Monthly Archives: 10月 2019

「話せる」とは

10月17日(木)

受験講座終了後、TさんとLさんの面接練習をしました。2人とも、先週も面接練習をしましたが、台風の影響で試験が延期になり、今週末に面接試験を控えています。ですから、実質的にこれが最後の練習です。

TさんもLさんも、しゃべりすぎです。面接官からの質問にあれもこれも何でも話そうとして、自分でも言わんとするところがわからなくなり、自滅していました。「どうして〇〇学部で勉強したいんですか」という質問に、放っておくと3分も演説しちゃうんです。Tさんなんか生い立ちから話が始まり、志望理由にたどり着くころには、こちらはメモを取る気もなくしていました。これでは、肝心のことが面接官に伝わりません。Lさんも例として挙げた事柄を事細かに説明し始め、そちらに熱中してしまい、「あなたがやりたいことは人まねですか」となってしまいました。

日本人だって、原稿なしで3分間理路整然と話すことは難しいです。ましてや、日本語が外国語の留学生たちが3分間も話し続けたら、本筋が見えなくなることぐらい、想像に難くありません。教師が書いた原稿を丸暗記すれば、“3分間理路整然”も可能かもしれません。でも、入試の面接でそれをやったら、一発アウトでしょう。

また、3分もしゃべっていれば、ねじれ文が続出し、文法や語彙の間違いも増え、日本語力もかえって低く評価されてしまうかもしれません。。コミュニケーションは双方向的なものなのに、一方的に話し続けれたらコミュニケーション能力や協調性も怪しまれかねません。

ですから、2人には、「最長30秒」と指示しました。そうなると、生い立ちも例もばっさりカットです。2人とも不満そうでしたが、30秒の答えは結論が明確になり、論旨が伝わってきました。この勢いで、合格をつかみ取ってもらいたいです。

季節が進む

10月16日(水)

今朝、起きて窓を見ると、結露していました。この稿に、衣替えしたのにまだ暑いと書いたのは、確か10月1日でした。それから半月で結露です。その稿で「秋の気温は釣瓶落とし」とも書きましたが、まさにその通りとなりました。通勤のために外に出ると、息が白くなるとかズボンの裾から入り込む寒気に耐えられないとかというほどではありませんが、スーツの上着なしではいられない空気の鋭さでした。

そして、この時期は季節の進行を感じさせられることがもう一つあります。それは日の出が遅くなり、学校につくまで夜の帳の中になることです。今朝は雲が厚かったこともあり、丸ノ内線が一瞬表に出る四ツ谷駅で特にそれを感じました。御苑の駅から学校までの道も、街灯がなかったらちょっと歩きたくないなという暗さで、早朝というよりは夜中といったほうがしっくりくる風情でした。今朝の日の出は5時46分、雨雲の陰の太陽が私の行く手を照らしてくれるわけもありません。ついこの前までは、朝一番の仕事は職員室の冷房をONにすることでした。でも、今週は電気をつけることです。

もう少し季節が進むと、受験講座が終わる4:45が暗くなります。この時刻に夜を感じると、もう初冬です。そろそろコートやマフラーが恋しくなってきます。あと半月ぐらいでしょうか。午後授業の先生方も、おそらく同じことを感じておいでなのではないかと思います。教室の窓から見える向かいのビルの蛍光灯がくっきりしてくるころ、冬の足音もくっきりと聞こえてくるはずです。でも、私にとっては、それは日が短くなった2番目の兆候であり、「ああ、そうだね」という程度のことにすぎません。私は、夕日の早さよりも朝日の遅さに秋の深まりを覚えます。

天気予報によると、もう1回ぐらい夏日が来るようですが、それは夏の最後の悪あがきでしょう。秋が深まると受験シーズン本番です。授業後は進学相談、面接練習が目白押しでした。

危機管理

10月15日(火)

朝一番で学校内外を見回りましたが、いつも通りたばこの吸い殻が2、3本落ちていただけで、異常ありませんでした。駐輪場入り口に置かれた土嚢が水をたっぷり吸って、すぐにはどけられず、腰が痛くなってしまいました。

午後、C大学の先生がいらっしゃいました。C大学は他大学にはない学部を持っていて、それを武器に躍進を図ろうとしている大学です。私は以前からその学部に興味を持っており、どんな勉強ができるのか知りたいと思っていました。話を聞くと、その学部は私が思っていたより幅広い学問ができるようで、文系理系の学際的分野の一つと言えそうな研究をしているようです。KCPからはまだ進学者はいませんが、こういう方面を修めた人材がやがては必要とされると思いました。

C大学の最大の弱点は、東京の大学でないことです。都内にキャンパスがあれば、もっとずっと話題になっていたに違いありません。4年間東京を離れたとしても、日本で数少ない専門性を有した人材になれるのですから、長い人生で見れば十分元が取れると思います。これを機会に、学生に積極的に進めていきたいです。

C大学の先生がお帰りになって職員室に戻ると、卒業生のTさんがいました。週末の台風で進学先のM大学が水没し、しばらく休校になったそうです。水が引いたとしても、キャンパスが元通りに使えるようになるまでには、きっと時間がかかるでしょう。泥をのけなければならないでしょうし、機器類が水に漬かっていたら、学校運営に影響が出るかもしれません。

こういう時にこそ、ついさっき話を聞いたC大学の学部での勉強が役に立つのではないかと思いました。近年の日本は〇十年に一度の災害が毎年のように発生しています。週末の台風は狩野川台風以来と言われましたが、狩野川台風が上陸したのは9月27日でした。夏の名残の気象条件が2週間遅れているとも言えます。それだけ温暖化が進み、10月半ばといえども台風への備えを緩めることはできなくなったのです。学校の周りがなんともなかったからと言って喜んでいる場合ではないのです。

突然の放送

10月11日(金)

養成講座の授業をしていたら、突然全校一斉放送が入りました。教師2人の小芝居で、昼休みのクラブ勧誘会のお知らせでした。授業が終わってから行ってみると、各クラブのブース(?)の前にはかなりの人だかりができていました。冷やかしの学生もいたでしょうが、来場した多くの学生たちは、まじめに先輩たちの話を聞いているようでした。

先日行われたアートウィークに作品を出したりステージで何か演じたりした学生たちも、勧誘会で先輩に引っ張り込まれ、活動しているうちに面白さに目覚めていったのでしょう。そうです。この勧誘会が、KCPアートウィークの源泉なのです。

クラブの中には、アートウィークに参加しなかったところもあります。園芸部もその1つです。園芸部なんかは、盆栽を育てろとまでは言いませんが、季節の花を咲かせて、来年はぜひ参加してもらいたいものです。でも、園芸部は校舎の周りの植栽の手入れをしてくれていますから、いわば毎日がアートウィークみたいなものです。毎日が発表の場なんですが、その発表に気付いている学生はあまり多くないですから、何かの機会にもっと自己アピールをしたほうがいいんじゃないかな。

新しいクラブもありました。ダンスクラブです。新入部員名簿に何名かの名前がありましたから、来週あたりから動き出すのかもしれません。私も誘われましたが、そんなことをしたら翌日は筋肉痛で立ち上がれなくなるでしょう。丁重にお断りしました。

クラブ活動は、受験勉強の息抜きだけが目的や役割ではありません。異質な友達との出会いの場です。広い世界を知るために留学したのなら、ぜひとも今まで自分の身の回りにいなかったタイプの人たちと交わって、互いに影響しあってもらいたいです。

そういえば、アートウィークの時にも台風が来ましたよね。明日、また、来ます…。

吉報の陰に

10月10日(木)

リチウムイオン電池の開発に大きく貢献した吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞しました。いつかはもらうだろうと言われていたのが実現しました。

もちろん、吉野さんと、同時受賞の2氏だけの力で、現在私たちの生活のいたるところに浸透しているリチウムイオン電池が形作られたわけではありません。そのひそかな功労者の一人に、岡野雅行さんがいます。岡野さんは、リチウムイオン電池を収めるケースを作った人です。岡野さんのプレス加工技術がなければ、もしかすると携帯電話にリチウムイオン電池が使われることがなく、そうなるとこの発明の世界に与えるインパクトもけた違いに弱いものとなり、ノーベル賞に値すると認められなかったかもしれません。

日本は科学技術予算がどんどん削られ、もう少ししたら今までのようにノーベル賞受賞者を輩出できなくなるとも言われています。研究者が心置きなく研究に打ち込める環境が失われつつあります。研究者自身が不安定な身分と経済的基盤に甘んじ、研究活動以外に貴重な時間を費消され、思うように成果が上げられず、夢をしぼませています。

同時に、岡野さんのような世界唯一といってもいい技術を持つ町の職人が粗末に扱われている世の中になってしまいました。職人の活躍の場である町工場にまでアベノミクスが及ばず、閉鎖や倒産が相次いていると聞いています。経済的に豊かな暮らしが望めないので若者がこういう職に就きたがらず、技術の伝承に赤信号がともっているとも伝えられます。

だから、技術立国・ニッポンなど、風前の灯です。経済大国の看板も下ろし、技術立国でもなくなったら、何が残るでしょう。少子化が進めばラグビーやサッカーをする若者もいなくなるでしょう。今年の出生数が90万人を切ることは確実だそうです。ノーベル賞受賞のニュースを聞きながら、ちょっとヘッドライトを上向けたら、こんなまがまがしい未来像が浮かび上がってしまいました。

また来そうです

10月9日(水)

また、台風が近づいてきています。15号の傷跡も癒えぬうちに、それを上回る勢力を持っている19号が、この週末に襲い掛かってきそうです。12日は、EJUやJLPTまで1か月か1か月半ですから、受験講座を予定しています。しかし、台風に直撃されるのなら休講にせざるを得ません。

それ以上に困るのが、大学入試です。T大学を受けるSさん、K大学を受けるEさんは、試験が予定通り実施されるかどうか、とても心配しています。Sさんは大学最寄駅から20分ほど歩かなければならないことが気がかりで、雨の中を歩いたらスーツも靴もボロボロになってしまうと嘆いています。Eさんは遠征しなければなりませんから、新幹線が動くかどうか、顔を合わせるたびに私に聞いてきます。そんなこと聞かれても、私だって答えられませんよ。

でも、本当に入試はどうするのでしょうか。例えば、1日延期しても、15号のように交通機関が満足に回復しなかったら、受験生は入試会場までたどり着けません。1週間延期といっても、受験生によっては翌週は別の大学を受けることを予定しているかもしれません。諸般の事情を考慮して試験日を決めているのでしょうから、そう簡単に動かせるわけではないに違いありません。

そんなこんながあっても、SさんもEさんも面接練習をしています。今週末にピークを合わせて、滑らかに口が回るように、プレッシャーをかけられても自分の思いを語れるように、受け答えを通して面接官に好印象が残せるように、新学期早々特訓中です。台風にもめげず、チャンスをものにしてもらいたいところです。

明日からです

10月8日(火)

「先生、数学の教室にいたんですが、先生も学生もだれも来ないんですけれども…」「受験講座は明日からですよ」。1:30過ぎ、学生とこんな会話をしました。

開講日前日、昨夜のうちに受験講座の受講生には、メールで受講科目の曜日と時間帯を連絡しました。でも、今朝の各クラスの連絡で、受験講座は明日からだとも伝えてもらっています。その学生は、講座の開始時刻の前から教室に陣取っていたのですから、きっとまじめな学生なのでしょう。だから、今朝教室での連絡事項も聞いていたはずです。

最近、「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治、新潮新書)を読みました。それによると、聞く力が弱いと、親や教師がいくら注意しても言い聞かせても、子ども自身の頭には何も残っていないのだそうです。そして、その注意を聞かなかったからということで叱られ、自己評価が低くなり、非行につながるというのです。

これを読んで、聴解力の弱い学生もこの本に出てくる非行少年と同じような立場に置かれているのかもしれないと思いました。1:30の学生も、午前中のクラスで先生からの口頭連絡または板書で、本日受験講座休講という連絡を受けていたはずです。音声ではそうとらえていても、日本語の聴解力が弱いと、その音声を自分にかかわりのある連絡事項として理解することができないのです。それゆえ、受験講座の教室へ行ってしまい、空振りしてしまったのでしょう。板書をしたとしても見る力が弱ければ、教師が書いた文字列を自分に関する情報と理解できません。

自分たちの注意を守らない学生を、私たちは頭ごなしにガツンと注意します。でも、聞く力や見る力が弱い学生は、なぜ叱られたのかわからないかもしれません。そして、同じことを繰り返し、ダメ学生のレッテルを張られ、劣等生への道を歩み始めます。学生にとっての外国語である日本語で注意がなされるのですから、すぐにはきちんと理解できないでしょう。日本語教師は無論そんなことぐらいわかっています。でも、ガツンとやりたくなる、やってしまうものなのです。これが続くと、やる気もうせてきます。将来の展望も描けなくなります。

よくわからない外国語環境に放り出されている学生たちに対して、その芽をつぶさないように、接し方を考え直さなければいけないと感じさせられました。

晴れ姿

10月7日(月)

始業日直前は、新人の先生が来て、オリエンテーションを受けたり担当レベルの専任教師から授業の進め方などの説明を受けたりします。午前中から何人かの先生がいらっしゃっていましたが、午後、スーツ姿の若い先生が来ました。私はどこのレベルにどんな新人の先生が入るか聞いていませんでしたから、誰が担当なのかなあと見ていると、H先生が立ち上がって親しく話し始めました。H先生のレベルの新人教師かと思いきや、4年前に卒業したRさんでした。午前中、就職先の内定式があってその足でKCPまで来てくれたそうです。

Rさんは、推薦入学でS大学に進学しました。推薦入試の面接練習をどれだけしたことでしょう。内容のない答えだとか、言いたいことがわからないとか、毎日ボロカスに言われました。半べそ状態になりながらも歯を食いしばってついてきた努力が実って、合格しました。その根性は認めましたが、はっきり言って、Rさんの実力よりも上の大学に入ってしまいました。

卒業後も何回か顔を見せてくれました。いつも、大学の授業は大変だけど面白いと、なんだか「みんなの日本語」の練習問題の模範解答みたいな感想を言っていました。こちらも推薦した手前、途中で挫折されたら困ります。でも、卒業したら、愚痴を聞いてやるぐらいしか助けになりません。

そして、内定式のスーツ姿です。取るべき単位はすべて取って、あとは卒論だけだそうです。面接練習のころは生硬な日本語でしたが、今はこなれた話し方をします。生真面目過ぎて冗談が通じなかったのに、ジョークにはジョークで返せるようになりました。S大学で相当鍛えられたのでしょう。そしてめきめき力をつけ、日本人学生を押しのけて日本企業への就職にこぎつけたのです。

その会社の新入社員で外国人はRさんだけだそうです。会社がRさんにかける期待も大きいようです。S大学で伸ばした能力を発揮すれば、その期待にもこたえられることでしょう。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように大勢の学生が、世界各地からこのKCPに集ってきてくださったことをうれしく思います。

これから日本語の勉強を始めようとしている皆さん、皆さんはどんな日本語を知っていますか。「頑張ってください」「頑張ろう」「頑張れ」など、「頑張る」という動詞は、そういった皆さんでも一度ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。同じ意味の言葉が皆さんの母語にもきっとあると思います。

そこで質問ですが、皆さんは今までにどのくらい頑張ったことがありますか。頑張ったことがない人はいないでしょうが、何にどの程度頑張りましたか。一番頑張ったのはどんな時で、自分の全力を100としたときにどのくらいまで力を出しましたか。

スポーツをしていた人は100に近い頑張り方をしたことがあるのではないかと思います。そうでない人は、ここまであまり頑張らなくても大きな支障もなく来ているのかもしれません。順調な人生が送れたことは好ましいことですが、頑張り方を知らずに大人になってしまったとしたら、これは大問題です。

どんな人の人生にも、何が何でも頑張らなければならない局面が必ずあります。その時、それまでに本気で頑張った経験のない人は、頑張り切れないものなのです。自分の全力を出すすべを知らないといってもいいでしょう。もちろん、それでは困ります。

今この場にいる皆さんにしてもらいたいことは、全力を出す経験をすることです。100の力を出し切ることを一度味わってもらいたいのです。自分はやればできると思っていても、やったことがなかったらできるかどうかはわかりません。「できる」と信じ込むことと、「できた」経験があることとは、天と地ほどの差があります。

留学生活には全力を出す場がいくらでも用意されています。勉強や入学試験はもちろんですが、日々の生活も全力で立ち向かわないと押し流されてしまうことばかりです。全力を傾けてもどうにもならないことだってあるでしょう。壁にぶつかってはね返され、己の無力さを知ることも、留学の成果の一つです。

確かに挫折は辛いことです。その時、「あれは自分の全力じゃないんだ」と慰めてしまったら、その人に進歩はありません。全力で取り組んで挫折し、自分の全力をもう一段高めることに新たな目標を設ければ、それがその人の成長につながります。挫折が単なる挫折に終わらず、生きた挫折になるのです。

常に八分の力で生きている人は、やがてその八分の力が全力になってしまいます。筋力を鍛えていないとどんどん衰えていくのと同じように、難局を乗り越える力も訓練しなかったら伸びるどころか萎えていくばかりです。

ですから、皆さんにはこのKCPで日本語の習得、その先にある進学や就職といった目標に向けて、全力を傾けてもらいたいのです。KCPを卒業する日まで、頑張り続けてもらいたいのです。そのためのお力添えは、わたくしたち教職員一同、喜んで致します。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

見直し

10月4日(金)

他の先生方は今学期の新入生のプレースメントテストで大わらわでしたが、私は今月から始まった養成講座の授業をしました。授業の中休みで職員室に戻ってくると、みんな黙々と採点していました。私の周りだけ別の時間が流れているような気がしました。

私が今週・来週と担当するのは日本語文法です。日本人が中学や高校で学ぶ国文法とは視点が少し違います。日本語文法は、日本語を1つの外国語としてとらえていますから、生粋の日本人でも戸惑う場面が少なくありません。“(自動詞)ています”“(他動詞)てあります”なんて、一生気付かない日本人が99%以上でしょう。

ですから、今私がしている授業の名称は「日本語文法初級」ですが、初級の日本語学者向けの文法というよりは、日本語教師道初級の受講生向けというべきでしょう。普段何気なく読んだり聞いたりしている日本語を、今までとは異なる法則で見直す頭の訓練でもあるのです。特に文法シリーズの授業が始まったばかりのころは、頭の切り替えが中心になります。

ですから、受講生にとってこの時期の私の講義は驚きの連続のようです。だいぶ以前の方は、こんなややこしい文法を何も考えずに使いこなしている日本人は天才だなどと感想を漏らしていました。それがネイティブの強みだとも言えますが、文法を意識していないということは教えられないということも意味しています。

自分が毎日使っている言葉を事細かに分析することはほとんどないでしょう。でも、日本語教師が成長していくのに最も身近な教材は自分自身の日本語です。教材の取り扱い方を教えるのが私の講義の役割だと思っています。