってしまう答えが返ってきました。

受験講座は、日本語の授業と違って、図表や数式などを見ながら、その意味するところを理解していきます。進出語彙や文法の導入のあとで反復練習、応用練習とかというパターンがありません。講義を通して原子なら原子という物の概念をつかみ、それを応用して理解を深めたり広げたりしていくのです。Jさんの「わかりませんでした」は、“応用して理解を深めたり広げたり”という段階には至らなかったという意味でしょう。「大丈夫です」は、概念はどうにかつかめたと言いたかったのではないでしょうか。その証拠に、ここがポイントだというところは、事前に配っておいたレジュメになにがしか書き込んでいました。

Jさんには、今は苦しいと思いますが、ここであきらめずに食らいついていってほしいです。それが、進学後に役に立つ日本語力になるのです。

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進学先では

7月11日(月)

先週のこの稿に書きましたが、今週は学生の進学先となりそうな学校の方がおいでになります。週明け早々、2校の方とお会いしました。

その2校のお話、非常に似通っていました。まず、留学生の数は、受験者、在校生ともに減っているけれども、合格ラインは変えないという点です。合格ラインを下げて入学させても、甘い基準で入った学生は授業についていけないし、就職や進学となった時に厳しい目に遭うので、結局その学生のためにならないと言っていました。私もそう思います。進学はできたけれども留学にはならず、ついには退学というのでは、青春の無駄遣いです。もちろん、経済的損失も小さくはないでしょう。さらには、「どうせ自分は」とかという形で精神的に歪んでしまったら、一生を台無しにしかねません。

次に、入学試験ではコミュニケーション能力を重視するという点です。オンライン授業は、知識を身につけるなど、学業そのものに遜色を感じることはないけれども、教職員との間の微妙なコミュニケーションがうまくいかないことがあるようです。メールでお知らせを流すと、学生は受信するや翻訳アプリに持って行って、母国語で理解するそうです。そのため、教職員が日本語で強調したつもりの事柄が、留学生にだけ伝わらないことがあると嘆いていました。

授業はzoom、買い物や食事は無言で、ニュースは母国語で、アルバイトはしないとなると、学生は自分の日本語を試すチャンスがなく、したがって自分の日本語力に自信が持てないのではないでしょうか。だから、日本語で書かれたお知らせはすぐ翻訳してしまうし、レポートなども母国語で書いて翻訳となってしまうのです。学生たちだってそれがベストだとは思っていないでしょうが、そうしないと安心できないに違いありません。

今、KCPで学んでいる学生たちにはそんな思いをさせたくありません。そうならないためのプログラムを用意していますから、ぜひついてきてもらいたいです。

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約束

7月6日(水)

昼食から戻ると、いきなり電話。「N大学ですが、ご挨拶にお邪魔したいと思っております。今週か来週、お時間を頂戴できませんか」という、訪問の予約の電話でした。このところ、こういう電話がよくかかってきます。学生の進路を確保するのも私たちの仕事ですから、時間の許す限りお会いすることにしています。

やっぱり、大学は留学生を確保するのがかなり難しくなっているのではないかと思います。KCPもそうですが、どこの日本語学校も、3年前には遠く及ばない在籍学生数でしょう。各大学の留学生入試の募集人員は、多くが“若干名”という曖昧模糊とした表現ですから、日本語学校の在籍学生数に比例して減っているとは到底考えられません。海外での直接募集と言っても、日本語学校からの進学者数の減り具合を補うには至らないでしょう。

先月までにも何校かの留学生担当の先生にお会いしましたが、いちばん気にされていたのは来年3月の卒業予定者数でした。景気のいい話をしたいのはやまやまですが、嘘や大風呂敷はいけません。実態をお話しすると、「この学校もか」というような色が浮かびます。

今シーズンの入試は、留学生の取り合いになることが予想されます。しかし、それは、合格ラインが下がることは意味しません。入学させた学生の退学率や留年率がやたら高いと、いったいどういう教育をしているのだということになります。ですから、どこの大学も、質を確保することは言うまでもありません。

すでに月曜日から11月のEJUの受付が始まっており、もうすぐ6月のEJUの結果が発表されます。受験生のみなさんには、心して戦いに臨んでもらいたいと思います。

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モニターの中の若者たち

6月16日(木)

来学期の学校行事に関連して、現在、1階の受付前の大型モニターには、過去のスピーチコンテストのダイジェスト版映像が流れています。スピーカーだけでなく、応援の様子も入っています。何年前かわからないくらい昔の映像も含まれていますから、懐かしい顔も時々出てきます。ここに映っている(元)学生たちは、今、どこで何をしているのでしょう。どこで何をしていてもいいですが、できれば日本語を使って幸せに暮らしていてほしいものです。

一説によると、日本で進学した留学生のうち、卒業できるのは6割ほどだとのことです。残りの4割は、理由は各人各様でしょうが、中途退学しています。もちろん、専門学校や大学に在籍し勉強しながら受験準備をして、次の年に“もっといい大学”に進学した学生も少なくありません。経済的理由で帰国を余儀なくされた学生も、毎年一定数はいることでしょう。一番悲しいのは、日本語力不足で退学せざるを得なくなったというパターンです。

大学などはそんなことにならないように、入学試験の時点で面接やら小論文やらで受験生の日本語力をチェックしています。しかし、“対策”が進みすぎると、入試の時点ではなく、入学後に挫折が待ち受けています。進学したら日本語と真正面から向き合う時間なんか、そうたやすく取れません。だから、日本語学校にいるうちに、進学してから困らないだけの日本語力を付けておかなければならないのです。私たちがいくら言っても、この単純な事実が学生たちに伝わらないんですねえ。

映像の中で、マスクをせずに、語り、訴え、主張し、何かを伝えようとしていた学生たち、縦横無尽にステージ上を動き回っていた学生たちが、そのはつらつとしたパワーを進学先でもいかんなく発揮し、“6割“の関門を突破したと信じたいです。

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来学期に向けて

6月13日(月)

来学期から受験講座を受けたいという学生が、授業後に相談に来ました。こういう学生に対しては、厳しいことも言うようにしています。単に志望校へのあこがれだけで勉強を始めても、合格できるものではありません。何でも勉強しようという意欲は認めますが、意欲だけで入れてくれる大学はありません。また、歯を食いしばって勉強しても、成績が伸びないことだってあります。私には「絶対合格させます」などと言い切る自信も度胸もありません。結果が伴わないことだってあり得るのです。

しかし、受験講座に申し込んだ学生には、懇切丁寧に指導し、親身になって相談にも乗ります。今までのデータを駆使し、勝てる勝負の場を示して、その学生の希望に最も近い道を選ぶお手伝いをします。出願校が決まったら、出願書類の書き方から面接試験の受け方まで、きっちり面倒を見ます。授業よりもむしろこちらのほうを十二分に利用活用してもらいたいとさえ思います。

いちばん困るのが、何もかも自分の独断でやってきて、失敗を重ねたあげく身動きが取れなくなり、最後に泣きついてくるパターンです。時期も遅いし、これまでの経過も詳しくはわからないし、条件的に非常に厳しいです。尾羽打ち枯らした様子を見ると、助けてあげたいのはやまやまですが、すでにこちらの手駒もない頃だと、学生自身にとって不本意な進学を勧めざるを得ないこともあります。今からこちらに相談を持ち掛けて来てくれれば、このような事態に陥ることはないでしょう。

相談に来た学生は、申込書を持って帰りました。こちらも、そろそろ、来学期以降の構想を、学生の動向に基づいて、具体化していかねばなりません。

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伝わってほしいけど

6月9日(木)

木曜日の夕方は、初級の学生への進学授業です。日本の大学に進学するにはどんな準備が必要か、いくらぐらいお金が必要か、どんな勉強をしておかなければならないか、そんなことを中心に話しています。私の話す日本語と日本語で書かれたパワーポイントでは、初級の学生には通じませんから、通訳にも入ってもらっています。

話しながら教室を見渡してみると、私の話を聞こうとしている学生とそうでない学生と、如実に分かれます。聞く気のある学生は、私の日本語を聞き取ろうとし、少しでもわかればうなずき、最後に通訳で内容を確認しているようです。日本語を聞こうとしない学生は、通訳の先生の言葉にだけ耳を傾け、内容を理解しようとしています。

私の話から直接でなくても、私の伝えようとしたことが伝われば、この授業の目的は一応達せられたことになります。しかし、それは形の上だけ、機能面の話に過ぎません。日本語のまとまった話を聞いて理解する訓練を、初級のうちから始めておいてもらいたいのです。初級の先生が話す、語彙コントロールの十分利いた日本語ではなく、難しい単語がふんだんに織り込まれた話から、自分に関わりのある事柄を、初めのうちは断片的でもいいですから、つかみ取る訓練をしてもらうのも、隠れた目的です。

こちらも、学生たちにどうしても知っておいてほしいですから通訳を付けていますが、通訳の話す学生自身の母語に頼り切られてしまうのは、面白くないです。せっかく日本で対面授業を受けているのですから、そのメリットを最大限享受してもらいたいです。

気が付いたら、今学期の木曜日は、あと来週だけです。学生たちは、多少は私の日本語が聞き取れるようになったのでしょうか。

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梅雨の初日に

6月6日(月)

朝から雨で、週間天気予報も傘マークが続くなあと思っていたら、関東甲信地方の梅雨入りが発表されました。沖縄と奄美地方に続き、九州南部から東海地方を差し置いての梅雨入りです。それでも平年より1日早いだけですから、今年は全国的には梅雨入りが遅れているのです。気温も朝から低めで、日中も上がる見込みがなさそうでしたから、長袖のカーディガンを羽織って出勤しました。

そんな中、進学フェアが開かれました。肌寒い雨の中、お越しくださった各大学のみなさん、本当にありがとうございました。一方の学生は、受付が始まっても出足が悪く、少々焦りましたが、だんだん集まってきて、胸をなでおろしました。でも、会場に入っただけで、各校のブースに進もうとしません。「ちょっと考えています」「気持ちが落ち着くまで待っています」「A大学は難しすぎますから」「B大学とC大学と、迷っています」などとのたまう学生が多く、今までに比べて積極性に欠ける印象を受けました。私の役目は、そういう学生たちの尻たたきでした。

尻をたたかれて1校目の担当者と話をした学生は、2校目、3校目に進んでいきました。つまるところ、自分の日本語の発話力に自信がなかったのでしょう。ある程度通じるとわかったら、大学を知りたい、進学情報を得たいという気持ちに方が強くなり、次々と聞きに行ったのです。

学生が引いてから各校の方にお話を伺いました。「学生のみなさん、日本語がお上手ですね」と言ってくださいました。半分はヨイショでしょうが、学生たちの熱意は伝わったのではないでしょうか。「気持ちが落ち着くまで待っています」と言っていたDさんも、4校ほど回ったようで、資料でかばんが膨らんでいました。

逆に、自分の日本語が通じなかった学生は、話す力を磨くべく、授業での練習に身を入れてほしいです。大学院なんか、すぐに入試シーズンですからね。

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修士でも

6月4日(土)

最近は、就活に忙しくて、大学院生が研究できないそうです。修士課程2年間のうち、かなりの時間を就活に奪われ、研究に打ち込む期間は短くなる一方だということです。さらに、博士課程まで進んでしまうとかえって就職が難しくなるので、学生としてはどうしても修士で就職したいのです。

大学院は、教育機関というよりは研究機関です。研究ができなかったら存在意義がありません。また、進学した学生にとっても、時間とお金の無駄遣いになりかねません。日本の研究力は、こういうところからも低下しているのです。博士が活躍できない日本は低学歴国だと言われていますが、修士の学位すら実質を伴っていないのだとしたら、諸外国に勝てるわけがありません。

私の頃は、みんな、研究の合間にちょこちょこっと面接に行って、いつの間にか就職先を確保していました。インターネットがない時代でしたから、就活の資料と言えば広辞苑くらい分厚い企業資料集しかありませんでした。エントリーシートを書いた記憶はなく、インターンシップもしていません。「そんないい加減な決め方をしたから、そこの会社を辞めて日本語教師なんて仕事をしているんだろう」と言われてしまうかもしれませんが、前の会社でも十二分に楽しませてもらいましたから、就活が退職に影響を及ぼしてはいません。

40年近く前とは、日本を取り巻く環境も修士の位置づけも変わっていますが、だから修士の研究はおろそかでもいいというわけにはいきません。学部の就活だってどこか間違っている気がします。ここを正さない限り、留学生も安心して日本で勉強できないでしょう。そうなると、ますます日本の国際的地位が下がっていきます。

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