入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の各地からこのように多くの方々がKCPに入学してくださったことをうれしく思います。

皆さんはどういう夢を持ってこのKCPに入学したのでしょうか。そして、その夢を実現するために、どういう目標を立てているのでしょうか。これからその目標に向かって進んでいこうとするでしょうが、その道は決して平坦ではないことを予告しておきます。向かい風の中、坂を上っていくような場面もあることでしょう。また、悪魔のささやきに負けて道ならぬ道に迷い込むこともあるかもしれません。残念なことですが、こうして夢をどこかに置き忘れ、目標がいつの間にかすり替わってしまう学生が後を絶ちません。日本で一流大学に進学し、一流企業に就職するつもりだったのが、今日のアルバイトをどうこなそうかということしか考えられなくなる、などという学生が現実にいるのです。

これは、立派な挫折です。しかし、挫折を味わったからといって、がっかりする必要はありません。生まれてから生涯、挫折がない人などいません。問題は、その挫折からいかに立ち直るかです。早く立ち直らなくてもいいですが、その挫折から何かを学ぶことが肝心です。挫折から何かを得るたびに、その人の人格は厚みを増し、その人の人生は豊かになります。人は挫折によって鍛えられるものです。そして、いつの日か、挫折をものともせずに成功へとつなげていける人物に成長していくのです。

4月から大学生になったGさんは頭のいい学生で、学校の授業に出なくてもまずまずの成績が取れてしまいました。東京の有名大学の一角を占める大学への進学も決まりました。しかし、KCPの卒業試験の日に欠席したため、「卒業」とは認められなくなりました。Gさんは、私に何とか卒業試験を受けさせてくれと頭を下げてきました。Gさんの実力なら卒業試験に合格することはたやすいです。しかし、私はGさんに卒業試験を受けさせませんでした。ここで卒業試験に合格してKCPの卒業証書を手にしてしまったら、今後Gさんは世間をなめてかかるだろうと思ったからです。

KCPの卒業証書がもらえないくらい、Gさんのこれからの長い人生の中では小さな挫折です。この挫折を通して何かをつかむほうが、卒業証書をもらうより重い意味があります。頭を下げればどうにかなると思うようになるより、頭を下げても願いが通じないことがあるのだということを、身をもって学んでほしかったのです。

このように、KCPは、時には皆さんに挫折を強いることすらある学校です。皆さんがこれから味わう挫折を乗り越えて目標に向かって進み、夢を実現させることで、より強い人間に成長してください。挫折から立ち上がる際に私たちの支援が必要だとあれば、私たち教職員一同は喜んで力をお貸しします。

皆さん、本日はご入学本当におめでとうございました。

におい

4月7日(金)

昨日のプレースメントテストに続いて、新入生へのオリエンテーションがありました。私も進学コースの学生に向けて、大学院や大学に進学するまでの心構えを述べました。しきりにうなずいている学生もいれば、大口を開けてあくびをしている学生もいました。1日かけて、勉強のしかたや学校内外での生活の注意などを聞かされてきたのですから、脳が疲れていたとしてもやむを得ません。

一部の学生の面接もしました。志望校学部学科まで明確に決めてきて、出願日まで調べている学生もいれば、漠然と来年日本で進学するとしか決めていない学生もいて、新入生は人柄がわからないだけに、より一層十人十色だと感じます。中級や上級に入った学生たちの多くは、来年の3月に卒業していきます。去年の4月に入学したOさんやLさんも、最初は海のものとも山のものともつきませんでしたが、濃密な信頼関係が築けました。今年の学生たちともそういう間柄になりたいです。

そんな新入生のほとんどが、日本へ来てまず美味しいと思うものが、パンです。コンビニで安く簡単に手に入り、バラエティーが豊富で、おなかが膨れてと、学生にとってはいいことずくめです。もちろん、パンばかり食べているとぶくぶくと太ってしまうという副作用もありますが…。自分にとってパンは寿司なんか以上に日本を代表する食べ物だと語っていた学生も少なくありません。

そういう環境で暮らしているせいか、巷間を騒がせているパン屋和菓子屋騒動は、パン屋に肩入れしたい気持ちが強いです。旅先でパンの焼ける香ばしいにおいに出会うと、それだけでその町がいい町に思えてしまいます。そこに住んでいる人たちにとっても、そのパン屋さんは町の誇りなのではないでしょうか。

新入生たちは、日本でどんなにおいをかいだのかな。

文明の利器

4月6日(木)

新入生のプレースメントテストがありました。最初の科目の答案用紙と問題用紙を配り、試験を開始して間もなく、教卓のまん前に座った女の学生が手を上げました。彼女は答案用紙に名前を書いただけで、答えは何も書いていませんでした。問題の答え方がわからないのかと思ったら、スマホを出して彼女の国の言葉で何事か入力し、チョンとタップして私に見せてきました。「私は日本語が全然わからないので、初級のクラスに入るつもりなの」と表示されていました。

こういうスマホの使い方もあるのかと、試験中だからスマホはダメだと注意するのも忘れて感心してしまいました。それと、どういうアプリを使っているのか知りませんが、“初級のクラスに入るつもり『なの』”と、女の子っぽい表現になっているのにもほほーと思ってしまいました。

試験と採点が終わったら、もうお昼を大きく過ぎていました。中華料理屋で定食を注文し、料理が出てくるまで本を読んでいると、隣のテーブルのお客さんが店員さんを呼びました。「はーい」と元気よく応じた店員さんでしたが、お客さんからメニューについて英語で質問されたら顔色が変わってしまい、急いで別の店員を呼びました。その店員さんはスマホを取り出すや、何事か入力し、画面に表示されたであろうと思われる英文を読みました。それを聞いたお客さんは、「OK」とか言いながら何かを注文しました。出てきたものを見たら、麻婆豆腐ラーメンでした。

スマホの翻訳通訳アプリの威力を見せ付けられていたら、就職する直前に、3週間ほどヨーロッパを一人旅したときのことを思い出しました。ミラノのホテルで会話集の通りに「今晩部屋が空いているか」と聞いたのに全く通じず、その会話集を見せて何とか部屋を確保したこともありました。今なら、スマホの音声でどうにかなってしまうのかもしれません。そもそも、事前にインターネットで予約するからこんな事態には陥らないのでしょう。パリのハンバーガー店で、フランス語で注文しようとしても通じず、留学生と思われるアルバイト店員に“Hey, can you speak English?”と聞かれました。私にとっては助け舟で、予定外のポテトまで注文してしまいました。これも、今ならスマホでスマートにこなせるのでしょうね。

新入生の彼女、顔と名前はしっかり覚えましたよ。今度会ったときはスマホなしで話しましょうね。楽しみにしていますよ。

早いもので

4月5日(水)

私がKCPにお世話になり始めたのは、ちょうど2000年のことです。今年は2017年ですから、来年あたりはそのころ生まれた子どもが新入生として入学してくる計算になります。私が社会人として働き始めたころに生まれた世代は、既に学生適齢期を過ぎ、今では見かけることもまれです。前の会社に勤めていたころは、一回り下の新入社員が同じ部署にやってきたとき腰を抜かすほど驚いたものですが、今では三回りよりももっと下の学生を相手に右往左往しています。

夕方、私がKCPの教師になって間もないころの学生Sさんが、姪を連れてやってきました。国の高校を出たばかりで、今学期からKCPで勉強し、日本で大学進学を目指すといいます。日本語は多少はわかるようでしたが、私たちの話のスピードにはついていけず、ニコニコ笑っているばかりでしたが、1か月もすれば日本語の勉強も進んで、緊張もほぐれて、教師にも普通にしゃべれるようになっているでしょう。

SさんはKCP卒業後、大学に進学し、そして誰もが知っている有名企業に就職しました。日本人ならその会社に定年までいることでしょうが、Sさんは周りからの慰留を振り切って辞めてしまいました。最近でも当時の上司から復帰しないかと声をかけられているそうですから、よほど優秀な社員だったのでしょう。

Sさんの日本語は日本人と変わるところがありませんが、どんなに引き止められても大企業からポーンと飛び出してしまうあたりは、変なふうに日本の色に染まっていないなと思いました。姪御さんはSさん宅に住まわせるそうですから、学生時代のSさん同様、きちんと勉強させてくれるでしょう。Sさんの目尻のしわに、時の流れとともに頼もしさも感じました。

読解

4月4日(火)

企業の研究員として研究を進めるには、今までに出された特許の調査が欠かせません。特許を侵すような研究をしても、企業には利益をもたらしません。この調査の際には当然膨大な量の特許を読むのですが、私にとって、これは苦痛以外の何物でもありませんでした。自分の権利を少しでも広く確保しようという我利我利亡者の精神で書かれた文言は、読んでいて頭痛と吐き気を催したものです。まあ、読み方のコツを覚えれば、機械的に情報を取り出せるようになり、苦痛も多少は和らぎはしますけれどもね。

研究が進み、企業化を図る際には、その製品の製造から販売にまつわる諸々の法律の条文を読み込まねばなりません。法律の条文は悪文だとよく言われますが、シロウトがすんなり理解できる文章ではありません。特許にしても法律の条文にしても、厳密さを追求した結果が、プロでないとスムーズに頭に入っていかない文の集合体を生み出してしまったのでしょう。

日本語教師養成講座に関わる規定が変わりました。日本語学校などで教えるには、文化庁に届け出て認められた養成講座を修了することが必要になりました。…とあっさり書きましたが、実際に文化庁などが出している文書は、特許ほどではありませんが、もっとずっと難しい言い回しです。文から荘重な感じは受けますが、養成講座を受講しようとしている方たちには、軽やかなリズムのほうがとっつきやすいんじゃないかと思い、文意を損なわない範囲で、KCP養成講座のホームページに載せる文句を考えました。

Bさん、Hさん、Lさんなどは、今月から法学部で勉強します。去年法学部に進学したKさんは六法全書とにらめっこする毎日のようです。法学部とは法律や法体系を貫く精神を学ぶ場とはいえ、自分にとっては外国語で書かれたあの難解な条文に全く触れずに済むはずがありません。私は素直にこの卒業生たちを尊敬します。

不摂生の結果

4月3日(月)

昔、お酒を飲んでいたころは、連夜の午前様や二日酔いでの出勤や、それはそれはとんでもないことばかりしていたものです。でも不思議なもので、記憶をなくすまで飲んでも、電車を乗り過ごすことはありませんでした。どういうわけか、自分の降りる駅ではきちんと目を覚まし、帰巣本能に従ってかろうじて家まで帰りついたものです。

そういう生活の中で、年に一度の年貢の納め時が健康診断でした。γGTPが普通の人の2倍などと言われないように、健康診断の直前は身を慎もうとしたこともありました。いや、それでは普段の健康状態を正確に表しておらず健康診断の意味がないとか言って、健康診断の前日も飲んでいたこともありました。

今はお酒はやめていますから、そういう心配はありません。その代わり、毎日が睡眠不足に運動不足に不規則な食事に目の酷使と、不摂生を絵にしたような生活ですから、やっぱり健康診断は年貢の納め時です。

その健康診断がありました。レントゲンなどは結果がすぐに出ませんが、尿検査、血液検査など、結果がすぐ出るものは結果を聞いてきました。それによると、データ上は健康そのものだそうです。実感としては体中ボロボロなのですが、医学的には問題ないようです。なんと頑丈な体なのでしょう。

若い時にムチャをした人は、私ぐらいの年になると健康診断引っかかり放題のはずなのですが、私はどういうわけか目以外は引っかからず、不摂生が改まりません。いつかガクッとくるんじゃないかと心配なのですが、健康診断の数字が異常なしのなうちは働いちゃうんですよね。

午後からは新学期の準備でした。新入生のプレースメントテストが終わったら、また、不摂生の度合いが深まりそうです。

懐かしくなる?

3月31日(金)

私が毎日通勤に使っている日比谷線の電車が新しくなると、かなり前から駅などで告知されていましたが、今朝、やっと初めてその新しい電車に出会いました。反対方面行きの電車でしたから乗ることはできませんでしたが、駅に止まっている姿をしっかりと目にしました。

日比谷線はラインカラーがグレーですから特別目に鮮やかな色が使われるようになったわけでもなく、新しい電車だからといって劇的な変化はなさそうでした。各車両の北千住寄りに車いすマークが描かれていましたから、きっと車いすが乗れるスペースは増えたのでしょう。銀座線の電車もあれよあれよという間に置き換わりましたから、夏ぐらいには今の電車を懐かしむようになっているのでしょうか。

古い電車を懐かしむといえば、旧国鉄時代に山手線などの通勤区間を走っていた電車が、絶滅危惧種よろしくSL並みに撮影対象になっているそうです。東京地区からはとうの昔に消えてしまい、残っているのは大阪地区だけとのことです。山手線を走っていた通勤電車といえば、お客を詰め込むことを第一に設計され、最初のころは冷房すらついていませんでした。当時は誰もいいイメージを抱いていなかったと思います。文字通りいやというほど見せ付けられていましたから、わざわざ写真に撮ろうなどと考える人もいませんでした。

明日でJRが発足してちょうど30年になります。1987年4月1日の朝は夜勤明けで、工場の敷地から見上げた、JRマークをつけた新幹線がやけに新鮮に感じられたのをよく覚えています。そのときの私と今の私とを比べると、改めて30年という時間の長さを感じさせられます。旧国鉄の電車といえば、それよりもさらに前から走り続けてきたわけですから、表彰状ものかもしれません。

脱皮しようかな

3月30日(木)

新宿御苑前駅の改札口を通ろうとすると、改札口脇に新宿御苑大木戸門の案内が、桜の地の紙に書かれて貼られているのを見つけました。毎年、これが出ると、春本番という感じがしてきます。そういえば、四ッ谷駅の桜も日増しに花が開いてきています。気象庁のページによると、夕方までに大阪や長崎など西日本の各地で桜の開花宣言が出されたようです。

朝はコートを着て出勤しましたが、午前中外出したときはコートを置いていきました。校舎の外に出た直後は寒さが肌に突き刺さりましたが、歩いているうちにどんどん体が温まってきました。私は普通の人より歩くのがかなり早いですから、御苑の駅ぐらいまででも結構な運動量になるのです。この分だったら、もう朝でもコートは着てこなくてもいいかなと思いました。

昼間はいいお天気だったこともあり、スーツの上着すら脱ぎ捨てたくなりました。アメリカの学生のDさんなら半袖のTシャツ1枚でしょうね。最高気温は17.8度、平年を2度あまり上回りました。お昼近くになると、空のかなり高い位置から日が射すようになりました。南中高度は58.1度、影も短くなるわけです。

月曜日は雪までちらついて真冬に逆戻りでしたし、それほどではなくても先週あたりは小さい春を見つけるのが大変でした。それが一気に4月上旬の気温で、わざわざ探すまでもなく、春があふれていました。

学校に戻ってから、Zさんに入学式の在校生代表挨拶を頼みました。去年の4月生ですから、新学期からは一番の先輩になります。今年の秋ぐらいには、Zさんもサクラサクになってもらわなければ困ります。

地下水流

3月29日(水)

最上級クラスの期末テストの採点をしてみると、大学院で日本語教育を専攻することにしているSさんは、さすがにそれだけのことがあるという成績を挙げています。正解者がSさんしかいなかった問題もありました。その一方で、今年大学受験の予定のYさん、Hさん、Cさんあたりは少々振るいませんでした。この学生たちはそれなり以上の難関校を狙うつもりでいるようですが、先行きに暗雲が垂れ込めているような成績でした。

何より、筆答問題に十分に答えられていないのがとても気になります。3人とも話す力は十分ありますが、書く力には不安を覚えざるを得ません。選択問題のおかげでテストの点数は合格点に届いていますが、この学生たちが考えている大学の入試には日本語の独自試験や小論文などがあります。EJUだけで勝負が決まるならともかく、筆答問題を苦手にしていては、未来が開けてきません。

実際の入試までにはまだ少し時間がありますが、今のうちから頭の中の考えを文字化する力を鍛えていかないと、不完全燃焼のまま入試シーズンが過ぎてしまいかねません。私が来学期この3人を受け持つかどうかはまだわかりませんが、新学期の担任の先生には是非引き継いでおきたいです。

もちろん、3人にはこのことをはっきり伝えます。好きなように勉強させておいたら絶対に筆答問題の練習はしないでしょうから、意識してそういう訓練を積むようにアドバイスします。テストの成績とともに、いやでも苦しくてもあらゆることを文章で表現することこそが明るい未来につながると訴えていきます。

3人にとっても、ここでどこまで踏ん張れるかが日本留学の正否を決めます。そして、自分の人生をかけて日本留学をしているのですから、これからの半年あまりが人生の分かれ目なのです。学期休みでのんびりしているかもしれませんが、実は結構大変なことになっているのですよ、Yさん、Hさん、Cさん。

観察記録

3月24日(金)

期末テストの楽しみは、ふだん出会うことのない学生との触れ合いがあることです。午後は初級クラスの試験監督でしたが、知っている学生は1人だけでした。ですから、知らない学生がどんな学生かあれこれ想像を働かせてみます。問題の解き具合を見て、この学生はできそうだとか、進級がちょっと危ないのではないかとか、机に向かう姿勢から、勉強が好きそうだとかそうでもなさそうだとか、妄想を膨らませています。

試験監督の役割は不正の未然防止ですから、まじめな学生のクラスだとこれといってすることがありません。午前中のテストの採点をすることもありますが、熱中してしまうと本末転倒になりかねません。試験問題を解いてみるのもいいですが、それだってすぐに終わってしまいます。そうなると、学生観察に勝るひまつぶしはありません。

問題の解き方を見ているのも面白いですね。Aさんは注意すべき助詞に〇をつけて、慎重に言葉を選びながら答えを書いていました。Bさんはやや小さめの几帳面な字で、上級のよくできる学生たちの書く字に似ています。Cさんは読解の問題文の要所要所に線を引いていますが、その線が多くなりすぎて何が何だかわからなくなりつつあります。Dさんは、選択問題の答えを選ぶと、マークシートよろしくその番号を塗りつぶしました。〇で囲むのが普通で、レ(チェック)をつけるとか、選んだ記号を問題の横に書くとかはよく見かけますが、鉛筆で塗りつぶした学生は初めてでした。

それから、最近の学生は品がよくなったと思います。最後の科目は時間前でも提出したら帰ってもいいのですが、その時いすを机の上に上げます。かつては“ぐわっしゃーん”と隣の教室にも響きそうな音を立てる学生ばかりだったものですが、近頃は音がしないように細心の注意を払う学生が大半です。先生方の教育のなせる業だと信じたいです。

明日から、束の間の静けさが学校を取り巻きます。