Category Archives: 学生

持ち込み可

5月13日(火)

あさっては中間テストです。私が担当している最上級クラスでは、読解は教科書持ち込み可としました。最上級クラスですから、読解の問題文も長文になります。それだけの文章を入力するのも労力が非常にかかりますし、それを印刷する紙だってかなりの枚数になります。それを無駄だとまでは言いませんが、効率的だとは思えません。だから、教科書持ち込み可としたのです。

個人の教科書ならいろいろな書き込みがなされているのではないかと指摘する人もいるでしょう。でも、その書き込みは、その学生が授業をまじめに聴いていた証です。それを参考にして答えて高得点を挙げたとしても、授業をきちんと聞いていたか、ちゃんと参加していたかをチェックするという、中間テストの実施目的は達成されます。大学入試やJLPTみたいな試験ならそうはいきませんが、学校の定期試験は授業内容の理解度を見る試験ですから、これでいいのです。

でも、問題の作り方は変えなければなりません。穴埋め問題や並べ替えの問題は意味がありません。できれば学生の書き込みが生きるような問題を出してあげたいです。入力の手間が多少省けた分以上のロードがかかるかもしれませんが、これはかける価値があるロードではないかと思っています。

学生たちには、中間テストの読解は教科書がないと問題が解けないと、くどいほど伝えました。明日もダメを押してもらいます。そして、書き込みはいくらしておいてもいいとも言ってあります。これを聞いてわざわざ書き込みを付け加える学生がいるかどかわかりませんが、果たしてテストの結果はどうなるでしょう。

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何か飲まない?

5月12日(月)

「何か飲む?」「うん、飲む」。この会話に現れている2つの“飲む”は、明らかにイントネーションが違いますよね。?付きの方は、語尾でいったん下がったのちに上がって終わりますが、答えの方は下がったままで終わります。この違いは、教科書の文字を読んだだけではわかりません。実際の会話での発音を聞いたり、自分で話してみたりしないと身に付くものではありません。同様に、「何か飲まない?」「ううん、飲まない」(という会話が実際になされることはほとんどないでしょうが)における2つの“飲まない”も、イントネーションによって意味と役割の違いを表しています。「何か飲む?」ができたら、「何か飲まない?」も正しいイントネーションで発話できるでしょう。実際、私のクラスの学生たちは、ガイジンっぽくないイントネーションで話せるようになりました。

では、「何か飲む?」と「何か飲まない?」は何が違いますか。この2つ、レベル1の教科書にほぼ同時に出てきました。学生たちは、私の真似をしてイントネーションはどうにかできるようになったものの、“意味は?”と聞かれると、お手上げです。知っている単語をかき集めて、“丁寧”とか“気持ち”とかと答えますが、それだけでは言わんとしていることがさっぱり伝わってきません。

簡単に言ってしまうと、「何か飲む?」は「あなたは何か飲みますか」であり、「何か飲まない?」は「(一緒に)何か飲みませんか」です。こういう説明を、身振り手振りも交えてしたら、ある学生が「誘う?」などという、レベル1らしからぬ難しい言葉で聞き返してきました。速攻でスマホを見たのかもしれません。たとえそうだとしても、こちらの意図が伝わったことは確かですから、「うん、そうだね」と言って、さらに使う場面を与えました。

文字だけで勉強すると、上級になっても「何か飲まない?」が使えません。そういう芽をしっかりつぶしておくのが、初級の教師の役割です。

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難しくても

5月9日(金)

今学期の最上級クラスの読解では、日本人の高校生の教材を読んでいます。そのまま読ませると難解すぎて内容が取れないでしょうから、補助教材を用意します。今回は上野千鶴子さんの文章ですから、上野さんの人となりを紹介した後、上野さんが2019年に東大の入学式で祝辞を述べている映像を見せました。当時、その内容がとても話題になった祝辞です。

15分近い映像でしたから、最後までついてきてくれるだろうかと心配しましたが、ごく一部の学生を除いて、興味深げに耳を傾けていました。字幕にも助けられたと思いますが、よくついてきてくれたと思います。ジェンダーによる差を、データに基づいて示し、それが不当であると訴えていましたが、学生たちにはそういう論の進め方が新鮮だったようです。

こうやって、上野千鶴子さんの発想、考え方を大づかみしたうえで、読解テキストに入りました。今回は学生たちに内容を解釈してもらおうと思い、読むポイントをまとめたシートを配り、グループで考えてもらいました。「三人寄れば文殊の知恵」と板書しましたが、これを知っている学生はいませんでした。文殊は知恵の神様だと言ったCさんは、神様ではありませんが、よく知ってるねと褒めてあげました。

小グループになると話しやすいようで、教室のあちこちから議論が聞こえてきました。しばらくしてから話し合いの内容を聞きましたが、まあ、順当なところでした。上野さんの考えも、おおむね理解できたようで、安心しました。来週の授業が、この読解の山場です。脱落者を出さないようにしなければ‥。

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自信回復

5月8日(木)

Sさんが進学の相談に来ました。Sさんは優秀な学生です。しかし、昨シーズンはどこの大学にも落ちてしまい、4月からもKCPで勉強をつづけ、捲土重来を期しています。

Sさんは国公立大学を狙っています。それぐらいの力は持っていると思います。でも、大学に落ち続けたことが尾を引いているようで、自信を失っています。「私のEJUの成績で行ける大学がありますか」という質問が最初に出てきました。あと1か月余りに迫った6月のEJUに対しても、おびえているような感じがしました。

試験が好きな人はいません。どんな簡単な試験でも、逆に落とし穴が仕込まれているのではないかと疑心暗鬼に陥ってしまいます。今のSさんは、それが高じているような気がします。自分の答えに自信を持ってもらいたいのですが、自信をつけさせるにはどう指導すればいいか、これが難しいのです。ただ単に「自信を持って!」なんて言ったところで、Sさんの心は変わりません。

Sさんが、去年の11月の成績で入れそうな国公立大学はないかと聞いてきましたから、まずはそれに答えることにしました。論拠となるデータを示した上で「X大学ならSさんの点数でも十分手が届くよ」と言ってあげられれば、Sさんの気持ちも多少は上向くのではないでしょうか。そういう大学も含めて、Sさんが勉強したいことが学べそうな大学を何校かリストアップしました。

まじめなSさんのことですから、リストを渡せばそれらの大学について自力で深く調べることでしょう。そうしているうちに、その大学に入りたいと思うようになり、試験におびえるのではなく、積極的に立ち向かおうという気持ちが沸いてきたらと思っています。

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ドコモじゃないよ

4月30日(水)

「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」というような練習を、レベル1のクラスでしました。

このやり取りで、「だれか」「なにか」は頭高型のアクセント、それに対して「だれも」「なにも」は平板型のアクセントです。これは中級以上の学生にとっても難しいらしく、「だれも」「なにも」を頭高型で言ってしまう学生がおおぜいいます。ですから、初めて習う時につぶしておこうと意気込んで教室に乗り込みました。

初めて出てきたときに、「私の後について言ってください」と指示して言わせてみました。私は、もちろん頭高型と平板型をきちんと分けて、「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」と言いましたが、学生のリピートを聞くと、「だれも」は半数以上が「だれか」と同じ頭高型で言っていました。

そこでいったん止めて、ホワイトボードにアクセント記号を書いて、コーラスさせました。そして、再度挑戦したのですが、まだ5人ぐらいは「だれか」のアクセントで「だれも」を言っていました。

それはとりあえずあきらめて、「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」でやってみても、一定数の学生は「なにも」を頭高型で発音していました。「なにも」という単語レベルなら、正しいアクセントのリピートがそろうのですが、文になると数名は頭高型に戻ってしまいます。

「どこか行きませんか」「いいえ、どこも行きたくないです」でも状況は変わりません。「“どこも(頭高型)”はケータイ!」と言ってやると、気が付いてくすっと笑った学生が2人ほどいました。レベル3だとクラス中がわかるんですがね。「ドコモ」とカタカナで板書したら、大半の学生がわかりました。

意気込んで乗り込んでみたものの、結局不自然なアクセントはつぶせませんでした。長期戦で少しずつ直していくほかないのでしょう。

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「に」は重い?

4月28日(月)

先週に続いて、レベル1の文法テストの日に当たってしまいました。

“おんせん(   )はいりたいです。”という問題がありました。答えは、言うまでもなく「に」です。でも、「を」という誤答が目立ちました。助詞の「に」を「を」としてしまう誤りは、中級上級になっても尾を引きます。だから、何もないまっさらなレベル1の頭に「に」を印象付けたいところです。しかし、授業開始から半月余りで「を」の魔手が学生たちに襲い掛かり、その犠牲者が多数出てしまいました。

助詞「に」は、母語にかかわりなく、日本語学習者にとって難解のようです。“電車を乗ります”のような誤用は日々目にしています。「に」は、主格の「が」や目的格の「を」と違って、漠然と守備範囲が広いです。“(場所)に”にしたって、“(場所)で”と競合関係(?)にあり、テストでも作文でも、学生たちはよく間違えてくれます。

日本語文法の助詞の問題で、正解がいちばん多いのが「に」だそうです。私も、文法の問題を作るとなると、やはり「に」を問う問題を多く作ってしまいます。JLPTのような大規模テストでも、「に」が正答になることが多いように見受けられます。「に」が正しく使えるかどうかは、日本語教師にとってその学習者の力を測るバロメーターみたいなものなのです。逆の見方をすると、「に」を間違えずに使っている学習者は、相当できると見ていいでしょう。

これをお読みの日本人のみなさん、あなたの身の回りの外国人はいかがですか。同じくこれをお読みの日本語学習者のみなさん、ご自身の日本語はいかがですか。日本語が上手だと思われたかったら、「に」を磨いてください。

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だれにしようか

4月26日(土)

来週の金曜日が運動会ですから、土曜日にわざわざ出勤してきた教師は、その準備に力を注ぎました。各競技をどうやって進めるかはもちろん、種々の小道具の作成も、こういう授業のない日でないとなかなか進みません。授業の合間に、学生の切れ目を見計らってでは、仕事が細切れになってしまいます。

N先生は、自分のチームの学生を読んで、チームの応援旗を作ったり、応援のフォーメーションの練習をしたりしていました。KCPの運動会は紅白2チームではなく、4チーム対抗です。他のチームを圧倒するような応援となると、核になる学生が欲しいところです。2階のラウンジでやっていた練習に参加していた学生たちは、当日応援の主力メンバーとなることでしょう。

私はというと、かなりの時間を割いて人繰りをしていました。私が受け持っている最上級クラスは、もっぱら競技役員です。朝の駅から体育館までの道案内や体育館内の会場設営から始まって、競技の最中は出場する選手を並べたり審判の補助をしたり、体育館内で喫煙など悪いことをする学生がいないか見回りをしたり、運動会終了後は後片付けもしてもらいます。どの競技のどんな仕事に誰を貼り付けるかという、学生の割り振りをしていたというわけです。

学生に手伝ってもらうのは、教職員だけでは手が足りないからというのが第一の理由ですが、それだけではありません。通訳というのも重要な仕事です。来日1か月ほどの初級の学生との意思疎通には、上級の学生たちの通訳が欠かせません。恩着せがましい言い方をすると、こういう場で通訳した経験が、自分の日本語力に対する自信につながるものですから、そういう経験も差せたいのです。

さらに、気働きを実地体験してもらいたいと考えています。国では大事に育てられてきたでしょうから、学生の側が気働きをする必要などなかったことでしょう。日本で生活するようになって多少はそういうことができるようになったでしょうから、その成果を存分に発揮してもらいたいところです。運動会での仕事の内容は一応決まっていますが、当日その場の流れに合わせて機転を利かせることも求められます。そういうことができそうな学生を要所要所に配置することに、朝から時間を費やしたというわけです。

学生たちはわりと気安く日本で就職したいと言いますが、日本で働く際には気働きができることが不文律みたいなものです。私も、運動会の日には、学生たちの気働きをじっくり観察するつもりです。

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腰痛、御苑、カラス

4月24日(木)

Lさんは会話に自信がありません。KCPでは会話を重視していますから、何かと負い目を感じることが多いようです。それで、今学期は、授業後に残って、その日クラスを担当した先生と会話の練習をすることにしました。

そういう密命を帯びて、Lさんのクラスに入りました。このクラス、私は木曜日だけですから、Lさんと言われても顔が思い浮かびませんでした。まず、出席を取るときに顔と名前と声を同期させ、授業中に何回か指名して、実際に話す力がどの程度なのか把握しました。

さて、授業終了のチャイムが鳴りました。チャイムが鳴るや否や、Gさんが「先生質問です」と、教科書を持って駆け寄ってきました。Lさんが帰ってしまうのではないかと気が気ではなかったのですが、Gさんもこのクラスの学生ですから、その質問には誠実に答えなければなりません。質問は1つではありませんでしたから、すべてに答えるまでに10分ほど要しました。フッと振り返ると、Lさんが椅子に座って待ち構えているではありませんか。かなり本気なんだなと思いました。

会話が苦手ということは、私が相当引っ張らないとしゃべってくれないのだろうと思い、「お待たせしました。すみません。あ、Lさん、コートを着ていますが、寒いんですか」と話しかけました。Lさんは、「はい、少し…」と、言いたいことがうまく言えないようなそぶりを見せました。「Lさんは中国の南の方から来ましたか」「いいえ、北です。私は腰が痛いです」「ああ、腰を冷やさないようにコートを着ているんですか」…といった会話を続けているうちに、Lさんの口はだんだん滑らかになってきました。

Lさんは、日本語の文の作り方に難があるようです。しかし、次から次と話題が展開していって、私が意気込んでリードするまでもありませんでした。Lさんが話した言葉を、私が要領のいい日本語に直し、それをLさんがリピートするというパターンを何回か繰り返しました。その間に、Lさんは腰痛で医者に通っていること、新宿御苑の年間パスポートを買い、週に2、3回通っていること、新宿御苑は、今、桜がきれいで、観光客やいろいろな学校の団体がよく来ていること、日本のカラスとネズミは大きくて怖いこと、…など、話がどんどん広がりました。この調子でクラスの教師が毎日相手をすれば、日本語らしい文の作り方も身に付き、話す力も大きく伸びることでしょう。

気が付いたら、30分近く経っていました。午後のクラスの学生が、教室の前で待っていました。

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4月23日(水)

授業が午後からでしたから、朝から昨日の選択授業で書かせた小論文を読みました。先週から始まり、昨日は第2回でした。先週の小論文は、どうにか規定の字数で原稿用紙のマス目を埋めたにすぎないような文章が大半でした。ですから、昨日それを学生に返すとき、次はこういうところに気を付けて書いてほしいとフィードバックしました。

その1つが「だろう」を多用しないことです。学生に「だろう」はどんな時に使うかと聞いたところ、推測とか予想とかという、正しい答えが上がりました。「今年の夏も暑くなるだろう」とか、「与党が参院選で勝つのは難しいだろう」というような使い方です。「毎日8時間勉強すれば、志望校に手が届くだろう」などという、仮定の表現と組み合わせてもいいでしょう。

しかし、現実は、そういうことがわかっていながら、学生たちは「バブル崩壊後、日本経済は低迷し始めただろう」「札幌はラーメンの本場だろう」というように不要な「だろう」をあちこちにばらまいていました。おそらく、断言するのが怖いからなのだと思います。「札幌はラーメンの本場だ」と言い切った後で、「博多こそラーメンの本場だ」と突っ込まれ、そこで変な論争に巻き込まれたくないという心理が働いているのかもしれません。

でも、論争覚悟で自分の意見や考えをぶつけるのが小論文です。尻尾をつかまれないようにと逃げてばかりでは、読み手の共感を得ることはできません。当然、採点官の心を揺さぶれるはずなどありません。

さて、朝から読んだ小論文ですが、確かに無駄な「だろう」は激減しました。しかし、有害無益な「だろう」の陰に隠れていた難点が、かえって目立ってきてしまいました。それを添削するのに、また一苦労しそうです。

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聞くは一時の恥

4月22日(火)

日本語プラス化学は、先週宿題にしておいた過去問の答え合わせをし、わからないところの質問を受け付けました。答え合わせは私が作った問題解説を配って自分でしてもらいますが、その問題解説を読んだだけでなぜその答えになるか理解できるかとなると、おそらくそう単純なものではありません。

そう思って質問タイムを設けたのですが、だれも質問しません。質問がないわけではなく、どう聞けばいいかわからない、何から聞けば理解が進むかわからないというのが本音だと思います。今学期2回目ですが、先週はオリエンテーションですから、実質初回です。しかもメンバー同士顔見知りでもなく、やっぱり質問しにくいのでしょう。

この場面を救ってくれたのが、Cさんでした。Cさんは日本語プラス3期目ですから、今回の問題も授業の各単元のどこかで見たことがあるかもしれません。「7番の問題を説明してください」と口火を切ってくれました。

どうやって7番の問題の答えを導き出したか解説し、その後、関連のある問題をいくつかまとめて解説しました。他の学生は、私の板書を写したり、パワーポイントを見て反応式か何かを書きとったりしていました。みんな、何かきっかけが欲しかったようです。

さらに、授業後、Kさんが質問に来ました。とてもいい質問でしたから、授業中にしてもらいたかったです。そんなことを言っても始まりませんから、Kさんにわかるように答えました。お互い牽制し合っているみたいです。化学クラスの学生同士、何でも言い合えるような雰囲気作りが必要です。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥です。

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