Category Archives: 学生

6本足

2月13日(火)

あさっては中間テストです。今学期でKCPを卒業する学生には、26日に卒業認定試験が控えています。私が作文を受け持っている上級クラスは、どちらの試験にも同じ課題を出すことにして、授業でその説明をしました。先学期もその前の学期も、中間・期末の作文の試験課題を事前に発表し、きちんと調べて来てもらい、中身の濃い作文を書いてもらおうという狙いです。

今回の課題は、読解の内容と関連して、「昆虫食」です。読解のテキストには、牛や豚などの肉を1キロ作るのに穀物が10キロ必要だが、昆虫ならそれよりはるかに少量で済むので効率がいい、地球にやさしいといったことが書かれていました。

こんなことをもとに、じゃあ本当に昆虫を食べるのか、人類の将来の食料はどうなるのか、などということについて、3人ずつのグループに分かれて議論してもらいました。

Jさんは安かったら食べると言います。500円のハンバーガーが、昆虫が半分入ることで300円になるならそちらにすると主張します。しかし、支持者はいません。Bさんは肉のハンバーガーを食べたいと訴えます。

Cさんは、さなぎなら食べられるけど、虫の形をしていたらいやだと言います。さなぎは炒めたら食べられるかもしれないけど、6本足の状態だと口にしたくないそうです。強めの味付けにすればどうにかなるのではとツッコミを入れると、そうかもしれないと苦笑い。

Aさんも、虫の形は嫌だそうです。パウダーにして何かに練りこんでしまえば、気づかず食べてしまうかもしれないと言っていました。そんなあたりがポイントかもしれません。

授業中に結論までは至りませんでしたが、作文を書くきっかけぐらいはつかめたはずです。問題は、欠席した連中です。テストの日にいきなり「昆虫食」と言われても、目が点になるだけでしょう。でも、それは、話し合いをすると予告しておいた日に、何の連絡もなく欠席した方が悪いのです。せいぜい作文の試験時間に呻吟してもらいましょう。

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雪でわかる

2月6日(火)

昨日は、完膚なきまでにやられました。寒気が予報ほど強くないのではないかと見込んで、新宿付近は、雪は降っても積もるほどではないだろうと予想していました。ところが、ゆうべの帰宅時に、家の近くで日比谷線が地上に顔を出すや否や、稲光が見え、雷鳴がとどろきました。私の想定よりもはるかに強い寒気が下りてきて、東京上空がとんでもないことになっていることを悟りました。私の予報は完敗でした。

後で気象庁の天気図を見ると、南岸低気圧も絶妙の位置を通過したようです。結果的に、昨日は、東京が雪になる典型的なパターンでした。しかし、南岸低気圧が通過した後は冬型になることが多いのですが、今回はそうなっていません。それで、いまだにすっきりしない天気が続いています。でも、明日は快晴のようです。

始業を10:45に遅らせましたが、私のクラスは遅刻・欠席の学生が多かったです。Hさんは、家から駅までの歩道に雪が集められたため、歩道の幅が狭くなり、いつものようにすいすい歩けず、それで遅刻したと言っていました。こういうところにも、車中心社会の片鱗が見えてしまいます。

Sさんは欠席でしたが、電話で理由を聞いたところ、「寝坊」と答えましたが、要するに雪なので外に出たくなかったのでしょう。そんな臭いがプンプンしてきました。雪景色の東京なんて、めったに見られるもんじゃないんですけどね。布団の中がそんなに好きなのでしょうか。こんな程度の好奇心も持ち合わせていないで、よく留学ができるものです。Sさんは進学先が決まっていますが、若干心配です。

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謝罪会見?

2月5日(月)

今学期は超級クラスで「社会を知ろう」という授業を受け持っています。その名の通り、学生が気づかない日本の一面を取り上げて、日本社会をより深く知ろうという趣旨です。先週から今週にかけての2つのクラスでは、「相撲」を題材にしました。もちろん、琴ノ若の大関昇進というニュースに絡めてです。

まず、琴ノ若と師匠夫妻(琴ノ若にとっては両親でもあります)が並んで、相撲協会からの使者の言葉を聞く場面の写真を見せました。3人は何をしているかと聞くと、2クラスとも真っ先に「謝罪」「謝っています」という答えが返ってきました。背景の胡蝶蘭を無視すれば、確かにそうですね。

ニュース動画を見せたらそれなりに理解できたようですが、大関という地位がどれぐらいのものなのかは、すぐにはピンとこなかったみたいです。「横綱の次」と答えた学生もいましたが、横綱や大関がピラミッドの本当の頂点なんだということまでは、なかなか理解が行き届いていませんでした。

そして、大関は月給250万円、年俸3000万円という金額に驚いていました。それに対して、幕下以下は学生アルバイトにも満たない手当が支給されるだけだということに、それ以上にびっくりしていました。でも、衣食住ほとんどお金がかからないので、そんなお金しかもらえなくても生活できてしまうことがわかると、妙に感心していました。

そんなこんなで、学生の相撲への理解は多少は深まったでしょうか。最後に、先週末の節分で活躍した力士の様子を見せました。鬼を鎮めるのも、力士の役割ですからね。

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美を感じる

2月3日(土)

今週の作文の課題は少々高尚で、自分が好きな芸術作品や建築物などに込められた美意識について書くというものでした。読解テキストに関連した内容ですから、授業で意見を出したり話し合ったりしています。そのため、全く1行も書けない学生はいませんでした。いや、それどころか、こちらが思っていたよりもよく書けていました。もっとも、いつもどうしようもない作文を書いてくるメンバーが欠席だったという面もありますが。

Kさんは水墨画について書いてきました。黒と白の世界である水墨画を見ていると雑念が消え去って、心に平和が訪れると言います。授業中のKさんからは想像しがたいのですが、休みの日には水墨画を鑑賞しに美術館などを巡っているのかもしれません。

Lさんは中国の紫禁城を取り上げました。外国人にとっては、紫禁城は単なる観光名所かもしれないが、その裏に秘められた歴史を知ると、見えてくるものが違ってくると言います。建物内の不自然な構造にも、ちゃんと意味があるのだそうです。歴史的建造物を見る時には、こういう解説が聞きたいものです。

Mさんはタージマハルを見た時の感激について述べています。タージマハルは、建設された時の愛の物語と、その後に控える悲劇の結末を抜きに語ることはできません。これを知識として知っているだけではなく、実物を目の当たりにして感動に浸りたいものです。

しかし…。今回もどこかのサイトの丸写しが疑われる文章がありました。Hさん、あなたは芸術作品や建築物などに込められた美意識に心を動かされたことはないのですか。もしそうだとしたら、あなたの今までの人生は、何と中身の薄いものでしょう。同情を禁じえません。

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意外にアナログ

2月2日(金)

K先生が日本語プラスの英語の授業を休んでいるJさんとLさんに声をかけてくださいました。2人から「いつ始まったか知りませんでした」という答えが返って来たそうです。でも、それは嘘です。日本語プラスの受講生全員には、始業日の翌週の月曜日にメールで時間割を送っています。また、メールで時間割が送られてくるからそれを見て確認せよという連絡も、各クラスで流してもらっています。たとえクラスでそのお知らせをした日に学校を休んでいたとしても、メールは届いているはずです。問題は、そのメールにきちんと目を通したかどうかです。

確かに、日本語プラスの時間割メールはデザイン的に目立ちません。システム上、私が勝手にデザインを変えることはできず、毎学期そのまま送っています。しかし、勉強する気があれば学校から届いたメールは丁寧に読むのではないでしょうか。JさんもLさんも、そこまでの気持ちは持ち合わせていないようです。

あるいは、メールは見たけれども内容が読み取れなかったということも考えられます。2人の日本語力からすると、このパターンは十分あり得ます。こういう場合、多くの学生はほったらかしにします。不利な事態が発生すると「わからなかったから特例を認めろ」と主張することもあります。そうなる前に疑問点をクラスの先生や事務職員に聞けばいいのに、それを面倒くさがるきらいがあります。

ペーパーレス化、デジタル化を図っても、末端部に情報が届かなかったら意味がありません。日本語プラスの時間割も、各学生に紙で配るのが一番安全確実に違いありません。デジタル世代の学生たちに、私たちの世代よりアナログな方法で情報伝達しなければならないとしたら、何という皮肉でしょう。

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報われた努力

2月1日(木)

昨日の漢字の授業で「長年の努力が報われた」という例文を勉強していますから、今朝の3分会話は「努力が報われた経験」というテーマで話してもらいました。学生の様子を見ていると話したいことがあるみたいでしたから、3分の予定が5分ぐらいになってしまいました。

学生同士の話を止めて、何人かの学生に「努力が報われた経験」を聞きました。すると、勉強を頑張った結果、成績が上がったとか志望校に進学できたとか試験に受かったとかといった系統の話が出てきました。20年前後しかない学生の人生経験なら、やむをえないとことでしょうか。

中にはコンクールで優勝したというのもありましたが、勉強に偏っていたということは、学生たちは国で勉強以外のことはあまりしてこなかったのかもしれません。学生たちの国は、受験競争が日本以上の厳しいですから、そうなってしまうのも当然だとも言えます。

日本の高校生はどうなのでしょう。クラブ活動や趣味の世界での努力が報われた経験を語ってくれるでしょうか。小学校から受験勉強一筋だったら、このクラスの学生たちと同じような話をするのかな。大学生なら、いわゆる“ガクチカ”を語ることになるのでしょう、幾分盛りながら。

努力が報われたとは、やはり成功体験です。若いうちの成功体験は人を成長させますが、KCPの学生たちは成功体験が希薄なようです。昔ならアルバイトで成功体験を積むこともできましたが、最近の学生はアルバイトをしなくてもいい学生が大半です。これが学生たちの弱点にならなければいいのですが…。

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もう一歩

1月31日(水)

午前は代講で中級クラスに入りました。前半の授業はY先生がなさり、私は後半を担当しました。Y先生からの引継ぎで、前半の文法の応用練習と短文作成から始めました。

授業の後半だけ代講に入るときは、出席を取ったら、「10:30まで、Y先生と何を勉強しましたか」というように、前半の授業内容を学生に聞きます。どこまで予定通りか確認する意味もありますが、学生たちの頭に何が残っているかを知ることのほうが重要です。大事なことが印象付けられていないとなったら、まずその部分を復習し、最低でもそれを記憶にとどめておいてもらわねばなりません。

実際、「10:30まで、Y先生と何を勉強しましたか」と聞いてみると、ちゃんとポイントが返ってきました。さすが、Y先生です。すると次は応用練習です。こちらはあれこれ想定を与えたり、学生自身に場面を考えさせたりしながら、勉強した文法を使わせます。中級以上の文法は使用範囲に制約があることが多いですから、それも含めて覚えているかどうかのチェックです。

そして最後に例文を書きます。書き終わった学生から例文を出してもらいますが、こちらもその場ですぐ目を通します。クラス全体に共通しそうな誤用が見つかったら、ホワイトボードに板書して、みんなで考えてもらいます。

Tさんの例文は、Y先生から教えてもらった文法の使い方は正しかったのですが、そこ以外の、これまで勉強してきた文法の使い方がよくありません。中級の学生がよくやらかすパターンです。

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形式的に参加

1月30日(火)

火曜日の後半は選択授業です。今学期は久しぶりに身近な科学をやっています。先週は教室がすき間だらけだったのですが、今週は満席でした。でも、授業開始直前に教室に入ってきたKさんは、モニターに背を向けるように置かれた机にそのまま座りました。Kさんは先週も出席していましたから、私がモニターを使うことは知っているはずです。そうじゃなくても普通の神経をしていればモニターが見えるように机を動かしますよね。しかも、席に着くや否や、ノートではなくスマホをかばんから取り出しました。

出席を取り、授業を始めると、Kさんは速攻でスマホにのめり込みました。もちろん、モニターに背を向けたまま。教卓のすぐそばでそういうことをしますから、思い切り肩をたたいてやりました。迷惑そうな眼付きで私の顔を見上げ、とりあえずスマホはやめました。しかし、モニターに目を向けようとはしません。

おそらく、Kさんは、消去法でこの授業を選んだか、第一志望が希望者少数で成立しなかったためこちらに流れてきたかなのでしょう。だから、無気力パワー全開で授業に臨んでいるのです。授業を通して何かを得ようなどという気持ちは、毛ほどもないに違いありません。すでにR大学に合格していますから、卒業式までの授業は消化試合みたいなものなのです。

しかし、Kさんの成績を見る限り、R大学には入れたのは奇跡です。担当教師の話を聞いても、話が通じ得ているとは思えないという意見が大半です。R大学はよくこんな学生を拾ったねと言いたいくらいです。今のうちにまとまった日本語の話を聞く訓練をしておかないと、R大学の授業になんか絶対ついていけません。でも、。Kさんにはそれがわからないんですよね。

授業の最後にテストをしたら、Kさんは答えを出さずに帰ってしまいました。

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バリアフリー

1月29日(月)

足を怪我してからというもの、外に出るたびに何かと不自由を感じています。新宿御苑前駅もその1つで、荻窪行きの電車から降りて階段なしのコースで学校まで来ようとすると、かなり遠回りしなければなりません。階段の上り下りに耐えるか、平坦な道を長距離歩くかの2択となっています。私は、夜明け前の寒空を延々と歩くより階段の上り下りがあっても最短距離ですむコースを選んでいます。

そんなことから、超級クラスの授業でバリアフリーを取り上げました。まず、学生に自分が感じているバリアを挙げてもらいました。すると、健康体の学生たちは、階段とかエスカレーターとかというよりも、不動産が借りにくいとか、アルバイト先で日本人客に信用してもらえないとか、日本人は身分証明書を持たなくてもいいのに自分たちは在留カードを常に携帯しなければならないとか、社会的なバリアをたくさん挙げてきました。

学生たちが訴えたバリアは確かに存在し、バリアを乗り越えなければならない立場だったら辛いだろうなと思えるものばかりでした。「日本の留学生活は楽しいです」と、このクラスの学生に限らず、初級から超級まで多くの学生が口にします。でも、その裏側にはこういうバリアに耐えている、もしかすると涙を流しているかもしれない別の一面もあるのです。

学生たちが挙げたバリアの多くは、日本人側に原因があります。「国際化」という言葉がもてはやされてからかなりの年月が経ちますが、日本はいまだに道半ばのようです。経済力が衰えた上に、このようなバリアを放置したままでは、日本は働いたり勉強したりしに行く国として選ばれなくなるでしょう。

授業の最後に「心のバリアフリー」という動画を見せましたが、本当にこの動画を見る必要があるのは、私たち日本人なのです。

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AIの威力と限界

1月26日(金)

Bさんは、もともと作文が得意ではありません。好きでもありません。ところが、この前の作文の授業で書いた作文は、のっけから高尚で格調高く、今までのBさんとは大違いでした。しかし、文保的な間違いはないものの、読み進んでいってもBさんの意見が出てきません。

おそらく、この文章は、Bさんではなく、AIが考えたのでしょう。作文のテーマと字数を入力し、書いてもらったに違いありません。一般論に終始するのではなく、こういう意見でまとめてくれという指示は出せなかったのでしょうか。もしかすると、作文の時間に配ったプリントも満足に読んでいないのかもしれません。

以前、初級の学生が、作文のテーマをそのまま検索にかけて、引っ掛かってきたページの文章を、一字一句変えることなく原稿用紙に写して提出してきました。妙にうまいと思ったらそんなわけで、返却する時にそのサイトのコピーもつけてやりました、Bさんの所業はこれに匹敵するものです。

作文の授業は、ただ単に文章を書くだけではありません。資料を読み込んで、考えに考えて、自分なりに何らかの結論を出す過程にこそ意義があるとも言えます。特にこの考える過程を身に付けているかどうかは、学生たちが進学してから強く問われる能力です。Bさんは、この力を伸ばしたくないのでしょうか。

学生たちにとって、作文の授業とは何なのでしょう。今学期水曜日に入っている初級クラスでは、スピーチの原稿を書くという課題に対して、配布したプリントに行をつけ足して書いてきた学生も多かったとか。Bさんには初級クラスに戻ってもらって、鍛え直してもらうしかないかもしれません。

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