3か月ぶりの快感

6月5日(金)

オンライン授業の3か月間、私のペンケースに異常が見られました。赤ペンのインクがさっぱり減らないのです。1か月に1本か、もしかするともっと激しく使っていたかもしれませんが、最近はとんとご無沙汰しています。去年、うちの近くのホームセンターで値引きをしたときにたくさん買い込んだのですが、それが袋に入ったまま職員室の机の引き出しに陣取っています。

今週から対面授業が始まりました。宿題のチェック、テストの採点、例文の直し、作文の添削と、久しぶりに赤ペンを握る機会が増えました。インクが目に見えるほど減ったわけではありませんが、線を引いたり、〇を付けたり、思いっきりペケにしたり、学生が書いた字の上に書きこんだり、2月までと同じように活躍しています。

学生にとってはどちらがいいのでしょうか。Google form上で電子的に採点されたり直されたりするのと、紙の上でアナログ的に赤を入れられるのと。

教師としては、記録を取っておきやすいという面では、コンピューターで処理する方が便利です。学生間の比較もすぐできますからね。しかし、私のようなアナクロなアナログ人間は、赤ペンを握った方が直したという実感が得られます。また、コメントの文字を荒らげることで「何考えとるんぢゃ!」とかって、内心の怒りを表すこともできます。

昨日学生に書かせた作文の添削をしました。最初に読んだKさんのは、“おっ、なかなかやりよるのお”という感じでした。この調子なら楽勝かなと思ったのも束の間、次のCさんので失速沈没しました。でも、真っ赤に染まった原稿用紙を見ていたら、なぜか快感が湧いてきました。

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大量不合格

6月4日(木)

おととい入ったクラスで漢字のテストをしました。過半数が不合格という悲惨な結果になってしまいました。また、学期の後半なら試験時間を大幅に余らせて手持ち無沙汰にしている学生が何名かいるのが通例ですが、そういう学生は1人だけでした。その学生は、90点でクラス最高点でした。日々の漢字の授業で勉強した単語をそのまま出していますから、満点が数人いるのが普通です。

オンライン授業だと、シャープペンシルを手に持って書くという練習が、どうしてもおろそかになります。パソコンなどで文字を打ち込むことはかなり上達したようですが、この3か月間、手で文字を書くという行為をほとんどしてこなかったのではないでしょうか。中国の学生の答案には、簡体字があちこちに見られました。漢字の読みも不正確でした。音読するようにと指導しているのですが、きっとしてこなかったんでしょうね。

作文の授業もありました。原稿用紙を目の前にするのもやはり3カ月ぶりでしたから、なかなか筆が進まなかったようでした。この時期の中級クラスなら、30分で400字くらい楽勝のはずなのですが、時間内に提出できたのが2名でした。その2名も、400字にちょっと欠ける長さでした。

要するに、書き慣れていないんですよね。書くのが遅く不正確になりました。このままだと、入学試験が心配です。志望理由書などは手書きを要求するところが多いですし、小論文や独自試験の日本語は手書きそのものです。オンライン授業期間中、学生たちが手書きをしてこなかったということは、日常生活においては手書きがほとんど必要ないということを意味します。入試関連の事柄だけが、とびぬけて保守的だとも言えます。

今、それについてどうこう文句を言っても始まりません。東京アラートにも負けず、学生を鍛えていくだけです。

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わざわざ来ました

6月3日(水)

3時過ぎ、オンラインの受験講座の前半が終わって、窓際でぼんやり外を眺めていると、「先生、卒業生のWさんが書類の申し込みに来ています」と声をかけられました。数日前、ビザ更新に必要な書類を申し込みたいとメールを送ってきましたから、KCPのホームページから直接申請できると教えました。メールが来たのは緊急事態宣言が解除されたころでしたが、出歩かないに越したことはありませんから、そう答えておきました。

1階の受付まで下りると、Wさんが申請書類に必要事項を記入しているところでした。「KCPは学校で授業が始まったんですか」「うん、今週からね。でも、全部の学生が一緒にならないように、レベルによって来る日を変えてるんだ。Wさんのところは?」「うちの大学は、今学期は学校で授業がありません。オンラインだけです」「Wさんみたいな専門だと、それは困るよねえ」「はい。でも、私はコンピューターグラフィックスですから、まだましです。だけどやっぱり、大きな制作は大学に事前に申し込んで設備を使わせてもらってるんです。彫刻の学生なんかはかわいそうですよ、何にもできませんから」

去年の今頃思い描いていた大学生活とはだいぶ違うようです。1年生ですから、まだ焦ってはいないでしょうが、もどかしさは感じていることと思います。KCPまでわざわざ来たのも、うちから一歩も出られない、出る用事がない、そういう憂さを晴らす意味もあったのではないでしょうか。

今年就活とか大学院進学とかという卒業生はどうしているでしょうか。去年の秋あたりに夢を熱く語っていた何人かの顔が頭をよぎりました。

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勝手が違う

6月2日(火)

調べてみると、オンライン授業を始めたのは2月28日でした。その前日は卒業認定試験でしたから、対面授業の最後は2月26日でした。それ以来、97日ぶりに、学生を前にして教室で授業しました。

中級までは口をはっきり見せた方がいいということで、マスクを取ってフェイスシールドを付けて、授業に臨みました。しかも、換気を考えて窓を開けて授業しましたから、外の雑音に負けずに学生に声を届けようとすると、腹の底から声を出さなければなりません。中級の授業なのに初級並みに疲れました。

それと、学生同士のペアワークは「密接」になりかねませんからできません。そのため、授業が“教師-学生”というやり取りに限定されてしまい、単調になってしまいました。コーラスも避けた方が安全だということで、ある学生に例文を読ませても、「はい、みんなで」という進め方ができません。私は、初級・中級では、全体コーラスでリズムを作って授業を組み立てていましたから、やりにくいことこの上ありません。

学生も、マスクもしているし、3か月以上ぶりで緊張もしているし戸惑ってもいるし、なんだかぎこちない授業になってしまいました。でも、オンライン授業は眠くなるけど、学校の授業は眠くならないと言ってくれた学生がいましたから、少し救われました。

気が付いたら、期末テストまでちょうど20日です。このクラスの学生の顔を覚える前に終わってしまいそうです。みんなマスクをしていますから、髪の色が変わってでもいないと、特徴がつかめません。今学期中級ということは、卒業まで私が面倒を見ることになるかもしれない学生たちです。大事に育てていきたいです。

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復活初日

6月1日(月)

学生が登校しての授業が再開されました。といっても、全校の学生全員が一斉に登校したわけではありません。月曜日は上級、火曜日は中級というふうに、登校する学生の数を絞っています。

登校した学生は、まず、検温です。自宅で測った体温を提出してもらっていますが、学校の入り口で最終チェックです。それを通過したら、次は手の消毒。そして、エレベーターは使わず、階段で各自の教室へ。自宅に閉じこもっていた学生にとっては、いい運動になるでしょう。オンライン授業は9時半開始で、教室での授業は9時開始ですから、遅刻者が大量に出るのではないかと心配していました。でも、学生たちは思ったより早く登校し、9時過ぎに駆け込む学生がわんさかという事態には陥りませんでした。また、いつもの半分のクラスしか登校させなかったので、どこかで学生が滞留するようなこともありませんでした。

授業開始直前の教室を見て回りました。廊下のベンチでパンをほおばる学生もいましたが、概して幾分緊張気味に、教室におとなしく座ってスマホをいじったり教科書を見たりしていました。

休み時間になると、何名かの学生は近くのコンビニまで買い物に行きました。でも、オンライン授業になる前まで見られた、飲み食いしながら学校まで戻ってくるという姿はありませんでした。そういう意味では、以前よりお行儀がよくなりました。

下校時は登校時に比べて緊張が解けた様子がうかがえました。数名で談笑するグループもありましたが、「密」になることなく解散していきました。時折小雨が降る肌寒い天気だったので、校庭には誰も入らず、テーブルといすとベンチが寂しく濡れていました。

私は授業に出ませんでしたが、教室で学生に接した先生方によると、みんな神妙に授業を受けていたようです。学生たちは「学校で」勉強することの意義を感じ取ったでしょうか。逆に言うと、私たちはそれを感じさせられたでしょうか。これからそういう点を検証していきたいです。

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これから始まる

5月30日(土)

今学期の私は、日本語教師養成講座と受験講座にかかりっきりで、通常クラスにはほとんど関わってきませんでした。オンラインだと1人の教師が大勢の学生を相手にできますから、私がいなくてもどうにかなっていました。

来週の月曜日から、教室で授業を行うようになります。それで、クラス数が増えますから、私も駆り出されて授業をすることになりました。教える内容そのものは、以前に扱ったことがありますから、教室で戸惑うということもないでしょう。心配なのは、今までとは授業の進め方を大幅に変えなければならないことです。

まず、こちらはマスク+フェイスシールドで教壇に立ちます。やっぱりしゃべりにくいし鬱陶しいし、声も通りにくいですから、言葉を厳選して授業を組み立てなければならないでしょう。無駄話をしていると、フェイスシールドの内側が曇ってしまうかもしれません。要領よくしゃべらないと、こちらの意図が学生に伝わらないかもしれません。

それから、ペアや少人数のグループになって活動することも、「密接」につながりますから、避ける必要があります。教室の机の配置も、学生同士が面と向かい合わないようにしています。安易に、「じゃあ隣の人と…」などということができません。それに代わる何かを開発し、教師が一方的に講義する形ではなく、学生が受身にならないようにしていきます。これが結構難しいんじゃないかな。

さらに、授業後に机などを除菌したり、教室の窓を開けて換気したりという、授業の周辺事項が増えます。学生指導にも、感染拡大防止という観点が加わります。期末テストまで1か月足らずですが、新しい挑戦に富んだ毎日になりそうです。

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追跡

5月29日(金)

EJUの中止が決定して以来、気落ちしている学生がいるようです。私が担当しているオンラインの受験講座にも、顔を出さなくなった学生がいます。目標が5か月先になってしまったこともそうですが、11月の成績が使えない大学に出願しようと思っていた学生は、途方に暮れていることでしょう。

例年出願時期が早い大学がどういう動きを示すか、ここのところ毎日、大学の公式発表を追いかけています。一部の大学は、今年に限ってEJU不要としましたが、多くの大学は、まだはっきりした方針を出していません。6月か7月に発表すると言っています。

上智大学は、早々に、出願資格を2019年のEJUを受けた人としました。今年のEJUに勝負をかけようと思っていた学生は、チャンスを与えられないことになりました。早稲田大学は、JASSOが発行する出願証明書があれば受験できるとしました。実質的にEJUなしでも出願できます。

どちらの大学も留学生に人気の高い大学ですが、EJU中止への対処は正反対となりました。早稲田はEJUの指定科目受験を出願要件にしてきましたが、合否結果を見ると、独自試験や提出書類を重視しているようでした。今年も、EJUは受験していなくてもいいことになりましたが、TOEFLなどは成績を提出しないと出願できません。上智は、少なくとも早稲田よりはEJUへの依存度が高いため、EJU不要へと踏み切ることはできなかったのではないでしょうか。入試スケジュールを遅らせることも、いろいろな事情でできなかったのでしょう。

こうなると、注目は青山学院大学です。EJUを重視しているようですから、EJUなしにすると合否判定が厳しいのではないかと思います。時期をずらすことはどうなのでしょう。ライバル大学との駆け引きもあるでしょうし、今年に関しては日本人高校生の入試制度が変わりますから、留学生入試にかまけている暇はないかもしれません。

来月は、各大学のサイトから目が離せません。

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演技と運動神経

5月28日(木)

初級の、敬語を勉強しているクラスの授業にゲスト出演しました。尊敬語で動作を表現する対象の人物として、パソコンのカメラの前でクサい演技をしました。演技はどうにか学生にわかってもらえたようで、一安心しました。

さて、こういう時、どういう動作をすればいいでしょうか。自分が思いつくままに動いていては、学生の勉強になりません。担当のO先生からの要望は、1グループ、2グループ、3グループの動詞で演技してほしいというものでした。これは教える立場として当然の発想です。尊敬動詞の作り方を教えた後、実際にそれを使って表現してみるというのがこの授業の主旨ですから、各グループの練習をさせなければなりません。もちろん、パソコンの小さなカメラを通して学生たちに伝えるのですから、大きな演技はできないという物理的制約もあります。

さらに、学生たちがよく使う動詞、知っているけどあまり使うチャンスがない動詞、教科書では教えていないけど見聞きしたことがありそうな動詞、このレベルの学生にとってはちょっと難しいと思われる動詞、そんなのを織り交ぜることができたら最高です。これは何も尊敬動詞の練習に限ったことではなく、どんな場合でもこんなことを考えながら、資料をそろえたり例文を考えたりします。また、以前勉強した文法も使うような状況設定をしたり、間違えやすい助詞を取り込んだりなどということも加味します。

今の私は、まだ、とっさにそういう計算ができます。クラスの学生の特徴や性格や実力を把握していれば、その場で予定外のことを始めても、たいていは収拾をつけることができます。たまには失敗することもありますが。この頭の運動神経みたいなものが働かなくなったときが、日本語教師を引退する潮時だと思っています。

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文化の違いを乗り越えろ

5月27日(水)

6月から週に何日かは学校での授業を始めようと準備を進めています。3密を避けるために常に学生がたむろしていたラウンジをどうするか、授業後の除菌・消毒をだれがどのように行うか、そういった問題をひとつひとつつぶしています。登校した学生の体温測定をどうするかも大きな問題です。職員が非接触型体温計で測るところまではいいのですが、計測のために行列ができてしまっては意味がありません。学生全員が定刻までに来てくれれば話は単純なのですが、遅刻されると問題が複雑になります。

そんな問題よりはるかに大きな、おそらく解決不能な難題があります。手洗いの励行が感染防止に有効なことは論を待ちません。また、学生たちも手を洗いはします。しかし、洗った手をどうするかというと、自然乾燥か服や髪で拭くというのが一般的です。そんなことでは、せっかく洗った手が、服や髪についていた雑菌・ウィルスで汚れてしまいます。ちょっと考えればそのくらいわかるはずなのですが、ハンカチやタオルを持っている学生は、皆無に近いです。長年にわたって口を酸っぱくして注意しても、まったく効き目がありません。

ハンカチを持つことを厳しくしけるのは、日本の文化のようです。学生たちはそんな教育を受けて来ていませんから、突然持てと言われても、その意義が理解できません。教師が意義を説いたところで、心から納得するには至りません。学生の食習慣や勉強のしかたなどに違いを感じることはよくあります。でも、そのあたりは学生の方から日本流に歩み寄ることが多いです。ところが、このハンカチを持たない文化だけは、微動だにしませんね。

刻一刻と学生の登校日が迫っています。うまい対策がないものですかね。

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出口

5月26日(火)

春分からひと月半ほど経ったあの日、午前5時前は、まだ朝と呼ぶにはためらいのある暗さでした。私が出勤するとき、普通の満月よりひときわ大きいスーパームーンが、ほぼ真西の空にかかっていました。いつもよりいく分赤っぽいその色に、まがまがしささえ感じました。5月6日までと言われましたが、その日までに事態が収拾するような気がしませんでした。これから、東京は、日本は、世界はいったいどうなるのだろう。そんな不安を打ち消すために、電車に中では一心不乱に活字に埋没しました。

それから49日、やはり、当初の計画よりは若干伸びたものの、月末を待たずして、緊急事態宣言が解除されました。今朝の空が厚い雲に覆われていたせいでしょうか、それほどの解放感に浸ることなく、淡々と出勤し、昨日までと変わることなくオンライン授業を行い、来月から再開する対面授業の準備を進めました。帰りの電車がどれくらい混んでいるかですね。

緊急事態宣言が解除されたとはいえ、多くの専門家が指摘するように、第2波の恐れが消え去ったわけではありません。また、KCPの命綱でもある海外との交流も、すぐに復活するとも思えません。これからどのように新しい社会を作っていくかが、令和の日本の大きな分岐点です。

3.11においても、それに勝るともいわれていれる今回の国難に際しても、我が国は一流とは言いがたいリーダーの下で復活の道を探らざるを得ませんでした。そういうリーダーしかいないのが、そういうリーダーしか選べなかったのが、日本の国力の衰えを象徴しているような気がしてなりません。

安倍さんは、小泉首相の官房長官だった時、北朝鮮から拉致被害者を取り戻しました。やるなあと思いました。しかし、首相という器ではなかったと思います。安倍さんは民主党政権をさんざん批判しましたが、今回、自分自身もそれと五十歩百歩だということが露呈してしまいました。モリ・カケで辞めさせることができなかったのかなあと思います。

さて、大学のオープンキャンパスは7月ぐらいまでは軒並み中止です。このままでは、学生の進路選びにまで影響が及びかねません。緊急事態宣言解除を受けて、せめて夏休み期間中ぐらいは、予約制でもいいですから、開いてほしいものです。

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